有吉佐和子のレビュー一覧
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ネタバレ評価は5.
内容(BOOKデーターベース)
一流会社勤務の夫の転勤に伴い、東京で憧れの社宅暮らしをスタートした音子。喜びも束の間、社宅内の人間関係に振り回されてゆく。一人息子・悟の教育問題、見栄と欺瞞に満ちた主婦同士の情報戦に追い詰められ、焦った音子は愚かな行動に出るが―痛烈な人間描写、現代のドラマが大迫力、傑作長編エンターテインメント。
親は、子どもの地位=自分の地位と勘違いしてしまうし、子どもの勉強が出来れば、親の理想通りに進めば親のストレスはすごく減る。でも、本当は健康で元気ならOKなのだが・・そんな暇な母親の日常をつらつらと綴った話だったがやはり大作家!面白かった。 -
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【絶えて,続いて】日系二世の米国人と結婚したことを端緒として,地唄の名人であり師でもある父・菊沢寿久から勘当された邦枝。父への思いを断ち切れないまま,渡航の期日が迫ってくる中,寿久の側は,娘に対する嫉妬にも悲しみにも似る感情を抱いていた......。伝統の隔絶と継承を描いた長編小説です。著者は,『悪女について』,『恍惚の人』等で知られる有吉佐和子。
戦後急速に広がった世代間の価値観の溝,そしてそれに伴う感情面のもつれやすれ違いを丹念に綴った作品だと感じました。ラストに近づくにつれてそのトーンが明るくなるところに,有吉女史の願い,さらに言ってしまえば意気込みのようなものを感じました。
〜簡単に言えば,老人と若者との繋りなのだ。何が結び合えるか,何が断絶するか--瑠璃子は省みて,彼女が寿久の身近で模索していたのは,このことであったのだと思う。芸の継承ではない。生命の継承なのだ。幾世代に濾過されて,そのかみの人々のいのちは,今日どのように伝わるのか--それを考えていたのだと思う。〜
本作を贈ってくれたAさんに感謝☆5つ -
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この本は 昭和40年代後半から50年代前半 朝日新聞に掲載された連続小説で当時社会問題となっていた環境汚染をうまく伝えている。当時話題の小説だったわけで 自分が育った時代 戦後の高度経済成長期の真っただ中 複合汚染の中だったことに検めて知って驚く。 自分がこんなに無知だったとは・・・。あらゆる分野の環境問題に気付いたとき真っ先に読むべきだった。
出だしが選挙運動から始まって、バン!っと目に飛び込んできた 「 複合汚染 」といういろんな環境汚染が重なり合った言葉は衝撃だった。中身を読むまで複合汚染という重たくて暗いイメージがある言葉だけをみるのと、読み始めると有吉さんの軽快な文章とはギャップがあってよけいにこの言葉が強くインパクトを受けました。いち消費者としてあらゆる環境問題にたくさんの疑問を持ち 知ろうとする有吉さんと、読者も同じ目線で読めるのでこれはとても読みやすかった。この本読んだ後は まともな生活がしたくて 普段使用している 日用品食料品が使えなくなりそうで添加物や化学薬品を使っていない自然素材や天然ものや 無添加製品 など安全性を求めてしまうので とても生きにくくなるなぁと思いました。 本来はそうであるべきなのにまともに暮らせなくりそうで怖い。
この本を読んで思ったのは、環境問題に関心のない人ある人。また 特に農業する人、家庭菜園する人、農に携わる人は最初に読んだほうがいいと思いました、なぜ自然栽培がいいのか、なぜ、農薬や化学肥料がダメなのか、なぜアレルギー疾患がふえたのか、自然環境が著しく悪化しているのか、日本の農業はダメなのか、 マニュアルな自然栽培や有機栽培の本を読むより、高額なセミナーを何回と受講して聴くよりもまず読めばありとあらゆることが理解できることでしょう。昭和40年代後半の社会問題となっていた環境汚染について書かれていますが、現代にもあてはまり、40年経った今も実際起きていることが通用するくらい新鮮さを感じます。反対に何一つ問題は解決されていないままであることも。 レイチェル・カーソン著 「 沈黙の春 」の日本版といってもいい。それ以上に今からでも社会を変える力のある本だと思います。40年前と違うのは 環境問題に関心を持って動いている人が少しづつ増えて変えていこうとしている人がいること。 日本の出来事だから、これまでの日本の姿がわかり、これからの日本の在り方を示唆している。 きっと多くの人に受け入れる内容だと思います、たくさんの人に今こそ受け入れられたら日本を変えることができそう。沈黙の春はよく知られているのにこの本はなぜあまり知られていないのだろう。自分が知らなかっただけかもしれない。
