ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
7pt
絵には、現実世界とは別の、絵画という文法がある。私たちはその「文法」を通して、絵を描き、読み、鑑賞している。その文法は、絵の表面からは隠されていて、すぐには見ることができない。しかし絵画には、四角い(あるいは丸い)画面の中に確かに文法があり、人の目を通して、脳で解読されているのだ。いわば、隠された「美の秘密」。本書では「構図」をテーマにその秘密、つまり絵画の文法を一つ一つ取り出していく。
アプリ試し読みはこちら
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
モディリアーニは脊柱の人物画って視点面白かったな。 カルティエブレッソン、重森三玲、線遠近法、空気遠近法、色彩遠近法、夢窓疎石の岐阜県永保寺の庭 布施 英利 (ふせ ひでと、1960年4月2日 - )は、日本の芸術学者、美術批評家、解剖学者。東京芸術大学美術学部芸術学科教授。芸術と科学の交差する...続きを読む「美術解剖学」を基盤として[1]、美術や文学の批評、解剖学の著作などの執筆活動を展開している。著書に『脳の中の美術館』(1988年、2025年)、『構図がわかれば絵画がわかる』(2012年)、『人体、5億年の記憶 からだの中の美術館』(2024年)など。群馬県多野郡鬼石町(現在の藤岡市鬼石)生まれ[1]、藤岡市育ち。1979年群馬県立高崎高等学校卒業、1984年東京芸術大学美術学部芸術学科卒業[1]、1989年同大学院美術研究科博士後期課程修了(美術解剖学専攻)[1]。大学院在学中の1988年9月、28歳で最初の著作『脳の中の美術館』を出版[1]。博士論文「人体解剖図譜の研究」で、学術博士[2]。大学院修了後の1990年より東京大学医学部解剖学教室助手として[1]、養老孟司の下で研究生活に従事[1]。東大助手時代の著書『死体を探せ!』(法蔵館、1993年7月)は、死体ブームと呼ばれた。1995年、批評家・文筆家として独立する[1]。2021年10月より東京芸術大学美術学部教授[3]。長男は美術家の布施琳太郎、次男は音楽家の布施砂丘彦(さくひこ)。 「ブレッソンの構図の美 構図というのは、絵画だけのものではありません。たとえば写真の表現においても、構図はとても重要なものです。 写真は、カメラを被写体に向けてシャッターを押します。その瞬間に、構図を選び取り、決定をしないといけません。シャッターを押す瞬間には、まさに瞬時の判断が求められ、構図への理性・知性・感性などすべてを一つにしたセンスが求められます。 よくできた写真の例を挙げましょう。 フランスの写真家アンリ・カルティエ =ブレッソン( 1908〜 2004)は『決定的瞬間』( 1952)という写真集を発表し、このタイトルは、写真を語る言葉としてとても有名になりました。写真というのは、決定的瞬間をとらえるものです。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著 「構図のタイプを知ることで、センスが磨かれる フェルメールやアンリ・カルティエ =ブレッソンなどの天才は、抜群の構図センスをもっています。画家や写真家だけでなく、デザイナーや建築家、書道家など、あらゆる造形表現では、第一に、構図のセンスが問われます。私たちが美術を鑑賞して楽しむ上でも、構図のセンスは大切でしょう。 しかし構図感覚というのは、難しいものです。センスを磨く安易な道があるわけではありません。構図のセンスは、どうしたら身につくのか。一流の構図とは、どのようなものなのか。 まずは、いろいろな構図のタイプを知ることでしょう。そして理解することです。知性、理性があって、その上で感性は自由に羽ばたくことができます。それが、この本の方法論です。 この本で、構図を「知る」過程を通して、同時に、構図のセンスが磨かれていけば、と思います。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著 「そのときに私は知ったのです。レンブラントの絵は、眼鏡を外して、抽象画みたいにしても美しい、と。銅版画が多かったので、画面は白と黒です。黒い中に、白があちこちに散っています。その構図のバランスが絶妙で、遠くからピンぼけの絵を見ているだけで、十分に美を堪能できました。構図が、なにより美しかったのです。 ちなみに、他の画家の絵もどうだろうと、眼鏡を外したままで美術館を歩いていると、「レンブラント派」といわれる、レンブラントに影響を受けた同時代あるいは後の時代の画家は、ピンぼけで見ると、つまらないのです。