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東京、四谷の雑居ビルの放火事件で若いガードマンが焼死する。不審な死に警察の捜査が始まった。若者の日常生活に、かすかに存在した女の影……。女の行方を追ううちに次は赤坂で放火が。そして現場に“東京”と謎の文字が書かれた張り紙が! 索漠たる都市の内奥と現代人の心を見据えて本格推理の天才が描く、印象深い長編ミステリー。
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Posted by ブクログ
昭和が懐かしく感じる本でした。50代がギリギリ理解できるでしょうね。 徹底して一人だった、、、この結びがこの本の全てを現しています。
島田荘司らしいずっしりとした読み応えのあるミステリー。昭和は都市と地方の差が今よりももっと大きくて、生きづらい人も沢山いたんだろうな、と思いながら読んだ。警察が地道に聴き込みを行って犯人にたどり着く話なので人によってはつまらなく感じるかも。個人的には好きですが。
久しぶりに、いいミステリー小説だったなぁ…、って感じ。 でも、それが島田荘司なのが面白い。 島田荘司というと、ピタゴラスイッチみたいな殺人事件wを書く人というイメージだったけど、こんなシブいミステリーも書くんだなーと。 江戸っ子じゃないけど、おっそれ入谷の鬼子母神!とか言いたくなる。←意味不明(^^...続きを読むゞ 以下、内容に触れています。 そういえば、『暗闇坂の人喰いの木』の感想で、“この人はドラマは書けても、メロドラマは書けないんだろうな”なんて書いてしまったが、それ、全面訂正! なんだよー! こんないいメロドラマ書けるんじゃん。 なんで、『暗闇坂の人喰いの木』の後半でそれを書かずに、ピタゴラスイッチで遊んじゃうんだよー! と言いたい(^^ゞ とはいえ、そうか。これって、1986年に出た本なんだね。 定かじゃないけど、1986年っていったら、たぶんトラベルミステリーが全盛だったと思うのだ。 売れたんだかどうかは知らなけど、例の「占星術」でお札切り刻んだところで、当時はピタゴラスイッチが放送されてなかったこともあって(?)、「ミステリー小説といったら旅情どすぇ~」なあの頃では、著者も食い扶持としてこういうのを書かなきゃならなかったということなんだろうな。 でも、そのせいでこんな大傑作(と評価しない人が今は多いみたいだけどw)が生まれたかと思うと、人間なんてもんは逆風下でいかに試行錯誤するかなんだなーと、勇気をもらえる気がするかな(^^♪ そんな『火刑都市』だけど、今は本格にあらずばミステリーにあらずの傾向があるから、人気ないのはしょうがないんだろう。 というか、島田荘司といえば本格の大御所だから。そのイメージで読んじゃって。全然そうじゃない内容にガッカリしちゃうっていう面もあるんだろうな。 変な話、この小説の著者名が島田荘司ではなく松本清張だったら、「名作」になっていた可能性はあるんじゃないだろうか? いやいや。島田荘司と松本清張、どっちが上とかそういう話ではなくて。読者というのは、どうしたって先入観で読んじゃって。先入観からくるイメージと合わなければつまらなく感じてしまう、そういうもんなんじゃないのかな?って話w 逆に言えば、自分がこの小説を良いと思うのは、“島田荘司=ピタゴラスイッチみたいな殺人事件を書く人”というネガティブな先入観が覆された、そういうことなんだと思う。 そう書いていて、思い出したけど、そういえばこの小説って、自分は読んでいる間、ずっと「いいじゃん、これ…」と思いながらも、「でも最後はピタゴラスイッチみたいなおバカトリックでシラケるんだろうな」と決めつけていた(^^ゞ でも、ま、密室にする必要あるの?とか。確かにそれで火は点くだろうけど、でも、消えちゃうことも多いよね?みたいなのはあったとはいえw、「私はあの人以外、誰も愛したことがありません」にはガツーンときたし。 最後の、“中村は、いつか喫茶店で由紀子が泣いたのは、どういう理由だったかなと思い出そうとした。しかし疲れ切った彼の頭では、結局思い出せなかった”は、しんみりとした優しさがある。 そういえば、解説で川本三郎という人が、“私見では「秀れたミステリ」とは、読者にこの人は捕まってほしくないと思わせる主人公を登場させることにある”と書いているけど、それには思わず「それ、それ。