佐高信のレビュー一覧
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ネタバレ特に印象的だったことを徒然に書き記しておきます。
学徒出陣に対して、庶民からはむしろ当時のエリート層である
大学生が出征することを、喜んでいたような節があるというような
話が興味深かった。「不幸の均霑」という言葉を用いて説明されているんだけど、「同じ辛い思いをしろ」というような、庶民側の感情というものがあったと。これなんか、まさしく今の日本とおなじ構造だと思う。昨今の過激な発言で賑わす政治家達が既得権益をぶっつぶすみたいなこと言うけど、それに市民は喜んで同調してしまう。
その背景にあるのは「大変な思いをしている時に甘い汁を吸っているやつらはけしからん」というような、感情と同じだと思う。
本当は、研究者や学生までもが戦争にかり出されて行く姿を異常だって気づかないと行けないのに。
「非政治的な活動」がいつのまにか、結果的に政治的な方向に導く力を持っていた、こととか。国防婦人会なんてのは、最初はもっとローカルで無害な、コミュニティとしての集まりだったと。主婦の節約術、的なことを教えていくような。それがいつしか組織化され、国家の意向を推進するような強い影響力を持って行ったと。人があつまる、団結する、組織化するということ、それ自体にもともと力があるんだと思う。そして、それはもしかしたら目的があるかなしか、に関わらず、ただそれだけでパワーがあるんだろう。大正デモクラシーとかにもちょろっと触れていたけど、当時の日本人にとって、そういう全国規模で何かをするっていうこと自体がもしかしたら新しかったのかもしれない。そういう一体感っていうのがある種、感覚を麻痺させる麻薬的な要素があるんだろう。そういう非政治的な部分っていうのは、目的が明確でなかった分、一度方向を間違えると危ういんだと思う。
個人的に思うのは、日本人は政治を嫌う傾向にあると思う。
職場や学校で政治の話、自分の心情などを話すのはタブー視されている雰囲気があるけどそれってダメだと思うし、それこそが、みんな思考を停止してしまう、引いては自分のこととして政治を考えられなくしてしまうことなんじゃないかと。本当はもっと身近な話題であるはずなんだよね。誰かと話す、意見が食い違う、そこから問題意識が深められると思うんですよね。だから、私としては、いろんな人と話そうと心がけるようにしております。 -
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リクルート事件の真っ最中、リクルート社のPR誌の仕事をしていた。
店舗等へ取材依頼をするのだが、軒並み取材拒否。勿論、事件の
影響である。
住友銀行の支店長射殺事件の時は、住友銀行の仕事をしていた。
「住友に打ち合わせに行って来ます」と事務所で言うと、
「撃たれるなよ~」と先輩に言われた。出入り業者まで標的に
されては堪らん。
世界的な技術を持ちながら粉飾決済事件で信用が地に落ちた
オリンパスの事件も記憶に新しい。
本書は戦後に起きた企業事件を簡潔にまとめて、経営者や経営陣
のモラルの低下を指摘している。
内紛劇やら、会社の私物化やら。もうやりたい放題。そして、事件
として表面化しても反省の色もなし。言い逃れと責任逃れでどうに
かしようとする。
日本の有名企業のすべてが本書に取り上げられている企業のような
ところばかりではないだろうが、暗澹たる気持ちになるね。
それでも、役員会で自分に反対する意見が出なくなった時に、危険な
兆候だと感じて辞任を決意した住友金属鉱山の社長のような人もいる。
そして、凄かったのは大沢商会の人事部長だ。同族経営の失敗など
色んな要素が重なって倒産。会社更生法の適用を受けたが、入社が
決まっていた新卒者がいた。
人事部長は奔走する。採用予定だった50人のうち、43人の転職先を
確保したばかりか、子会社工場で働いていた障害者たちの受け入れ
先をも確保する。
そして、全てが終わって自ら会社を去っていく。
近年、不況の影響で内定取り消しなんて企業があるが、この大沢商会
の人事部長のようなことはしてないだろうな。格好いいじゃないか。
取り上げれている事件を扱った企業小説や経済小説の引用が
多数あるので、清水一行や高杉良の小説が読みたくなる衝動に
駆られる。 -
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ネタバレNHKのさかのぼり日本史をみて、加藤陽子さんの本を読んでみた。佐高信さんとの対談。
加藤さんの
