あらすじ
江田島の海軍兵学校で終戦を迎え、あてもなく焼け跡の東京へ。テキ屋の手先や闇屋をしながら、何があっても食べていける術は身につけた。しかし、いかに生きるべきかという悩みは深まるばかりの青年期。ドストエフスキー、キルケゴール、やがてハイデガーの『存在と時間』に難問解決の糸口を見出す。それから半世紀以上を経て、はたして答えは見つかったのだろうか──。八十歳を迎えた哲学者が、波瀾の運命をふり返りながら、幸福、学問、恋愛、死生観までを縦横に語る。著者は哲学の勉強をはじめるまで、農林専門学校に通うなど、さんざんまわり道をしてきた。そしてハイデガー思想を理解したいために、カントやヘーゲル、フッサール、メルロ=ポンティという具合に何十年もまわり道をした、と言う。しかし、まわり道をしたからこそ、新しい道が開けてきたのだと思う、と回想する。思いきり悩み、迷いながらも、力強く生きることの大切さを教えてくれる好著である。
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Posted by ブクログ
役に立つか立たないかではなく、その経験を生かせるか生かせないかは本人次第。これは何でも同じだと思う。
哲学そのものではなくてもそれにかかわってきたことが著者にとっては生きるための役にたち、そのように生きてきたことを楽しめている。
自分もそのように思えるように生きたい。
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題名はさておき、本書は哲学の有用性(あるいは無用性)について書かれた本ではない。むしろ木田元という哲学者の半生を振り返った自伝としての性格が強い。ただし、哲学という学問が個人の人生にどのような意味を与えたかという視点から読むことは可能であり、役に立つか立たないかだけを尺度とする価値観へのアンチテーゼへと敷衍することもできる。
内容で言えば、ハイデガーはもちろん、フッサールやメルロ=ポンティなどの思想にも触れているが、予備知識がなくとも理解できるよう配慮がなされている。人生論的な切り口でありながらも、ハイデガー哲学を前期と後期に分けて考える一般的な見方とは一線を画し、一貫した存在論的な思想として捉えた独自のハイデガー観成立の契機を垣間見ることができ、思索の足跡を辿る意味でも興味深い。
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ご自身の幼少から、哲学に没頭していった大学時代、そして現在に至るまでを書かれた本。
タイトルの「哲学は人生の役に立つのか」という問いについて、ご本人は「おわりに」の中で以下のように答えられています。
はじめにも言いましたように、「人生の役に立つ」ということが、世のため人のためになるという意味なら、やはり私には哲学が役に立つものだとはとうてい思われません。しかし、もしそれが私自身の人生において救いになったか、ということなら、確かに私は哲学に出会うことによって救われた、と言っていいところがあります。ですから、哲学は役に立ったと認めざるを得ないでしょう。」
これは、本当に素直に書かれたことなんだろうなぁと感じました。
少なくとも、「~は絶対だ」と言われるよりは、よほど「あぁ、哲学をしてみたいなぁ」と思えます。
*
哲学とは、「学ぶもの」なのだろうか、「するもの」なのだろうか、という疑問が、この本を読んでいて湧き上がってきました。
そこで別の本を開いてみると、一番最初にカントの言葉が目に飛び込んできました。
「哲学を学ぶことはできない。哲学をすることを学びうるだけである」
あぁ、やっぱりそうなんだなぁ。哲学は「する」もので、学ぶものではないんだなぁ。
では、「哲学する」とはどこから始めればいいんだろう・・・?
*
この本を読んで、表層的な面をとらえると、「語学を学習する方法」や「回り道をしてひょっこり出てきたところにまた新たな道ができた」という話などが得られる。
しかし、そんなことをこの本から学んでもそれはそれであって、もっと深いところを学ばなければいけないんじゃないだろうか?
それは果たして、何なのだろうか・・・?