構図に、「絶妙」な感じがないのです。 レンブラント派といわれるくらいで、ちょっと見るとレンブラントと見分けがつかないくらいに、レンブラントに似ているのです。似てはいますが、どこかぎこちなく、何か欠けている、と思うのですが、眼鏡を外して見ると、それがさらにはっきりします。構図のセンスが、つまらないのです。 もちろん、絵画というのは、どれもピンぼけにすれば良いというわけではないでしょう。しかし、名画といわれる絵は、ピンぼけで見ても美しい。私は、レンブラントから、そういうことを学んだのでした。 そこでパリでルーブル美術館に行ったときに、皆さんにも伝わる材料にと、カメラのピントをあえて外して、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵に向かってシャッターを切ってみたわけです。それが先の『聖アンナと聖母子』です。 絵には、どのような構図があるのか。名画の構図とは、どのようなものなのか。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著 「そのときに私は知ったのです。レンブラントの絵は、眼鏡を外して、抽象画みたいにしても美しい、と。銅版画が多かったので、画面は白と黒です。黒い中に、白があちこちに散っています。その構図のバランスが絶妙で、遠くからピンぼけの絵を見ているだけで、十分に美を堪能できました。構図が、なにより美しかったのです。 ちなみに、他の画家の絵もどうだろうと、眼鏡を外したままで美術館を歩いていると、「レンブラント派」といわれる、レンブラントに影響を受けた同時代あるいは後の時代の画家は、ピンぼけで見ると、つまらないのです。構図に、「絶妙」な感じがないのです。 レンブラント派といわれるくらいで、ちょっと見るとレンブラントと見分けがつかないくらいに、レンブラントに似ているのです。似てはいますが、どこかぎこちなく、何か欠けている、と思うのですが、眼鏡を外して見ると、それがさらにはっきりします。構図のセンスが、つまらないのです。 もちろん、絵画というのは、どれもピンぼけにすれば良いというわけではないでしょう。しかし、名画といわれる絵は、ピンぼけで見ても美しい。私は、レンブラントから、そういうことを学んだのでした。 そこでパリでルーブル美術館に行ったときに、皆さんにも伝わる材料にと、カメラのピントをあえて外して、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵に向かってシャッターを切ってみたわけです。それが先の『聖アンナと聖母子』です。 絵には、どのような構図があるのか。名画の構図とは、どのようなものなのか。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著 『構図がわかれば絵画がわかる』(光文社新書)布施英利 名画はピントがぼけても美しいもので、歴史に残る絵には人々の記憶に残るだけの「文法」が存在するのです。本書は西洋の絵画だけでなく日本の庭園や人間の骨格も取り上げられていて、芸術の奥の深さがうかがえる内容です。 #読書 #読書垢 「たとえば、京都の庭にある枯山水は、白い砂で水面をあらわしています。白い砂は大地にまかれているのですが、まさにその面は、水面と同じ、水平の面です。 ここでは、昭和の時代につくられた、京都の庭を見ることから始めましょう。作庭家・重森三玲( 1896〜 1975)のデビュー作、東福寺の方丈庭園です。 この庭には、四角い石が、まだらに敷き詰められています。桂離宮の襖のデザインなどに使われた、市松模様です。 市松模様は、ふつう壁や襖に描かれるものですから、床に対して、垂直に立っています。ところが、重森三玲は、これを庭のデザインにしました。室内のデザインが、屋外のデザインになる。そのとき、垂直面にあったものが、水平面になります。 まるで落下した滝の水が、池の水平面になったようでもあります。 壁から庭へ、いわば「場」を変えただけの作業ですが、そこにこれまで見たことがあるようで、見たことのない美が生まれました。 創造とは、そういうものなのでしょう。何もないものから、つまりゼロから何かを作るのが創造なのではなく、あるものを別の「あるもの」に変換することで、何かが生まれることがあるのです。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著 「セザンヌのリンゴは、なぜ落ちないのか さらに思いつくままに、絵の例をあげてみましょう。 