有吉佐和子のレビュー一覧
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ネタバレ有吉佐和子の著作、自分にとって、青い壺から二冊目。
ネタバレなしで読み始める。こういう古い小説って、帯や裏表紙にあらすじという名のゴリゴリネタバレ書いてありがちだからな…
花という新婦、その祖母の豊乃の、昭和どころか明治のやりとりから始まる。
ものすごい量の嫁入り道具を持って紀の川を船で下って、六十谷に嫁入りしていく。この時代でもさすがにここまでの嫁入りはそうそうないらしいが、今はそもそも嫁入り道具というものすら存在しないんだもんな。明治三十年と今でここまで変わるのかぁ、と思ったけど、明治三十年って1897年、もう100年以上余裕で前なんだな。100年経てばさすがに変わるか。でもまあ、ここ100年での文化の変わりようが凄まじいとは思うけど。
舞台はもちろん和歌山。紀ノ川はもちろん、六十谷や真砂町など、電車やバスで通ってきた地名や、和歌山城も出てきてさすがの地名知らずな自分でも、きちんと脳内地図が機能していた。
そして全編ゴリゴリに和歌山弁。いや、自分の知っている和歌山弁ではなく、京都感すらあったけど。~しましたよし、~のしなど、「し」で終わるのは今は聞いたことない。エリアは同じなんだけどな。時代で消えていったのだろうか。
花は結構しっかりと学校は行ったものの、基本的には花嫁修業しかしてない。祖母や婿の言う事には従う。「家」を守ることを第一に考えて動くというのがこの時代の「正しい」女性像。
第二児が女の子だったのを、「おなごかい」と露骨にがっかりする旦那。ひえー。
その頃は当たり前だが、今となると時代錯誤も甚だしい、となってしまう文化。
物語を物語として楽しみたいのに、アップデートされてしまった自分の価値観が邪魔をする。そういう時代だったんだから!そういうものとして受け止めるんだ、自分!
でも、嫁入りまではデートどころか顔を見たのも一度、祝言の夜に初夜を迎え、親類たちはみなすぐそばで酒盛りをしながらそれを把握している、というのはやはり気持ち悪さを覚える。謎の文化だ、昔の結婚。いつから、そしてなぜこんな文化が始まったんだろうな。
とは言え、そういう昔の女性像、家の形だけを描いたのではなく、花の娘たち、特に文緒がとにかくその昔の女性像に反発していき、花がそれに困惑し続けるというのが面白い。でもその文緒は文緒で、生活自体は全部親におんぶに抱っこの状態で偉そうなことを言っているというのもまた、皮肉。
花の義弟である浩策さんが結構良いキャラをしていた。この時代はそういうものなんだが、長男である兄だけがとにかく優遇され、結婚式もそれはもう豪勢なものになっているのを妬む…というかなんというか。嫌なキャラではあるんだけど、ライバル感もあった。その浩策、最終章あたりで時代の移り変わりと共にイベント描写もなくスッと亡くなっていたのが切ない。メインキャラ以外は割と一行説明で消えていってしまう。
働くのは男子、子供も男子しか喜ばれない、でも家は女性が守るのが当たり前。そんな、今となっては歪んでるように思える社会で「女の強さ」を描く本作。花とその祖母が昔の女性だとしたら、その娘の文緒が割と強火で新時代に適応しようとして、更に文緒の娘、そして花の孫となる華子はそのハイブリッドみたいな感じ。
花が生卵をそのまま飲むシーンが何度か出てきて、毎回なんか印象的だったなぁ。 -
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耄確している父親は、信利がこれから生きて行く人生の行きつく彼方に立っている自分自身の映像なのだという考えが、払っても払っても頭の中から消えない。老いるということの極は、これか、と思う。それは死よりも昏く、深い絶望に似ている。
