磯田道史のレビュー一覧
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歴史ふむふむエッセイ。「江戸の備忘録](文春文庫)磯田道史。
「武士の家計簿」の作者として有名な、歴史学者さんです。
正直に言うと、軽く楽しめればいいや、というくらいの衝動買いだったのですが、かっちりと期待通りでした。
本当に軽いエッセイ集で、記憶に残ったところで言うと、
●江戸時代は、武家も庶民も離婚率が高かった。再婚率も。結婚の4割は離婚していた。
「離婚は恥、結婚は一度が当たり前」という価値観が当たり前になったのは、明治時代、修身教育以降であろう、という話。
●日本は地域によって貧富の差が激しかった。簡単に言うと西日本は、気候、風土的に、米と麦の二毛作ができた。
東北はできなかった。これがかなり決定的な差だった。だから西日本の方が出生率も高かった。つまり、西日本の方が人口も増えた。
●江戸時代から日本は識字率が世界と比べて抜群に高かった、という通説がある。けれども、半分は間違っている。
明治時代に長野県で取った調査によると、「自分の名前を読めて書ける」というレベルなら、相当な率になったが、
「手紙や証書が書ける」レベルは4%。「新聞を読んで論説が理解できる」レベルは2%だったという。
一般の日本人が政治や社会を理解できるようになったのは、ここ100年ほどのことである、と、磯田さんは書いています。
まあでも、考えようによっては今でも…。
●八百屋の根本長造。囲碁がうまかったが、接待のためにわざと負けていた。「八百長」の語源。
みたいなあたりは、「へ~」と面白かったです。 -
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ネタバレ著者は、江戸期に生きた、世にあまり知られていない穀田屋十三郎、中根東里、大田垣蓮月という3人の生き方を、あまり残されていない史料を繋ぎ再現してくれた。
動機は、日本人ならではの清い生き方を、自らの子どもや、未来の人たちに伝えたいと思ったからだそうだ。
最初の穀田屋十三郎は、映画「殿、利息でござる」を観たので、ここを読むのは省略してしまった。本当は、原作と映画でそれぞれ味わってみるというのがよいとも思うのですが。
余談だが、著者もこの映画に出演しているとの事だが、それをあとから知ったので全く気がつかなかった。
二つ目の中根東里については、彼の清貧な生き方よりも、その師であった荻生徂徠の悪徳ぶりのほうが印象に残った。歴史の教科書では、偉人の一人として称えられているが、本書を読むとクソ野郎としか思えない(笑)。磯田氏が教科書に書かれていない本当の歴史を追究されている意味がよくわかる。
三つめ、大田垣蓮月の生き方もまさに無私の歌人であり、陶芸家だ。晩年、陶芸を通じて富岡鉄舟を育てた。鉄舟は西郷とも関係が深い。
少なからず、その人格形成に影響を与えたことからすると、彼女は幕末の流れに影響を与えた女性であると言えると思う。 -
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○目次
はじめに
第1章:自筆書状から龍馬を知る
第2章:龍馬、幕末を生きる
第3章:龍馬暗殺に謎なし
本書は坂本龍馬の歴史を通して、幕末の政治社会史を描こうとした一冊である。基本的に龍馬関係文書を中心に、同時代史料をふんだんに用いて叙述されている点で巷の龍馬関係の書籍よりは史実を積み重ねた手堅い内容となっている。
しかし、著者の磯田氏神ーの専門が近世史であり、明治維新史が専門ではないため、所々幕末政治史の間違った評価が多いのが残念。
例えば、現実的に政治問題として「討幕」が出てくるのは早くとも慶應3年9月以降なのに、それ以前(下手すると文久期まで)に遡ってたり、「倒幕」と「討幕」の区別が出来ていなかったり、薩長盟約の解釈が間違っていたりと問題点は多い。
せめて、本を執筆するのであれば明治維新史の専門の先行研究あたりはしっかり押さえてもらいたい。
龍馬の暗殺に関する章では、関係者の史料を示して、実行犯や指示者を紐解いている。史料解読によって可能性を高め、一つの史実を再構築していく歴史学の醍醐味が本章により、読者に伝わることだろう。
幕末政治史は一般人にとっては大変理解の難しいテーマなので、龍馬を切り口にして興味関心を持ってもらうきっかけの1冊になると思う。 -
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司馬遼太郎が暴いた日本人の弱さを、改めて復習する。
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頼山陽と徳富蘇峰、そして司馬遼太郎が、日本で三人しかいない「歴史に影響を与えた歴史家」と定義されている。ほんまかいな、と言いたいところだが、坂本龍馬を「発見」したりと、ある意味確かに歴史を作ってきたのかもしれない。
ただ、本書は司馬が歴史を作ってきたことを説くというわけではない。司馬がそのときそのときでどんな風に見ていたのかを追っていく。
結局のところ、日本人の弱みを書いているからこそ、読者が自らに投影し感激し、ビジネスに活かそうとしてしまったりするのだろうなあ、と感じた。
文学は文学作品の中で完結すべきだという意見には、僕も賛成しない。作品は人に影響を大いに与えればよい。エンターテイメントだと思って読むものだって、何かの糧には必ずなるのだ。
