古井由吉のレビュー一覧
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古井由吉は難しい。
短編集で、一作一作は20ページほどであるにかかわらず、それぞれ読み終わるのに1時間はかかった。テーマが(比較的)わかりやすいものもあった一方、全くわからない私小説風の作品もあって、とくに全くわからないものは個人的に読んでいて苦痛だった。面白い作品もあったが、全体的に不気味な雰囲気が醸されていて、この作家は読者を選ぶかもしれないと思った。
(テーマがわかるやつでは、とくに「オイディプス」をモチーフにしていそうな作品が多かった。これは比較的反倫理的なテーマとしてわかりやすく、オイディプスの変奏として読めるものが多かった。)
また、古井由吉の文章は基本的には滑らかで、まるで話しているような読みやすい文もあったが、一文が長かったり、読点が多かったりで、全く読むのに苦しい文章にもなっていることがあった。読みやすいなと思ったり、読みにくいなと思ったりで、個人的に惑わされた。
芥川賞受賞作である「杳子」ぐらいはこれから読んでみたいとも思うが、しばらくは休憩が必要な作家だった。大学の授業で扱い、ゼミ生と討論する中でも、苦戦した一作となった。
中でも好きだった作品を以下にメモっておく。
「風」
「草原」
「暖かい髭」
「雪あかり」 -
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行きつ戻りつ。何度も、何度も繰り返し読み続けた。わからない、というわけでもなくて、その都度発見がある、というか。それに気づいて読み続けていたのだと思う。きっと僕は、この物語の文章そのものに魅了されていたのだ。不意に立ち上がってくる情景。すると一気に物語のディテールが際立つ。没入するという感じではなくて、より客観的に見渡す風景、とくに“辻”の。現れるのは、いつも同じ“辻”の風景だった。たしかに、僕はその場で立ち止まる。四方を見まわすものの、視線そのものは何処へ向かうともなく、見当も立たない。導きを物語の文章に見出して、僕は従うだけだった。
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脚本家いながききよたか氏の話から興味を持って読みました。
『杳子』は芥川賞受賞作品
彼女の庇護者のようなつもりの彼氏の一字一句が、彼女を妖しく表しているようで、そこに愛を感じました。
杳子は精神的に不安定な人物ですが、賢い人です。とても魅力溢れるご婦人で、幸せになってほしいと願いたくなります。
映像化したら面白いだろうなと思いました。
『妻隠』は夫婦の話。
この作品は特に〝夕方の風景〟が妙にリアルで懐かしさが感じられます。
主人公寿夫は発熱で会社を休んで一週間。日常でありながら非日常を経験しているようです。妻の礼子の日頃見られない姿を見て色々と思うところが出てきて、なにかと面白いです。少し艶美なシーンがあるのかと思いましたが、寿夫の性格なのかサラリとしたものでした。
2作品とも主人公は男性で、妻や恋人を丸く包み込むような人物でした。
作者の古井由吉もそうなのでしょうか。
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後藤明生。今だと完全にクズ扱いされる男性像だけど、この当時はまるで問題視されない「モテ自慢」の域だったのかと驚愕。そんなに昔ではないのに。
黒井千次。多人数視点の現代的な構成だが、いかにも小説的な登場人物の行動の突飛さにやや違和感を覚えるのはやはり時間の為せる技か。
阿部昭。私小説風だけど障害者の兄弟など現代にも通じるテーマを扱っていて、本書の中では一番印象的。
坂上弘。阿部昭にも通じる家族の葛藤を扱うが、近親相姦的な描写が生理的に無理。
古井由吉。現代的な視点でみると一番の問題作ではないか?男性作家による「女性」という主題の扱いがとにかく難しくなったと痛感する。
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「杳子」
大学生の時にしばらくお付き合いをしていた女性は小柄で可愛らしく、真面目で読書家、友達思いのキュートな人だった。
彼女が北海道へ一人旅に出かけた時に、私は多分何かに嫉妬したのだろう。
彼女が私より旅行を選んだような気がした。
その頃から私は自分の中にあるウジウジとした女々しい思いを彼女に少しずつ吐き出すようになっていたと思う。
私は彼女の本質を知らなかっただろう。そして自分の女々しい思いをぶつけることが彼女の心から私を遠ざけるのだという事を知らなかった。
この作品の「杳子」は心を病んでいるのだけれど、自分が病んでいる事を知っている。そして彼女を取り巻く世の中と人々は彼女を救い出すことができない。
動けなくなった山の「底」で杳子は彼女を救える男に出会い、助けを求める。
男は杳子を救えるのは自分の他いないと知る。
男と杳子は2人だけの空間を作りその中で抱き合いながら生きていくことになるのだろう。
「妻隠(つまごみ)」
妻隠とは一体どういう意味なのだろうか。
辞書を引いても作品を読み終えてもわからない。
多分会社の組合運動に加わっていた男性が、その時の疲れからだろうか体調を崩して1週間近くの休みを取る。
その間会社勤めの身では見ることのなかった日常が目の前に広がる。
果たして自分と妻はどこにいるのか?
