濱野大道のレビュー一覧
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ヒトの進化と生存戦略を社会心理学・進化心理学観点から述べている。
暴論でまとめると、ヒトに永遠の幸せは訪れないらしい。
本が厚揚げくらい分厚い。
男女の違いにも触れており、特に好きなものが
男性はひどいセックスをしたことよりも機会を逃したことを後悔するが女性は逆である という一文です。
男性は繁殖に対するエネルギーは少ないが女性はすごく大きいから(出すだけと約一年お腹の中で育てる)
人類は協力することで知能が発達し繁栄してきたと述べられている。(狩猟農耕など) 以前読んだ他の本でも人類が進化してきたのは、依存し合う(得意な人に任せる)ことで、脳にキャパができ、クリエイティブな発想が出来たからと書いてあった。つまり、何でも自分でやっちゃう人(できちゃう人)は進化が遅れている。 -
Posted by ブクログ
プーチンのペルソナを国家主義者、歴史家、サバイバリスト、アウトサイダー、自由経済主義者、ケースオフィサーの組み合わせとして分析。筆者はプーチンを現実主義者としているが、今般のウクライナ侵略はペルソナの変化(パラノイア的歴史家)なのかもしれない。本文中の興味深い点は以下のとおり。
・プーチンにとって重要なのは情報が真実かどうかよりも周りの反応。
・プーチンは副市長時代の失敗により、天然資源の備蓄が不可欠で、民間企業は当てにならないことを学んだ。
・プーチンは96年、オリガルヒの掌握という明確な目的のもとに、アウトサイダーとしてモスクワに呼び寄せられた。
・ドレスデン勤務のために80年代後半のゴルバチョフ主導の楽観主義時代の経験がすっぽり抜けている。
・プーチンが大統領として優先したのはウクライナを迂回した欧州の新しいパイプラインを敷設すること。
・プーチンが米に否定的な感情を持ち脅威を認識するようになったのは2000年代。2006年にはパリクラブへの国際債務返済。2008年には「ウクライナは国家ですらない」とブッシュに言明。
・2011年の抗議デモは情報空間の力を甘くみすぎていた。
・56年にハンガリー介入や68年のプラハ介入を反露感情を引き起こした大きな過ちと認識。 -
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1部4章を中心に読んだ。ニンゲンの進化を遺伝子学の観点から考察。中でも性淘汰の話は、興味深い。より強い遺伝子を残すためにメスは「質を伝える正直な信号」を見極めるようになる。たとえばそれは、孔雀にとっての派手な柄である。生存のリスクが下がるはずの派手な柄を備えた孔雀のオスはそうでないオスより強く逞しくなければ、ここまで生き抜くことができない。かくして一般的に生存リスクを下げるはずの見た目が逆説的によりメスを惹きつける。
これをヒトに置き換えると、対称性・強さ・身長・ユーモアだそう。また性淘汰の観点からこれらは相対的に優れているかが大切であり、その限りにおいて人は周囲と比べるという事から逃れられない。 -
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ネタバレ我々の脳が進化の賜物であるならば、我々の心理もまた進化の結果である。
我々が嫉妬しやすく、心配性で悩みが多く、承認欲求を満たしたがる(いいね、が欲しい!)のは、進化の過程で種の維持に有利に働く形質だったからだろう。
という進化心理学者の書いた本。
重要なのが、「種の保存に有利である事と、個人の幸不幸は別物」という事。
進化の過程で残った我々の心理状態を受け入れるだけでは個人としては幸せになれない。いや、むしろ不幸になるだろう。
我々が幸せになるには、種としての心理傾向を理解しつつ、発達した脳で意図的に幸福を得られるように考え方や行動を改善する努力をする事が肝要だ。
そんな考え方に根拠を与えてくれる本書。
僕は好きです。
(というわけで、いいね、下さい!) -
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いつか読まなければ…と思いつつ先延ばしにしていた本。今年の3月であれから10年。あの日自分がどこで誰と何をしていたか…そのあと続く余震の日々をどんな気持ちで過ごしていたか。今でもありありと思い出す。直接の被害を受けたわけではない私ですらこうなのに、当時東北地方に暮らしていた方にとって
この本で紹介された人たちの声は、どんな記憶を呼び起こすだろう。津波が襲って来る前から私たちの社会はどうだったか?大川小学校では、何があったのか。読むのも辛い場面も多かったが、残された家族が生きていくため、