「昭子さん、小便が出ますよォ、小便をしたいですよオ」いつものように起されて、庭で用を足させながら、こうなるのは嫌やだなあとつくづく思った。現在こうして面倒を見ていることよりも、三十年、四十年先に自分がこうなるのは嫌やだという思いの方が遥かに強い。
もともと老人は、希望とも建設とも無縁な存在なのかもしれない。が、しかし、長い人生を営々と歩んで来て、その果てに老耄が待ち受けているとしたら、では人間はまったく何のために生きたことになるのだろう。あるいは彼は、もう終った人間なのかもしれない。働き、子孫を作り、そして総ての器官が疲れ果てて破損したとき、そこに老人病が待っている。癌も神経痛も痛風も高血圧も運よくくぐりぬけて長生きした茂造のような老人には、精神病が待ちかまえていたのか。
本当よ、光子さん。私は世界中の人間が、これからどうするのかって思ってるの。
認知症の問題を、かなり多面的に表現。老人がどうなるか、世話はどうなるか、そして自分がいつかそうなるという危機感、そこに考えの至らぬ若さ。自分は親の老いを憂うが、40手前でも自分の老いにはまだ気が回っていない。自分の体力や健康に自信があるからか。でも親の介護が大変という感覚以上に、自分の老いを憂う感覚は新しい。
悲惨で陰鬱な認知症対応の前半から一転して、明るく「お戻りになる」構成がおもしろい。昭子の変わり身も含めて、あらゆる登場人物の立ち位置や考え方がおもしろい。決してエンターテイメント小説ではないが、おもしろく読めた。 -
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有吉佐和子の『非色』、今の時代にこそ刺さりすぎる。
「人間が生きていることを最低のところで支えているものは何か」
戦後、ニューヨークへ渡った主人公が見たのは、人種、経済、宗教……ありとあらゆるモノサシで「自分より下」を探し、安堵する人々の姿。正直、滑稽。でも、今の私たちも同じじゃないかな。学歴、年収、ルッキズム、結婚してるか、子が居るか。
属性を比べて「あの人よりマシ」と思っているうちは、本当の誇りなんて持てない。それは他人の土俵で自分を否定しているのと同じだから。
自分をラジカルなまでに受け入れる
泥の中でも、どんな属性の中にいても、「これが私だ」と自分を抱きしめる。その覚悟だけが、分断の壁をぶち破る唯一の武器になる。薄っぺらいプライドを捨てた先にしか、本当の自由はない。 -
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表紙のお二人。明らかに後ろ向きな大柄な女性と、叱咤激励する小柄な女性。
「非色」「青い壺」からなんとなく想像していた有吉さんの人物像と、このイラストのギャップが大きすぎて、即買いしてしまいました。
当時30代の有吉さんが、50年くらい前に訪れたニューギニアのジャングル。未開の地。
いまでも、なかなか勇気のいる場所なのに、なんの前情報もなく、「ええところやし、遊びにおいで」の誘いに乗って軽い気持ちで行ってしまったそうで。
爪は剥がれ、虫に群がられ、茶色い水を飲むしかない。
都会ですらタクシーにのる私が、なぜいくつもの山を越えた?なぜ虫だらけのこんな場所にいる?なぜ誰も止めてくれなかった?と自問、いや、文句たらたらから始まります。
そんな飾らない声がリアルで面白くて仕方なくて、本を読みながら(挿絵も見ながら)つい笑ってしまいました。これが文章力かあ!私が書いたらただの愚痴になるだろうに。
いやー、面白かった。このお二人が大好きになったし、文明化とはなんだろうと考えさせられもした。
有吉さんの本を読み直してみよう。
人柄を知って読むとどう変わるだろう?
