木田元のレビュー一覧

  • わたしの哲学入門

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     前半は、木田元さんの生い立ちとどのような経緯で哲学を学ぶに至ったかの記録。中盤は、ハイデガーと、木田元さんが『存在と時間』を理解するために遡って読んださまざまな哲学者たち(カント、ニーチェ、ヘーゲルなど)の思想の解説。そして最後は「哲学」と「反哲学」という概念についての説明と考察。

     前半と最後の部分がとても興味深かった。日本の哲学界の第一人者である木田元さんは、もともといわゆるエリートで有名大に入って心もお金も余裕がある中で哲学を学んで、といったタイプでは全くなく、実はその正反対の人生を歩んでこられた苦労人だったということが衝撃だった。戦後の混乱の中で、人生に救いを求めてドストエフスキーなどを読んでいるうちにハイデガー『存在と時間』に出会い、この本をしっかり読んでみたいという熱意で大学に入った。入学後、半年でドイツ語を独習し、次の半年で『存在と時間』を読み終えた。しかしあまりに難しくてこれでは論文が書けないと一旦距離を置くことを決意。その間にソクラテスやプラトン、カント、デカルト、フッサールなどについて学び、やっとハイデガーについて論文を書けたのは『存在と時間』との最初の出会いから実に三十年も経ってからのことだったそう。そんなに長い期間、ハイデガーへの熱がずっと燃え続けていたというのが本当にすごいと思う。その一方で木田さんは、当時の多くの学生たちがそうであったように、ハイデガーという人自身に心酔し、神格化して崇めたりすることはなく、どちらかというとハイデガーの性格の悪さに辟易していたという。一度は本人に会えるチャンスがあったのに断ったそうで、木田さんのそういう冷静な距離の取り方もかっこいいなあと思った。

     中盤部分はハイデガーが影響を受けたさまざまな哲学者の思想を解説していて、おそらく『わたしの哲学入門』というタイトルからしてこの部分が本書のメインとなるはずなのだけれど、とにかく難しくて、潔く諦めてガーッと飛ばしてしまった、、、わたしは大学のとき卒論で『存在と時間』を扱ったけれど、『存在』の部分はわりと頑張って何度も読んだものの『と時間』以降やハイデガーの他の論文はほとんど触れる余裕がなかったし、他の哲学者についても「西洋哲学史」のような授業でサラッと触れた程度なので正直もうあまり記憶に残っていない。だからこの中盤部分、次から次へと出現する哲学者の名前と見慣れない用語、その独特な読み方についていくことができなかった。無念、、、

     難しい本を読むと、自分の頭のキャパシティ的にその内容全てをしっかり理解することができなくてもどかしさを感じる。けれど、ほんの一部でも興味深いと思う箇所があったり、今まで持っていた知識と重なるところがあったりしたなら、それだけでも十分その本を読んだ意味はあったといえるのだと思うようにしている。

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    2022年04月27日
  • 反哲学史

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    2021.09.07 とても素晴らしい。感銘を受けた。私の理解力がもう少し高ければさらに良さが分かったのではないか。

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    2021年08月26日
  • 現象学

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    現象学、理論としては納得されたけどまだ体感として納得できるレベルにまで理解しきれていない。でもはじめて学ぶのにはとてもよかった。

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    2021年05月27日
  • わたしの哲学入門

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    「闇屋になりそこねた哲学者」として知られる著者が書いた哲学の入門書です。ハイデガー哲学との出会いから、「存在の歴史」の構想への理解が深まり、「反哲学」という視点を獲得するまでの著者自身のあゆみを振り返りながら、読者を哲学の世界へと案内しています。

    著者は、ユクスキュルやメルロ=ポンティの思想に触れたことがきっかけで、ハイデガーの思想をしだいに理解できるようになったと述べています。フッサールは、当時隘路に陥っていた心理学の方法論的改革の試みとして現象学を構想します。そうした初発のモティーフを忠実に受け継いだのが、シェーラーやメルロ=ポンティであり、ハイデガーもシェーラーから大きな影響を受けていました。著者は、このような19世紀末の精神史をながめわたすひろい視野に立つことで、ハイデガー哲学の理解に近づいていきました。

    しかしやがて著者は、ハイデガーの哲学的努力が存在論の歴史の解体に向けられていたことに気づきます。ソクラテス以前の哲学者たちは、「自然」を生成するものとみなしており、「制作」もそうした自然の「立ち現われ」の一様態と考えられていました。ところが、こうした自然理解はプラトンのもとで変質をこうむることになります。ここにいたって「技術」は、もはや自然の生成のひとつのヴァリエーションではなく、自然と対立する働きと理解されるようになりました。こうして西洋形而上学の伝統がはじまったとハイデガーは考えます。