せめて同じ時代を生きている私たちは見てきたこと、聞いてきたことを語り継がなければならないと強く思った。#八蔵の会
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今年で10年。もう10年も経ってしまったのかと驚いているけど、それでも戦い続けてる人がいるのを忘れてはいけないと改めて気付かされた。
イギリス出身のジャーナリスト、リチャードロイドパリー氏が書いた本だけど、とてもきちんと丁寧に調べていて
この方じゃないとここまで詳細に書けなかったなと思う。
昨年、石巻に住んでいる友人に半日被災地を案内してもらった。
当たり前けど、テレビとかネットで見るよりも衝撃的で言葉にならないとしか言えない。
海沿いまで家があって、そこで普通に暮らしてたのだという記憶とか
各場所に設置してある、写真で見る今と災害前とか。
大川小学校にももちろん行ってきた
本に書かれている、全くその通りのことを友人も私に話してくれた。
沢山の人が亡くなり沢山の行方不明の方を今でも探していると。
偽善や利権、地位とかお役所仕事に振り回されている遺族の方々がいると。
目の前で知人や友人が波に瓦礫に攫われて戻らなくなるのを見たと。
生き残った方々が口を揃えて言う至る所で霊を見ますというのは、間違っていないと私は思う。 -
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リチャード・ロイド・パリー『津波の霊たち 3・11 死と生の物語』ハヤカワ文庫。
あれから10年。在日20年の英国人記者が東日本大震災の津波による悲劇と被災地の不可思議に迫ったルポルタージュ。英国ラスボーンズ・フォリオ文学賞受賞、日本記者クラブ賞特別賞受賞。
リチャード・ロイド・パリーと言えば、ルーシー・ブラックマン事件の真相に迫った傑作ルポルタージュ『黒い迷宮』が記憶に残る。
74人の生徒と10人の教師の命を奪った宮城県石巻市の大川小学校で起きた津波による痛ましい事件の全貌が関係者へのインタビューを通じて描かれる。何故、北上川の下流に位置する危険な小学校で、教師は子供たちを山へ避難させなかったのか。生き残った子供と命を失った子供たちの運命の別れ道は。読んでいて胸が締め付けられるような描写が続く。福島第一原発事故が人災であったように、大川小学校の悲劇も生徒たちの命を守るべき教師たちの判断ミスによる人災であった。
また、被災地で目撃されるようになった数々の霊的現象。まだ古からの自然や風習が細々ながらも生き続ける東北地方では余り珍しいことではない。生き残ったことへの罪悪感なのか、亡くなった人びとへの哀悼なのか。そうした不可思議に頼ってさえでも我が子の遺体を見付けようとする大川小学校事件の遺族の哀しみたるや……
--- 以下は蛇足 ---
本書を読み、自分なりに10年前のあの日のことで思い出したことを書き止めてみようと思う。
本書のプロローグに書かれているように、確かに大地震の前兆は2日前の3月9日からあったのを覚えている。職場で昼休み前に突き上げるような揺れを感じたが、さしたる大きな地震でもなく、気にも止めなかった。その後、同じ震源地でM5からM6クラスの地震が頻発していたことには全く気付かなかった。というのも、当時妻が九死に一生という病気でやっと退院したばかりで、そんな異変を気にする余裕が無かったのだ。また、自分の会社が半年前に春から系列会社と統合するなどあり、仕事も忙しくなっていた。
そして、東日本大震災が起きた金曜日。妻の体調も快復してきたので、久し振りに晩酌を楽しもうかななどと思いながら出社した自分は、午後3時からの主催会議の前にトイレの個室を利用していた。まだ会議までに時間があるので、珈琲を飲もうとトイレを出ようとしたその瞬間に突然大きな揺れが始まった。すぐに収まるかと思った揺れは、次第に激しさを増し、天井の蛍光灯が落下したり、壁が崩れたりするので、個室に止まるしかなかった。個室の中で激しい揺れにかき回されながら、なす術も無く、この世の終わりではという考えが頭の中を過った。
長い揺れが収まり、防火扉の閉まったトイレから出ると廊下には建屋の内装が散乱しており、非常灯が灯っていた。隣の休憩所で早目の休憩を取っていた同僚が顔を出して来たので、これはもう駄目だ、早く外に避難した方が良いと言葉を交わした。目の前の職場を行くと什器や机が倒れたり傾いたりしていた。最初は誰ひとり姿が見えなかったのだが、よく見ると、社員は全員、机の下に潜っていた。大きな声で、外に逃げるぞと声を掛け、全員を建屋の外に誘導した。
