わたしは、実は日本列島は数多くの自然災害の歴史的事実と脅威を考えれば、世界でも有数の過酷な自然環境の国土ではないのかなとも思います。
さらに湿度の高い暑さなども含めまして。
この本はイギリス人ジャーナリストの方の本です。
妙な話かもしれませんが、例えば戦国時代以前の色々な日本人の権力者、支配者、庶民、人々の暮らし、生活、習慣、文化、風習などを一番正しく知ることができるのは古代中国や宣教師たちが残した記録の文献がかなり信憑性が高いそうです。
江戸時代以前もそうだった部分もあるでしょうが、江戸時代以降に残されている記録はそのほとんどが改竄されたりしている可能性が高いそうです。
自然災害の話をするとき、予想される犠牲者の数があまりに多いと、現実感を薄めてしまうことがある。
すべての学者たち全員が、そう遠くない将来、東京ではかなりの高確率で大地震、地震による広範囲に破壊は不可避であり、町の広い範囲を破壊し、何万人も命を奪う、火災や津波を惹き起こす地震が発生することは不可避であり、地質学的に見てもその時期は差し迫っているという結論を導き出している。
南海トラフ地震も同様の予測で、地震と津波で太平洋沿岸で32万3000人が死亡し 62万3000人が負傷する恐れがあるという。
いつ起きてもおかしくはない南海トラフ巨大地震によって原子爆弾 4つ分以上の死者が出るかもしれないというのだ。
3.11の震災による死者は、100人を除く、ほぼすべて 残りの全員99%以上が津波に呑み込まれた溺死によって亡くなった。
人々はあらゆる種類の不満、要求、苦情を抱えていました。 でも苦情が口から出てくることはなかった。我慢と忍耐力によって人々はそういったことをすべて内に抱え込んでんでしまった。それは正しいこととは言えません。
私は時々、なぜ日本ではもっと単純な結論に至らないのだろうと不思議に思うことがあった。ある程度の不正不満の吐露、混乱などもう少し多めに見てもいいのではないか?
"がんばろう"という言葉にも私はいつも違和感を覚えた。「彼の辛い経験も、長期的には糧になる」という 言外の意味によって苦しむ人たちとの共感が逆に薄まる気がしてならなかった。
被災者の紫桃さよみさんは「子供達は見えない魔物に殺された」「表面的なものにしか目を向けることができない、日本人特有の何か」と言った。
ご主人様の隆洋さんは 全国各地から招待を受け 大川小学校の悲劇を語り継ぐ、講演活動を行ってきた。しかし 正直ショックを受けられた。参加者の意識はあまりに低かったことに。
「参加者にとっては将来また起こるようなこととは考えていませんでした。別の誰かの問題でしかなかった。まさか自分に起きるなどとは思っていなかったんです。誰もが危険性を見くびっていた。大川小学校でも教師たちはすべてを見くびり、何も真剣には考えていなかった」
「この機会を逃せば、多くの人が亡くなった今というタイミングを逃してしまえば、考え方や行動は変わることはないと思います。だから私たちは悲劇に本当の原因を突き止めようとしている。この災害について考えつつ その学習に迫ることを拒否すれば同じ悲劇が繰り返されるでしょう。けれどそういうふうに日本は機能している。それを変えることはできないんです」
日本人の美徳とされる、礼儀正しさは、自主性のない礼儀正しさではないのか。
私は日本人の受容の精神にはもううんざりだった。過剰なまでの我慢にも飽き飽きしていた。
大川小学校の児童の死は、宇宙の本質にあらたな洞察をもたらすものなのだろう。ところがそのレベルよりもずっと前の地点ー生物が呼吸し生活するー世界では児童たちの死は他の何かを象徴するものでもあった。人間や組織の失敗、臆病な心、油断、優柔不断を表すものだった。 宇宙についての真理を認識し、その中に人間のための小さな場所を見いだすのは重要なことに違いない。しかし問題はこの国を長い間抑圧してきた"静寂主義の崇拝"に屈することなく、それをどう成し遂げるかということだった。 日本に今必要なのは怒りに満ち、批判的で、決然とした人々、死の真相を求める戦いが負け戦になろうとも、自らの地位や立場に関係なく立ち上がって戦う人々だった。
世界中の多くの読者が疑問に感じることの一つが 2011年の震災から何が変わったのかという点だ。 どんな教訓が学ばれ、どのような新しい措置が取られたのか?似たような災害が再び起きたらーいつか必ず来るそのときが訪れるからーこれまで何が違うのか?
大川小学校での出来事は全体的な効率の悪さと準備不足が招いた悲劇的な例外だった。そこで起きた事例は日本全国の教師たちと地方自治体への注意喚起 となり マニュアルと避難計画の見直しや修正を促したはずだ。
震災の教訓から学び、変わっていかなくてはいけません。