土屋政雄のレビュー一覧
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ネタバレ何より面白かったのは、語り手の視点の冷静さ、観察の細かさ、対象との距離の取り方だ。登場人物の虚栄や自己欺瞞を容赦なく見抜きながら、それを露骨に断罪するのではなく、イギリス風京言葉のような上品な皮肉に包んで差し出してくる。描写は美しく、文章のキレも最高。
登場人物は悉く魅力的。ストリックランドは「安定した生活を捨てて夢を選んだ人」ではないと思う。そもそも選んでいない。描かずにはいられず、そうせざるを得なかった、そういう習性の生き物だ。社会や家族や身体からは自由でも、美への衝動には完全に隷属している。
中でも一番魅力的だったのはストルーブ。善良だからストリックランドを助けるのではなく、美の基準に抗えないから助ける。道化に見え、自分では凡庸な絵しか描けないのに、審美眼だけは確か。妻を奪い、自分を徹底的に傷つけた男の絵なら駄作であってほしいはずなのに、傑作を傑作として認め、破壊することができない。単なる善良な寝取られ亭主ではない。私情によって美の価値を曲げられない、ひどく純粋な狂信者。最高です。
エイミー、ブランチ、アタもそれぞれ好き。置かれた場所も欲しいものも違うが、三人とも欲しいものは欲しいと言い、自分から取りに行く女たちだ。
誰もが同じ月を見ているわけではない。ある人物には六ペンスにしか見えないものが、別の人物には月なんだろう。
前半の怒涛の展開とキレに対して後半、ストルーブが去り、タヒチへ着いてからは少し勢いが落ちている。タヒチの風景描写はひたすら美しい。ストリックランドが求めた場所へ行き着き、あるいは帰り着き、完成したことはわかる。ただ、病や身体の崩壊が彼にとって無関係であることは、もうこちらは十分に知っている。前半の「悍ましいほど美しくて目を離せない」から、後半は「美しい場所で美しいものを完成させる」へ移り、美と醜の摩擦が弱くなったように感じる。
ストルーブが絵を切れなかった場面で、作品の主題はほぼ決着している。妻の死、屈辱、憎悪より美が勝つ。これ以上、何を証明する必要があるのか。そこへ病、失明、壁画、死、焼却まで積むから、証明ではなく列聖の儀式に見えてくる。
美しい蛇足。それよりもう少しストリックランドとストルーブを見ていたかった。 -
Posted by ブクログ
一度挫折しかけましたが、改めて最初から読み直し3日で読み切りました。
淡々とした物語の中に、英国貴族に仕えた執事のプロとしての品格と信念を描きながら、プロフェッショナルとはなにか、人生において大切にすべきことはなにか、色々と考えさせる小説でした。
スティーブンスは絶対にミス・ケントンの好意に気づいていたはずです。そうでなければ、要所要所の彼女の行動や発言を覚えていないでしょう。気づいていて、おそらく自分も好意を持っていて、けれど毎晩彼女の部屋でココアを飲む関係以上にはなりたくない、なぜならそれは執事としての仕事の邪魔になるから、彼女の好意には最後まで気づかないふりをする。でも結婚して去った彼女の不幸せそうな手紙を読んで、もしかしたら以前の関係に戻れるんじゃないかと会いにいってみる。ちょっと勝手すぎやしませんかと思うけど、彼女の方は現実的な幸せを見つけている。
誰だって、心の中にあのときこうしていれば、今頃どうなっていただろうと考えて現実と比べてしまうことはあるけれど、時間を戻すことはできないし、前を向くしかないのだと実感させられます。 -
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ネタバレ面白かった。主人公の仕事一筋という精神に感銘を受けた。やはり、そのような人間は、ある意味女性的な繊細な感情というのを排除することが得意なのかもしれない。主人公の父親が、黙々と階段の上り下りの練習をするシーンが感動した。心と体が一致しない老いの残酷さを悲壮感たっぷりに演出されていて、それでも死ぬまで仕事を全うするという、果てしない一流の召使いとしての意地のようなものも感じた。主人公の父親の生き様そのものを表していて涙が出た。「かつての主人は、自分の意思で選択をして間違われた、それに対して自分は選択すらしていない」というのは印象に残るフレーズだった。主人に対する深い尊敬と謙遜をここまで客観的に捉えられる姿に感銘を受けた。主人公は、主人が最大の過ちを犯し、ミスケントンとの別れが決定的となったあの夜を人生最高の一時と一寸の翳りもなく言い切っていた。ここまで美しく、残酷な生き方というのはあるのだろうか。
