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Posted by ブクログ
Audibleでランニングしながら聴取。学生の頃読んで以来30年ぶりの再読(というか再聴)。当時は四苦八苦して読んだ記憶があるが、今聴くと重要部分の繰り返しが多く、聞き逃しても筋が追えるため「ながら聴き」には意外に適している(書き下ろしでなく「批評空間」への連載だったことが影響していると推察)。
なんといっても本書の肝は、マルクス「資本論」他における価値形態論・労働価値論に潜む矛盾を「論理循環」の形で可視化させたことにあるだろう。価値形態論を突き詰めてゆくと実は論理循環が含まれており、そこではマルクス自身が信奉して止まなかった労働価値論の項が消去されてしまうことが示される。そしてこの論理循環は他に依拠するところのない、著者自身の言葉を借りれば「宙吊り」の構造を持っており、さればこそ、自律的に存立する強固さと、いったんその根拠を疑い出せば霧散してしまう脆弱さを併せ持っている。本書では著者一流のレトリックを用いて、資本主義における貨幣経済がこの「奇跡」の上に成立していることが明快に記述されている。「本物」と「代用物」という記号論的二項対立を、この連環構造の中に解消させてゆく著者の鮮やかな技量は今でも色褪せておらず、見事というしかない。
そしてもちろん、「恐慌ではなくハイパーインフレーションこそが、貨幣の存立基盤を突き崩し商品世界を解体する実存的危機である」という主張を含む本書は、実際に世界的インフレが進展しつつあるこの2022年にこそ特段の関心を持って読み返されなければならないと思う。
Posted by ブクログ
非常に面白かった。貨幣の本質がよく分かった。
危機論における、ハイパーインフレで貨幣(→商品社会→資本主義社会)が機能しなくなると言う主張に関しては、論理的にはありうるだろうけど、実際的にはそんなこと起きるのか、非常に疑問であり消化不良を感じた。
・全ての貨幣が一度に機能不全に陥ることなど起きるのか?
(基軸通貨の死亡 = 貨幣の死亡とは個人的には思えない)
・貨幣が死んでも、「人間の本質」によって、貨幣は新たに創りなおされる
のではないかと思う。特に後者に関して述べたい。
個人的に「貨幣とは、貨幣として使われるからこそ、貨幣なのであり、貨幣とは、流通するからこそ、価値を持つ。」と言う貨幣の本質には同意するし、貨幣は使われなくなったら
(貨幣が下支えしている商品社会や資本主義社会もろとも)消滅する、と言うロジックにも同意している。
一方で、上記の「貨幣」や「貨幣の本質」を下支えしているものに「人間は交換する(したがる)動物である」と言う本質が存在するはずである。従って、仮にハイパーインフレで貨幣が死んでも(死にかけても)、この人間の本質によって、また新たに貨幣が創られるのではないかと思う。
▶︎ 読書の目的:
お金(貨幣)の成り立ちを知りたい
→ 貨幣の誕生は「奇跡」的な出来事。貨幣はいかにして生まれたか?という質問に対しては「貨幣商品説」「貨幣法制説」の2つの論争(前者:元々、様々な商品に交換することができる/みんなが欲しがる商品(家畜など)が貨幣として流通し始めたという説・後者:時の政府や権力者の命によって、貨幣として使われるものを生み出したという説)が存在するが、筆者はこのどちらも否定する。貨幣は、貨幣として使われるからこそ、貨幣なのであり、貨幣は、流通するからこそ、価値を持つ。この無限の「循環」こそが貨幣の本質であるので、「広い交換可能性を持っていたから(→)貨幣になった(貨幣商品説)」も「為政者が決めたから(→)貨幣になった」のでもなく、「貨幣だから(→)貨幣」なのである。
▶︎ 概要
本書は、マルクスの思想を土台として、貨幣とは何かを考察する本である。本書の大きなポイントは2つあり、
① 貨幣の本質
貨幣とは、貨幣として使われるからこそ、貨幣なのであり、貨幣とは、流通するからこそ、価値を持つ。
② 資本主義の危機
