有吉佐和子のレビュー一覧
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有吉佐和子の『非色』、今の時代にこそ刺さりすぎる。
「人間が生きていることを最低のところで支えているものは何か」
戦後、ニューヨークへ渡った主人公が見たのは、人種、経済、宗教……ありとあらゆるモノサシで「自分より下」を探し、安堵する人々の姿。正直、滑稽。でも、今の私たちも同じじゃないかな。学歴、年収、ルッキズム、結婚してるか、子が居るか。
属性を比べて「あの人よりマシ」と思っているうちは、本当の誇りなんて持てない。それは他人の土俵で自分を否定しているのと同じだから。
自分をラジカルなまでに受け入れる
泥の中でも、どんな属性の中にいても、「これが私だ」と自分を抱きしめる。その覚悟だけが、分断の壁をぶち破る唯一の武器になる。薄っぺらいプライドを捨てた先にしか、本当の自由はない。 -
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表紙のお二人。明らかに後ろ向きな大柄な女性と、叱咤激励する小柄な女性。
「非色」「青い壺」からなんとなく想像していた有吉さんの人物像と、このイラストのギャップが大きすぎて、即買いしてしまいました。
当時30代の有吉さんが、50年くらい前に訪れたニューギニアのジャングル。未開の地。
いまでも、なかなか勇気のいる場所なのに、なんの前情報もなく、「ええところやし、遊びにおいで」の誘いに乗って軽い気持ちで行ってしまったそうで。
爪は剥がれ、虫に群がられ、茶色い水を飲むしかない。
都会ですらタクシーにのる私が、なぜいくつもの山を越えた?なぜ虫だらけのこんな場所にいる?なぜ誰も止めてくれなかった?と自問、いや、文句たらたらから始まります。
そんな飾らない声がリアルで面白くて仕方なくて、本を読みながら(挿絵も見ながら)つい笑ってしまいました。これが文章力かあ!私が書いたらただの愚痴になるだろうに。
いやー、面白かった。このお二人が大好きになったし、文明化とはなんだろうと考えさせられもした。
有吉さんの本を読み直してみよう。
人柄を知って読むとどう変わるだろう?
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有吉佐和子ってストーリーテラーなんだなぁと改めて思った。
1964年に刊行された本であるが、古くささを感じることなく一気読み。
差別という難しいテーマを扱っているのだが、終始、重苦しくなることなく、読み終えた。
戦後、GHQの黒人兵と結婚して幼い子メアリイを連れて、ニューヨークに渡った笑子(えみこ)だが、待っていたのは貧民街ハアレムの半地下アパートでの生活だった。
そんな最底辺のような生活を送る黒人だが、プエルトリコ人を激しく差別する。
白人の間にも、イタリア人差別、ユダヤ人差別などがあり、戦争花嫁(ウォーブライド)として日本から渡ってきた日本人女性はアメリカに来て初めてそれに気づくのだった。
そして、アフリカの黒人はアメリカの黒人を差別し、アメリカの黒人は、アフリカの黒人を野蛮人と蔑んでいるなど、色ではない差別が何層にも重なっている(「非色」と言う言葉の由来)。
細かいことを言えば、幼少のメアリイがあまりにもヤングケアラーぶりがすぎること。
また、チュニジア人が黒人として描かれているが、チュニジア人ってアラブ人じゃないかな(黒人もいるのだろうけど)
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【まるで近未来SF】
なぜだか急に読みたくなって手に取った1冊。
この本が出版された当時、私はまだ小学生だったけど、親、主に母親が近所のおばちゃん達と話題にしていたことを覚えている。
それでもまだ母親世代の口調からは、「恐ろしい話だけれども他人事」のような気楽さが感じ取れたし、どこか怪談話を語っているような雰囲気でもあった。
でも今読んでみると、50年前に書かれたものとは思えないほどリアルな内容で、登場人物の年代に戦中体験者という描写がなければ、最近の話だと思ってしまったかもしれない。
そして(多少の改変はあるものの)現代とほぼ変わらない仕組みの各種老人施設がすでにこの時代にあったことにも驚いた。
認知症老人の処し方に悩む家族の負担や苦悩、超高齢社会への憂いを織り交ぜて書かれた社会派小説は今や正しく現実となっている。
共働き核家族世帯が圧倒的に多い中で、年老いて自立を失った親の処し方に悩み奔走するのも、行くべき場所が見つからなければ在宅介護を勧められるのも、50年前と何ら変わりがない。
若い頃に散々主人公を虐めた舅が認知症となり、実父を遠巻きに見ているだけの役たたずの夫を尻目に、葛藤を抱えながら介護に携わる昭子の善性に頭を垂れる思い。
私が同じ立場に置かれたら、いや、現実的にそれは自分の身にも遠からず起こりうることだけれども、あの境地にたどり着けるかどうかの自信は無い。 -
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ネタバレ50年以上前、自分の両親が生まれた頃のお話。
認知症ではなく「痴呆症」と呼ばれた時代で、それが進行すると、便を食べるなどの「人格崩壊(表現が違うかも)」に至るそう。
この時代、認知症をもつ方への理解も進んでいない中、仕事もしながらつきっきりで舅の世話をする昭子の献身ぶりには心を打たれた。その息子である敏も学業の傍ら、徘徊した祖父を探すなどの行動をとっていて偉いなと思った。
