あらすじ
歴史には時代の流れを決定づけたターニングポイントがあり、それが起こった原因を探っていくことで「日本が来た道」が見えてくる。二百六十年以上にわたる「徳川の平和」の根底にはなにが――。露寇事件(1806年)→浅間山噴火・天明の飢饉(1783年)→宝永の地震・津波(1707年)→島原の乱(1637年)の危機を社会構造改革の場とした“転換”の発想を見る。
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ロシアのサンクトペテルブルクの博物館に、この露寇事件の際に、ロシア側が日本から略奪した兵器などが多数収蔵されていることが確認されました。1つは文豊後大分の戦国大名、大友宗麟が使用した国崩しと言われるもので、もう一つは豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、大阪城に持ち帰ったさはりの大ハラカンと呼ばれる大砲だと推測されています
Posted by ブクログ
鎖国はロシア船打ち払い時に作られた「祖法」で、鎖国を選んだ幕府は民命を重んじ、結果的に江戸後期の文化繁栄をもたらした。
民を重んじる意識は天明の飢饉時の治安の荒廃に一端があり、これをきっかけとして幕府の施策が収奪式から、税金を得た分民にも施しを与える民富論に転換していった。
江戸時代の安定した農業社会は、東日本大震災並の、宝永の大地震がきっかけであり、バブル的な新田開発から環境配慮の農村社会へと成熟させていった。
そもそも、江戸が平和な時代になったのは島原の乱における住民大量虐殺、それによる支配階級の困窮があったためで、「平和な江戸時代」は、生類憐みの令によって完成される。
わかりやすい本。