自分を包む現実の世界で自分達はどの様に見られ、どの様に生きているのか?
今の自分達の生き方は世の中を構成する真っ当な生き方なのか、疑問が沸く。
気になる事:
妻隠の中に「独壇場」という表現が有る。
本来なら独擅場で独壇場はその誤用だとされていたけれど、今では作家も使うほど正しい言葉として認識されているのだろうか? -
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1989(平成元)年刊。52歳の頃の作品である。実はほとんどリアルタイムにハードカバーで購入し、私が遥か以前から親しんできた『眉雨』と同年に刊行されたようだ。しかし、『眉雨』とは結構がまるで異なる。
はじめ連作短編の形かと思って読み始めたのだが、前の章に記述された内容を直接言及する箇所が出てきて、これは長編小説なのだと気づいた。とはいえ、もちろんこの頃の古井さんの作品だから、大がかりな物語らしいものは全く存在せず、最初の方はことに随筆のような姿をしている。
この作品の特色は、僧などの「往生」を採録した国内の古い文書を参照して紹介するような書き方で、カギ括弧もなく地の文に古語が紛れ込んでいるような風合いがある種のテイストを発生させている。さらに、ときどき話者(完全に古井さん自身と見られる)の「日記」が挿入される。この日記の箇所は、地の文の文脈と離れていたり、明白に呼応していたりする。異種のテクスト間を往来するような文章ストリームである。
「往生=死」をひたすら巡る内容で、古井さん自身があとがきに記すように、循環する主題はかなり「辛気くさい」。この辛気くささを受け入れられるかどうかによって、この作品についての好悪が分かれるだろう。ここで言及される「死」は主に病死・衰弱死であって華やかな殺人・自殺ではなく、音も無く入滅するような地味なものである。奇しくも執筆時の作者と私は同年齢なので、身体のめざましい老化を感じ、それに続くだろう自然死に思いを巡らすような心理を理解は出来るが、このひたひたと執拗に「往生」に思いを凝らす雰囲気はかなり鬱病的でもあり、読むのはなかなかしんどかった。文体は相変わらず前衛的な冴えを見せて見事なものだが、展開される心象風景の色は何やら閉塞感につきまとわれてしんどいのだった。
この作品の興味深いのは、「古文」「日記」「現在的な記述(随筆的な地の文)」という3種のテクストを往来する構造が、最後の方の章ではしばしば消失し、そこではもはや、文脈のいかなる差異も、自分自身の「往生」へ向かう主体の統合性へと回収され尽くし、万事が一体となって静かな死へ向かうのだ、という境地に達したのだと窺われる点だ。
そういう点を考慮しつつ本作を再度最初から吟味し直せば、この作品の先鋭的な構造をさらに解読しうるのかもしれない。が、何か重ったるいしんどさに圧倒されて、そこへ再び自身を投じようという勇気は、今は湧いてこない。 -
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ネタバレピース又吉が第二図書係補佐で題材としていたため読んだ。
しかし、自分の頭では理解できなかった。読書が下手になったのだろうか。
だけど、雰囲気は全体に好きだった。
杳子は神経症を患う彼女を持つ男の視点で物語は進んでいく。
最終的には杳子が健康になるために、病院へ行くと宣言して終わる。
恋人のためを思って自分の体を治そうとする姿によって、自分の恋人へ姿勢を改めようと反省した。
彼女は私とデートする時はいつも身なりを整えてくる。それに対して、私は不潔感漂う姿でデートに行く。そんな容姿では彼女に対して甚だ失礼だろう。
相手を思うからこそ自分を変えると言う精神は忘れてはいけない。
妻隠は全くわからなかった。
閉塞的な夫婦の関係を物語にしているとは思うのだが、それ以上のことは何もわからない。何故だろう。
この小説も淡い雰囲気があり、とても好きだ。だからこそ、もう一度読んで少しでも理解を増やしたい。