ファラディ様へのユーモアのあるコミュニケーションを身につけようとするラストは感動した。あんまり深刻になりすぎず、笑い飛ばせばいいのかもしれない。真面目で実直に生きてきた人間が、ユーモアにたどり着くというのは、すごく今の自分に刺さった。 -
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英ガーディアン紙「史上最高の小説100選」より、ヘンリー・ジェイムズ/ねじの回転。
屋敷で亡霊を目撃した家庭教師が教え子を守ろうと奮闘するが、次第に彼女自身が…。
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すべては主観で語られ、亡霊なのか幻覚なのか曖昧さが増してゆく。孤立した状況の中、「子供を救う」という使命感が次第に独善的な狂気のようになる。
人間の強固な思い込みがいかに他者を無自覚に侵蝕していくか。
ガーディアン紙の100選は、文筆のプロたちにより選ばれたランキングとのこと。
幽霊を外敵ではなく人間の狂気・内面として描く、という心理サスペンス要素が当時画期的だったり、「主観の暴走」という現代にも通じるテーマ性によって、長く敬愛されている作品なんでしょうね。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ父親の臨終に立ち会わず、道を過つ元主人ダーリントン卿を止めず、ハウスキーパー(家政婦長)だったミス・ケントンの想いに一切気付かず……。
常に「品格」を意識して「偉大な執事」たらんと長年努めてきたスティーヴンス。そうして得たのは冷淡、無関心、傲慢、空虚——傍から見ればおよそ人間的な温もりを感じられない立ち居振る舞いと半生だった。終盤にようやく少し認識できた彼のこれから先や如何に。
己の領分に留まり、そこで全うする。——程よければまっとうだが、過ぎれば世界に対して無自覚・無関心・無批判で空っぽになる恐ろしさ。世界情勢はおろか目の前のミス・ケントンの気持ちにすら暗すぎるスティーヴンスが、彼の上品な言葉遣いと相俟ってロボットのようであった。
スティーヴンスは、はっきりと言って嫌な奴だ。作者はなぜこの嫌な奴を、それも執事という役割を与えて描いたのだろう? 何かしらを諷刺しているのか?
作中のミス・ケントンの言動に些か当惑させられた。いきなりスティーヴンスに突慳貪な態度をとり、それが何週間も続くのは彼女の恋心ゆえ? やられた方はたまったものではないが。
土屋政雄の訳文のうち、ミス・ケントンの役職「housekeeper」を「女中頭」としている事だけが気に入らない。イギリス貴族に仕えた使用人の話なのに、この単語が出た途端に和装のおばちゃんのイメージが浮かんで集中しにくい。イギリスが舞台の小説に日本的要素の訳語は要らない。 -
Posted by ブクログ
「読む人を選ぶ作品」というものに私は大体選ばれない読者なんですが、やはり選ばれなかったよう思います。
誰が誰の話をしてるのかわからない、現実の話なのか空想なのかつかめない。筋が追えない、そもそも筋が無いかもしれない。読むのに難儀しました。読み終わっても一度頭から読んでいたら少し楽になったので、何度も読める本かもしれません。
映画もみましたが、映画は小説とは別になっていてアルマーシ伯爵とキャサリンの不倫物語が大筋です。アルマーシ(レイフ・ファインズ)の執着を露わにした目が怖かったです。これでアカデミー賞を複数部門獲得した90年代はいくら恋愛至上主義時代だったとはいえ野蛮だったなと感じました