反面、昭子の夫の信利やその妹の京子は、自分の父が認知症になっても他人事で、世話を昭子に押し付けている態度が気になった。しかしこれは、「女が家庭を守るもの」という当時の価値観によるものだろう。また、老人福祉に関する専門家からは「家で過ごすのが一番。施設に入れると可哀想」という発言がみられ、世話をする家族のことは支援から外れていたのだと実感させられた。
今だったら昭子とその家族に対し、どんな支援ができるだろうか。私は地域保健に関わる職業に就いているが、それをずっと考えさせられた。 -
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ネタバレ『恍惚の人』は、認知症という言葉がまだ一般的でなかった時代に、「老い」と「介護」を真正面から描いた作品です。
舞台はごく普通の家庭。特別な不幸が起きるわけではありません。ただ、年を重ねた父が少しずつ変わっていく。その変化に、家族がどう向き合わされていくのかが、淡々と、しかし容赦なく描かれます。
印象的なのは、誰かが明確に「悪者」になるわけではないことです。
介護する側も、される側も、みな必死に「正しく」あろうとする。
それでも、苛立ち、疲弊し、思ってもいない言葉が口をついて出る。その現実が、非常に生々しい。
この作品が突きつけてくるのは、
「家族だから支えられる」という理想と、
「家族だからこそ壊れていく」という現実のあいだの、どうしようもない揺らぎです。
特に心に残るのは、介護が進むにつれて、
・本人の尊厳とは何か
・家族の生活を守ることは“冷たさ”なのか
・献身と自己犠牲の境界線はどこにあるのか
といった問いが、読者自身に突き返されてくる点です。
制度も、専門職も、十分に整っていない時代背景だからこそ、
「支え合いは美しい」という言葉の裏にある重さが、際立ちます。
そしてそれは、制度が整った現代においても、決して過去の話ではありません。
『恍惚の人』は、感動的な物語ではありますが、読後に残るのは“救い”よりも“問い”です。
それでもなお、この問いを避けずに見つめること。
それ自体が、老いと共に生きる社会への、静かな第一歩なのだと感じさせられます。
介護や支援に関わる人にとっては、自身の実践をふり返る鏡として。
関わりのない人にとっても、いつか必ず訪れる現実を、少し先取りして考えるための一冊として。
今なお読む価値を失わない作品です。 -
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ネタバレ戦後、進駐軍として日本に来た黒人軍人と結婚し、ニューヨークに移り住んだ笑子の物語。
黒人の子どもを日本で産み、疎まれ、アメリカでも貧困層として生きることを強いられる。
この小説で印象的だったのは、笑子が感情的ではない女性として描かれていることだ。
妬みや怒りがあってもおかしくない状況なのに、有吉佐和子はそれを内面描写として強調しない。
怒りは行動として表れることはあっても、心情としては淡々としている。
その距離感があるからこそ、この物語は
「差別される女性の悲劇」ではなく、
差別の構造そのものを描いているように感じた。
笑子は、黒人差別の本質は色ではなく「階級」だという考えに行き着く。
白人の中にも差別される階級があり、黒人もまた別の人種を見下す。
人種が多様でない日本にも、確かに階級は存在する。
彼女は日本人である自分を意識し続けるが、
あるとき「日本の淡い色」を残さない濃い桜を見て、
ニグロとして生きていくことを決意する。
印象的だった一文に、こんな言葉がある。
「私は、ニグロだ! ハアレムの中で、どうして私だけが日本人であり得るだろう。
私もニグロの一人になって、トムを力づけ、メアリイを育て、
そしてサムたちの成長を見守るのでなければ、
優越意識と劣等感が犇いている人間の世間を切拓いて生きることなど出来るわけがない」
差別は環境だけで生まれるのではなく、
その環境が人に植え付ける意識が負のループをつくり、
そこから立ち上がろうとする力を奪ってしまう。
ニグロの妻として生き、ニグロの子どもを育てることを引き受ける決断は、
笑子なりの差別への向き合い方であり、
次の世代にはその構造に抗う力を持ってほしいという願いだったのではないかと思った。
感情を最小限に描いたからこそ、
笑子が差別を観察し、考え、選び取っていく過程を読者は冷静に追うことができる。
この本を通して、差別を「感情」ではなく構造として見る視点を得られた気がした。 -
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タイトル「非色(ひしょく)」=「色に非ず」とは、どういう意味なのかなあ・・・と疑問を抱きながら読み進めて、最後のところで笑子の気づきとともに、ようやく分かりました。アメリカの人種差別は、肌の色ではなく「階級闘争」なのだということでした。
笑子は、戦後、黒人の米兵・トムと結婚し幼子を連れてニューヨークに渡りました。アメリカには、様々な人種が存在し、笑子のような「戦争花嫁(ワーブライド)」は、結婚相手の人種によって社会的な差別や圧力を受けていました。初対面の人に「夫はニグロだ」と告白した瞬間から蔑みの対象にされてしまいます。
しかしながら、ニグロとして社会から差別の対象とされているトムは、プエルトリコ人に対して自分より劣っていると言い放ち蔑視しています。そして、同じ黒い肌であっても、アフリカ人はアメリカのニグロを蔑視し・・・そんな差別の連鎖が存在しています。
読み進めながら、人間って自分より劣る者の存在を確認することで、自らの立ち位置を守っていこうとする生き物なのだろうか…と、悲しい気持ちになりました。
それでも、最後に笑子が辿り着いた心の境地に、私は思わずエールを送りたい気持ちになりました。
「非色」は、戦後まもない時代のお話だけど、現代にも通じる社会の課題を実感しました。