ピエロ・デラ・フランチェスカ( 1415/ 20〜 92)の『キリストの洗礼』と、セザンヌ( 1839〜 1906)の静物画です。どちらも静謐で、「もの」の存在がしっかりと描かれています。永遠というのは、こういう力強い絵を見たときに感じる感覚なのではないか、とすら思えてきます。 ピエロ・デラ・フランチェスカの絵は、中央に直立する人物( =キリスト)と、背後の風景の水平線がみえます。水平と垂直が画面の構図の基本となり、静かで安定した、「ずっと変わらない」なにかを感じます。 いっぽうセザンヌの静物画は、いっけんすると、リンゴが傾いたテーブルから落ちそうで、不安定な感じがしますが、にもかかわらず、この絵のリンゴは、転がり落ちることがない、という絶対の安定の中に描かれています。いわば画面は傾いているのに、本質は水平なのです。安定しているのです。絵の背後に、水平線が、適当な設定としてでなく、明確な存在として暗示されているからです。 セザンヌの絵にも、ピエロ・デラ・フランチェスカの絵にも、グリューネバルトにも、ホルバインにも、どの絵にも、水平の線が隠されています。 美術館では、絵の、あそこにも、ここにも、水平線が、水平面があるのです。 水平の線は、私たちに「安定」を見せてくれます。 それは水平な水面がつくる、地球の重力の面なのです。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著 「 また、ピカソの『アビニョンの娘たち』は、さまざまにポーズをとった五人の裸婦の絵です。この絵にも、 Xの対角線があります。 もちろん、対角線だけの単純な絵ではありません。中央の二人の人物が、巨木のように垂直に立っている。二人の曲げた肘は、左右にひらいて、 Yの字のようにも見えます。 しかし、なにより Xの対角線です。たとえば、左上から、斜めに下のほうに、頭が二つ並んでいます。その斜め下の、座った女の太ももが、右下の角に伸びる線になっています。逆の斜線もあり、この絵が Xの形の構図にまとめられていることが分かります。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著 「対角線「 X」がつくる構図の効果 対角線の「 Xの構図」というのは、どのような効果があるのでしょう? たとえばダ・ヴィンチの絵を見ると、画面の対角線が、描かれた世界に動きを与え、絵がドラマチックに生き生きしているように見えます。斜めの線というのは、水平線が静かに安定しているとしたら、それに対して、滑り落ちるような動きをはらんでいます。その「動き」が、画面に生き生きした感じを与えます。 いっぽうで、ピカソの『アビニョンの娘たち』は、ニューヨークの近代美術館に展示されている絵ですが、この絵の前に立つと、いつも感じるのは、激しい「否定」の感覚です。 これは絵なのか? 「これは絵ではない」。この画面に奥行きはあるのか? 「ここに奥行きある空間はない」。写真的な描写なのか? 「そのような描写ではない」。「ない」、「ない」という否定ばかりが迫ってきます。 そして画面全体をおおっている「 X」という構図。私には、その Xが ×( =バツ)に見えてきます。画面に大きなバツ( = ×)を描いたような、潔さを感じます。強い否定、そんな意思を感じます。それが『アビニョンの娘たち』を成り立たせる力になっているのです。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著 「美術は、本物の作品に触れる以上に大切なことはありません。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著 「彫刻家のイサム・ノグチは、ジャンタル・マンタルを調査し、その写真記録を残していますが、その写真の撮り方、構図、アングル、光の具合などが、ほとんど「イサム・ノグチの彫刻」にすら見えてきます。北海道の札幌市郊外に、イサム・ノグチが設計したモエレ沼公園がありますが、そこに設置されている彫刻と共通するテイストを、ジャンタル・マンタルには感じます。 また建築家の磯崎新は、ぐんま天文台の設計をしましたが、その庭にジャンタル・マンタルを縮小したオブジェを設置しています。現代の天文台も、たんに自然科学としての宇宙の真実を探究するだけでなく、宇宙という秩序がもっている神秘感、畏敬、そういったものが天文台には必要だ、というメッセージを感じます。 デリーのジャンタル・マンタルには、星や月や太陽や、さまざまな天体を観測するための建築物があります。