この本は小説としてではなく。 農業を始めたい人、始めた人、あらゆる農業関係者、また食に関心ある方にはきっとバイブルとなる本です。
今一度拡まって欲しい本です。
唯一残念なのは有吉佐和子さんが故人であること。
生きておられたら当時と変わっていない日本を見てどうおかんじなったことだろう。生きておられればもっと環境問題に関心を持つ人が増えていたと思う。 -
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ネタバレ私、たぶんこれを学生時代に読んだ。気がする。そしてたぶん当時は自分から遠い話だったので、あまり感慨を抱かなかったと思う。こういう、女であることを意識させられる女性主人公のものは苦手だったし。
郁代は確かにどうしようもない母親だけど、突き放すこともできない朋子の気持ちがとても、分かる。
朋子が再三言うように、朋子に子どもができていれば、郁代との関係も変わっていたように思う。郁代が子離れできないのと同様、朋子も親離れできていないのだ。親はいつまでたっても子を子ども扱いするし、家にいれば子はいつまでも親に縛られるものだ…。
母親である美しい郁代に似ない自分を、朋子は恨みがましく思っていたようだけど、父親に似ていると言われたとき朋子はどう思ったのだろう。
郁代が朋子にべったり依存していたのは、一番愛した男に朋子が似ていたからなのだとしたら、夫に早く死なれた郁代もかわいそうな人だ。
いつまでも江崎を未練がましく思っている朋子に重なる。もし江崎にそっくりな子どもが生まれていたら、朋子はどうしていただろう…
生活の上で身に付いた着物の知識がないと書けないだろうな、という描写がなんだか素敵で、今はこういう文章がなかなかないなぁという気がする。 -
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すごい本だった。約40年前に発表された、環境汚染に関する本である。発表当時は社会にかなりの衝撃を与えたに違いない。
朝日新聞に連載され、小説という形態をとっているものの、作者の綿密な調査・研究に基づくノンフィクションである。日本人を取り巻く、大気、水、土の農薬や化学物質による汚染に警鐘を鳴らしているのだ。それぞれの分野に詳しい専門家に話を聞き、それを一般人の読者にわかりやすくするために、近所のおじいさんに作者が話して聞かせるという構成になっている。私たちは気づかないうちに、排気ガスや工場の煙で汚染された空気を吸い、汚染された水で育った魚を食べ、除草剤などの農薬がかかった野菜や米を、そして成長ホルモンや抗生物質が入った人口飼料で育った肉を食べている。人間の体に及ぼす影響はどうか。有害な物質から命を守る法律はどうなっているのか。
私が子どもの頃にはすでに、公害病の原因も分かり始めていたので、一般人の環境に対する意識はある程度高まっていた。この本の功績かもしれない。この本を著したとき、有吉佐和子氏はすでに作家として名前が知られており、影響力があった。現在は、世界レベルで環境を守る取り組みもなされていて、私が子どもだったころより、体感でしかないが、環境はよくなっていると思う。それにしても、本書にあるように、自然が本来持っている力には驚かされる。
この本が評価に値するのは、汚染をただ非難するだけでなく、解決策を作者なりに考え、一般市民が取り組めるアイデアを提示している点である。
環境保全を声高に訴えつつも、有吉氏本人が早逝してしまったのは残念としか言いようがない。 -
