無私の日本人として、穀田屋十三郎、中根桃李、大田垣蓮月の三人が紹介されている。
前書の「武士の家計簿」が歴史として面白く、一個人の成功譚だったのに対して、本書は、現代・未来への問題提起がある。
現代は競争経済で、経済成長しているのに、昔ほど皆の生活は良くなっておらず(生きるには十分ですが)、数%
...続きを読むの高所得者に資産が集まっている。そしてお金持ちさえも、お金だけでは、満たされない何かにぶつかっている。日本もGDPが他国に追い抜かれそう。そういった状況に対する日本人が幸せに生きるヒントがあるように思った。
サピエンス全史にもある、人間が想像して作り出したやっかいなもの、神、国、貨幣は、無いと困るけど、争いごとのタネになる。
無私の日本人の3人は、これに囚われず、大きな視点で人生を歩み、葛藤し、そして喜びを得ている。
①穀田屋十三郎
仙台藩からの重い負担(伝馬役)に苦しむ宿場を、私財を投げ打って助ける。
重い負担は、戦国時代から平安の世になって、余っている武士を食わすために、ひとつの仕事を二重三重、更には細かすぎる分業にする仕組みが、逆に平安の世をねじ曲げて、お百姓を苦しめている。
では、どう宿場を救うかだが、もうひとり重要人物として、菅原屋という人が登場する。この人物は、知恵ものとして、皆から一目置かれている。菅原屋は、金利を取られる方から、取る方への転換を提案する。お殿様にお金を貸して、利子を取って、永続的に宿場を潤そうという、お百姓から投資家への発想の転換。
衝撃的!
何を解決すべきかの課題の設定が、素晴らしい。
お百姓でも、学が備わっている。
そして幾多の苦難の末、村民9人で1000両、今にして、1億3000万円を用意する。お百姓って、サラリーマンより金持ってない?と動揺する。
ただ、これだけだと話がドライすぎて、お上の気持ちを揺さぶることが出来ず、ろくに検討もされず、却下される。(お上の足元を見るとは如何なる所存か!)
しかし、却下されても諦めない。
江戸時代は、家意識、家の存続、子々孫々の繁栄こそ最高の価値、先祖を尊ぶ意識が強く、物語の端々にそういった文化が見られる。
この意識に、浅野屋甚平が先祖代々、十三郎と同じ思想で、コツコツと先代から人知れず、お金を蓄え、家全体で慎ましい暮らしを、自らに課して生活しているということが判明する。(この浅野屋と十三郎の関係性が泣けるが、それは本書をお読み下さい)
この先祖代々、そして子々孫々までの繁栄、そして個人への見返りを求めないストーリーが合わさり、とうとうお上の心を動かし、宿場を救う。
穀田屋十三郎、菅原屋、浅野屋甚平は、宿場を救っただけでない。自分達が救ったことは、秘密にし、そして集まりでも下座に座ることを、決める。子孫にも同じことを引き継いでいく。要するに、名誉さえ手放してしまう。
無私の日本人、すごい。
②中根桃李
儒者。詩文の天才。
荻生徂徠に弟子入りし、中国語を操り、師に認められ、名声を得る。しかし、文名が上がるにつれ、彼の心は何故か虚しく落ちていく。
その彼を救ったのが、「孟子」の浩然の気。
物事にとらわれない、おおらかな心持ち。
そして一時の徂徠の虚名に頼り、文明をあげようとした自分を恥じて、作りためられた名文をすべて燃やしてしまう。
その後も幾多の書物をカラクリ人形のごとく読み続けるも、せっかく得た学問では、禄をもらうわけにはいかないと、ろくに士官もしない。
しかし、自分の使命は、人々に説き、自ら行うこととして、「天地万物一体の理」を説く。
天地万物は一物、我でないものはない。
自分にこだわらない。
自分を無にすれば、みんな同じ。
人を育て、戦いをやめる、乱暴しない、いじめをしない、これはちっとも他人事ではなく、自分の病を治しているようなもの。
学問は道に近づくためのもので、四書五経は案内書。ほんとうの価値はその外にあると説く。
この時代の誰もが疑わない真実(四書五行)をひっくり返して、更に広い視点で世界を捉えている。
③大田垣蓮月
尼僧、歌人、陶芸家。
美しさ、強さ、好奇心から幾多の才能を輝かすが、家族とは辛い別れを繰り返し、尼になるが、美しさゆえに苦しむ。(中盤まで結構長く、ツライ気持ちになる)
しかし、苦しみの果てに、自他平等の修業に辿り着く。心に自分と他人の差別をなくする修業。そして、物にこだわらない。
そして、その悟りを得てから、蓮と和歌の陶器を手ぐすねで作りだす。
のちの文人画家の富岡鉄斎との出会い。
そして少年時代の彼との会話、注ぐ愛情には、心揺さぶられる。
自分に必要なものを、必要な分だけ、時代の大きなうねりにも動じず、徹底して自他平等を貫く。
ただ、辞世の歌で「願わくは のちの蓮の花の上に 曇らぬ月をみるよしもがな」と書き残されている。
清らかな生をまっとうしたように見えても、来世は曇らぬ心の月をもちたいと願っていた。
ずっと心の内では、己と戦っていたということ。
もう言葉にならない。
余談ですが、筆者の磯田さんは、古文書ハンターと呼ばれ、小さい頃に古文書に引き込まれ、学校の勉強をほったらかして、古文書を読む為の勉強に邁進される。歴史のことを本当に楽しそうに興奮気味に話されると、こちらまで引き込まれる。とても魅力的な人です。