国民を刺激しない形で「その気にさせる」ため、公平で平等に徴兵する。今まで特別待遇だった徴収猶予の対象であった人たち、知識階級の帝国大学の学生などを徴兵していく。そういう人たちを、ガダルカナルやレイテで戦わせる。そういうことを一般の国民は正直「いい気持ち」がしたのではないか。これは、「皆さん等しく不幸です」というところで保っていた社会だ、「不幸の均霑」である。という話。
なるほどなあと思う。今だって、みんな一緒だった仕方ないと思うだろうなあと思う。昔、早くに夫に死なれて4人の子供をたった一人で育てた祖母が「みんな貧乏だったから、うちも生きていけた。戦争中だから生きられた」といってのを思い出した。
家の光の小説を読んで満洲への移民が敷居の低いものになったという話も納得した。国の欲するブームを作ることがマスコミはうまい。
以前、歴史の教科書に、社会を学ぶのはだまされないためです。と書いてあったけど本当にその通りだと思う。 -
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佐高信と田原総一郎、両者とも好きなんですけどねー。(笑)
実は、表題の部分は全体の3分の1くらいで、3分の2は著者がサンデー毎日誌上で連載する「政経外科」を再収録したものである。
「政経外科」に関していえば、特に弱者に対する論評が際立っていると思う。ファントム墜落事件の犠牲者の話や、三菱重工での労災顛末など知らなかった話ばかりであったので、こうした話は今後も継続的に紹介してほしいものである。個人的には、車には速度リミッター(たとえばMAX時速60kmなど)をつけるべきだと思うが、ある施設での業務上過失致死には大騒ぎするのがマスコミの常であるのに、年間で万を数える交通事故死にはこうした安全性を問題にしないマスコミには不信しかもたないが、同じことを考えていた人がいると知ってとても共感できました。
田原総一郎については、氏の信条の変節と政治へのかかわり方に対する痛烈な批判である。サンデープロジェクトは好きな番組であったのだが(笑)、著者がそこまで言うほどの体たらくぶりとは思えなかったのだがなあ。本書の印象では「可愛さ余って憎さ百倍」というやつで、逆説ながら実は田原への想いがあふれているようにも読める・・・。(笑)
総じて、批判を行うには孤独に耐える強い意志が必要だが、再構築するものではないのである意味、簡単でもある。著者は様々な活動も行っているのだが、その壁を越える別のものが必要だと感じてしまう内容でもあった。 -
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市井のサラリーマンや会社というものが、詩としてうたわれるような時代があった。あのころの「働く」「会社」にはその名が示す意味以上の含みがあった。その単語で人の人生の多くを語ることがでる時代があった。
今のサラリーマンもあの時代ぐらい忙しく働いているはず。会社や仕事にたいしても、思うことはたくさんあるだろう。だけどそれは個人の域をでない
本書にでてくるサラリーマンの詩で書かれているのは、未来という眩しい光によって刻まれた影みたいなもの。いつまでもつきまとう黒々とした影。光が強いほどに濃くなる影。
果たして経済成長はいいものなのかと思えてくる一冊 -
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吉田茂の自由党からは除名処分、戦中は反軍を貫いたのにGHQからは
公職追放される。しかし、元々は言論人の湛山には筆という武器がある。
公職追放が解除されたら総裁の座は鳩山一郎に返すと約束しながら、
それを保護にした吉田茂を正面から批判し、マッカーサーにさえその
批判は向けられる。
自身の次男を先の大戦で亡くしながらも靖国神社のあり様に疑問を呈し、
アメリカのみとの講和ではなく、日本政府は中国・ソ連にも顔を向ける
げきだと提言する。
アメリカに追従しようとする岸信介が自民党総裁選に立候補したのを受け、
対抗馬として立った湛山は、決選投票で岸を破り総理大臣に就任する。
しかし、冬季の遊説が湛山の体には堪えた。湛山は病床に臥す。休養して
復帰すればいいと願う側近や、後にテロリストの凶刃に倒れる社会党・
浅沼稲次郎委員長の「予算員会に1度でも出てくれればいい」との説得にも
応じない。潔く総辞職を決断する。
以前にも日記に書いたt思う。もし、湛山が病に倒れることなく内閣を維持
してたなら、今のようなアメリカ寄りの日本はなかったのではないか。
「元来官僚が国民を指導するというが如きは、革命時代の一時的変態に
過ぎない。国民一般が一人前に発達したる後においては、政治は必然に
よって行われるべきであり、役人は国民の公僕に帰るべきである。而して、