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有吉佐和子ってストーリーテラーなんだなぁと改めて思った。
1964年に刊行された本であるが、古くささを感じることなく一気読み。
差別という難しいテーマを扱っているのだが、終始、重苦しくなることなく、読み終えた。
戦後、GHQの黒人兵と結婚して幼い子メアリイを連れて、ニューヨークに渡った笑子(えみこ)だが、待っていたのは貧民街ハアレムの半地下アパートでの生活だった。
そんな最底辺のような生活を送る黒人だが、プエルトリコ人を激しく差別する。
白人の間にも、イタリア人差別、ユダヤ人差別などがあり、戦争花嫁(ウォーブライド)として日本から渡ってきた日本人女性はアメリカに来て初めてそれに気づくのだった。
そして、アフリカの黒人はアメリカの黒人を差別し、アメリカの黒人は、アフリカの黒人を野蛮人と蔑んでいるなど、色ではない差別が何層にも重なっている(「非色」と言う言葉の由来)。
細かいことを言えば、幼少のメアリイがあまりにもヤングケアラーぶりがすぎること。
また、チュニジア人が黒人として描かれているが、チュニジア人ってアラブ人じゃないかな(黒人もいるのだろうけど)
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【まるで近未来SF】
なぜだか急に読みたくなって手に取った1冊。
この本が出版された当時、私はまだ小学生だったけど、親、主に母親が近所のおばちゃん達と話題にしていたことを覚えている。
それでもまだ母親世代の口調からは、「恐ろしい話だけれども他人事」のような気楽さが感じ取れたし、どこか怪談話を語っているような雰囲気でもあった。
でも今読んでみると、50年前に書かれたものとは思えないほどリアルな内容で、登場人物の年代に戦中体験者という描写がなければ、最近の話だと思ってしまったかもしれない。
そして(多少の改変はあるものの)現代とほぼ変わらない仕組みの各種老人施設がすでにこの時代にあったことにも驚いた。
認知症老人の処し方に悩む家族の負担や苦悩、超高齢社会への憂いを織り交ぜて書かれた社会派小説は今や正しく現実となっている。
共働き核家族世帯が圧倒的に多い中で、年老いて自立を失った親の処し方に悩み奔走するのも、行くべき場所が見つからなければ在宅介護を勧められるのも、50年前と何ら変わりがない。
若い頃に散々主人公を虐めた舅が認知症となり、実父を遠巻きに見ているだけの役たたずの夫を尻目に、葛藤を抱えながら介護に携わる昭子の善性に頭を垂れる思い。
私が同じ立場に置かれたら、いや、現実的にそれは自分の身にも遠からず起こりうることだけれども、あの境地にたどり着けるかどうかの自信は無い。 -
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ネタバレ50年以上前、自分の両親が生まれた頃のお話。
認知症ではなく「痴呆症」と呼ばれた時代で、それが進行すると、便を食べるなどの「人格崩壊(表現が違うかも)」に至るそう。
この時代、認知症をもつ方への理解も進んでいない中、仕事もしながらつきっきりで舅の世話をする昭子の献身ぶりには心を打たれた。その息子である敏も学業の傍ら、徘徊した祖父を探すなどの行動をとっていて偉いなと思った。
反面、昭子の夫の信利やその妹の京子は、自分の父が認知症になっても他人事で、世話を昭子に押し付けている態度が気になった。しかしこれは、「女が家庭を守るもの」という当時の価値観によるものだろう。また、老人福祉に関する専門家からは「家で過ごすのが一番。施設に入れると可哀想」という発言がみられ、世話をする家族のことは支援から外れていたのだと実感させられた。
今だったら昭子とその家族に対し、どんな支援ができるだろうか。私は地域保健に関わる職業に就いているが、それをずっと考えさせられた。 -
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ネタバレ『恍惚の人』は、認知症という言葉がまだ一般的でなかった時代に、「老い」と「介護」を真正面から描いた作品です。
舞台はごく普通の家庭。特別な不幸が起きるわけではありません。ただ、年を重ねた父が少しずつ変わっていく。その変化に、家族がどう向き合わされていくのかが、淡々と、しかし容赦なく描かれます。
印象的なのは、誰かが明確に「悪者」になるわけではないことです。
介護する側も、される側も、みな必死に「正しく」あろうとする。
それでも、苛立ち、疲弊し、思ってもいない言葉が口をついて出る。その現実が、非常に生々しい。
この作品が突きつけてくるのは、
「家族だから支えられる」という理想と、
「家族だからこそ壊れていく」という現実のあいだの、どうしようもない揺らぎです。
特に心に残るのは、介護が進むにつれて、
・本人の尊厳とは何か
・家族の生活を守ることは“冷たさ”なのか
・献身と自己犠牲の境界線はどこにあるのか
といった問いが、読者自身に突き返されてくる点です。
制度も、専門職も、十分に整っていない時代背景だからこそ、
「支え合いは美しい」という言葉の裏にある重さが、際立ちます。
そしてそれは、制度が整った現代においても、決して過去の話ではありません。
『恍惚の人』は、感動的な物語ではありますが、読後に残るのは“救い”よりも“問い”です。
それでもなお、この問いを避けずに見つめること。
それ自体が、老いと共に生きる社会への、静かな第一歩なのだと感じさせられます。
介護や支援に関わる人にとっては、自身の実践をふり返る鏡として。
関わりのない人にとっても、いつか必ず訪れる現実を、少し先取りして考えるための一冊として。
今なお読む価値を失わない作品です。