外で職場毎に安否確認をしている最中にも余震が襲い、建屋の窓を破壊していった。携帯のワンセグでニュースを見ると、宮古市を津波が襲う映像が流れ、沿岸部の気仙沼市の半島に移住して来たばかりの義理の両親の安否が気になった。
社員の安否確認が済み、速やかに退社することが決まる。自宅に戻る道は車であふれ返り、信号機は全て消え、それでも互いに道を譲りながら交互に通行していた。
家に戻ると妻が呆然としていた。電気が使えないので暖房も無く、厚着をして食物や懐中電灯、ラジオや電池を集めるなどして、ラジオで今の状況を把握することに努めた。妻によれば、気仙沼に住む母親から午後4時に津波が来て家に帰れないというメールが来たらしい。津波が来たことを把握しているのであれば、命には別状はないはずと、妻を励ますのが自分には精一杯のことだった。
夕食代わりに煎餅を食べ、ペットボトルのお茶を飲み、暗闇の中で余震に驚きながらラジオに耳を傾けると陸前高田が壊滅、宮城県の荒浜で2、300体の遺体が見付かるなどと信じられない情報ばかりが流れてきた。寝たような、寝ていないような、世界が何もかも変わってしまったような不安な暗い夜。
翌日は土曜日だったが出社し、会社の被害状況を確認すると共に業務の再開に向けて復旧作業をした。それから金曜日までは午前中だけの出社になり、午後は食料や飲料の買い出しに近辺をさ迷った。義理の両親の安否が気になるが、何の情報も無く、Googleのパーソンファインダーで両親を検索すると多くの方々が安否を気遣う履歴が残っていた。次第に車のガソリンが減るが、スタンドも休業状態となり、余り車では出歩けなくなった。
金曜日の夜、Twitterを検索していると近くのガソリンスタンドにタンクローリーが入るという情報を得て、1時間ほど並び、何とかガソリンを満タンにすることが出来た。翌日の土曜日に気仙沼の義理の両親の家に行くつもりだったのだ。
土曜日に食料や飲料水を満載して、気仙沼市内に入ると目の前に信じられない光景が広がっていた。全てが津波に流され、海が見える鹿折地区の市街地。大きな船が打ち上げられ、道路の脇には家屋の残骸や車などがあふれていた。唐桑半島に向かう途中の高架橋にも衣服などが引っ掛かり、辛くも残ったホームセンターの屋根には黄色い車がのっていた。海辺はすっかりと景色が変わり、多くの建物が津波の被害を受けていた。義理の両親は果たして無事なのかと不安がよぎる。
幸い義理の両親の家は高台にあったため、津波の被害は受けなかったが、海辺の建物は壊滅、建物の残骸や船であふれていた。義理の両親は無事だったのだが、地震発生時に津波で壊滅した隣街の陸前高田市のホームセンターで買い物をしていたという。買い物を終え、帰ろうと車に向かった時に大きな揺れがあり、揺れが収まってから車に乗ろうとすると駐車場のアスファルトが割れ、車が傾き、走行不能だったらしい。ホームセンターの店員が車を押してくれたので、何とか亀裂から抜け出し、走行可能となった。その店員に礼を言うと、津波が来るから兎に角早く高台に避難しろと言われたらしい。
車で気仙大橋の手前に辿り着くと大渋滞で全く進まない。仕方無く旧道の古い橋に向かうと既に落橋しており、通行不能。一瞬、陸前高田の避難所に指定されている市民会館に行くことを考えたようだが、置いて来た猫が気になり、自宅へ帰ることにしたようだ。もしも、市民会館に避難していたら命が無かったかも知れない。
もう一度、気仙大橋に向かうと奇跡的に渋滞は解消されており、橋は通過出来たものの、川の水は干上がり、遠くまで海の底が見え、尋常では無い事態が近付いていることを感じたらしい。津波の浸水域を気にしながら自宅へと急ぎ、半島に入る坂道を下ると、遠くの方から津波が電信柱を薙ぎ倒しながら迫って来た。慌てて車をバックさせ、国道に戻ると津波があらゆる物を次々と飲み込んで行くのが見えたそうだ。自宅には帰れず、行き場を失い、国道で途方に暮れていると近くの人が山側にある中学校が避難所になっていることを教えてくれた。その夜は中学校で一晩を過ごしたということだ。
翌日、自宅に置いて来た猫が気になり、瓦礫をかわしながら、歩いて自宅を目指したようだ。途中、見知らぬ人からお握りや飲み物をもらったりしながら、何とか自宅に到着。家も猫も無事で、ひと安心したようだ。その後、電気も水道も電話も使えない生活が半年ほど続いた。
本体価格1,020円
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アフリカ勢が上位を独占するランニングで、日本人だけは少なくとも戦いを挑もうとしている。なぜ日本人はそんなに長距離レースへの思いが強いのかに興味を持ったイギリス人ジャーナリストによる、半年間の日本滞在ルポ。