それにしても、昭和一桁代から敗戦あたりまでを非連続の次代だったと語り、あるいは明治憲法下の法体制が、不覚にも孕んでしまった鬼胎のような感じ、などと記した司馬が、本当にそこだけが非連続だと思っていたのか。
今もまた、不覚にも孕んでしまったような状態がある。これは非連続なのか、どこかでやはり孕ませる機会があったのか…日本史を学ぶというよりは現代を思って気持ち悪くなるのだった。 -
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歴史好きには見逃せない、戦国末期から幕末までを網羅した歴史随筆集。
江戸城無血開城をめぐる西郷隆盛と勝海舟との会談の裏には、西郷に決断を促した女性(78歳の尼さん)の存在があったとか。
幕末の発明王からくり儀右衛門が西洋に生まれていたら、天才工学者として、名をの残していただろうとか。
歴史教科書には記されない逸話の数々。
歴史的事実を述べながら、現代にちくり一言も。
江戸時代の寺子屋教育は、子供が能動的に自分の手と口を動かして成り立つ「手と口の学び」であった。しかし、現代は「目と耳の学び」であり、自分で勝手にやる創造的な人間や発想は生まれにくくなっていると。 -
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昭和史の研究家・半藤・保阪氏などの対談・鼎談集。昭和天皇の幼少期の意外な話から、摂政時代、そして昭和まで。実に豊富な記録が残っているのは歴史解明において有効だと思い、このような記録が発表されたことへの半藤氏たちの喜びが感じられる。一方であまり書かれなかったマッカーサーとの対談への不満も。戦争勃発後、昭和天皇が母・貞明皇太后に叱責されることに気を遣う様子など、昭和天皇の人となりを感じる一方で、軍・政から実権のない立場に祭り上げられ利用された人生への同情も禁じ得ない。「トラトラトラ」、「日本で一番長い日」などの映画を見た記録が残っているのも実に面白い。やはり戦争との関わりを読み解くことが最関心事であるが、1921年に第1次大戦の激戦地ヴェルダンを訪問し、「戦争は実に悲惨」と感想を漏らされたことも。開戦、逆に終戦を決意するまでの詳細な記録、平和を望んでいた方だとは分る一方で、12/8は大元帥として軍服姿でニュースを聞いたなどとエピソード満載。
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「聖人賢者になろうとする志がなく、古人の事跡をみて、自分にはとても及ばぬ、と思うような心であれば、戦いに臨んで逃げるより、なお卑怯だ」16
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【鹿野武左衛門】
関西でお笑い芸が発達したのは、古代から寺が多く法話の文化があり、室町以後、権力者が面白い話をさせる御伽衆をおいたことによる。30
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【津軽信政】
「天竺は仏の道で治める国。大唐は文国で文道で治める国。我が国日本は武道でなければ治まらぬ国」35
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【西郷隆盛】
聖賢たらんと欲する志なく、古今の事跡を見てとても企て及ぶべからずと思わば、戦に臨みて逃げるるより、なお卑怯なり。98
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【新名丈夫】
あわてた陸軍はつじつま合わせのため、新名の出身地香川から三七歳前後の二五〇人を急遽召集。彼らは硫黄島に送られ全滅した。205
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【松田権六】
「芸術の世界に満点はあり得ない。九九点まではまだ意味があるが一〇〇点はおかしい、取り消してほしい」208
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面白くてためになる歴史随筆集
奇怪を好んだ信長、神仏を脅した秀吉、大将のつとめは逃げることと心得ていた家康……。気鋭の歴史家が日本史の勘どころを伝授する。 (親本は2008年刊、2013年文庫化)
本書は朝日新聞の土曜版に連載した文章を元にしてまとめた歴史随筆集であるという。巻末の索引が嬉しい。基本典拠を明記してあるが、もう少し丁寧に書いて欲しかった。(連載中は無理であろうが書籍化するならねえ。余白のスペースが目立つし)
例えば、信長の好奇心について、「太田牛一の信長公記」と「朝野雑載」の逸話が載せられているが「朝野雑載」とは何か誰の著書かはわからない。
ググってみると早稲田の古典籍データベースが出てきて、著者「市島謙吉」とある。ところがこれは市島春城 [撰]の著者ということらしく、さらにググると「朝野雑載」は貝原益軒の著書だという。
貝原益軒はwikiによると1630〜1714の人で1648年に仕官したという。信長は1582年に死んでいるから、およそ60年位のタイムラグがあることになる。同時代の「信長公記」と時代の異なる「朝野雑載」を並列に扱ってもよいのだろうか。
著者は専門家なので、当然そこら辺を加味して史料を使われていると思う。しかし大半の読者は素人なので混同する恐れがあるのではないか。そこで「朝野雑載」が誰の著書でいつ成立したか注釈があった方が親切だと思う。
そこまでしていただけると、さすがプロの仕事は違うと次回作への購買意欲に繋がるのであるが。