北の空に向かって、天へとのびる階段のような、巨大な三角形の建築物は、その先にある北極星を示唆しているのでしょうか。北極星は、太陽系の外にある星ですが、地球ととても密接な関係にある天体でもあります。地球の自転軸の、北の先にこの星があることで、夜空の星々は、この星を円の中心として回転します。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著 「インドを旅していたある日、私はガンジス川の岸辺、ヴァーラーナスィーのホテルに滞在していました。サーンチーのストゥーパを訪れる旅を終えた後のことです。そのヴァーラーナスィーの近くの村、サールナートの博物館で仏像をみて、その横にひろがる、かつて鹿野苑といわれた遺跡でストゥーパをみた日の夕方のことでした。もうあたりは暗く、月が川面を照らしていました。翌朝、早く起きて日の出をみようと、早々にベッドに入りました。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著 「ニューヨーク近代美術館に、ジャスパー・ジョーンズの『星条旗』という絵画があります。 ジャスパー・ジョーンズが描いているのは、旗です。アメリカの国旗である星条旗をデザインしたのがジャスパー・ジョーンズという男だった、という話ではありません。彼が画家として活動をしているとき、すでに星条旗はアメリカの国旗でした。彼は、その旗を絵に描いたのです。旗は、彼の絵のモチーフでした。 たとえば、セザンヌはリンゴを描きました。レオナルド・ダ・ヴィンチは、最後の晩餐の場面を描きました。それと同じ言い方をすれば、ジャスパー・ジョーンズは星条旗を描いたのです。 旗って、絵に描くものなのか? そう思われるかもしれません。 しかし何を描こうと自由です。彼は、アメリカ国民がもっとも身近に目にする星条旗を、作品として描きました。これをポップ・アートといいます。現代の日常に散らばっている素材を、アートのモチーフとするのが、ポップ・アートです。それは、ある意味では、「現代の静物画」ともいえましょう。果物や食器を描くように、旗を描いたのです。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著 「現代の日常に散らばっている素材を、アートのモチーフとするのが、ポップ・アートです。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著 「じつは、それが成功した後の、ウォーホルの実像でもあるのではないでしょうか。もちろん歴史に残るほどの大成功をおさめたアンディ・ウォーホルですから、いまではとても目立つ存在です。しかし、そのベースにあるのは、なかなか気がつかない、絵画の技術、デッサン力なのです。あの構図、色彩、そしてモチーフ選択の的確さ、そのどれもが、絵画の技術によって、きちんと押さえられていたのです。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著 「そして、実際にアンディ・ウォーホルの絵の前に立つと感じるのは、絵が発する崇高な感じです。本人が、どんなにトリッキーな言動で煙にまいても、絵は崇高で、美しく、重いのです。 それは、アンディ・ウォーホルが、絵画という芸術の、いちばん基本的なところ、本質的なところを外していないからでしょう。それを支えているのは技術です。私たちが、ウォーホルの作品をまねして、似たような作品を作ってみても、それは似たような作品であるだけで、たぶん「どこか違う」というものにしかならないでしょう。そのウォーホルが、絵画の技術によって何を実現しているかといえば、いうまでもなく「絵画」です。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著 「次は、三次元です。 セザンヌの風景画を見て下さい。南フランスのエクス・アン・プロヴァンスの風景を描いたものです。遠景には、サント・ヴィクトワール山も見えます。 この絵の空間の構成は、近景、中景、遠景というふうになっています。手前から奥に向かって、風景が広がっています。 手前の近景には、大きな木が立っています。中央に一本、画面の左隅には、林のように数本の木が立っています。 その奥の中景は、畑でしょうか、緑の大地が広がっています。画面を斜めに横切るように、道が左上へと続いています。また画面の中央、やや上には白い橋があり、それが水平線のように左右の道へと伸びています。近景の木の幹と、中景の道は ×に、そして橋は +にと、交差しています。