有吉佐和子のレビュー一覧
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有吉佐和子と言えば『恍惚の人』。若かった自分には(愚かにも)他人事だったが、初めて読んだ『複合汚染』から受けたショックと未来への警告は我が事として強烈にインプットされている。
本書は1985年7月に朝日文庫から刊行された旅行記を再文庫化したもの。硬派なイメージの著者が、なぜニューギニアの奥地に行くことになったのか。そもそもの始まりから辿り着くまでの道中、現地での暮らし、何もかものスケールが想像を超えて、常に生きるか死ぬかの瀬戸際なのに、なぜこんなにもおかしくて心打たれるのか。そしてなによりも畑中さんの存在感。あっという間に読み終えたけれど凄かった! -
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面白おかしく書かれているが、凄まじい体験記である。
1968年、小説が一段落した有吉佐和子は、文化人類学のフィールドワークをしている畑中幸子に誘われて、ニューギニアに行くことにする。
インドネシアに暮らしたこともあるし、ニューヨークに留学もしていたから、海外に行くことに抵抗はないし、自由になるお金もある。当時の日本人とはレベル違いの国際性があり、度胸も知恵も好奇心もあったのだから、なんとかなるだろうと考えたに違いない。
しかし、ニューギニアの奥地ヨリアピは想像を絶するところだった。
まず、辿り着くまでにジャングル(映画と違い、崖も沼もある)や川の中を三日間歩くしかなく、足の爪は剥がれそうになる -
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これは小説なのかはたまたノンフィクションなのか。多分ノンフィクションに近い小説という表現が1番近いのだろうけど、色々考えさせられる内容だった。政府が舵取りをいかに誤ったか、いかに海外諸国に比べ日本が汚染物質を見境なく使用、排出し、自然を破壊してきたか。そして、いかに私達の胃に入る食べ物が、汚染されたものか…。
田んぼに飛び込み溺死する蛙の話には戦慄した。
普段から有機栽培や自然農法など、オーガニックなものをなるべく摂るよう気をつけて入るが、一層口に入れるものには注意しなければと感じた。政府が全く当てにならないのはこの時代も今も変わっていない。自分で調べ、考え、自分の身を守らなければ。
そし -
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この時代にすごすぎる。
移動中に、感情が追いつかなくて一目もはばからず泣いてしまった。素晴らしかった。
1964年初版、現在は不適切といわれる差別的表現が多いが、出版社や遺族による尽力により、当時のままでの再出版という注がある。
戦争で黒人米兵と結婚し、肌の黒い幼い娘の手を引き日本を出た女性の一代記。しかし、米国において働き始めて階層を行き来することで世の中の差別は単に日本で受けた黒人への糾弾のみならず、さまざまな人種同士がお互いについての考えがあることを知り、そんな世の中でもどんどん混血児は生まれてくる。
黒人も白人も黄色人種も、肌の色に関係なくそのなかでさまざまな階層意識がある。だ -
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華岡流医術の生みの親としてその名を馳せる華岡青洲の妻、加恵のお話。
加恵は天明2年、華岡家へ嫁ぐ。(21歳前後)
京都へ遊学している夫に代わって迎え入れてくれたのが、青洲の母である於継(おつぎ)だった。
於継は美人で賢く、何をしても髪の毛1本すら乱れない完璧な人だった。
加恵はそんな於継を羨望の眼差しで見ていた。
義娘である加恵に対しても、実の娘のように接してくれた。
しかし、夫(於継の息子)の帰郷と同時に、於継の態度に陰りが出始める。
青洲の愛を巡って、2人の間で繰り広げられる女の戦い。
静かな軋轢は日を追うごとにエスカレートする。
遂には体を張って…
この時代に「嫁ぐ」というこ -
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ネタバレ世界最初の全身麻酔による外科手術を成功させた華岡青洲。
その成功の陰には進んで人体実験に身を捧げた母と妻の姿がありました。
加恵は憧れの於継に息子の嫁にと望まれたことが嬉しくもあり誇らしかったのです。嫁と姑は本当の母娘のように仲良くやっていました。それが一変したのは京都へ遊学していた雲平(青洲)が帰ってきてから。加恵は於継の言動に含みを感じるようになり、華岡家での疎外感を味わうようになったのです。
これといって激しい二人の対立があるのではなく、雲平を巡る物静かな戦いが繰り広げられました。