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驕り高ぶり余裕をみせると、蔦代のような女からは隙を衝かれる。阿弥八姉さんの言うとうり格が違うし本当に賢い人はこういう人を寄せ付けないし正子を本当に守ってくれてる人が側にいたら寄り付けなかったはず。正子も天涯孤独でそして若い時に贅沢三昧を覚えた芸者は堅気にはなれない。本人がその気でも世間はそんなに甘くなく特に女は敏感に感じとるので正子も蔦代と同じ世界の人間で蔦代の方では同類にしたい。つくづく友達選びは大事なのと女同士の驕りは命取りで、海千山千の修羅場をくぐった人を甘くみてはいけない。ラストは蔦代と絶交したとなっているが、正子も堅気の人とは本当には友達になれないし第一、話しが合わない。蔦代の方は迷いがないのでその分、悟り、極めれる。そして正子も真からの堅気にはなれないと蔦代は分かっているので、よっぽど堅い人と結婚しない限り一生続く関係になるのでは、、と思うと身も蓋もないので、芝桜の花が2つという描写で前向きに情緒あるラストは良かったです。母子変容に続きすごく面白かったです。
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天は二物を与えずという事で納得しておきたい一般人。美貌に恵まれた人はどんなに骨身を削って努力をしても外見でしか評価されない。中身を評価してもらいたい為にあえて外見を醜くする美人の話しは昔からある。それでも、やはり評価はされない。だから美貌に恵まれた人は一般人よりも強い精神力と教養と知恵がないと辛い。異性からは、どうあってもチヤホヤされるし甘やかされるので長い目でみると一般人より落とし穴にはまりやすい。人の倍ほど切磋琢磨していくか、いい結婚相手を見つける環境、目を養わないと人生に翻弄されやすい。古い書物だが久々に共感とともに気付きと母娘の根底に女としての性があり、やはり美貌に恵まれて生まれることは数奇な人生を歩みやすい事と、リアリティさと最後はホラーを感じほどの秀作でした。
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酒屋の箱入娘として育った茜は、17歳の頃、文楽の三味線弾きの弾く一の糸の響に心奪われた。
天真爛漫で一途な茜が、彼の後妻となり、芸道一筋に生きる男を支える、波乱万丈な愛と芸の世界を描いた物語。
戦前から戦後にかけて、「文楽」という私の知らない世界で、芸に生きる人々の粋な様子と、愛に生きる茜のひたむきさに引き込まれました。たくさん泣いたし、余韻がしばらく消えなそうです。
口下手で根っからの芸人で、なんて奴だと思うこともある徳兵衛だけど、理屈じゃなく茜が恋に落ちる瞬間、盲目にそれを追い掛ける過程を見ていると、何割増しにもいい男に思えてしまう。
実際、一芸に秀でている人、譲れないものがあって自身を磨き続ける人というのは格好いい。
それに、徳兵衛なりに茜に深い愛情があることが垣間見える場面では、きゅんとします。
登場人物は昔ながらの粋な人が多いですが、茜の母が中でも印象深いです。強く賢くたくましい女性。
一冊で人の一生が見える。時代の移り変わりを感じられる。
そんな一冊だからこそ、するりと時間が経過してしまう部分もあるけれど、行間には濃い時間が流れていて、その月日を思うと気が遠くなる程。
世間一般のルールとは違うかもしれないけれど、茜にも徳兵衛にも共通して自分のルールがあって、それを大事に守っているところが心に残っています。
世間に流されず自分ルールを守るためには、強くあらねばならないものですね。
文楽にも興味を持たせてくれる素敵な1冊でした。 -
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失礼なことですが、一方的に和宮に同情して作られた小説だと思っていました。政治の道具として利用された可愛そうなお姫さま、という短絡なイメージ。
それでも、和宮以上に道具とされたフキの有様に哀れみと悲しみ感じつつ読み進んで、入れ替わりなったときには、歴史小説ならではのおもしろさ、と唸っていたわけですが。
本当に心底唸ることになったのは、あとがき読んでからでした。
歴史小説ではなくて、歴史のおもしろさ。
何より、幕末という時代が、今と地続きであるということを感じることのできる作者の生きていた時代に、憧れ覚えます。歴史の記憶というものが、その時代の臭いと共に触れられる世代。
新装版として、復刊されたこと非常に嬉しく思います。
これだから、歴史好きはやめられないとまらないです。 -
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1950年代後半から1960年代に文芸誌に発表された短編の集成。当時としては超ベストセラー作家でありました。
