原題が「Chasing Phil」なので、するすると間一髪でたくみに逃げていく詐欺師をFBIが追うという、プリ夫さんの映画「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」みたいな話かな?と思っていたら、まったく逆だった。FBI捜査官が詐欺師にあっちこっち連れまわされて飲まされまくるという話だった。
タイトルは、chasing っていうより dragged by の方が正しいんでは?
この事件の捜査が行われたのは1970年~80年初頭、ってことで、先に読んだ「花殺し月の殺人」の頃の、カウボーイの延長のようなFBI(1920年代)と比べれば、もう十分に「現代」だな、と思って読み始めたけれど、二人の捜査官が使うツールや手法は今の常識から考えると驚くほど洗練されておらず、計画もバックアップもほぼ無に等しい。なのに本名を使って「潜入捜査」をしている状況が、もう見事に危なっかしくて、読んでいて、ハラハラを通り越してストレスがたまった。
ひとえに、二人の捜査官の若さと精神力と柔軟性により捜査継続できていた、という感じ。
捜査対象だった詐欺師、キッツァーがいきなり「今からフランクフルトに行こう!」なんて言い出すたび、小心者の私は「ひえーもうやだー家に帰らせてー」と思った。
二人の捜査官、ほんとエライわ。
潜入中、息つく暇もなく次々と世界を飛び回る様子が描かれていたので、私は5年分くらいの捜査かと思って読んでいたけれど、最後に潜入期間は1年と2日間だった、と書かれていて、感覚よりずいぶん短くて驚いた。
潜入捜査というのは非常に過酷なもので、トラウマになったり、薬物中毒になったりと、心身両方への影響が非常に大きくかつ危険なため、捜査を行うには捜査官の性格的な適正が重視され、更に、期間の上限も厳密に決められていると聞くが、実際、期間の規定はどれくらいなんだろう。私はこの1年の記録を「読む」だけでへとへとになった。これ以上は無理、と思ったが・・・
キッツァーの罪については、彼に対する処罰は私にはずいぶん生ぬるく思えた。この著者や捜査官が考えているよりも彼のしたことは重いと思う(保険金詐欺は特にひどい)。それに、読んでいて、この本が言うほど彼の人柄が魅力的には思えず、最後まで嫌悪感しか感じなかった。でも、彼のものの見方は興味深かった。
たとえば、金融詐欺については、「お金を持っている人」を狙うんじゃなくて、「支払いに追われ、切羽詰まった状況に陥り、お金をかき集めることに必死になっている人」を狙う。なるほどなぁ、と思った。
印象的だったのはマンハッタンでのシーン。
『三番街のバーを飲み歩いていたとき、高層ビル群をはじめて見るかのようにキッツァーが空を見上げた。建物のほとんどは、誰かが何百万ドルもの金を借りるという賭けに出たから完成したのだと彼は言った。ある意味、建物は "信頼" を象徴するものなのだと。銀行、建設会社、保険会社といった見知らぬ会社や人々の集団が危険なゲームに参加し、互いを信じ、計画を信じなければいけない。多くの正直者が集まり、建設が実現する。キッツァーにしてみれば、それは奇跡的なことだった。』
確かに、この本を読むまで考えたこともなかったけれど、今の自分の生活は多くの見知らぬ人への無意識の信頼関係で成り立っている。
その全員が「正直者」かどうかなんて、誰にも分からないじゃないか、相手が見せる預金通帳の数字が本当かどうかなんて、何人かを抱き込めば君には分かりようがないだろう?と言われれば確かにそうかも。
ましてや、高層ビル建設なんていう、巨額の資金が動いて何百人もの人間が絡む事業で誰も嘘をつかないと考えるなんて、それはある種の「賭け」なんだよ、と言われると・・・私には返す言葉もない。