香山リカのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
親が子の幸せを願う思いは無償なのか!?
子が親を慕う気持ちに偽りはないのか!?
すべての親子は、気持ちワルイ。
[ 目次 ]
第1章 親を殺す子どもたち
第2章 「なぜ生まれたのか」と問い続ける子どもたち
第3章 母に依存する娘、娘を支配する母親
第4章 母の愛は無償なのか
第5章 母性が加害性を持つとき
第6章 理想の家族にひそむワナ
第7章 「親子という致命的な病」への処方箋
第8章 親子という病のために「まだできること」
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
かねてより気になっていた1冊の本、香山リカさんの「しがみつかない生き方」を読んだ。初版発行が2009年7月30日。ちょうど1年前に発行され、様々な書評でも目にしていた。殊にあの勝間和代の馬鹿げた主張の数々に対抗する文化人として、香山リカの同書が論壇の遡上に載っていたことなどもあり、早くこの本の論拠を目にしたかった。
そして先日やっと手にとって読んだこの本の感想はといえば、まあまあ、極くごく「当たり前」のオンパレードであった。結論が当たり前なことは、同書のキャッチコピー「「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール」を目にしたときから判ってはいた。しかしながらその論拠もまた当たり前とあっては、些か白けるばかりでもある。
一言感想を述べるならば、勝間和代の主義主張にアンチであれば誰もが抱くであろうポイントをまとめたに過ぎない。だがこれだけ丁寧にまとめたのであるからして、アンチ勝間に受け入れられたのである。
時代はそれだけ、勝間和代的なムードにジャックされているのか? 等とも思わざるを得なかった。もはやブームとも云えない。すべて人間の行為の根拠を「成功」への努力に収斂させようとするかのごとくのものである。荒っぽいというだけでは云い足りない。
人間の存在理由を、そのすべてを、成功法則、効率なる概念で捉えようとするかの勝間的ブームは愚の骨頂であるが、そんな「愚」を祀り上げていくかのムーブメントは、さっさと終わらさねばならない代物の代表とも云ってよいだろう。 -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
「アイ・ラブ・ミー?」だれも自分がわからない……
多重人格、癒し等、こころをめぐる現象に映るほんとうの私とは?
臨床的・私的体験から考える。
[ 目次 ]
●「ほんとうの私」はどこにある?──「私探し」の時代
●「もうひとりの私」を求めて──サブカルチャーとしての多重人格
●「かわいそうな私」の物語──ストーカーとアダルト・チルドレンを考える
●「癒し」の正しい選び方
●「アイ・ラブ・ミー?」──〈じぶん〉を愛するとはどういうことか?
●その後の私の「私探し」
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
知らず知らずのうちに日本と日本人の学力・知性・モラルの崩壊が始まっている。
[ 目次 ]
第1章 活字の劣化
第2章 モラルの劣化
第3章 劣化していないものは?
第4章 若者の「生きる力」の劣化
第5章 社会の劣化
第6章 排除型社会での「寛容の劣化」
第7章 劣化はいつから起きたのか
第8章 劣化か、進化か
第9章 劣化を防ぐことはできるか
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
ひとりで暮らして「死」の瞬間は幸福だろうか。
「愛するひと」に恵まれた「人生」はあるのだろうか…。
[ 目次 ]
第1章 ひとり暮らしの友の死
第2章 “終の棲家”は必要か
第3章 いつまで働けるか
第4章 親の死はどう乗り越える
第5章 「介護は家族」が主流の中で
第6章 病気になると何がたいへん?
第7章 ペットを失う時
第8章 孤独死だなんて言われたくない
第9章 「私らしいお別れ」なんてあるのか
第10章 自分のための葬儀・遺骨処理を
あとがきに代えて―愛する人がいる人生もいない人生も
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
読み進めていくと、「あらゆる親子関係は病的なのだ。」という文句も。
なんか、思い切ったなぁ・・・。やるなぁ・・・。
「病的」というと、なんだか不健康な感じ。
でも、親子間のあの独特の距離感って、確かに不思議で不可解なことも多い。
なんなんだろうなぁ・・・。
息子と娘では、親との関係の築き方が違うらしい。特に母親との関係。
息子は、母に愛されて当然だと確信していて、疑うことをしない。
娘は、母と距離をとりながらも、母に支配されることに甘んじる。
まぁ、一概にその通りだともいえないんだろうけど、こうやって比べてみるとなんだか興味深い。
6年振りに、1年間だけという期限で親元で暮らすようになって、半年が過ぎた。
親子の関係を改めて考えてたとこだったから、この本が余計にひっかかる。 -
Posted by ブクログ
うつ病の発症率は女性の方が高いというが、この本を読むと、そりゃそうだなあ、むしろ生涯で1度も発症しない人は超ラッキーなんじゃ、と思ってしまう。