そういう感じを持った本でした。
全然すっきりしないので、★4つ。
Posted by ブクログ
タイトルに惹かれて買った本
内容にはそれほど期待はしていなかったのだが、意外と面白かった
ある意味幸福論的な内容で、大半の部分が著者の生涯を書いたものとなっている。
結論としては好きなことをしろってことでしょうか
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まあ斯界では知らぬ者のいない超ビッグネーム。
こういう余技で書いたとも言えぬだらだらエッセイ本も、それはそれで味わい深いのではないでしょうか。
Posted by ブクログ
現象学やハイデガーの研究で知られる著者が、自身の生涯を振り返りながら、若い読者に向けて人性について語った本です。
終戦直後にはテキ屋で働き、農林専門学校に入学するもほとんど勉強せず遊んでばかりいたのが、ドストエフスキーの文学に出会いハイデガーの『存在と時間』を読みたいという一心で猛勉強し、東北大学で哲学を学ぶようになる経緯は、類まれな生涯というほかありません。
そんな著者ですが、「やりたいことが分からない」という若者たちに対して苦言を呈するということはありません。ただしそれは、「優しさ」というよりも「おおらかさ」といいたくなるようなまなざしで、巷の若者論とはかなり違う印象を受けます。
Posted by ブクログ
著者の語学習得のコツを改めて知りたいと思い読みました。でも本書の後半は人生一般(恋愛、仕事、子育て、死)について記してあるので、読んで良かったなと思いました。基本的にこの著者はどの本を買っても(哲学専門書を除けば)、大概書いてあることは一緒なので、もし読むのであればどれか気に入った本一冊を読めば十分かと思います。僕も大学院時代にこの人の本を何冊か読んだことがありますが、やはり内容はあまり変わりませんでした。
僕の勝手な持論ですが、自分が麻雀をすることもあり、作家にしても学者にしても芸能人にしても麻雀をする(していた)人は何となく信用がおける。「何か好きだな」って、特に本を読んでて感じる著者の人は、麻雀をしていた人が多い。僕の指導教員もそうだし、この著者もそうだ。「教授なのに、勉強ばっかりしてないで(麻雀などをする)、遊び(余裕)を知っている人なんだな」という感じがするから。
この著者は高校時の英語はもちろん、大学1年時に独語、2年時にギリシヤ語、3年時にラテン語、大学院1年に仏語を習得した人で、各外国(古典)語を習得する過程が凄まじい。やはり語学は繰り返し、そして短期間集中なんだと改めて思う。それができなきゃ苦労しないけど。
本書の後半が、恋愛、仕事、子育て、死について著者が思うことをエッセイ風に書いている。
・愛について
愛についてギリシャでは「エロス」、「アガペー」、「フィリア」という3つの語があり、特に「エロス」とは「まだ自分のものになっていないものを何とか手に入れようと、どこまでも追い求めていく愛」だそうで、「フィロ(愛)ソフィア(知)」は「知」が自分のものになっていないからこそ、それを何とか自分のものにしようとすることで、知を愛し求める以上、「愛知者」はまだ知を所有していないわけで、それが「無知」を自覚する(有名な「無知の知」です)ことだ、との記載に「なるほど」と、改めて感じました。そして、今まで意味がよくわからなかった『惜しみなく愛は奪ふ』という語句の意味が腑におちた感じがしました。
・仕事について
著者は「働かなくてはいけない」というのは、脅迫観念ではないか、と問う。自分が好きなことをして、最低限食べていけるだけのお金があれば、それで良いじゃないか、と提言する。70歳以上でこういうことを言える人ってほとんどいないんじゃないだろうか。
・子育てについて
親は子供が好きなことを見つけるのを見守り、好きなことを見つけて、その対象に夢中になれば、それを応援するだけで良い。何かを押し付けるものではなく、子供の自発性に任せるべきだという。
・死について
著者は自分が研究してきたハイデガーの考え方より、サルトルやメルロ=ポンティに共感を覚えるという。
ハイデガーは「死とは、現存在(=人間のこと)がこれ以上存在できないという究極の可能性」と言っている一方、サルトルは死は「可能性」なんてものではなく、「私の誕生が選ぶことも理解することもできない不条理な事実であるのと同様、私の死、つまり私が死ぬということも、理解したり、それに対処することなどできない不条理な事実」であると解している。
死についてのハイデガーの分析に僕は影響を受けてるし、唸る。でも人生を考えた時には、僕はサルトルに共感を覚えるのだ。
生も死も不条理であり以上、どうやって生きていったら良いのか、(自殺しないのであれば)存在し続けないといけないという苦しみは20代前半から消えることがない。
・余談
ニーチェと妹の仲について疑問に思っていたが、まさか近親相姦の可能性もあったとは知りませんでした。
ガンを経験した著者が70歳を超え、改めて感じた心境が率直に述べられていて、得ることがありました。
著者は序章で、人類・人間の将来について、かなり悲観的に考えている。将来のことは誰にもわからないが、この本を読んで、「哲学なんて人生の役に立たない」ということがわかるのではないでしょうか。
Posted by ブクログ
哲学者・木田さんの半生を振り返るエッセイのような本でした。おじいちゃんの話をを聴かせて頂いている感じです。
2008年の本で、そのときに80歳だった、
東北大学卒、中央大学哲学科の教授、木田元さんの、