まさにそれ!」とうなずいてしまった。 この由紀子って、『火車』のあの女の人とイメージがダブるんだよね。 『火車』は、その女の人の哀しさをどんどん遡っていく話だったが、この『火刑都市』もそういうところがある。 中盤で描かれる新潟の海沿いの集落の凍えるような風景と、ラストで語られる“母がこっちに出てきた時、店で売っていた品物をいっぱい、おみやげだと言って持ってきて……」という言葉。 でも、1986年なのだ。この小説が出版されたのは。 (物語の設定は1982年の暮れから83年の晩秋) 1986年といったら、まだバブルの前夜だが、それでもその兆候はそこかしこにあった。 それなのに、日本って、こんなにも貧乏だったんだなぁ…って。 なんだか、ため息が出てしまう。 最後の、“中村は、いつか喫茶店で由紀子が泣いたのは、どういう理由だったかなと思い出そうとした”というところ。 その喫茶店の場面に戻ってみると、“疲れているんだな、と中村は思った。この娘は疲れている。たった一人で連日を闘い、疲れ切っているのだ”とある。 その由紀子に限らず、日本人は戦後からこのかた、疲れ切るまでして、やっと今の豊かな暮らしを得たのになぁ……って。 ため息が出てしまうのは、たぶんそういうことなんだろう。 というか、ため息に浸っていてはダメなんだろうけどさ(^^ゞ それはそれとして、著者にとってこの小説の主題は何だったんだろう? そこにすごく興味がある。 この時期、著者は、本来であれば本格ミステリー、つまり御手洗モノのような小説が書きたかったんだと思うのだ。 でも、時代はトラベルミステリー全盛で、本格モノは売れなかった(か、どうかは知らないが、たぶん)。 つまり、中盤で出てくる新潟の寒村なんかは、小説を売るためにトラベルミステリーにある旅情趣味として出したように思うのだ。 でも、著者にとっての主題は、やっぱりその時代(バブル前夜)で変わっていく東京の風景と情緒への憧憬にあるんじゃないかって思うからだ。 だからこそ、東京ではなくて、「東亰」なんだろうし。また、それに沿っての放火なんだろう。 いや、それに沿うなら「東亰」より「江戸」なんじゃない?って気がするしw なんで放火?という気がしないでもないんだけど、でも、まー、頭のおかしな犯罪者がやることを理解出来ないのは普通にあることだから、むしろリアルなのかもしれないけどね(^^ゞ でも、著者は、時代(バブル前夜)で変わっていく東京の風景と情緒への憧憬というテーマをストレートにはミステリー小説にしなかったわけだ。 それは、たぶんそれを前面にミステリー小説に落とし込んでも読者にウケないと考えたからで。 読者にウケるようにするには何が必要か?という部分が、由紀子と、由紀子に代表される人たちが抱える背景なんだと思うのだ。 でも、この小説の主人公は、ほぼ由紀子だ。 そう考えると、由紀子や新潟の寒村って、著者はこの小説を書くにあたって、どの時点で出てきたんだろう?と、そこが不思議な気がするのだ。 たぶん、変わっていく東京の風景と情緒への憧憬をミステリーとして書こうと構想する中で、由紀子という登場人物が出てきたような気がするんだけど、そうではなくて。最初から東京の風景と情緒への憧憬と、由紀子のような人という2つのテーマがあって。 それを一つにしたような気もする。 ただ、どっちだとしても、それって、まるでスティーブ・ジョブズじゃん!って。←意味不明w いやー、マジそれ、島田荘司に聞いてみたい(^^ゞ
どなたかが書いてましたけど、確かにちょっとピントのずれた刑事さんでしたね。あまり推理が当たらない私でもちょっとイライラしました。 東京と江戸の間に存在したという東亰。ちゃんとした都市計画の無いまま開発してきた今の東京を批判する部分は何か分かるような気がしました。読みながら想像した東亰は非常に魅力的な...続きを読む都市に思えました。とはいえ刑事が放火犯を断定する所はホントにそれで良いの?って感じです。結局、名前も間違えてるし。
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改訂完全版 火刑都市
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