貨幣の存在は、商品世界の存立の土台であり、資本主義社会の存続の土台でもある。上記に挙げた貨幣の本質を鑑みると、貨幣は、使われなくなると、貨幣では無くなり、流通しなくなると、価値がなくなる。つまり、貨幣の使用・流通が止まると、貨幣自体やそれが持つ価値が消失する。それはつまり、貨幣を土台とする商品社会や資本主義社会の危機を意味する。これまでの経済学では、資本主義の危機を需要不足/供給過多(流動性選好の増加)による恐慌に見てきたが、本当の危機は、需要過多/供給不足(流動性選好の減少・ハイパーインフレーション)にある。前者の恐慌の場合は、物価・需要の低下という負のスパイラルが、労働者の賃金の「下方への粘着性」(制度や人情などにより、人間の人件費はなかなか下げられないし、クビも切りにくい)によって、ある程度抑制される(ストッパーが存在する)が、後者のハイパーインフレの場合は、論理上はストッパーが存在しないため、貨幣が死ぬ(つまり商品世界と資本主義を破壊する可能性)がある。
Posted by ブクログ
貨幣と哲学。一見無関係のようにも思われる両者だが、決してそうではないことを本書によって思い知らされた。
貨幣とは何か。その起源がそもそもはっきりしないことを明示した上で、岩井はまず貨幣そのものには価値がないことを確認する。確かに貨幣をいくら貯め込んだところで、使わないことには意味がない。貨幣は使うことによって、すなわち交換することによって初めて価値を付与される。ではなぜ何の価値もないはずの貨幣が交換されるのか? なぜわれわれは何の価値もない貨幣を受け取るのか?
岩井は答える。われわれが貨幣を受け取るのは、将来それを(商品と引き換えに)受け取ってくれる他者が必ずあらわれるはずだと信じているからだ。すなわち貨幣の根拠は未来への信憑にある。逆に言えば未来への信憑にしかない。しかしその信憑はそれほど絶対的なものだろうか。
商品には価値があり、貨幣には価値がない。貨幣の価値は、商品と交換できるという限りにおいての、いわばヴァーチャルな価値でしかない。そのことに人々が気づき、貨幣を捨て商品を取るという選択がいっせいになされたならば、すなわち貨幣信仰が崩壊し、貨幣の価値が限りなくゼロに近づいたとき、いかなる事態を招来するだろうか。
世界的な不景気が叫ばれて久しい。しかしだれもがお金を使おうとしない現状は、貨幣信仰が安泰であること以外の何物でもない。本当にこわいのはその逆のケースなのだと岩井は説く。「貨幣と商品の関係は言語と事物の関係にほぼ等しい」というあとがきも含め、哲学的刺激に満ちた貨幣論の名著である。
Posted by ブクログ
1.はじめに
貨幣論という書名は実に親切で、きっと貨幣について論じたものであろうことは容易に想像がつく。
強いて難癖をつけるとして、貨幣というやや畏まった表現だが、言わずもがな要はカネである。
著者はその「カネの正体とは何ぞや?」という問題を論じた挙句、「いくらカネとは何ぞやと考えたところで何も出てきやしないのだ」という結論に達する。
そして、そのカネのカネたる所以(つまり、何も出てきやしなかったというオチ)こそは、資本主義にとっての危機とは何であるかを教えてくれる。
すなわち、資本主義にとっての危機とは、マルクスの言うような恐慌(過剰生産ないし需要不足)ではなくて、レーニンの言うような貨幣の堕落(ハイパー・インフレーション)であると岩井克人は結論づけるのである。
それはなぜだろうか。むろん著者にはその立証責任があるし、現に本書にてそれを果たそうとしている。
2.理論家が理論を徹底できなかったワケ。そして、貨幣とは
著者はマルクスの価値形態論をマルクス以上に徹底させることによって、貨幣が商品世界において決定的な役割を演じていることを論証してみせる。
ここで一つの疑問が生まれる。
それは、「なぜマルクスは、価値形態論を著者ほどには徹底させることができなかったのか」という点である。
その回答は、「もし価値形態論を徹底させてしまったならば(つまり、著者と同様の思考過程を歩んだとすれば)、マルクスは彼の信奉するもう一つの理論、労働価値説を放棄することになりかねなかったから」である。