政治が国民自らの手に帰するとは、一はかくして最もよくその要求を達成し
得る政治を行い、一はかくして最もよくその政治を監督し得る意味にほか
ならない。このためには、政治は出来るだけ地方分権でなくてはならぬ。
出来るだけその地方地方の要求に応じ得るものでなくてはならぬ。現に
活社会に敏腕を振るいつつある最も優秀の人才を自由に行政の中心に
立たしめ得る制度でなくてはならぬ。ここに勢い、これまでの官僚的政治
につきものの中央集権、画一主義、官僚万能主義(特に文官任用令の如き)
というが如き行政制度は、根本的改革の必要に迫られざるを得ない。今日の
我が国民が真に要求する行政整理は即ちかくの如きものでなければならぬ」
86年前に小日本主義を提唱した湛山の筆だ。現在の政治家センセイたちは、
今一度、湛山の政治理念・政治姿勢に学んではどうか。 -
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ジャーナリズムの責任や、今、日本が向かっている方向について考えさせられました。政治の裏側などについて書かれている部分は、私自身の力で検証しようもなくて、片側からの視点だし、他の見方もできるかもなあと「疑って」いる部分もありますが、それにしても、興味深かったです。タイトルになっている「だまされることの責任」は伊丹十三の父である、伊丹万作によって太平洋戦争終了の翌年書書かれたエッセイ「戦争責任者の問題」から取られています。戦後、「だまされていた」という人が多い中、だまされたというだけで全て許される訳ではないということを書いたエッセイ(ちょっと簡単に書きすぎたか?)です。戦前や戦時中、軍国ムードが高まる中、疑うことを知らず、流されて、愛国者になって他者を糾弾したものに責任はないのか、だまされた責任だってあるんじゃないのかと戦後生まれの私は思います。でも、実際にそのようなムードの中にいたら、自分が疑ってかかることができるのかは疑問。(だまされてない、戦争は正しいことだったのだという人はまた別の話になるけど)真面目な人ほど、国を守ろうと思い、自分からだまされてしまうかもしれない。それは現在でも同じことですよね。そう思うと怖い気がします。政治的なことや国際的なことは、マスコミの報道につい流されてしまう。全ての情報を鵜呑みにせず、疑ってかかることができるだろうか。少なくとも、だまされたと後から言わないように、自分の頭で考えていきたいものです。
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本タイトルは、今の社会はだます奴が社会を牛耳っており、みんなだまされているんだ、だまされてはいけないと叫んでいるように聞こえる。対談者の一人、前川喜平さんは元文部官僚なので、教育や学びの場に存在する強権や差別意識について語っておられる。特に印象に残ったのは黒柳徹子さんが通っていたトモエ学園の下りで、優生思想がプンプンだ。
本日第51回衆議院銀選挙が実施され、与党が圧勝の見込みだ。投票率の低さにも端的だが、教育の敗北を感じる。いや、お二人の対談で語られた内容の当然の帰結なのか?いつのまに個人の主権より国家体制が優先される言質が支持されるようになったのだろう。今、社会の中心で活躍している若い人はそれで満足なのか。 -
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田中秀征の見識の高さは時代変わるも衰えず、と言ったところだが、受け手の佐高信が酷すぎる…。隙あらば今の自民や岸信介叩きに無理やり繋げようと平気で腰折ろうとしてくるので最早対談として成り立たないのだが、田中が上手くかわすのでなんとかなっている印象。
湛山思想そのものについて大きな異論はないが、石橋政権があのまま持続したとしてその理想を貫けたかにはかなり疑問が残る。国連軍創設などに当時主流派だった三木・松村派がついてくるとは思えず、そうなると岸派の取込みを行わなければならないので相当の制限を受けるのではないか…そもそも組閣であそこまで苦労していたという事実が抜けていると思う。
あと「自民党本流」と言う造語の定義に執着しすぎるあまり乱暴なカテゴライズになってしまっている感も否めない。湛山をいくら保守本流扱いしようとしたところで相当程度鳩山についていたことは否定できないし、細かく見ると全然噛み合ってない福田赳夫と中曽根康弘を同根扱いするのもどうかなぁと。
田中秀征が岸信介をけっこう高く評価してるのは意外だった(話題を振って岸叩きに持ち込んでやろうと舌なめずりしてた佐高が思惑外れてバツが悪そうにしてるのが文章からでも読み取れて面白かった。)