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著 「セザンヌは、絵画にとって大切なのは「深さ」の感覚だ、と言っています。この「深さ」というのは、精神的な意味での深さではなく、単に空間が奥へと続く深さです。手前から奥へと続く深さ、それが画面に再現できれば、絵はそれで十分だと考えたのです。 遠近法の手法も、画面に深さを表現するための技術ですが、セザンヌの絵は、それとは違った手法です。画面のどこにも「消失点」がありません。 試しに、この風景画で消失点を探してみましょう。たとえば、画面左奥へと斜めに伸びる道。このラインの延長に、消失点があるようにも思えます。白い家があり、それが遠近法の「点」に相当するようにも思えます。しかし、その先に大きな山があり、遠近法の秩序は、壊されてしまいます。山は奥にはありますが、消失点の点よりも大きいからです。あるいは橋の右奥、山と山が連なった辺りに、別の消失点があるようにも思えます。しかし、先ほどの画面左奥へと伸びる道は、この消失点とは、ちがう秩序のもとにある構図になっています。 いったい、どれが消失点なのでしょう。 正解は、「どれも」です。つまり、セザンヌの絵には、正確に言うと、消失点がたくさんあるのです。それは、一点遠近法でなく二点遠近法か、といえば、そうではありません。では三点遠近法かといえば、そうでもありません。セザンヌの絵で消失点を探すと、あっちにも、こっちにも、消失点があるのです。なぜか。それはセザンヌの絵には、それを見る「視点」が、たくさんあるからです。一つの風景を、あるいは静物画の場合もそうですが、複数の視点から眺め、それぞれの視点からの奥行きとアングルの光景を、一つの画面に同時に描いているのです。 このセザンヌの絵の、「複数の視点」というものは、画面の中だけでなく、画面の外にも設定されています。つまり絵の画面に対して、正面から、斜めからと、いろいろな方向から見ると、絵の中の空間は、違ったふうに見えてくるのです。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著 「建築でいうと、ロマネスク建築は、石を積み上げた洞窟のような、シンプルな造形です。いっぽうのゴシック建築が、尖塔が空に向かって高くそびえる大建築です。この違いは、たんに技術の違い、という見方もできます。建築の技術がまだ未熟だったロマネスク建築は、高い塔が建てられないだけでなく、壁に大きな窓を空けると、石の重さに耐えられなくなり、小さい窓しか作れませんでした。ステンドグラスが入ったロマネスク聖堂の小さな窓は、そこから入る光が少ないので、内部は薄暗くなっています。いっぽうのゴシック建築は、フライング・バットレス( =飛梁)という、外壁を支える構造が使われるようになり、高い尖塔も大きな窓もとりつけることが可能になりました。ですので、ゴシック建築の大聖堂に入ると、高い天井の空間に、ステンドグラスが輝く、大きな窓があります。窓は大きいですが、その上の天井はさらに高いので、天井には暗い闇が息づき、窓から鮮やかな光の色彩が降り注ぎ、というまさに天国を現出したかのような光景になります。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著 「遠近法には、いくつかの手法があります。線遠近法、空気遠近法、それに色彩遠近法です。 線遠近法というのは、先に詳しく説明した、一点遠近法、二点遠近法、三点遠近法などのことです。一つ、あるいは二つ、三つの消失点に向かって、「線」を引く。ものの形や配置や、奥行きは、その線に沿って並ぶ。そういう描き方によって、遠近感を出す、というものです。 もう一つの、空気遠近法というのは、近くのものはくっきり明快に見え、遠くのものはぼんやりと霞んで見える、というものです。細部までくっきりと描けば近くで、ぼんやり描けば遠く、ということになります。遠くにいくほど、空気の層が厚くなり、だんだん霞みの向こうに消えていく感じになるからです。目のピントも、遠くのものには合わず、ぼんやりして見えます。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著 「そして三つ目の遠近法が、色彩遠近法です。この原理はシンプルです。青い色は、遠くにあるように見え、赤い色は、飛び出して、近くにあるように見える、というものです。青は遠く、赤は近い。青は引っ込み、赤は飛び出す。それが色彩遠近法の原理です。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著 「夢窓疎石の庭園に行く さて、以上で、この本の三つの Stepが終わりました。 