で、ちなみに発症を招く「認知のゆがみ」がどんなものか例示されているが、笑っちゃうくらいのヒット率だった。しかも最近、いまさらながらに「FRIENDS」を見まくっているため、「この状況がもしsitcomの1シーンだったら?」と考えるクセが出来つつある私は、「私(登場人物)がひとつずつそれを読み上げ、最後に "Oh, it's me!" とさりげなく言ったところで観客爆笑」というシナリオを描いて、なんか満足した。この「もしもsitcomだったら思考」は、自分の状況を客観的に捉えて、且つ笑いに転じられていいね!!便利! -
Posted by ブクログ
香山リカのエッセー集、のようなもの。いまや常識となっているような30の「常識」に対して、時には皮肉も交えながら、疑問を投げかける。エッセー集(のようなもの)なので電車でも気楽に読める。
全体を通して感じることは、住みにくい世の中だなあということ。別に政治、経済の状況がまるっきり異なる過去と比較して言うわけじゃないんだけどさ。特に印象に残ったのはジェンダーフリーに言及した「男は男らしく、女は女らしく」。あまり聞かない論調で新鮮だった。
政治に関してはあまり言及したくない。本人だって、おそらく気楽に書いてるんだし、そうした本に向かってあーだこーだ言ってもしょうがないでしょうに。ただ敢えて一つ言うならば、右だ左だと罵り合っては思考を停止させてしまうような世の中にはなってほしくない、ということです。
(2006年04月08日) -
Posted by ブクログ
日本社会を席巻する「うつ病」という現象を通じて、「甘え」と「病」の境界線に迫ろうとした興味深い一冊。著者の本はこれが初体験だったが、文体も軽くかなり読みやすくて、この少ないボリュームでここ数年来の「うつ病」騒ぎをざっと簡単に見直すことができる。社会において「精神病」が取り沙汰される時、臨床の場に身を置く専門家は、メディアからこういう要請を受けるのだなぁとか、こんな風に事件を切り取って見ているのだなぁということを知れる意味でも面白い本だった。
初めは単なる憂鬱な気分に始まり、いずれは自殺という最悪の結末にも至りかねない社会的危機としての従来の「うつ病」から、「五時までうつ」「軽症うつ」と呼ばれるような、仕事や学業の間だけ体が思うように言うことを聞かなくなる新しいタイプのうつ病の出現。何の付加価値もない平凡な自分を嫌って、プロフィールの「補足欄」に意気揚々と書き込めるような、個性のアイテムとして「うつ病」の診断を得ようとする人々。「それは単に遊びたいがための言い訳ではないのか?」「自分がうまくやれていないことを病気のせいにしたいだけではないのか?」、そんな煮え切らない思いを抱えつつ、DSMの診断基準や患者との信頼関係に従い、相手を「精神医療」の対象と認めてやらなければならない精神科医たちの実情。「社会的不適応を問題にした時、それはどこまで患者自身の主観的な判断に委ねられるのか」という、精神医学が現在まで抱えてきた根源的なジレンマを、この一冊は分かりやすい形で問いかけている。それは、いわば「病としての異常」の輪郭を確定しようとする試みだが、未だ根本原因が明らかになっていないことの多い精神医学の場においては、どうしても診断は状況依存的になり、また患者との関係において相互流動的になる。そこで立ち現れる患者のストレス、医者のストレス。「私がやっていることは本当に正しいのか?」と自問しながら、それでも「辛いんです。どうにかしてください!」と訴える患者たちに同情を寄せて、新薬やら精神療法やら、打てる限りの手を尽くして、それでも何人かは救い切れずに死んでいく。一方で、医者の診断にあぐらをかいて人生を謳歌するような「余裕ある患者」の存在たち。その中で取りこぼされていく、真に対策の必要な瀕死の「健常者」たち。
些細な落ち込みから自殺念慮までを一気に引き受けざるを得ない精神科医たちの業務超過を思えば、彼らがあげる悲鳴にも同意できる点はたくさんある。また患者自身を取り巻く周辺コミュニティが衰弱しているがゆえの問題であるという言うこともできると思う。多分、「些細な落ち込み」が「より深刻な自殺念慮」へと発展していくそのプロセスの間で、「些細な落ち込み」を打ち明けられる相手、それが自殺念慮にまで至らないような受け皿になってくれる相手というのが少なくなってきているんだろう。だから、「ちょっとした気分の落ち込み」だけでも、それをまずは周囲の同僚や友人達に相談してみようという発想ではなく、「気軽にメンタルクリニック!」という世間の喧伝も併せて、一気に一足飛びに精神科にまでかかってしまう人々が増えているのだ。作者がここで羅列している「甘え」の権化のような患者たちも、まずは自らの欲求を精神科医に訴える前に、その人のことをより理解できている周囲の人間たちに相談できていたら、もっと自分を客観的に理性的に見直すこともできたのではなかろうかと思う。それでも、それができないからこそ精神科医の新たなお荷物になる訳で…。
とはいえ、そうした人々も、そのレベルがどれほどのものにせよ、社会的不適応を自覚しているという意味では(現代の文脈においては)精神科の治療対象となり得るのである。ここが難しい。本当に難しい。「精神病」というのが確かに存在していて、作者が言うような「なんちゃってうつ病」の中にも、そうしてそれ以外の人々の中にも、確かに真摯な投薬と治療とを必要としている救いなき人々がいることが分かっているだけに本当に難しい。
