木田元のレビュー一覧
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木田さん自身おっしゃってますが、哲学者がなぜ哲学を学ぼうとしたのか。というところから話をした方が、とっかかりがいいのではないか?ということで書かれた本らしく大変面白かった。
哲学独自の言葉に言及された部分は笑ってしまいました。そもそも日本語の翻訳は、その日本語がさっぱりわからないことが多い。とか、わからないというのは、どうやらその前に読んでおかなきゃいけない本があるということだという点など、頷きます。私もなんども、行ったり来たりしながら参考本の哲学書読んでるので、ああ間違ってないんだと確信できてよかった。
大学1年目にまず、この木田さんの本を読んでから哲学に入るのもいいかも。しょっぱなから西洋哲学に入ると、嫌になっちゃいますからね。 -
Posted by ブクログ
「 事実彼は芸術こそが「生(レーベン)の本来的課題」であり、「生の形而上学的活動」だと言っております。してみれば、もっとも肉体的な機能でありまた肉体の機能の最高次の実現である芸術を認識の圧制から解放して復権せしめることこそが、ニーチェの目指したニヒリズムの克服の決定的方策だった、と見て良さそうです」 ー 234ページ
スピリチュアリティはロマン主義的であるという説はよく見られるけれど、最近の消費主義的なスピをロマン主義的と見做すことには抵抗があって、それは芸術的側面――つまるところ、他者のための美的表象――が欠けているように思えるからである。
みんなが芸術家になればいいというわけではないけれど、パフォーマンスという要素が抜け落ちたロマン主義は神秘主義であり、秘境主義に成る。もちろんそれが悪いわけではないが、訴求力という点ではやはり落ちるところがあるし、一般社会(なんだそりゃ)との融和を目指すのであれば、そのへんも文化の一要素として考慮に入れてしかるべきなのだろうと思う。 -
Posted by ブクログ
読み終わってから時間が経ってしまったので記憶がぼけてしまったり、理解が間違ってるかもしれないのでご了承を。哲学に疎い自分でも読めるように分かりやすく解説されてる本だった。同時代の人たち、詩人や哲学者との関係について紹介し、またナチスとの関連についても解説されている。当時は第一次大戦に敗北した極限的な状況だった。
ハイデガーの有名な著書「存在と時間」。この本は発表された当時、人々に大きい影響を与えたらしい。戦争中であったのでそういうことに敏感な人が多かったのだろう。
僕がハイデガーを勉強しようと思ったきっかけは、存在とはいったいなんなんだろうって疑問から。自分のことに自信がもてなくて、自分は一体なんなんだろうって悩んだりしてて、そういうことを教えてくれるものはないかなと思って。
でも、ハイデガーは、人間のあり方はどうあるべきか?ということを考えていたのではなく、むしろ「存在」とはなにかを探っていたのだという。表現が難しいのだが、「~デアル」と「~ガアル」の違いだとこの本では述べている。 難しく言うと、事実存在と本質存在の違いだという。哲学史上、いろいろな考えの哲学者がいたが、プラトン的な考え方とアリストテレス的な考え方がある。プラトンとしては、なにか純粋的な概念があり、それをもとにしてモノが存在する、と考えていた。アリストテレスは、なにかモノが先にあり、それがしめす性質があるという考え方だ。ハイデガーによるとモノは被制作物であるという。なにか純粋的な概念な概念があり、その概念をもとにだして創りだしたのがモノだと。英語のcreatureはcreateから来ているように。そして、一見相反するようだが、アリストテレスも実はこの考え方だといっている。しかし、こういった事実存在と本質存在という区別化は本当の自然(ピュシス)を忘却してしまうことであるらしい。ピュシスは英語のnatureに相当する単語らしい。natureといえば、自然であるが、nature of …という用例だと~の本質という意味にもなるように、本質という意味が近いのかもしれない。ハイデガーはこの形而上学の存在の区別の克服を目指していたが解決できなかったらしい。ちょっと自分の理解が怪しい範囲になってきたのでここまでで…
あと、後期の芸術論についても述べてあった。思索とはつまり創造すること、createすることで、芸術の本質とはそういうことだということが書いてあった。芸術作品の中に世界をcreateすることが本質だと。詩作も思索であるとかだじゃれっぽいことを言ってたり(違 ここらへんも誤解してるかも