マルクスの価値形態論においては、貨幣商品の原材料の採掘に投下された労働時間が貨幣商品の価値量を規定しているという形で、労働価値説が堅持されている(と少なくともマルクス自身は考えている)。
けれども、岩井克人の貨幣に対する認識においては、労働価値説は棄却されている。
貨幣とは、人々がそれを貨幣として信ずるがゆえに貨幣なのである、と。
この貨幣なる代物は、一般的等価物として、商品に交換可能性を与えることにより、商品によって交換可能性を与えられ、また、商品から交換可能性を与えられることにより、商品に交換可能性を与えている。
貨幣の上のような性質こそは、商品世界すなわち商品の膨大なる集合としての資本主義社会がこの地上に成立することを可能としている。
また、交換過程論に視点を移せば、商品所有者にとって、貨幣こそは「欲望の二重の一致」を回避するモノであって、これがあるからこそ我々は交換の困難に苦しむことがない。
(もしあなたが貨幣のない社会において、本一冊を持っていて、靴一足が欲しいという場合、あなたは靴一足を所持しており、かつ本を欲している相手を探しださなければならない。しかし、貨幣のある社会においては、あなたがたとえば10,000円を持っていれば、靴屋は貴方に靴を売ることを渋りはしない)
貨幣が商品世界に占めている役割は、それが古典派経済学者によって媒介物に過ぎぬと言われたのに比して、あまりに大きいのである。
3.貨幣の崩壊への道
恐慌というのは、確かに歴史の示すとおり、資本主義にとって試練だった。
けれども、試練はやはり試練である。
それに直面することにより、資本主義は弱体化したというよりは、むしろより強靭になっていく(少なくとも、マルクスを理論的基礎に持つ社会主義よりは長生きしているわけだ)。
なぜか?
なぜ、マルクスにとって資本主義の危機であったはずの恐慌が、かえって資本主義を強化しているのか。
それは、恐慌という状態が、商品よりも貨幣を選ぶ状態であり、したがってそれは商品世界を成立させている貨幣に対する信仰告白が蔓延している状態だからである。
ケインズの表現を借りれば、貨幣には流動性があると言われる。
この流動性は、「誰でもいつでも受け取ってくれる」という信用があるということであり、
他の商品にはほとんど認められない貨幣に固有の性質である(これに対して、商品なり製品を人々が実際に購入するためには、それこそ「命がけの跳躍」を必要としているため、その処分は[購入に比して]容易なことではない)。
それ自体の商品価値をほとんど有しない貨幣に対して(中央銀行が発行する不換紙幣をまともに原価計算してその額面通りの価値を有すると誰が算出できるだろうか)、かような価値を認めるところに、貨幣の貨幣たるゆえん、神秘とか奇跡とか言われるところのモノがある。
ということは、恐慌において相対的に貨幣(それは商品世界で重要な役割を担っている)が重んじられているということは、それは本当の意味での資本主義社会における危機とは言えないのではないか。
ということは、である。
もしその流動性に対する信仰が途絶えたとき、したがって人々が貨幣の流動性を疑ってかかり、貨幣ではなくて個別の商品に逃げ込んだとき、商品世界はどのようになってしまうのだろうか。
貨幣より商品が選ばれる世界、その窮極的な形として、ハイパー・インフレーションが生じた場合、もはや貨幣を貨幣たらしめる根拠を捨て去ったあとに残るモノは、個別バラバラな商品と、それ自体さして価値を有しないかつて貨幣だったモノ-したがって今やそれはやはり個別バラバラな商品の一つ-である。
「価値の体系としての商品世界が、たんなるモノの寄せ集めでしかない状態へとひきもどされてしま」い、「『巨大な商品の集まり』としての資本主義社会の解体」を生むという点で、ハイパー・インフレーションは、資本主義社会にとってより本質的な危機なのである。
4.貨幣形態論
しかし、私はどうにもこの論に与することができない。
私は、人々はたとえ貨幣を手放すとしても、流動性までは手放さないのではないかと思う。
(果たして人々は二重の欲望の一致を要する社会に耐えられるだろうか?)
