香山リカのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
いまどきの「常識」をよくよく考えてみると、そこにいまの社会そのものがが表れていることがわかる。権力や財力を持っていない「得をしていない人」までが自己責任を語るのは、問題を個人的次元に矮小化することで「現実を見据えて深く考えること」の厄介さや恐ろしさに向き合わなくて済むし、「私はこうではない」と、とりあえずは自分の身の安全を確保できるからだ、という。社会の中になんとなく広がる「足並みをそろえること」にも不気味さを感じる。「人は、自分が信じたいことしか信じない」という心理学的な特性や、「ひとつのこと、とくに身近なことを考え出すと、もうほかのことには目が向かない」という最近の傾向も興味深い。
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Posted by ブクログ
近年、当たり前となりつつある
いまどきの「常識」、新しい社会のルール
に対して、「コレっておかしくない?」
と問い掛けた本。
現実主義の項では、
「(略)誰かが捩じ曲げた現実や既成事実に無理やり自分を合わせる、という人生を生きなければならない。しかし、(略)最低でも「これっておかしいんじゃないか」と疑問を持つことは許されるだろうし、あまり理不尽さを感じるときは「やっぱりこんな現実、おかしいよ」と現実を否定して声をあげることだって当然、あっていいはずだ。」
(P.45)と言う。
「当然」だと思っていたことが、
本当にそうなのかな?と思えるようになった。
その意味で、目が覚める想いがした。
《目次》
1 自分の周りはバカばかり
―人間関係・コミュニケーション篇―
2 お金は万能
―仕事・経済篇―
3 男女平等が国を滅ぼす
―男女・家族篇―
4 痛い目にあうのは「自己責任」
―社会篇―
5 テレビで言っていたから正しい
―メディア篇―
6 国を愛さなければ国民にあらず
―国家・政治篇― -
Posted by ブクログ
結局のところ
日本人は
劣化したのか、進化したのか
どっちだ?という新書
そして最終的には
保守かリベラルかという本
つまり筆者は
日本人は
活字、モラル、社会すべての面で劣化が始まってるという。
今は
フェミニズムの運動にしても
逆に「フェミニズム」を問題として挙げる方が
差別なのではないかと考えるほど。
つまり「寛容」に対して劣化したのではないかという指摘。
寛容の劣化というのは
強者が弱者に対して寛容する心がなくなってきたということ。
その例に挙げられるのは
格差社会やワーキングプア、派遣社員など
結局強者が弱者を弱者として扱っている今現在。
最終的に
リベラルの劣化となるのはいかがなものかと思ったが
決して
日本は進化でなく劣化しているのは確かだ。
ただちょっと難しくて読み飛ばした部分もあり。
これって
私も読み解く力が劣化しているということなんだろうか。 -
Posted by ブクログ
『「ゲーム脳」にしても「テレビは子供に危険」という提言にしても、信じる人はその科学的根拠や正当性など、実はどうでもいいのかもしれない。自分がなんとなく「あやしいな」と思っていたことが、専門家によって裏づけされた。「やっぱり私は正しかったのだ」という快感はあまりに大きく、たとえその後で「科学的に正しくないことが明らかになった」と発表されても、もはやそれを受け入れることはできないのだろう。』
ただ序盤にある『「私は、その病気になったことがないので、患者さんの気持はわかりません」』と回答する学生の言葉を『自分とは少しでも異なる立場や状況にある人の心情を想像する気が、はじめからないのである。』と解釈するのは、精神科医としてどうなのか。
他人の苦しみに対して、それを味わったこともない人間が想像だけで同情することを偽善として激しく嫌うのは若者の基本的な特徴だと思うのですが・・・。 -
Posted by ブクログ
ものすごくキャッチーな内容だけど、当の若者である僕からしたらかなり突っ込みどころ多い。
というか、著者の分析が結局は個人的な体験とか思い込みを拠り所にしているから、妙にいらいらする。
分析しようとしてるけど、結局理解する気なんてないでしょ!って言いたくなる。
でも、世の先輩方は我々若者が当たり前にとっている行動について、様々な仮説を立てて必死に納得しようとしてるのだなあということは伝わってきた。
たぶんいつの時代も若者は「新人類」なんでしょう。
さて、リカちゃんが若者について正しく分析・理解できていないとすれば、その原因は「サンプルの偏り」ということに尽きると思う。
例えば、「ねたむ」という項が象徴的。
この項でリカちゃんは、今の若者は自分の立場や状況をいつも肯定的に捉える傾向があるから、他人の成功に対してねたんだりすることはまずない、と言う。
そしてその前提のもとで、彼女はこう続ける。
