佐高信のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ電力会社がなぜ今日のような地域独占の形になったのか、民間企業と国家の電力会社の統制権争いの歴史を見ながら明かしていく。
っていうか松永さんの歴史。
しかも作者の人松永さんが好きすぎてヤバい。
個人の名前がいっぱい出てきたけど、どこそこの企業が、政党がとかじゃなくて誰々がこの時こういう判断を下した、こう評した というように個人単位で詳細に調べられててすごいと思った。
個人的には、昭和恐慌からの不況で日本の官僚たちが自由主義経済の限界を感じてスターリンのソ連やドイツのヒトラー独裁国家の模倣を始めたっていうのがなるほどーってなった。歴史の本とか読もうかなって思った。
とにかく筆者が松永さん好きすぎてパネェ( ゚д゚ ) -
Posted by ブクログ
原発事故は「想定外」ではなく、想定されたからこそ福島県沿岸部につくられた。原発は立地先の地方住民の犠牲なしには成り立たない構造的差別に立脚している」との東大の高橋教授の言葉に納得。
損害賠償は10兆円にも達するといわれる。それを支払う能力がなければ東電は倒産するのが普通だが、それでは困るからと、さまざまな救済案が出されている。しかし、東電が倒産して、誰が困るのか?
確かに経営者や社員は困るだろう。出資している株主や大銀行、それに社債を買っている人間も困るが、そのリスクを承知で株を買い、融資をしているのではないか。
日本航空は倒産させ、会社更生法によって再建を図っている。どうして東京電力は倒産させられないのか。資本主義の社会のはずなのに、突如そうなる日本の縮図・・・・ -
Posted by ブクログ
電力が自由化だった時代が日本にもあった。戦前、民間の電力会社が
熾烈な競争を繰り広げていた。それが国家により統制されていくことに
強行に抵抗し「電力の鬼」と呼ばれた男がいた。松永安左エ門。
偏屈で頑固で、大の役人嫌い。「官吏は人間のクズである」「役人に
電力会社を運営できるわけがない」。もうこれだけでしびれさせて
くれる人である。
本書は戦時の国家統制に電力会社が飲み込まれて行く時代から
戦後に民の手に電力が戻るまでを松永の国家との闘いを中心に
描いている。
「電力で日本を豊かにしたい」。GHQどころか日本中を敵に回してまで、
松永が成し遂げた電力の民営化だったが、いつのまにか電力各社は
役所よりも役所らしい企業になり下がった。
そして、松永があれほど嫌った政治主導の元、原子力発電という怪物
を作り上げた。
「生きているうちこそ鬼と云われても
仏となりてのちに返さん」
国がくれるという勲章を頑なに拒み続けた松永は、居間の電力各社を
どのように見ているのだろうか。 -
Posted by ブクログ
石原莞爾を当時の軍人には珍しい平和主義者として、また卓越なる戦術眼を持ち未来を予想した人として崇拝する人々に、石原莞爾の現実を突きつけ目を覚まさせようとする本です。
私は石原に関しては良いとも悪いとも、特にまだ考えがありませんでしたが、読み終わってみると、「石原ってどこがいいんだろう」と思わされました。そういう意味では成功しているかと思います。
ただ、きちんと石原の悪い面(外国人を不当にけなす手紙など)を描いているところもあれば、同世代の人と比べて「○○はこのとき既にこういうことを考え、行っていたのに、石原はこんなことをしている」というような形の批判もありました。
このような書かれ方をされると、石原を知りたいと思って読む人にとっては、筆者が石原に関して変なことに言いがかりをつけているようにしか聞こえません。そこは少し勿体ないと感じました。
石原神話を崩すにはいいのかもわかりませんが、石原崇拝者はこんなタイトルの本を読まない・・・かもしれない。
文章は全体的にすごく読みやすかったです。 -
Posted by ブクログ
職業欄に「会社員」と記入していたのは、1992年から2002年までの10年間だった。
それまでは「フリー」というと聞こえは良さそうだが、常に「不安定収入」と格闘しながらの日々を送っていた。
端からフリーランスでやっていこうと思っていたのではなく、大学卒業前に受験した北は北海道から南は九州までの十数社の放送局に、ことごとくそっぽを向かれたからであり、「それならしゃあないなあ」というので、無所属のままで仕事を続けていた。
なので1992年に「会社員」になったときは、かなりとうの立った新入社員ではあったけれども「会社員」という肩書きが妙に嬉しかったことを覚えている。
そんな会社員になったころ、この佐高信は辛口の物言いで、かなり話題になっており、各地で開かれる講演会なども満員だと聞いていた。
地元でも講演会が開かれたが、生憎都合がつかず聴くことができなかった。
この『「非会社人間」のすすめ』は、そのころに出版されたものであり、当時の「会社員」だったころのことを思い出しながらページを繰ったが、ここで取り上げられている「会社」は従業員数が3桁、4桁の大企業に限るのではないかしらと思った。
何しろ従業員数がやっと2桁という零細企業においては、会社はもう一つの「家族」であると言っても過言ではないように思うし、またそうでなければ小さな会社はうまくやっていけないのではないだろうか。
すっかり会社のいいなりになってまさに会社と心中するかのごとく「会社のため」に働く姿を彼は「社畜」と言い表しているが、少なくともあの当時、わが身を「社畜」と思ったことは一度もなかった。
「寄らば大樹の陰」ではなかったのが、幸いしたのかもしれない。