貨幣は、時代に応じて、貝殻であったり、君主の刻印が押された鋳貨であったり、あるいは中央銀行の発行する兌換紙幣次いで不換紙幣とその形をかえてきた。
けれども、そこで共通するのは、いずれの貨幣も流動性の機能を果たしてきたという事実である。
マルクスにおいて労働価値説という実体に対して価値形態論という現象形態があるように、流動性という実体に対して貨幣という現象形態が変遷し続ける。
貨幣は人々が貨幣であるとみなすから貨幣であるというのであれば、その物質的素材や名称は理論的には不問のはずである。
であれば、人々は現行貨幣が著しく減価してそれが商品世界の存立構造を解体する前に、流動性の所在を移転するのが筋合いではないか。
人々は次なる貨幣を「奇跡」(これは奇跡という呼称に反し、人類史上幾度となく繰り返されてきた)によって生み出すのではないか。
いや、奇跡という言い回しこそ、岩井が資本主義の不安定性を強調するために用いた表現ではないか。
なぜならばこの奇跡が実際にどれほど奇跡的であるかについて、あれほど価値形態論をマルクス以上に論理的な形で展開した岩井が、マルクス以上の修辞法すらも(したがって当然ながら、論理的にも)披露できていないのだから。
また、貨幣価値の減価を防ぐ実際的な方法として、ハイエクの「貨幣発行自由化論」も検討すべき事項ではないか(私はまだ貨幣論集を読んでいる途中だけれども)。
実際、ビットコインはまさに民間による貨幣発行の典型である。
もし貨幣発行主体がシニョレッジを貪るため貨幣を多量に発行した場合、貨幣多量発行に伴う貨幣減価が生じ、貨幣利用者としては、他の価値ある貨幣へ乗り換えるというビジョンである。
これをうけて貨幣発行主体としては、貨幣価値が過度に減価しないように、価値が安定化するように努めるインセンティブがあるという次第である。
貨幣間競争、これは一国一貨幣というアタリマエに囚われた私たちには盲点である。
実際、貨幣を中央銀行のみが発行している事態を独占供給と理解する人はあまりいない(銀行券に類似した物を発行すれば通貨偽造罪に問われるということもあってか、現代の社会通念において、別種の貨幣を創造する意欲なり発想を持つことは、たとえ貨幣発行業に参入するために要する費用を無視したとしても、難しいことである)。
競争原理という資本主義社会におけるアタリマエが貨幣においては十分には機能していないのである。
資本主義社会が本来的に不安定なものである、とは岩井の主張するところであるが、しかし、資本主義社会は未だその本来的な姿を明らかにしていないのではないか。
(そして貨幣を巡るこのような見方は、資本主義を純粋な形で炙り出したマルクスにおいても果たして展開されていただろうか)
シニョレッジ、この君主権力の名残を玉座から引きずり下ろすことが、資本主義に期待された一仕事なのではないかと私は思う。
歴史上、資本主義が貨幣による試練を受けることはあったが、貨幣が資本主義による試練を受けたことはなく、そしてそれは未来に起こりうる出来事なのである。
Posted by ブクログ
貨幣とは何か?
