木田元のレビュー一覧
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現象学やハイデガーの研究で知られる著者が、自身の生涯を振り返りながら、若い読者に向けて人性について語った本です。
終戦直後にはテキ屋で働き、農林専門学校に入学するもほとんど勉強せず遊んでばかりいたのが、ドストエフスキーの文学に出会いハイデガーの『存在と時間』を読みたいという一心で猛勉強し、東北大学で哲学を学ぶようになる経緯は、類まれな生涯というほかありません。
そんな著者ですが、「やりたいことが分からない」という若者たちに対して苦言を呈するということはありません。ただしそれは、「優しさ」というよりも「おおらかさ」といいたくなるようなまなざしで、巷の若者論とはかなり違う印象を受けます。 -
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著者の語学習得のコツを改めて知りたいと思い読みました。でも本書の後半は人生一般(恋愛、仕事、子育て、死)について記してあるので、読んで良かったなと思いました。基本的にこの著者はどの本を買っても(哲学専門書を除けば)、大概書いてあることは一緒なので、もし読むのであればどれか気に入った本一冊を読めば十分かと思います。僕も大学院時代にこの人の本を何冊か読んだことがありますが、やはり内容はあまり変わりませんでした。
僕の勝手な持論ですが、自分が麻雀をすることもあり、作家にしても学者にしても芸能人にしても麻雀をする(していた)人は何となく信用がおける。「何か好きだな」って、特に本を読んでて感じる著 -
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哲学者・木田さんの半生を振り返るエッセイのような本でした。おじいちゃんの話をを聴かせて頂いている感じです。
2008年の本で、そのときに80歳だった、
東北大学卒、中央大学哲学科の教授、木田元さんの、
主に自分史を語った本でした。
哲学の入門書かかな、なんて読んでみたら、自伝だったので
面食らいましたが、語りを文字に起こすという形での執筆のようで、
平易な文章で読みやすかったです。ぺろっと読めちゃった。
序盤にちらっと昨今の世の中の動きについて触れているのですが、
わかったような感じでとにかく言葉にするという姿勢ではなく、
わからないことをちゃんと見据えて、深入りせずに軽く語っていました -
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ネタバレ[ 内容 ]
江田島の海軍兵学校で終戦を迎え、あてもなく焼け跡の東京へ。
テキ屋の手先や闇屋をしながら、何があっても食べていける術は身につけた。
しかし、いかに生きるべきかという悩みは深まるばかりの青年期。
ドストエフスキー、キルケゴール、やがてハイデガーの『存在と時間』に難問解決の糸口を見出す。
それから半世紀以上を経て、はたして答えは見つかったのだろうか──。
八十歳を迎えた哲学者が、波瀾の運命をふり返りながら、幸福、学問、恋愛、死生観までを縦横に語る。
著者は哲学の勉強をはじめるまで、農林専門学校に通うなど、さんざんまわり道をしてきた。そしてハイデガー思想を理解したいために、カントやヘー -
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戦前~終戦直後(サンフランシスコ講和条約あたりまで)の生き方・価値観は現代と全く違っている。理性的な語り口でこのあたりを描ける著者は貴重だ。
著者らは13歳~16歳くらいでもう一人前に仕事をする。現代からみると「しっかりした大人」という印象がある。したがって、単純に年齢で人物を推し量るのは無意味であることがわかる。すなわち「もう二十歳なんだからしっかりしなさい!」という叱咤は無効である。人々が社会に適応するスピード・傾向・強さはビックリするほど相対的だ。
本の大部分は怒涛の生い立ち(この部分はスゴイ)と哲学史。まえがきにあるような現代人の疑問についてはもう少し書いて欲しかった。何気なく書い -
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現象学の入門書であり、フッサール、ハイデガー、サルトル、メルロ・ポンティー、レヴィ・ストロースなどの現代思想を学ぶことができる。たいへん為になる本である。また、ヘーゲルやマルクス主義との関係なども興味深くよんだ。どうも現象学運動というのは、結論がないようだが、中国の陽明学に似ている。「意識とはつまり何かに対する意志」というような言い回しは、「意の在る所はすなわち物なり」(『傳習録』)であり、「われわれの身体は世界において、ちょうど生物体における心のような位置を占めている」(152頁)などは、「復はそれ天地の心を見るか」(『易』復)と似ている。
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『現代の哲学』というタイトルについては、説明が必要だろう。フッサールの現象学が心理学の方法論上の基礎づけという動機から成立したように、19世紀以降の哲学は、自然科学・心理学・言語学・人類学・精神分析学などの諸学問との交流の中で形成されてきた。本書は、そうした現代の哲学的動向を踏まえつつ、現象学から構造主義までの思想を紹介したものである。
とくに、メルロ=ポンティの思想と、その哲学的思索を紡いでゆく方法とに、著者の関心は注がれている。メルロ=ポンティは、心理学・言語学などの諸分野の成果を踏まえつつ、人間の心理や言語などが、意識と物質のどちらか一方に還元することができないという主張を展開した。彼 -
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すべてに先立ってまず<ある>のは、存在である。思考は、人間の本質へのこの存在の関わりを仕上げるのである。思考がこの関わりをつくり出したり惹き起こしたりするわけではない。思考はこの関わりを、存在からゆだねられたものとして、存在に捧げるだけのことである。この捧げるということの意味は、思考のうちで存在が言葉となって現れるということにほかならない。言葉こそが存在の住居である。
・・・・・・『ハイデガーの思想』202頁
本著は、ハイデガーの未完の著作『存在と時間』を中心に語られている。
ソクラテスとプラトンによって、存在が「本質存在」と「事実存在」とに分断された。それによって、哲学を哲学たらしめてきた -
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第4回(09.02.18)田原
タイトルに釣られて選びました。
「カントは〜」「デカルトは〜」みたいなものを期待しておりましたが、
実際の中身は、著者のエッセイのようなものでした。
その中にあった気になった表現がこれ。
親がなんでも与えてしまうので、なにかを好きになるという意欲が育たないの
です。飢餓感があって、子どものほうから「あれがしたい」「これがしたい」
という気持ちにならないと、なんでも長続きしないものです。子供が自分から
夢中になれるものを見つけるまで、親はなにも言わずに見ていればいいのです。
1歳の子供を持つ身として、ちょっと考えさせられました。