どんな理由にせよ、辛いと訴える人々を精神科医は見捨てることができない。そうして一たびその人が「診断」という名の免罪符を得れば、周囲の人たちはもうそれ以上その人を批判したり、ある意味でその人に対し誠実に向き合っていくということができにくくなる。これは、精神医療が抱える問題なのか。はたまた、社会の中の精神医療というものの意味づけにおける、もっと構造的な問題なのだろうか。それでも、「うつ病」という病気は確かに存在し、そのことであえなく死んでいく人々は後を絶たないのだ。問題は山積みになっているのに、明確な対策が見えてこない。「私、知り合いをうつ病で失くしてて…」という告白がさして珍しくもない世の中などというのは駄目だ。そんなものは悲しすぎるし、かと言って「うつ病」そのものが抱える問題が限りなく多様化し、だんだんと手に負えない領域のレベルにまで成長しようとしていることが恐ろしい。
すぐには答えの出ない問題である限り、精神科医であり続けるというのは本当に大変なことだし、これからも著者が指摘するような「まるで精神科医を悩みを訴えるためだけの親友」のようにとらえている人々は増えてくると思う。マスメディアの報道、社会の影響、究極化する自己責任論、コミュニケーションの不全…一つの側面からでは到底とらえきれない「うつ病」という現象は、今後様々にそのすそ野を広げて、私たちの生活を隅々まで侵食し尽くそうとするだろう。それはまさに「日常の精神医療化」とでも言えるような事態である。しかし、そこで些細な悩みにも薬を使い、日常のちいさなつまずきをも医療によって矯正しようとする生き方に、本当に人間らしい主体性というものは付与されているのだろうか。薬を服用することで初めて「まとも」な状態になれる人々の場合、本当に「まとも」な自分というのはどこにあるのか。また、薬がなければ自殺念慮に侵されてすぐにでも死んでしまうような人々の場合は?著者の作品は、少ない文量の中で様々な問題提起を図っている。「うつ病」という格好の隠れ蓑が普及した現代という時代において、私たちは今一度、自分にとっての「正常」と「異常」の境界の基準を考え直してみなければならない岐路に立たされているのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
年間3万人の「孤独死」があるという。
香山先生の知人女性2名も、そのようななくなり方をしたとか。
大原麗子、飯島愛・・などの著名人も多い。
先生の診療室にはシングル女性の「孤独死恐怖症」が多々現れるようになった。恐ろしさから逃れるために結婚を考えるとか(それは相手に失礼だろうとワタシは思うけれど・・)
でも、人間一人で生まれ、一人で死ぬのは当たり前となぜ思えないのだろうか。心中しても事故で一緒に死んでも、個人の死は死でしかないのに、甘えた考えではなかろうかと私は思ってしまうけれどね。ほんとに「しがみつかない死」でありたい。
それよりも先生の言うところの自分の死というより
家族などを喪うことへの恐怖心が強い。
それには立派に「予期悲嘆」という精神医学の名称があるとのkと。 -
Posted by ブクログ
「しがみつかない生き方」は巷でかなり評判になっていたが、読まないうちに「〜死に方」が出ていて読んでみることにした。「しがみつかない」という言葉が使ってあるように「こうでありたい」という気持ちが強くなりすぎて「こうでなければならぬ」になると苦しくなってくるのではないかな。そんなに思い煩っても思い通りの『死』を迎えることなんてほとんどないわけなんだから、毎日を生きる、ことを考えよう。そして、自分をよく見せるべく見栄をはったりしないで、なるべくあるがままの自分でいられるようにしていれば、「あんな人だったなんて・・・」度数も低くなるであろう、と思った次第です。
-
Posted by ブクログ
この本は自分が「モンスター被害者」になってないか、
検証できていいと思う。
しかし、それらが増えていることは述べられていても
具体的な対処方法はあまり書かれていない。
著者自身もそれは自覚しており、あとがきで書かれている。
お医者さんだからしょうがないのかな。
こっちはフリー仕事でモンスターなクライエントについて、いつまでも
内省したり、うらみごとを言ったりしていたら失職してしまう。
理不尽なことなど腐るほどある。
自分が他者に理不尽なことをしたことも腐るほどある。
自分が正しいか被害者かの思考に酔いしれるのは時間の無駄だ。
真実は、いずれわかる。もしかして真実はないかもしれない。
自分がモンスターだった甘えてたと後から気づくこともあるし、
やっぱ、あいつが悪いよ!と思うこともある。
まあ、どっちか100%なんてケースは犯罪被害以外ないんじゃないかな。
自分が被害者だろうが、加害者だろうが
自分の人生の責任は、結局のところ自分で引き受けるしかない。
加害者は変えられない。満足いく補償なんて現実にはない。
(本当に被害を受けたとしても。相手が悪人だったとしても)
変えられるのは、自分の仕事のレベルと
対応の具体的なアイデアだけだ。
著者は時代に警鐘を鳴らしているが、
現実には「被害者」は減らせないと思う。
どうこの時代を泳ぎきるか。