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Posted by ブクログ
今年で80歳になる老作家・古井由吉さんのエッセー集。
濃密な文体の小説と違って、実に軽やかな筆運びです。
このことから逆に、小説に全精力を注いでいることが分かります。
「貧寒たる文学環境の中で、僕自身は、なるべく丁寧に言葉を綴る、というただ一つを心得にしてきました。」
と古井さんは書いています。
そうなのだろうと思います。
本書は、老作家の半生をつづった回顧録でありながら、優れた作家論、小説論でもあるように思いました。
たとえば、
「作家は、真のタブーを上手く避けながら表現することによって、文章の色気を出してきました。」
「いま、作家は例外なく端正で整った文章を書くでしょう。なぜ、もっと奔放にやらないのかと思っているんです。文法なんか多少無視しても、活力のある文章を求めた方がいいのではないか。『第一次戦後派』の人たちなんか、テニヲハなんて構っていられないぐらい、書く欲望に溢れていました。」
「最近ではもう、三枚書くと相当書いたという気になります。でも、三枚書くと、翌日はそのうち一枚は書き直しです。勢いの乗って書いた文章は、どうしても荒っぽくなってしまいます。」
「たとえ三十枚の短篇だとしても、途中で必ず行き詰まります。どうにも停滞したところから小説をどう展開するか、これは書いている人間の予測の外のことなんです。次の展開は、いままで書いた言葉の力に任せなければいけません。だから、じっと待っているんです。」
「待つために必要なのは、やはり、毎日少しでも書くことです。もし清書できないなら、粗書でもかまいません。まったく先に進まない日でも、何かを書いています。」
「やっぱり、ずぶの現役でやり続けなければだめになります。いままでの作品を積み重ねたその年金で、文学者が喰っていける世の中ではないんですよ。名声を積み重ねれば老後を楽に生きていけるという時代はとうに去りました。」
「『私小説』のように、省略し、切り詰められた色気の現わし方は、西洋の文学では少ないと思います。これは、日本の文学の秀でているところですよ。僕自身の場合でも、ある行為を正面切って書いた部分を消すことがあります。前後の雰囲気やニュアンスの方が大事で、それだけ書けば十分に表現できているんじゃないかと思う。」
ドキリということも随分と書いています。
たとえば、
「変な話ですが、日当が五百円の時と日当が千円の時では、読書の意味が違ってくるのではないでしょうか。時間が金に換算されるようになれば、読書という行為ほど無駄なものはありません。」
よく稼ぐ社長さんやビジネスマンたちは、なべて小説を読みません。
ぼくはそれを、金というリアルな現実と日々対峙している時に、虚構なんかに付き合っていられないからだと解釈していました。
もちろん、それもあるでしょう。
でも、古井さんの言に従えば違うんですね。
時給換算で5千円も6千円も稼ぐ人にとって、読書なんて無駄どころか利益をみすみす逸失しているようなものです。
「年配者の姿を見ていると、お焼香の姿がサマになっていないんですよ。不祝儀の場の年寄りの振る舞いに、男の色気は出るものなんです。稚いというか、みんな形を踏まえていない、しわくちゃな振舞いになっています。」
というのも鋭い観察ですよね。
私はよく神事を取材しますが、玉串奉奠で形が様になっている人はこれまで一人もいませんでした。
名のある社長さんたちでも、ですよ。
もちろん、私も満足に出来ませんが。
近頃、色気のある人が少なくなったと嘆く古井さんの言葉に、静かに耳を傾けたのでした。
Posted by ブクログ
先日とある先輩に勧められたので読んでみました。
大学時代に芥川賞受賞作「沓子」を読んで以来です。
これは数年前に出版されたもので、語りおろしのエッセイのような体裁をとっています。大作家と思いつつ、金沢と立教での合計8年間の教師生活の話が「戦後」をリアルに描写している。
基本的に1人称なのですが、対談相手が結構大物だったりします。
古井由吉は70歳を超えた現在でも書き続いているのに驚きました。物事への距離のとり方が絶妙ですね。こんな風に歳をとりたいです。少年のような好奇心を内包しつつ、成熟と円熟を重ねること。なかなかそんな大人はみつからないですね。
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