    著者は、ハイデガーのこうした「存在の歴史」の見かたを踏まえて、プラトン、アリストテレス、デカルト、カント、シェリング、ヘーゲル、ニーチェの思想を読み解く視点を示しています。そのうえで、西洋形而上学が普遍的な知などではなく、プラトン以降に成立した特殊な知の形態であることを明らかにする「反哲学」という思想的営為が必要であると主張しています。

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    2020年10月29日
  • 現象学

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    現象学の概説書、1970年。

    □ Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ章

    フッサールの現象学を、彼の思想の変遷に沿って、かなりの駆け足で解説している。

    ①現象学は、その初期において、当時の支配的な思潮であった実証主義(心理学主義、人間学主義、生物学主義など)に対する批判として出発する。実証主義は、数学や論理学などのイデア的な対象を、経験的実在的なもの(レアールなもの)に還元する誤謬を犯しているとして、批判される。実証主義に対いて、学問一般のイデア的なものの可能性を追究する純粋論理学としての現象学が構想される。初期の『論理学研究』(その第一巻は「純粋論理学序説」)では、ブレンターノの心理学主義を批判する。なお、意識の本質的な性質としての「志向性」(対象化作用)の概念は、ブレンターノによる着想。

    ②自然主義や歴史主義を、方法的仮定によって学の対象を予め特定の仕方で規定してしまうことで、学として求められる無仮定性を放棄している、として批判する。こうした誤謬の根底に、認識する主体に対して真の意味では与えられていない対象を素朴に存在すると断定してしまう態度、ひいては世界の存在を無根拠に断定してしまう態度、が見出される。この「自然的態度」を「超越論的還元」(「現象学的還元」)によって判断中止する。還元によって、一切の経験的前提が排除された「純粋意識」(「超越論的意識」「超越論的主観性」)が獲得される。この「純粋意識」の場で、世界や他の経験的な対象がどのように構成されていくか(「超越論的構成」)、を反省する。この絶対的な認識批判である「超越論的現象学」によって、厳密な学の条件を追究し、諸学を基礎づける基礎学の構築を目指す。

    ③「超越論的還元」によって見出される「超越論的意識」が世界そのものをも能動的に構成するのだとすると、この構成的主体それ自体は無世界的で無規定的なものとなってしまう。世界は、「超越論的意識」による能動的な構成に先立って、予め受動的に与えられていなければならない(「受動的総合」)。「超越論的還元」によって判断中止されるべきなのは、「自然主義的態度」(世界が、例えば数学や物理学によって規定された自然科学的世界のように、何らかの理論によって客体化された世界=理念化された世界であるにもかかわらず、そうした恣意的な規定性に無自覚なまま、それを自然な世界であると無反省に見なす態度)であって、「自然的態度」(世界の存在を無根拠に断定するが、その世界に対して「それが存在する」ということ以外の一切の規定を付与しない、則ち如何なる理論によっても客体化しない=理念化しない、則ちそこにおいて一切の主体-客体関係を設定することのない、そのような自然な世界経験)は、世界をその生きられるがままに生きる態度として、寧ろそこに立ち戻るべきものとされる。「自然的態度」によって生きられる「生活世界」は、それ自体は無根拠であるが、それによってあらゆる対象の構成を可能にする根底的な前提条件として、則ち客観的な学を可能ならしめる根源的臆見として、要請される。その「生活世界」において、受動的なしかたで「意味の発生」が起き、能動的な意味付与はこの発生しつつある意味に対して二次的に行われる。

    現象学の解説を読むたびに、中期において高らかに掲げられる厳密学の理念と、世界の存在をも宙吊りにする厳格な現象学的手続きに、この哲学のもつ先鋭的な徹底性を見せつけられるようで、実に魅了されまた厳かな心持ちになるのだが、と同時にそれが後期になると、急に趣が変わるというか、生活世界なるものが根源的臆見などと言い訳がましく導入され、他者の問題も共同主観性という概念でごまかされたような気持ちになり(初めて現象学に触れたとき、それが独我論の問題をどのように扱うのか期待していた)、ヨーロッパ的理性だとかいう如何にも西欧中心主義的な概念が云々され、何とも微温的といおうか、保守化したような印象を拭えず、残念な気持ちになる。超越論的哲学が不可避的にとらざるを得ない、それこそ根源的な矛盾としての、自己関係性の機制を、明るみに出してほしかった。