ここで、その「まとめ」の意味合いもこめて、私がいちばん好きな庭園に出かけたいと思います。岐阜県にある、室町時代に作られた、永保寺の庭園です。作者は、夢窓疎石( 1275〜 1351)。彼は、鎌倉時代末期に生まれ、室町時代に活躍しました。 永保寺は、滝のある、最高にすばらしい庭園です。 永保寺の庭には、大きな池があり、その向こうに崖があります。崖からは、滝の水が落ちています。 作者の夢窓疎石は、京都の西芳寺や天龍寺などの庭園を作りました。西芳寺は、いまでは苔寺として有名ですが、この庭が苔で覆われるようになったのは、江戸時代のことです。そもそもは、苔とは無縁の庭です。しかし西芳寺は、京都の庭の原型ともいわれ、銀閣寺の庭は、足利義政が西芳寺を模して作らせたものです。金閣寺にも、西芳寺の影響が色濃くあります。 そんな夢窓疎石が、 40歳前後の若いときに作ったのが、岐阜にある永保寺です。夢窓疎石は、もともとは僧侶で、ずっと仏教の修行をしていました。寺の庭を作るようになったのは、中年になった頃で、永保寺庭園は、その最初の一つといえます。 永保寺の庭で、まず目につくのは、大きな崖です。巨大な岩のかたまりが、どーんとあります。もちろん、こんな岩を運べるわけがなく、これは初めからあったものです。ふつう、庭というのは、石を運んできて、木を植えて、池を掘って、というふうにして作ります。しかし夢窓疎石は、すでにある自然物を使用して、庭を作ったのです。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著 「エル・グレコの絵画 次は、マニエリスム、バロックの美術を見ましょう。 引き続きルーブル美術館に留まり、作例はエル・グレコ( 1541〜 1614)の『キリスト磔刑図』です。スペインで活躍した画家ですが、ギリシアのクレタ島の出身で、ギリシア人を意味する名前で活躍しました。 エル・グレコの絵の特徴は、人体が細長く伸びている、デフォルメされた造形がされていることです。 十字架への磔刑像というのは、広げた両腕の先と、足先を結ぶ、三角形の形態になります。頂点が下にあるので、逆三角形です。それだけでは、重心が上にあり、不安定な感じですが、そうであるが故に、十字架の縦の杭が、地面に突き刺さった、より垂直な力も感じさせます。そもそも十字架というのは、垂直線と水平線が「 +」の形にクロスしたものですが、それは両手を広げた、人体の形を抽象化したものとも言えます。 エル・グレコは、この「垂直」の線を、さらに強調するように、人体を引き延ばします。それによって、この絵では、十字架の「らしさ」が、より引き立っています。 しかし絵としては、構図のバランスが悪いのか、左右の下部に、聖人の上半身を配し、画面が三角形の安定した構図になるようにもしています。 ともあれ、人体には十字架と同じく、水平のラインと垂直のラインがあります。もちろん、腕は斜め上にも、斜め下前にも、その他あらゆる方向に伸ばすことができます。立つという垂直な姿勢は、人体の基本ですが、腕は水平であることが必ずしも基本姿勢ではありません。しかし、腕を水平に伸ばす、というポーズを選ぶことで、水平のラインが見え、それは結局は垂直のライン、重力のラインへと収斂していきます。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著 「それは美術館の中にいた、蚊だった。インドの美術館には、しばしばハエが飛び回り、それが彫刻に止まっていたりする。そんなハエと同じように、蚊が飛び回り、そのときちょうど、釈迦の腕に止まった。蚊は、石の彫刻で休んでいるだけなのか。まさかそれが「腕」だとは思わないだろう。 いっぽう蚊に止まられた釈迦はどうしたか。雑念に襲われ、パシリと蚊をたたき殺したか。もちろん、仏像は、そんなことはしない。なにがあっても、動かない。石の彫刻だから、というだけではない。そもそも、人生の大きな悩みに比べたら、釈迦にとって、蚊に止まられたくらい、どうということはないだろう。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著 「モディリアーニというと、ちょっと時代遅れの喫茶店に、その複製画などが掛かっている画家、というイメージがあって、すこし気恥ずかしく、なかなか「モディリアーニが好きだ」とは言い難いところがあります。パリの憂愁とか、そんな雰囲気を描いているだけで、画家としてたいしたことないんじゃない、と思われているところもあると思います。