「自分がいちばん」と思っている若者はいつも他人の成功に対して寛大なのか、というとそれも違うのだ。若者向けの雑誌を見ていると、ときどき「相手を不幸にするおまじない」や「呪い」の特集が載っていて、ぎょっと驚くことがある。怨霊や妖怪といったドロドロした存在への関心も、年々高まる一方だ。今の若者の寛大さは、自分の適性や個性をきちんと自覚できるようになり、社会的な評価に惑わされなくなったから生まれたものとは言い切れないのだ。「まあいいさ」「これでよかったんだよ」と自分に言い聞かせ続け、「あの人は一見、うまくいっているけれど、それはそれで大変なんだよ」と思い込もうとしているだけ、という人もいるのではないか。そういう若者が自分の仲に抑え込んでいるねたみや憎しみが、今の「おまじないブーム」や「怨霊ブーム」に姿を変えているのではないだろうか。
(※2002年刊)
ここの突っ込みどころは「若者」という層の捉え方がざっくりしすぎていること。
「他人の成功に対してねたんだりすることはまず無い」という若者と、「呪い」の特集の読者層は一致するとは限らないんじゃないかな。
今も確かに世の中的には占いだとかのスピリチュアルなものへの関心が集まっているんだろうけど、それって若者に限った現象ではない。
「呪い」の特集の読者層=若者の大多数 っていう訳分からん構図をサラッと使ってしまっているところにこの本の甘さがあると思う。
たぶんこの本を「精神科医による分析」っていう頭で読むと、「なんでぇい」って感じると思う。
エッセーとして読むのが正しいんだろうな。 -
Posted by ブクログ
最近自分の老後が気になって仕方ない。誰にもいずれは訪れる終末をどう対処しようかと考えてしまう。もちろんきっかけはあるのだけど。老後まで待たずとも病気や事故にあい余命が決まってしまったり突然死が訪れる可能性だってある。今現在は夫と子供、兄弟もいて多分自分が何を考えようが滞りなく終わるのだろうなとは思うが。香山リカさんは何と同じ年だ。彼女が第1章でひとり暮らしの友の死に自分を重ねた不安とか今の現状や働くこと親の死に対する不安、ペットを失ったときに感じるだろう悲しみ、共感する部分は多い。立場は全く違う。ほとんど夫の収入に頼りっぱなしでこれといった技術も資格も経験もなく、パート主婦で子離れできていないとよく言われる私のどこが彼女に共感するかはわからない。だが、いずれはひとりになるだろうという予感はあるのだ。年の順でいけば両親に続き夫が、子供は自分たちの家庭なり生活を気づいていくだろう。そうなったときやはりパート主婦もひとりになるのだ。上野千鶴子さんの「おひとりさまの老後」を読んだときは元気なうちの老後の暮らし方、もっと年を行ったときの暮らし方のヒントのようなものが書かれていた。けれど、上野さんは恐れてはいない。もう自分の今後をある程度このようにしようという意思が固まり着々と準備も進めていての本でじたばたとした感じはない。そういえば上野さんは干支でひと回り上の方だった。もう定年という年では老後はいつか来るときではない。そもそも老後とはいつからなのかという事になるが、共通しているのはどちらも60代、70代は老後と考えているようだ。もちろん一概にその年代の人すべてが入っているわけではないだろうし高齢者が一般的にそのあたりからの人を指すのだからそうなるのだろうが。という事は、現役で働いている時期を過ぎればもう老後という事になる。そろそろ準備を始めなければという思い、心構えだけでもという思い、それが彼女や私をじたばたさせるのだろう。具体的な対処法というなら「おひとりさまの老後」の太字部分だけをさらっと読んだほうがいい。あまりこの本の中にはかかれていない。精神面のじたばたをいろんな文献の中から探している段階で彼女自身まだはっきりとした決意がないせいだろう。もっと本格的に知りたいならこの本中で作者が読んだ本、松原惇子さんが書いたシングル女性の老後についての本を読んだほうがいいだろう。人生というのは不思議だ。こんなに老後、特に終末が気にかかっているのに案外ずっと健康で長生きして100歳以上生きるかもしれない。そうなると今はまだ人生の半分までしかきていないことになる。そうなると一生の半分をずっと心配して暮らすという事になる。それもまたいやだなあ。この本は後半になると急につまらなくなる。筆が進まなかったと書いているが、作者もまた身近な友人が亡くなったとき感じたことがもしかしたら余りに遠い事のようにも思え転ばぬ先の杖を用意したら古くなりすぎて折れちゃったりなんて、そんな現実味がわかないせいかもしれない。上野さんの本にも香山さんの本にも「負け犬」という言葉が頻繁に出てくる。シングル女性は平然とこの言葉を使う。それほど彼女たちの間ではこの言葉は定着しているのかもしれないが、私はやはりそれには姫野カオルコ的解釈があると思う。「ああ正妻」の中で書かれていたように彼女たちは自らを「負け犬」と一歩も二歩もへりくだった言い方をしながら,自信とかプライドを感じさせる。配偶者に先立たれ子供も離れたおひとり様にはないものが彼女たちにはある。それが彼女たちに「負け犬だから」と言わせる。それがない私はどうすればいいのだ。だが、待てよ。母の年代で未亡人になった人たちはみんな不安に暮らしているだろうか。そうは見えない。なかなか気ままで楽しそうにしている。伯父の死の直後「夕方、4時ごろが一番辛い。淋しくて仏壇の前で独り言をいつまでも言っている。」と泣いていた伯母も喪の作業が終わったのか今は活動的にしている。「死んだら残った人が好きにすればいい」と言っている。なるようにしかならないという事なのだろうかとまたじたばたとしてしまう。