    フッサールは晩年、「厳密学の夢は見果てた」という覚書を残したという。

    □ Ⅳ章

    フッサールの現象学とハイデガーの存在論は、二人が師弟関係であったにもかかわらず、その趣が全く異なっていることを、予てより奇妙に思っていたのだが、両者がどこまで一致していてどこからその差異が生じたのか、概略的にではあるが分かった気がする。

    中期フッサールは、世界を構成する「超越論的主観」を、事実的な存在としての人間の意識に帰属させることに反対した。なぜなら、世界に属する事実的人間が、自身の前提となる世界そのものの構成に関わることは、不可能であるから。この点を批判しながら、ハイデガーは自身の哲学を展開していく。則ち、「超越論的構成」の可能性を、あくまで事実的な存在である人間(「現存在」)の在り方(「実存」)のうちに、見出そうとする。

    哲学は、存在者を存在者たらしめている存在そのものの意味を問う「存在論」でなければならない。ところで、人間は、「存在とは何か」と問い得る特権的な存在者であり、存在者を通して存在がその意味を自己開示する場であるため、「現存在」と呼びうる。よって「存在論」としての哲学は、この「構成的主体」としての「現存在」の固有の在り方である「実存」を分析すること(「基礎的存在論」)から始めなければならない。この「基礎的存在論」において、「超越論的構成」が「現存在」の「実存」の可能性として捉えられる。こうした「実存」の存在構造を通して、「現存在」によって遂行される、存在一般の意味を問う試みが「現象学的存在論」である。

    こうして、フッサール現象学の主題であった「超越論的主観」は、ハイデガー存在論においては「実存的な現存在」として捉え直される。則ち、フッサールにおいて学の基礎づけとしての現象学の目的とされた「超越論的構成」の解明は、ハイデガーにおいては「現存在」の「実存」の解明として捉えられることになる。ところで、ハイデガーにとって「現存在」とは、あくまで世界の内に事実的に存在するものとされる。こうした謂わば「日常性」に埋没している「現存在」が、存在の自己開示の場としての「実存」に覚醒するために、フッサール的な「現象学的還元」(「自然的態度」から「現象学的態度」へ)を、その上に キルケゴール的な「実存的決断」(「非本来的実存」から「本来的実存」へ)というハイデガー独自の問題意識を重ねながら、遂行していくことになる。

    なお、公刊された『存在と時間』は、「現存在分析」の部分のみで、「存在一般の意味」を論じる部分は未完に終わった。

    □

    Ⅴ章ではサルトル、Ⅵ章ではメルロ=ポンティの思想を、それぞれ取り上げている。

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    2020年05月03日
  • ハイデガーの思想

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    最近、木田元の哲学書をいくつか漁り読みしたので、木田元のハイデガーへの思い入れと「存在と時間」の解釈について大分わかってきたので、それを補強するための適書。形而上学を否定するハイデガーの企てには恐れ入るが、そもそも形而上学ってリアルな人生において何の意味があるかが分かっていない自分には理解できない。まあヨーロッパに生まれ育たないと理解できないようなので、日本人である私にはわからなくて当然なのでしょう。哲学は所詮は、時代・場所・文化に深く根ざしているものなのだから。

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    2019年05月06日
  • マッハとニーチェ 世紀転換期思想史

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    はじめのうちは同著者の哲学入門書をいくつか読んでいたので理解できたが、やはり途中から着いていくのが辛かった。やはり哲学的修練を積んでいないと分からない。

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    2019年05月06日
  • 現象学

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    最近、木田元の著書を連続して読んだので何となく分かったような気もするが、やはり専門用語を羅列されるとさっぱり理解できない。しかしながら、理解できないまでも生きていくのにほぼ意味がないような知的探求を味わうだけでも楽しい。質・量ともに薄っぺらい本を読むよりはよほど良い。

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    2019年05月06日
  • わたしの哲学入門

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    哲学の難しさは、なんでそんなことを問題にしなくちゃいけなかったか、という「発想の動機」が分かりにくいことなんだよね、という木田さんの言葉はわかりやすくて、木田さんの言うことならわたしにも少しはわかるかもしれん、と第五回までなんとか読み進んだけと、だんだん雲行きが怪しくなりつつある。。。
    1ヶ月後、やっと一応読み終えたが、やはり難しい。なんとか分かったのは、ハイデガーの『存在と時間』は未完の書で肝心なことが書かれずに終わっているらしい、ということ(笑)