青洲が麻酔について研究し実験していると知った於継は自分を実験に使ってくれと言い出します。いやいやお母さ -
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ネタバレかなりひさしぶりに手にした有吉佐和子の小説はやはり素晴らしかった。
非色というタイトルも内容も文章も何もかも圧倒的な才能を感じた。ここ数年の新刊として読んだの小説と心への響き方が違う。
世間や自分自身と葛藤しながらも、黒人と結婚し子供を産み、豊かな生活を夢見てニューヨークへ渡った笑子。貧しいハアレム暮らしに困惑しながらも生き抜く姿が人間的であり、悲しく優しく逞しい。
目や髪や肌の色に一喜一憂し、碧い目と金の髪を頂点とし、その中でも見下して良い人種をつくり、アメリカとアフリカの黒人間でも優劣をつけあう。
人種の偏見や差別の問題の深く掘り下げ、日本でもアメリカでもアフリカでも、どこでも差別があるこ -
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終戦直後黒人兵と結婚した笑子
生まれた娘はやはり肌が黒く、髪が特徴的
日本で過ごすにはあまりにも目立ちすぎた
島国特有の差別的な目が
アメリカ、ニューヨークへ向かわせた
が、アメリカでのさまざまな人種問題が
あるとあらゆるところで渦巻いていた
貧しい生活の中で
知らず知らずのうちに
自分より劣っていることを
他者に見つけ出している
人間の本質であるかもしれない
安全のために、身を守るため
違ったものを排除したくなる
誰かの上に立っていたくなる
色にあらず
それは
色の違いではなく、別の大きな問題が‥
日本の中でも差別は多々ある
宗教的な差別もある
差別を問う!
すごい小説です
そして笑子 -
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有吉佐和子さんの小説は外れがないです。
今回は姑と嫁という普遍のライバル関係を描きながらも、息子が医術の学びから帰京した瞬間に母の嫁に対する態度が変化したり、息子が母よりも嫁に尽くす態度に嫉妬の炎を燃やしたりと、姑目線、嫁目線で感情が変わって行くさまを、リアルに描いているところが秀逸です。
この時代ならではの家を守る、後継を産むという「家」の繁栄が全てだったからこそ、逃げ場のない空間の中で、女には女のシビアな戦いがあったのでしょう。
しかし、麻酔のない時代、こんな大変な想いをして、今の医学の礎を築いてこられたのですね。そこを学ぶことができただけで、価値のある本です。 -
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姑の突然死をきっかけに、舅の認知症に気づく立花一家。舅・茂造の世話をするのはもちろん嫁の昭子で、夫は役に立たない。
本書は、1970年代初頭を舞台にしながらも、家族の役割や介護など現代に通じる問題を鋭く描き出した作品です。
携帯電話はもちろん無く、和式トイレや火鉢が当たり前の時代ではあるけれど、昭子が仕事にしがみつきながら家事を奮闘する様子は詳細に描かれていますが、当時の暮らしを興味深く読むと同時に女性の役割に対して共感する場面です。嫁が割を食うなどの家族の役割は今でも変わらない印象です。
昭子の体力は限界になり、ホームに入れる選択肢を模索するなか、老人クラブの職員やケアマネージャーの「家 -
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今では禁止用語となっている言葉も多く登場するので、ここにはっきり書けないことも多い。
しかし、いくら言葉をごまかそうとしたところで人間の感情や意識はなかなか変えられないと思う。
それが逆に、この物語が少しも古くならない所以でもある。
林笑子(はやし えみこ)は、長女のメアリイを連れて、夫の待つアメリカに渡る。終戦後7〜8年経った頃。
肌の黒いメアリイに対して周り中から突き刺さる差別の悪意から逃れるため、そして母と妹が、黒人と結婚した笑子が日本から消えることを望んだからである。
連合国軍がアメリカに渡る「戦争花嫁」たちに用意したのは貨物船。
狭い船室に乗り合わせた日本人女性たちとは、その後も縁 -
ネタバレ
牧田がデパートに売りわたした壺と骨董品鑑定家園田の邸で再会したのが1977年1月、巳年だった。
第12.話は前年、1976年終わり頃、園田は入院中、同じ病院のやはり特別室に第9話の京都旅行の主人公弓香が入院していた。
第9話の京都旅行は1974年または1975年、
9月の弘法市で弓香さんが壺を3000円で買って
新米栄養士の孫娘に、
そして孫娘の上司の修道女がスペインに一時帰国するときの餞別として贈られる。
海を渡った青い壺はどういう経緯でスペインの
骨董品店に並ぶのか?
また、第8話で空き巣に盗まれた壺が京都の弘法市に並ぶまでの経緯も興味がある、