澤田瞳子のレビュー一覧
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政と戦。歴史的中心人物:天智天皇や天武天皇の側であまり語られることない活躍した人達の苦悩や葛藤、命懸けの活躍を、額田王が自身の行動力で鍛えられていく洞察力で語られるストーリー。壬申の乱闘う人達の必死さ恐れ怯えや絶望などなど表や裏や内心いろんなことが見事に想像でき、引き込まれました。
貴族の歌人とは優雅に過ごしていたんだろうという印象をガラッとかわった。軍勢の士気を高め一団にするためにとか、後世にあせることなく変わる事なく伝わるからこそ歌、意味を深く理解することは真実により近いのかもしれない。万葉集にも興味がわく。澤田瞳子さんの作品に登場する必死に働く女性にはいつも惚れてしまってます。 -
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“時代モノ”ということになる本作である。平安時代、10世紀頃を背景とした物語で、なかなかに興味深い。
本作の主要視点人物のモデルとなっているのは寛朝(“かんちょう”または“かんじょう”)(916-998)という僧である。この人物に関しては、平将門(903-940)が引き起こしたという騒乱を鎮めるべく、京から上総国へ海路で不動明王像を運び込み、祈祷を行った人物とも伝わる。序に、祈祷を終えた寛朝が帰京しようとした際、不動明王像が動かなかったことからそのまま寺を開くということにしたのだという。それが、かの成田山新勝寺の起こりとされている。
その成田山新勝寺の起りに関する謂れに着想を得た可能性も在るような気がするが、本作の寛朝は東国へ下り、平将門の一件で情勢が揺らぐ中で活動をするということになる。
本作の物語は、寛朝が旅に出て関東に至ったというような辺りから起こる。
本作の寛朝は仁和寺の僧で、梵唄(ぼんばい)と呼ばれた仏教声楽を得意とし、その研究をしている。
因みに仁和寺は真言宗の流れを汲む寺として現在も活動中で大変に知られた場所である。この仁和寺の宗派である真言宗等で伝えている「声明」というモノが在る。この「声明」は録音を収めたCDも散見し、CDを入手して音を聴くことも出来るのだが、本作の作中に登場する梵唄(ぼんばい)をイメージ出来る。各種の経典等に節を付けて歌うように朗唱するのである。CDで録音を聴いたことが在るが、なかなかに独特で一寸面白い。
本作の寛朝は、梵唄(ぼんばい)を含めて、漢詩に節を付けて詠む朗詠や、催馬楽のような俗謡等「歌うこと」全般を得意とし、研究しており、加えて各種楽器の演奏や取扱の知識も有するという人物だ。
寛朝は仁和寺に縁が深い宇多法皇が祖父である。父の敦実親王は如何いう訳か寛朝に冷淡という一面も在り、そんな中で寛朝は梵唄等に打ち込むようになる。
そんな中、出家して日が浅かった頃に聴いた素晴らしい歌声を持つ楽人が常陸国に在るという話しを聞き付け、その楽人に教えを乞うべく会いに行くことを思い立った。
そして寛朝は父の下人でもあった千歳等を伴って、目指す常陸国の手前である武蔵国に辿り着くのだが、そこで平将門に出くわすのだった。
物語は寛朝や千歳を主要視点人物として展開して行く。都の価値観と、それと隔たった東国の価値観、各々の価値観の中での人生を思うというような側面、追い求める芸術を巡る思索が展開する。更に平将門の事件を巡る動き、色々な人達の欲望のようなことに絡め捕られる真っ正直な平将門と、その様を見詰める寛朝という様子、そして一連の様々な出来事の“決着”というような感じだ。
10世紀という一寸遠い過去の世界の、何やらファンタジーめいた雰囲気も在る物語であると思ったのだが、他方で「異なる価値観の狭間で?」というようなことや「路を追い求めること?」というような「時代を問わずに人が出くわすかもしれない主題」を強く問いかけているような感もした。
平将門を取上げるというような小説等は過去に在ったかもしれないが、本作は類例が思い当たらない新鮮な感じだ。結局、「如何いう訳かやって来た、高貴な身分とされる文化人」ということになる寛朝が“語り部”であるというのが「誰も思い付かないような斬新さ」ということになっているのかもしれない。が、それが奇異でも何でもない。余韻が深い物語になっている。広く御薦めしたい作品だ。 -