この問いの深淵さ、「意地の悪さ」に初めて気がついたのはマルクスだ。
マルクスは貨幣を「形而上学的な奇妙さに満ち満ちたもの」と呼んでいる。
貨幣を当たり前だと思わずに、そこに形而上学を見出したことこそマルクスの天才だ。
貨幣を形而上学的謎として解くためには、マルクスの「資本論」、特にその「価値形態論」を抜きにしては、アプローチする出来ない。
と、言うことで、岩井克人は、マルクスの「資本論」を自家薬籠中のものとして、縦横に活用する。
本書は、岩井克人によるマルクス「資本論」の独創的読解だ。
さわりの一章だけをざっと見るとこんな感じだ。
第一章 価値形態論
資本論の要である「価値形態論」と「交換過程論」から貨幣登場のメカニズムを炙り出す。
貨幣は貨幣として流通してしているから貨幣なのだ。
このトートロジーこそが謎の根源だ。
神の成立と同じメカニズムに基づく社会現象だ。
したがって、マルクスの「価値形態論」は、貨幣論に留まらず、神の発生論でもあり、更には、言語の発生論、国家の発生論でもあるのだ。
経済学、宗教岳、言語学、政治学の根幹に存在する形而上学的謎を、トートロジーとして「価値形態論」として抉り出して見せたのだ。
そして、価値形態が生まれてくる(つまり、貨幣が、神が、言語が、国家が生まれてくる)メカニズムを「交換過程」と言う動的な相で捉えてみせるのだ。
そして、貨幣が神となった特殊な資本主義社会的は、トートロジーの行き着く先、ハイパー•インフレーションという危機を招くと予言する。
トートロジーには実体はない。
実体の無い虚空から生じた「剰余価値」は、実体のなかった虚空の宇宙に生じた物質のようだ。
この「奇跡」が、実体があるかのように振る舞う貨幣を生み出した。
他人が貨幣として受け取るから、他人が貨幣として信ずるから、貨幣として機能するのだ。
そして、剰余価値は剰余価値を生み出し続けて、巨大な価値のハイパー•インフレーションを作り出すのだ。
こうして、貨幣商品説も貨幣法制説も葬り去る。
本書を十分に理解するためには、難しいマルクス「資本論」を理解しておくことが望ましい。
そのための最良のガイドが、柄谷行人の「マルクスその可能性の中心」だ。
第二章 交換過程論
第三章 貨幣系譜論
第四章 恐慌論
第五章 危機論
と続く。
Posted by ブクログ
マルクス『資本論』(主に第一巻と第三巻)をベースに、著者が貨幣の本質に迫るのが本書の内容である。貨幣とは何かという問いに対して、「単純な価値形態」、「全体的な価値形態」、「一般的な価値形態」、「マルクスの貨幣形態」、「貨幣形態」と順に追っていくうちに著者はある結論を下す。それは「貨幣とは貨幣である」というトートロジーである。つまり貨幣には本質的なものはなく、貨幣について考えれば考えるほど、ますますその存在理由がわからなくなるという。経済学を専門とする著者がこのような奇妙な結論を導いたことから、貨幣が単なるモノとは異なる独自の性質を帯びていることが読み取れる。
また、第五章危機論で言及されたハイパーインフレーションの話も興味深かった。この辺りは、現在基軸通貨であるドルの行方を予測するうえでも非常に参考となるだろう。冒頭で挙げたように、本書はマルクス『資本論』を基に展開されるが、事前に読まなくても、読み進められる。その意味で『資本論』で語られた資本主義の分析の要点をこの本を読み通すことで学べるのではないだろうか。
Posted by ブクログ
北さんからの推薦本。
推薦されなければ読まなかったはず。
経済学に全く疎いにも関わらず、意外にも面白い。
結局、「貨幣とは何か?」の問いの答えは「貨幣とは貨幣として使われるものである」
「商品」でもなければ、何者かによって恣意的要因でもたらされた「制度」でもない。
循環論法によって自然発生的に存在したもの。いわゆる「奇蹟」である。
作者が述べている、貨幣であるための存在規定「未来永劫貨幣として信用される日々」が、覆る日(最後の審判)が訪れて、資本主義の終焉が訪れることはあり得るのだろうか?
本書が書き上げられてから24年。
今ではあり得ないことではないきがしてならない。
それにしても、商品世界に対する貨幣とは、人間世界に対する言語である。
との考察は非常に面白く、分かりやすい。
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