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    2018年05月30日
  • 哲学散歩

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    哲学者のエッセイで羊皮紙やパピルスに思いを致すようになるとは思わなかった。文章が上手い。まるで喋っているよう。

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    2018年04月10日
  • 反哲学史

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     20世紀の、西洋哲学を解体する思想的立場=「反哲学」の立場から、その19世紀末までの歴史を述べた、哲学の案内書的書物。元々、筆者が中央大学の講義で用いたノートを基に書いただけあって、臨場感にあふれ、且つ簡にして要を得ており、大学時代に専攻していたものの遠く離れてしまった私のようなものにも、何だか懐かしくありつつもその大略が掴めるようになっていました。「自然(フュシス)」を対象としていた思考から、「制作物(テクネ)」(=「形相」=「物自体」)が分離しそれを中心とする思考へ、それがヘーゲルで完成を迎えたかと思われたら、その解体へ。壮大な「自然(フュシス)」への回帰の歴史という事なのかな、と思いました。
     あと、付け加えれば、自分が学生時代に難渋しながらも読んだ、カントの『純粋理性批判』の所が極めて分かり易く書かれていたのが、望外に嬉しかったです。改めて彼の他の書も久し振りに読んでみようかという気になりました。しかし、その前に、先ずこの書物の姉妹書の『現代の哲学』を改めて読んでみようと思っています(学生時代に少し授業で使用したので)。哲学の入門書としてお勧めです。

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    2017年10月26日
  • 現象学

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    フッサールからメルロ=ポンティに至る現象学の潮流をコンパクトに解説している本です。1970年に刊行されたやや古い本ですが、現象学の形成とその後の変容のおおまかな流れを把握するのに、現在でも十分に役立つ内容だと思います。

    現象学はもちろんフッサールによって創始された哲学のひとつの潮流ですが、著者は「序章」で、「わたしは「フッサールの現象学」と「現象学的運動」を区別し、後者に焦点を合わせて考えてゆきたい」と述べています。また、「極端な言い方をすれば、フッサールの思索のすべてが現象学的だということにはならないし、現象学はフッサールの哲学に尽きるものではない」ともいいます。こうして本論では、中期の『イデーン』において達成された超越論的現象学の構想が、フッサールの晩年の思索の中でしだいに「厳密な学」としての性格を脱する方向へと舵を切られることになり、こうした流れがハイデガーやメルロ=ポンティによってさらに推し進められていったことが解説されています。

    そのほか、サルトルの初期の現象学的心理学の構想や、メルロ=ポンティと構造主義との関係、チャン=デュク・タオによるマルクス主義の立場からの現象学批判など、現在の入門書では扱われることの少ない話題についても簡潔ながらも明晰に解説されています。

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    2017年11月29日
  • 反哲学史

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    19世紀までの哲学の歴史をまとめた本。各時代での著名な哲学者の思想のエッセンスをまとめている。後世の哲学者の思想への繋がりも対比しつつ書かれており、哲学という学問を概観して理解するには良さそう。
    入門書の位置づけだそうだが、哲学書に慣れ親しんでいない自分にはやや難解。とは言え、時代を経て生まれていく様々な思想を追っていくと、自身の思考様式を改めるきっかけとなった。歳を重ねると自分の持っている知識の範囲で判断しがち。特に自分の得意分野においてはなおさら。自分が真実と思い込んでいるものから一歩引いてみることで、新しい何かが見えてくるのではないか。書評とは少しずれるかもしれないが、新年で気持ちを新たにするタイミングには良い一冊だった。

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    2017年01月02日
  • わたしの哲学入門

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    ハイデガーをもとに著者が如何に哲学を学んだかという流れで哲学を開設していく。ハイデガーのところは難しく理解できなかった。カントのところは簡潔だがわかりやすかった。

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    2016年03月13日
  • 現象学

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    他の入門本より少し難しい表現の多い内容ではあるものの、非常に精細な検証によってフッサール現象学からハイデッガー、サルトル、メルロ=ポンティの現象学を概説している。
    特にメルロ=ポンティにおける検証では身体論への展開を論理立てて説明していて分かりやすい。思想だけでなく社会背景や生い立ちなども含めながら説明していて理解しやすい内容である。

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    2015年10月28日
  • 木田元の最終講義 反哲学としての哲学

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    昨年亡くなった木田元さんの、中央大学での最終講義を収めた一冊。主にハイデガー、マッハについて語られています。
    ハイデガーもマッハもその思想を理解していないので、難しい個所もありました。しかし、原書を読み込むことこそ哲学の基本といわれた木田さんの深い理解度合いは十分に感じられ、深い理解に基づく大胆に踏み込んだ解釈は、やはりすごいものだと思いました。