主に自分史を語った本でした。
哲学の入門書かかな、なんて読んでみたら、自伝だったので
面食らいましたが、語りを文字に起こすという形での執筆のようで、
平易な文章で読みやすかったです。ぺろっと読めちゃった。
序盤にちらっと昨今の世の中の動きについて触れているのですが、
わかったような感じでとにかく言葉にするという姿勢ではなく、
わからないことをちゃんと見据えて、深入りせずに軽く語っていました、
そういうところを読んで、さすがに哲学をやってきただけあって、
慎重なのかなと思いました。やっぱり研究をしている人っていうのは
そんな感じなのかなぁ。ただ、そういう人って、
ちゃんとわかったことに対しては深く理解しているような
ところがありますよね。間違いなくそうだっていう確信をもって
研究されている雰囲気を感じます。
さっきも書きましたように、哲学者や哲学に触れてはいるものの、
自伝的な本なので、哲学の教授をやったおじいちゃんのお話を
拝聴しているというような本でした。
なるほどね、そういう人生もあったのか、という聞き手のような
読み方がされる。
また、けっこう高校生とか、若い人を読者に考えて話しているのかなぁ
と読めるところもあるのですが、そうじゃないところもでてきて、
読者層は広く計算しているのかもしれない。
筆者はドイツの哲学者のハイデガーを中心に哲学にふれていますが、
ハイデガーがどんな哲学を世に示したかについては、
まったくといっていいほど触れられていません。
それについては他の本を読んでくださいということなんでしょう。
そういった意味で、哲学に触れたいと思った人には物足りない本です。
まぁ、でも、興味をひくような意味合いはありますかねぇ。
そのうち、余裕があるときにでも、哲学を話題にした本を読んでみようと思います。
こういう人が学者さんになるんだなっていうことを知るには
良い本かもしれません。
Posted by ブクログ
タイトルに期待をしてはいけない。しかし、著者の波瀾万丈な来歴を読み当時の若者と現代の若者の違いを知り、本自体は役に立ったと言える。生きる環境によって普遍的な若者像が構築されるのではないか。横並び主義の日本において、追随する若者が増える。これにより揶揄されている「ゆとり」や「草食系」などの造語が新しく生まれる、すなわち「負?の連鎖」が起きてしまうのだろうか。
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
江田島の海軍兵学校で終戦を迎え、あてもなく焼け跡の東京へ。
テキ屋の手先や闇屋をしながら、何があっても食べていける術は身につけた。
しかし、いかに生きるべきかという悩みは深まるばかりの青年期。
ドストエフスキー、キルケゴール、やがてハイデガーの『存在と時間』に難問解決の糸口を見出す。
それから半世紀以上を経て、はたして答えは見つかったのだろうか──。
八十歳を迎えた哲学者が、波瀾の運命をふり返りながら、幸福、学問、恋愛、死生観までを縦横に語る。
著者は哲学の勉強をはじめるまで、農林専門学校に通うなど、さんざんまわり道をしてきた。そしてハイデガー思想を理解したいために、カントやヘーゲル、フッサール、メルロ=ポンティという具合に何十年もまわり道をした、と言う。
しかし、まわり道をしたからこそ、新しい道が開けてきたのだと思う、と回想する。
思いきり悩み、迷いながらも、力強く生きることの大切さを教えてくれる好著である。
[ 目次 ]
序章 「幸福」なんて求めない
第1章 混乱の時代を生き抜いてきた
第2章 思いきり悩み、迷えばいい
第3章 頭より体力が基本だ!
第4章 哲学者だって女性に惑った
第5章 人生ずっと、まわり道
第6章 遊びも一所懸命
第7章 好きなことをして生きる道
終章 死ぬための生き方
[ POP ]
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☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
戦前~終戦直後(サンフランシスコ講和条約あたりまで)の生き方・価値観は現代と全く違っている。理性的な語り口でこのあたりを描ける著者は貴重だ。
著者らは13歳~16歳くらいでもう一人前に仕事をする。現代からみると「しっかりした大人」という印象がある。したがって、単純に年齢で人物を推し量るのは無意味であることがわかる。すなわち「もう二十歳なんだからしっかりしなさい!」という叱咤は無効である。人々が社会に適応するスピード・傾向・強さはビックリするほど相対的だ。
本の大部分は怒涛の生い立ち(この部分はスゴイ)と哲学史。まえがきにあるような現代人の疑問についてはもう少し書いて欲しかった。何気なく書いてある語学学習のコツは興味深い。
Posted by ブクログ
第4回(09.02.18)田原
タイトルに釣られて選びました。
「カントは〜」「デカルトは〜」みたいなものを期待しておりましたが、
実際の中身は、著者のエッセイのようなものでした。
その中にあった気になった表現がこれ。
親がなんでも与えてしまうので、なにかを好きになるという意欲が育たないの
です。飢餓感があって、子どものほうから「あれがしたい」「これがしたい」
という気持ちにならないと、なんでも長続きしないものです。子供が自分から
夢中になれるものを見つけるまで、親はなにも言わずに見ていればいいのです。
1歳の子供を持つ身として、ちょっと考えさせられました。