しかし、没して後の今になっても、誰もがモディリアーニを知っているということは、やはり彼の絵には、ただ者ではない何かがあるはずです。モディリアーニは、単に雰囲気だけではない、造形にとって大切な何かを、きちんと描いているのです。それが「脊柱」です。 前の絵をみて、何か気がつきませんか? モディリアーニの描く人物は、肩幅が狭いです。肩がない、といっても良いほどです。しかし人間には、肩があります。じつは「肩」は、人体のもっとも特徴的なものです。人間以外の他の動物、たとえばネコをみると肩がありません。ウマもそうです。首から横に飛び出している肩、それがあるのは人間だけです。人体は、腕の動きが自由であることが特徴の一つですが、肩が、体から離れることで、腕の動きの支点が自由になり、腕の動きが解放されることになったのです。人は、ヒトへと進化する中で、肩を得たのです。 しかしモディリアーニの描く人物像には、肩がありません。かわりに目につくのが、首であり、肩のない胴体です。つまり脊柱です。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著 「絵画というのは、そういう構図のセンスを、形にしたものです。 人は、どのような構図に、喜びと幸せと心地よさと、「絶対」のセンスを感じるのか。絵画は、ずっとそんな構図のセンスを探究してきたのです。 この本で書いてきた通り、絵画はモノです。持って運ぶこともできますし、極端な言い方をすれば、破ることも、燃やすこともできます。踏んづけることもできます。例が穏やかでないので、擦ることも、抱きしめることもできる、といってもいいでしょう。ともかく、絵画はモノです。 しかし、絵画はモノですが、ただのモノではありません。たとえば絵画には、構図があり、それは宇宙にまでもつながっていくのです。」 —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著
「美術の見方を,身につけたい。いったい,何を学んだら,美術はわかるのか。大学を卒業した私は,美術史の研究には進まず,他の分野から美術の核心に迫る道を歩み始めた。美術史とは別の方法で,「美術の理論」をかたちにしたい。そう考えながら。ともあれ,あれから30年。いま,こんな本がある。」(おわりに より) ...続きを読む 美術について構図から見てみようといった感じの本。ところどころ著者のこだわりがみられる,特に仏像と美術解剖学についての掘り下げが深い(この辺は養老孟司に師事した影響が強いのだろう)。
同じ著者による『色彩がわかれば絵画がわかる』が面白かったのでこちらも読んでみました。さすがの安定感、高いクォリティで、両方読むと絵画の「色と形」がわかるようになっています。 本書の素晴らしい点は、著者の美術に対する姿勢。あとがきにそのあたりがよくあらわれています。 (引用注: 著者の美大生時代の...続きを読む考えとして)何百年も昔の絵であっても、いつでも「今」それがすばらしい。それは歴史とは無関係だ。(中略) そこで私はこう考えた。歴史の中に美術はあったが、しかし美術の中に歴史はない。(中略) ならば、美術史という方法論では、美術の本質はとらえられない。(中略) 美術史とは別の方法で、「美術の理論」を形にしたい。(p.279-280) 私は何によらず、寄り道した人の視点が大好きなのです。エリートコースまっしぐらの純粋培養ではなく、留学とか挫折とか病気や事故などを経験し、外から中を、邪道から正道を見る視点が大好きなのです。 大学を卒業した私は、美術史の研究には進まず、他の分野から美術の核心に迫る道を歩み始めた。(p.280) その結果、本書はとてもユニークかつ「誰も言ってないけど確かにその通り!」という観点から「色と形」を論じています。 例えば透視図法。透視図法という技法を論じるのではなく、まず「垂直線」から話しを始めます。題材は、フェルメールの『牛乳を注ぐ女』。牛乳が地球の重力にしたがってまっすぐに落ちていることに触れてから、地球の重力は万物に及ぶ普遍的な力であり、故に垂直線はとても大事、という。「えっ、そこからはじめるの?」 そう、そこから語り始める。 その調子で水平線と対角線を論じるから、次の章で「奥行き」の表現手法としての透視図法がはじめはじわじわと、そして最後に爆発する感じで「あぁ、わかった」と感じられるのです。 そんな感じの、一般的とは言えないけれど腑に落ちるような、よく考えられた角度からの解説が続きます。目次をみると、本書の「構図」それ自体も美しい、と気がつきます。 