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    2015年02月26日
  • 反哲学史

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    追悼木田元先生
    いつか読もうと思っていたが、木田先生がお亡くなりになられたとのことで急遽拝読させていただいた。何で今まで読まなかったのか。出来ればもっと早くに出会いたかった。
    高校倫理や一般教養の哲学を勉強して興味を持った人向けの哲学史入門書。とても読みやすく哲学史とあるようにソクラテスから始まり形而上学を主軸に展開している。

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    2014年09月19日
  • 対訳 技術の正体 The True Nature of Technology

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    池澤夏樹さんが言うまでもなく、技術を畏怖し、その意義を考えるという思想が存在した。
    今になってそんな哲学が見直されている気がして何だか心強く感じる。追加の二編も非常に気持ちが良い。

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    2014年05月28日
  • ハイデガーの思想

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    ウィトゲンシュタイン「神秘的なのは、世界がいかにあるかではなく、世界があるということである」『論理哲学論考』p78

    【3つの命題】p82
    ①現存在が存在を了解するときにのみ、存在はある(エス・ギブト)
    ②存在は了解のうちにある(エス・ギブト)
    ③現存在が存在するかぎりでのみ、存在は<ある>(エス・ギブト)

    <世界開材性>とか<世界内存在>というのは、人間がそうした<世界>という構造を構成し、それに適応しながら生きる生き方、存在の仕方を指すと考えてよい。このような高次の機能によって、現存在が現に与えられている環境から身を引き離すその事態を、ハイデガーは<超越>と呼んでいる。現存在は、<生物学的環境>から<世界>へと超越するのである。p86

    ハイデガー「あらゆる存在者のうちひとり人間だけが、存在の声によって呼びかけられ、<存在者が存在する>という驚異のなかの驚異を経験する」p89

    <存在=現前性=被制作性>というアリストテレス以来の伝統的存在概念は、ハイデガーの考えでは、非本来的な時間性を場としておこなわれる存在了解に由来する。p139

    ハイデガー「ピュシスとはギリシア人にとって存在者そのものと存在者の全体を名指す最初の本質的な名称である。ギリシア人にとって存在者とは、おのずから無為にして萌えあがり現れきたり、そしておのれへと還帰し消え去ってゆくものであり、萌えあがり現れてきたっておのれへと還帰してゆきながら場を占めているものなのである」『ニーチェ』p156

    ハイデガー「<力への意志>という名称は、存在者がその<本質><仕組み>から見て何であるかを告げており、<等しきものの永劫回帰>という名称は、そうした本質をもつ存在者が全体としていかにあらねばならないかを告げているのである」p182

    【存在が言葉になる】
    すべてに先立ってまず<ある>のは、存在である。思考は、人間の本質へにのこの存在の関わりを仕上げるのである。思考がこの関わりをつくり出したり惹き起こしたりするわけではない。思考はこの関わりを、存在からゆだねられたものとして、存在に捧げるだけのことである。この捧げるということの意味は、思考のうちで存在が言葉となって現れるということにほかならない。言葉こそ存在の住居である。言葉というこの宿りに住みつくのが人間なのである。思索する者たちと詩作する者たちは、この宿りの番人である。彼らがおこなう見張りとは、彼らが語ることによって存在の明るみを言葉にもたらし言葉のうちに保存するというふうにして、その明るみを仕上げることにほかならない。『<ヒューマニズム>についての書簡』p201

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    2013年12月18日
  • 木田元の最終講義 反哲学としての哲学

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    著者が中央大学での最終講義として行なった、ハイデガー研究のハイライトと、
    同大学の最終講演で行なった、エルンスト・マッハによる各分野への影響の紹介、
    及び、文庫版出版にあたり書き足した、ハイデガーの周辺情報の補足。

    いやー面白かった。
    が、とにかく周辺知識が膨大で、樹形図的に話が展開されていくさまはもう、「参りました」と五体投地せざるを得ない気持ちになってくる・・笑
    哲学を職業にするのは、やっぱりすごい

    以下、備忘がてら、印象的だった部分を列挙
    ・『存在と時間』は未完の失敗作
    ・ある=作られてある、のか、自ずから成る、のか
    ・マッハによる形而下二次元世界と、クリムトら<ユーゲント・シュティール>派芸術
    ・ニーチェ『善悪の彼岸』における<われ思う>への考察。思想というものは<その思想>が欲するときにやってくるのであって、<われ>が欲するときにやってくるのではない(p.109)

    面白かった。

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    2013年09月16日