こうまとめてみると、ハイデガーの思想をとてもわかりやすく解説してあるいい本だったけど、自分の中でちゃんと噛み砕けてないなあと痛感。またの機会に借りなおしてよもうかな。 -
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戦前から戦後、現代に至るまで各分野の知の巨人らが述べた良書である。
多様な著者の文学研究以外の物理学や法学、社会学など様々な研究で得られた知見と知のバトンを次世代に受け継ぐ本である。
興味があれば、中学生からでも読み始めている人は多いだろう。研究者とは「研究しない自由はない」と本著で述べている通り、全ての学問に対する研究に責任があると説く。第一線で活躍していた研究者の言葉を聞き、現代の価値観や様式、世界規模での情勢をその時の生きた時代の研究者へバトンは渡され、人類は発見と修正を繰り返しながら前に進んでいく。世界は広い、本著でも紹介されきれない研究者は山ほどいるだろう。そして、今生きる現代の次世代の優れた研究者も生まれ始めているだろう。この連鎖は昔も今も未来も変わらない。
研究ということを人類が放棄しない限り、未来永劫続くだろう。
本著は主に今研究している人とこれから研究者になろうとしている次世代への期待を込めた良書であり、知的発見と好奇心をくすぐられる内容となっている。研究という中だけでは留まらず社会貢献をしてその研究が生活に浸透したとき、誰かの心に知的好奇心に響いたとき、研究という知の結晶のバトンは繋がれていくのだ。 -
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題名はさておき、本書は哲学の有用性(あるいは無用性)について書かれた本ではない。むしろ木田元という哲学者の半生を振り返った自伝としての性格が強い。ただし、哲学という学問が個人の人生にどのような意味を与えたかという視点から読むことは可能であり、役に立つか立たないかだけを尺度とする価値観へのアンチテーゼへと敷衍することもできる。
内容で言えば、ハイデガーはもちろん、フッサールやメルロ=ポンティなどの思想にも触れているが、予備知識がなくとも理解できるよう配慮がなされている。人生論的な切り口でありながらも、ハイデガー哲学を前期と後期に分けて考える一般的な見方とは一線を画し、一貫した存在論的な思想として捉えた独自のハイデガー観成立の契機を垣間見ることができ、思索の足跡を辿る意味でも興味深い。 -
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本書に掲載された最終講義について一言ずつ。
桑原武夫…仏文学者以上に隲蔵さんの子息、というイメージが強い。垣根を越えた研究という事では共同研究も論語の著作も同じなのかも知れない。
貝塚茂樹…大学者一族の一角、湯川秀樹は弟。東洋史学者の模範的な最終講義だと思う。
清水幾太郎…60年安保前後で言論が大きく変わった、という印象の人だが、コントに興味を持つ面白い講義だった。
遠山啓…存じ上げない方だったが、数学論がほんのちょっと分かった気がした。
芦原義信…ゲシュタルト心理学から都市空間を観るのは面白い。
家永三郎…教科書検定裁判の人、として子供の頃から名前は知っていた。大人になってから読んだ戦争責任は興味深かった。
猪木正道…独裁とは、その独裁を必要としないような状態を作る為の非常手段である、か。
梅棹忠夫…民博の父。関西のアカデミズムを代表する1人。
江頭淳…慶応と奥さんが大好きな人だったんだな、と思う。奥さんを亡くして生きる糧を見失ったのか。
木田元…ハイデガーがほんのちょっと分かった気がした。メルロ=ポンティという響きが何か好き。
加藤周一…在校生だったのに何故この最終講義の存在を知らなかったんだろう…
中嶋峰雄…この方も存じ上げなかった。文明の衝突論を批判しているが、ここに来て又衝突論の有用性が唱えられている。難しい。
日野原重明…おじいちゃんアイドル、というイメージが強すぎたが、後生に残る医学者なんだよな。
ジュンク堂書店大阪本店にて購入。 -
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ネタバレハイデガー関連の書籍初挑戦。にしては、木田元著作のものを選ぶのは無謀だったかな、と読み終えた後の理解度を鑑みて少し後悔している自分がいる。
そうはいっても、諸学者向けの網羅的な作品としてではなく、ハイデガーの「存在の思索」に思い切って焦点を絞った作品として自分の心づもりを変換すれば大変興味深い読書体験ということができる。本書の内容を要約するには力及ばず、なので付箋をした過去の自分を信じ引用箇所にコメントするに届め、個人的なおさらいとさせていただこう。