目次 Step1 ー平面ー 第1章 「点と線」がつくる構図 第2章 「形」が作つく構図 Step2 ー奥行きー 第3章 「空間」がつくる構図 第4章 「次元」がつくる構図 Step3 ー光ー 第5章 「光」がつくる構図 第6章 「色」がつくる構図 Step4 ー人体ー 第7章 人体を描く 第8章 美術解剖学 最後にもう一つ。 著者が理論的に絵画を見る視点を提供しているからといって、理論一辺倒でないことも強調しておきます。印刷物やパソコンのディスプレイでみてもわからない、「物としての美術品」の大切さを訴えます。 超一流の名画の、精巧な複製よりも、二流の現物のほうが、はるかに素晴らしい。美術とは、そういう「モノ」であることを忘れてはいけません。絵は、モノなのです。物質なのです。(p.157) 絵の画面に思い切り近づくと、筆の跡や、絵具の盛り上がりが見えます。絵というのは、線や面がつくる構図、色と色の並び、そういうもので構成されていると思ってしまいますが、本物の絵をまじまじとみると、そうではなくて、絵というのは、筆で描いた、絵具の痕跡なのだということが分かります。(p.157)
久々に面白い新書だった。「構図」と題してる割にそれ以外の叙述が多く、賛否が分かれると思う。個人的には、釈迦の生涯といった脱線振りが良かったけど、純粋に絵画鑑賞の案内書を求めている人には納得できないかもしれない。絵画の書籍というより、美術との向き合い方を紹介した本というべき。 でも、これを読んで益々東...続きを読む博の円空展を見にいきたくなってしまった。
絵画において構図はかなり重要な要素を占めている。しかしながらその構成要素を理解してその観点から見るということはなかったので今後活用したい知識。 垂直線、水平線、対角線、円や三角形といった形などの平面的要素、一点から三点まである遠近法、二から四次元などの奥行き、光と色、人体や解剖学。構図に直接的に関係...続きを読むしない仏教美術に関する知識は、それをここに入れることが本としての構図として見本を示しているとのこと。
思ってた「構図」ではなかった。 「構図」の概念みたいな事が書かれているのかな? 絵画を見る時の視点が増えました。 仏陀の話は興味深かったです。
絵を描くときの勉強になった。縦横三角色彩遠近法、みななるほど。マイナス★は仏陀の生涯の部分(2段組みになったところ。編集者もそう思ったんだろうな)。この本のテーマにはちょっとそぐわないか。仏像の誕生について、筆者が関心を寄せているということは分かったけど。
構図。 それはあれこれの図形をいかに画面上に配置するかという、視覚的な問題だと思っていた。 この本を読んでその認識が変わった。 構図は、視覚的要素のみを扱っているわけではない。 画面左下に人影が描かれていたとき、それは単なる黒い点ではない。「人」という意味が、見る者にはっきりと伝わってくる。 ...続きを読む人間は、意味の世界で生きている。構図もまた、意味に接している。
幼少より絵心がなかったこともあり、美術的な感覚が乏しかったが、改めて絵画の楽しみ方を教わったような気がします。確かに構図というのはなんらかの目的があって採用されるわけで、そこから捉えれば理解しやすいと共感。振り返って、何事もアウトラインをまず押さえることの重要性を改めて実感した次第である。
構図、というと、モチーフを三角形やらなにやらの形に配置すること・・・ その程度の浅い理解しかなかったわけだが。 構図は形だけが作るのではなく、色や光や空間も構図を作り上げる要素であることを知った。 そして、人体にも脊柱を中心とする重心のバランスがあり、これが人間の自分の位置を知る能力の礎となり、位...続きを読む置関係の把握から構図への意識が生まれるという話も、興味深かった。 古今東西の美術作品が例としてふんだんにあげられていて、楽しく読める。
レビューをもっと見る
新刊やセール情報をお知らせします。
構図がわかれば絵画がわかる
新刊情報をお知らせします。
布施英利
フォロー機能について
「光文社新書」の最新刊一覧へ
「趣味・実用」無料一覧へ
「趣味・実用」ランキングの一覧へ
現代アートはすごい デュシャンから最果タヒまで
色彩がわかれば絵画がわかる
「進撃の巨人」と解剖学 その筋肉はいかに描かれたか
人体、5億年の記憶~からだの中の美術館~
ダ・ヴィンチ、501年目の旅(インターナショナル新書)
鉄腕アトム55の謎 生活人新書セレクション
試し読み
パリの美術館で美を学ぶ~ルーブルから南仏まで~
遠近法(パース)がわかれば絵画がわかる
「布施英利」のこれもおすすめ一覧へ
みんなの公開リストをもっと見る
一覧 >>
▲構図がわかれば絵画がわかる ページトップヘ