小説って、これだよな。と、思うのです。収録の「孟養女考」にみえる(当時の)新しい中国の形、とか、「三婆」に見える封建的社会の終焉、だとか、「美っつい庵主さん」にみえる(当時の)新しい若い男女の関係、とか、そらぁ含まれるテーマ性というのは、ある。そういう社会情勢に即した作品読解、というのも必要な側面はあるでしょう。だが、そうではなくて。
「本妻と、妾と、実の妹が一人の男が急に亡くなった後どうやって生きていったか」(三婆)とか、「姪の子が尼寺に訪ねてくるんだけど、女友達かと思ったら男じゃないか―!」(美っつい庵主さん)などなど、そういう「読ませる」文藝として、今現在のシーンでもまったく引けを取るものではなかったのです。
妙なリアリズムにこだわるよりも、「これは小説なんだぜ!」と明確に打ち出しているところが、とても小説で、小説家としてのプロ意識だと思いました。
今読んでみて、ハッとするところがあると思います。 -
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この作品は、昭和49年に8ヶ月半にわたって朝日新聞の小説欄に連載されたものである。
そこから40年近く経っている現在、あまり状況は変わっていないように思い、愕然とする。
当時も著者のように、食品・環境汚染を危惧していた人がいたのに、どうして改善されないのだろうか。
例えば、ライポンFという台所用洗剤があるのだそうだが、1962年にこのライポンFを誤飲して、死亡した事件があった。裁判では、ライポンFが死亡の原因とは認められなかったようだが、毒性があるというのは大いに考えられることである。そして、50年経った現在でもこのライポンFというのは業務用のみだが存在するのだ。
また、現在では台所用洗剤には「万一飲みこんだ場合は、水を飲ませる、吐かせる」などの注意書が義務づけられている。つまり、飲んではいけない毒ということではないだろうか。その毒である洗剤を、我々は現在も使い(毒性の差は別として)川を汚し、海を汚している。
当時よりは環境に配慮した製品が作られているのかも知れないが、使い続けていれば、意味がない。
洗濯洗剤についても同様で、私たちは毒を垂れ流しているのである。
著者いわく、洗濯用洗剤より石鹸の方がより汚れが落ちるので、(現在はどうだか分からないが)クリーニング屋では石鹸を使っているそうだ。
洗濯用洗剤は白くなるものだから、汚れが落ちたように思うらしい。
主婦たちは、CMに踊らされて実を見ていないとの著者の意見には同意するとともに自分もその一人であったと反省した。
それと同じように、果物が腐らないことに疑問すら持たないことも商業主義の教育であり、刷り込みである。
京都の漬物屋さんは、「一人や二人の人間殺しただけでも殺人犯やの死刑やのと言われるのに、ようまあ毒が使えますな。そうですやろ、ハイジャックで刃物見せただけでも逮捕されるのに、店先に毒を並べていて、なんで犯罪にならんのでっしゃろ。他のお人の考えは分かりませんが、私は毒使って漬物つくっては御先祖さまに申訳ないので、毒は使うてません」と言い、「毒売って儲けとうはなかったんですわ」とそれまでの店を畳んで、別の場所で小売で商売をする決断をしたそうだ。
この良心が、国にもあれば問題解決はそう難しくないし、消費者もこのような感覚を忘れずにいなければならないと思う。
また、食により病気を治すという方針で診療をしている医師の言葉に
「いまこのあたりで七十五歳以上のお百姓さんは、今年は田ァから一石もらった、二石もらった、いや去年よりはもらえなんだという言い方をしますが、六十歳以下の人たちは、今年は田ァからなんぼ取った、取れなんだと言うのです。言葉が、もう違うてきてるんです。昔の人は自然を敬っていましたから、米でも野菜でも、自然からもらったのだと考えていました。田畑から作物を取るというのは不遜です。言葉の違いは精神の違いです」とある。
今の日本人も謙虚さにかけているから、自然に対し傍若無人に振舞っているのではないだろうか。
自然を汚すというのは、人間自らをも汚すことになるのであり、自然によって人間は生かされているのだということをもっと自覚すべきである。
当時と現在とあまり進歩が見られないことは残念だが、本書は環境や食の問題を非常に分かりやすく書いており、とても読みやすい良書である。
今後は、現状が良くなり、本書は過去の歴史という位置づけで読まれることを期待したい。