<存在了解>という用語の説明。<存在企投>という用語に言い換えているが、観念的な話でどうもふわふわとして腑に落ちない難解さがあるな。
P83:<存在企投>とは、現存在がいわば<存在>
という視点を投射し、そこに身を置くことだと考えればよい。つまり、<存在>とは現存在によって投射され設定される一つの視点のようなものであり、現存在がみずから設定したその視点に身を置くとき、その視界に現れてくるすべてのものが<存在者>として見えてくる、ということである。
ハイデガー流の「現象学」の定義。私はもちろん、現象学に対しても学びが足りないので、へーそうゆうものかという程度の感想で不甲斐ない。
P99:<存在>というものがけっして存在者に属する何かではなく、人間において正起するある働きだということを原理的に解き明かし、その働きを体系的に解明することが現象学の使命だと言っているのである。
アリストテレスとプラトンの存在概念を対比させながら、その二つの起源的な根源的存在を解き明かさねばならないというののがハイデガーの主張だと理解。プラトン・アリストテレス解釈のまとめとしては以下の引用か。
P124:古代・中世・近代にわたる伝統的存在論のうわべの多様性が解体され、そこにはプラトン/アリストテレスのもので形成された<存在>概念がさまざまに歪曲されながらも一貫して受け継がれていること、そしてそれが<存在=現前性=被制作性>という存在概念であることがみごとに明らかにされる。
前期の<存在了解>から後期の<存在の生起>への「思索の転回」。「存在」というものが現存在(人間)が主体か、自然が主体かの重心の変化かなと理解。
P143:この転回を、<現存在が存在を規定する>と考える立場から<存在が現存在を規定する>と考える立場への転回ということができるのかもしれない。
ハイデガーによるプラトンの存在論への評価。繰り返しになるが、これ以降本書内でアリストテレスと対比されている。
P164-165:つまり、存在を自然として捉える立場と、存在をイデアとして捉える立場は、<存在する>ということを<発言し現れ出る>ことと見る点では違いはないのだが、ただその視線を向ける先が違うのである。前者はあくまで現れ出て存続しつつあるその動きに目を向けるのに対し、後者はすでに現れ出たものが外からをそれを注視する働きに対しおのれを提示するその姿だけに目を向け、これを超自然的存在に高めてしまう。こうして、後者の視線のもとでは、。その目撃される存在の外観によって示されるその「何であるか」、つまり<本質存在>が表立ってきて、それに対して、それから取り残されたものとして<事実存在>が区別される。
プラトン/アリストテレスの存在観の対比を端的に述べている個所。ここから始原の単純な存在=自然としての存在が押しやられ、忘却されてしまう「故郷喪失」という時代が今なのだとうまとめかな。
P173:つまり<被制作性>と同義である。ただ、その際プラトンは、その作品がいかなる<外観>を提示し、<それが何であるか>にもっぱら目をとめ、つまりはその制作を導いてきた<イデア>の現前性に優越的な存在を認めたのに対し、アリストテレスは、あくまで個物が作品として眼前に現れ出ているその現前性、<それがある>としての現前性、<現実態>としての現前性を第一義的なものと見るのである。
後の章で技術・芸術論に踏み込んでいるが、ここはより詳細な説明を求むかな。著者本人も概略だけを説明するに留めるてきなことで、簡便なものにまとめているので。 -
Posted by ブクログ
平易な文章で書かれているが、内容は難解。
淡々と語られるのと、ひとつひとつのテーマが大きいので、一気に読んで消化不良を起こした。正直理解しきれなかった部分も多いが、金言も多い。
巻末におすすめの入門書がまとまっているので、もう少し勉強してから再読してみたい。
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徳を望むのはばかげている。卑劣漢であるか、義人であるか、それを選ぶのはきみであり、ただきみだけにかかっている。まさにきみの値打ちは、きみがなにを望むかによって決まる。
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道徳は、一人称において語られるかぎりでのみ正当だ。
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ある行為がよいものなのか非難されるものなのか知りたいとしよう。それなら、だれもが自分と同じようにふるまったらどうなるかを自問してみればよい。