立命館大学の駅伝部、日清食品の駅伝部、比叡山の千日回峰行を終えた僧侶への取材、そして自らもランニングクラブに入り、レースに出場する。こうした取材を通して、日本人にとってランニングは武道などに近い精神的な意味合いが強いことを身をもって学んでいく。さらには大学、実業団の選手との交流を通して、ロードだけでの、しかも昔ながらの体育会的練習によるケガ、モチベーションの低下という問題や、駅伝の功罪についても語られている。
外国人の視点からみた日本のマラソンブームという切り口がとにかく新鮮です。なぜ走るのかと問われて、自己ベストのため、仲間と楽しむため、と答えつつ、どこかそれだけじゃない?と感じている日本人ランナーは多いのではないか。生活に禅的なものがしみ込んでいる日本人には、走ることは自然なことなのです。R.ホワイティング氏の日米野球論や、古くはE.ヘリゲル氏の「日本の弓術」にも通じるような、スポーツを通しての比較文化論に繋がる内容かと。ランニング愛好者には一読をお奨めしたいです。 -
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自分がよく知らない人と話すときに、どうすればよいかー。
物語調に進んでいくこの本は、黒人女性が些細な理由(車線変更時にウィンカーを出さなかった)で違反切符を切られるところから始まる。
女性は投獄され、獄中にて自殺した。
この事実は、アメリカ中に拡がり、
世間は黒人に対する差別だ、偏見に満ちた警察官だ、と声を荒げたが、事実はそれほどにも単純なことなのだろうかと、著者は問いかける。
もっと根源的な、
「知らない人に対するコミュニケーションの誤り」
が、関わっているのではないか。これが改善されなければ、きっと再び同じ悲劇が起こるだろうと。
さまざまな事例をもとに、知らない人に対しての人間のふるまいに触れていく。
「デフォルトで相手を信用する」「その人のことを知れば知るほど判断を誤る」そして、「結びつき」。
この事例から学ぶことは多い。
私たちは、知らぬうちに相手を単純化して、顔を見れば全てがわかると思い込む。
そして、悪いことが起こるのは、環境のせいではなく、そこにいる人間のせいである、と。
先入観だったり、偏見だったりを、丸ごとひっくり返してくれる一冊でした。
この本で学ぶべき大切なことは、ほんの数行で終わるかもしれません。
しかし、この事実を咀嚼する為には、この分厚い本に立ち向かうべきだ、と思います。
知ることと、それを理解することは、全く違います。
同じことを再び繰り返さないためにも…。 -
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ネタバレアメリカを含め、世界各国の民主政治や民主化、そして独裁化の多様な経験を事例として多く引用し、民主主義の持続に必要とされる要素について理論を組み立てている。
制度的側面のみでは民主主義を保つことには十分ではなく、政治に参加するひとびと、政党、組織の間での不文律が大きな役割を果たしていることを論じる。相互的寛容と組織的自制心と概念化されているこれらの暗黙のルールが民主主義を支えるガードレールとして機能すると説明する。
二極化や政党の過激化とは、これらの不文律が四方八方で破られることで問題化し、主流派にも浸透し常態的になることでますます悪化する。
特定の人種や宗教、グループに対して排他的にならず、多様な人々を受け入れる基盤を作ることが、どの政党にも求められる。 -
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自然の描写を読んで想像するだけで清々しかった。
羊飼いと聞くとのどかなイメージがあるけど、実際の仕事はとてもハードだ。
体力的にもハードなのはもちろん生き物の生死に触れるという点から精神的にもハードだと思う。
また品評会や、仲間との腹の探り合いなど、人間らしい力が試される場面があることも意外だった。
また、その中で観光産業や、工業化にも言及しており、伝統と商業を両立することの難しさも感じた。
昔から変わらない風景というのは、なかなか難しいけどあってほしいと思う。
著者が羨ましいと感じる点は、自分のしたいこと、すべきことが幼い頃からわかっていて、それに向けてまっすぐ努力してきたということだ。
私もいつか著者のようにそれ以外にないと思えるようなことを見つけて取り組んでみたい。
謝辞では心が温かくなった。
普段触れることができない湖水地方の羊飼いの生活を垣間見れて心から嬉しい。