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「若冲」 澤田瞳子
1.購読動機
原田マハさんが好きです。
理由は、馴染みがない絵画を、画家の人生を描写することで、身近なものにしてくれる作家さんだからです。
同じ気持ちで、若冲を知りたいと思いました。
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2.若冲。物語から。
出自は、京都、大きな魚卸し問屋の長男です。
元々から、商売よりも、絵を描くことに関心が高い人でした。
絵を描く動機は、物語のなかで大きく三つに分かれます。
①奥さんが自殺する。
②贋作が出回る。
③義弟の子供を預かる。
若冲は、①②③で描く動機が変わります。
それは、同時に、絵の描写、色合い、筆致にも変化が現れます。
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3.若冲の人生を省みて
物語を通じて、描かれるのは、若冲が絵画に集中できた人生であったことです。
描きたくても、描けない人も多くいたでしょう。
なぜならば、画材は値段が張りますから、相応の生活基盤がなければ、継続することはできません。
そうした意味で、多くの人の支えと理解があって、若冲の世界が生まれ、現代にまで残ったと考えると、こみあげるものがあります。
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江戸時代にタイムスリップして、若冲とその周りの人々の息遣いに出会える、素敵な作品でした。
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奈良の平城京で起こったパンデミックの物語。
新羅から帰ってきた使節の一人が発熱した。その後、亰では次々と病に倒れる者が続出する。発熱し、数日経つと一時的に熱が下がる。治ったかと思いきや、全身に豆粒のような発疹に覆われるのだった。
本作は蜂田名代(はちだのなしろ)と猪名部諸男(いなべのもろお)という二人の人物の視点で物語が進んでゆく。
名代は役人になれたものの施薬院勤務を命じられて不満を抱えている。諸男は宮廷で薬の調合の仕事をしていたが無実の罪を被せられ、この世の全てを恨んでいる。
屈託を抱えた二人の前に、裳瘡(天然痘)という恐ろしい病が現れた。
施薬院にいる名代は、裳瘡で苦しむ民を少しでも救おうと奮闘する人たちと、内心反発を抱きながらも共に戦う。諸男は、獄中で知り合った者達と怪しげなまじない札を売り始める。
1980年にやっと根絶宣言がされた天然痘。その猛威は身体だけでなく心までも蝕む。熱や発疹に苦しみながら死んでゆく人、まれに助かったとしても、発疹の痕が残り絶望する人。病の恐ろしさに詐欺まがいのものを信じる人、デマに踊らされ暴徒化する人。そんな人間の醜さを、名代と諸男二人の視点から残酷なほどに描かれている。
本作ではとにかく人が死に、遺体が腐る。その描写も容赦なくされている。グロと言ってしまえばそれまでだが、少し前まで元気に過ごしていた人たちが、病であっという間に命を奪われ、腐った骸となって蝿がたかる様は人の命はなんと儚いものなのかと泣けた。
これは千年以上前の天平時代の物語である。現代は医療技術やその他いろいろな技術発展により、当時より生活はかなり良くなったけど、人間の根源は基本的にあまり変わっていないと思う。
感染症に脅かされている今だからこそ読んでおきたい一冊。 -
Posted by ブクログ
なんだろう?
この出演者が映像で浮かび動き出す感じの読書感覚。
会話挿入のタイミングが優れている小説なんだろうな。
菅原道真と小野小町。
二人を軸に、色んな物語が描かれていて、なんとも微笑ましく、なんとも楽しげで、妙に人間ポイ。
この人間ポイ、という点がスイスイと読み進ませてくれる。
軽い気持ちで読み始めたのに、気が付くと、神様の菅原道真の目線なんて何処にもなく、「頑張れ、道真くん」、と応援したくなってくる。
キャラ立ちしてシリーズ化すら可能な雰囲気たっぷりでした。
一言でいうと、道真くんが好きになった。
そして、良い味付けの小町さんもイイ。笑