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高貴な出自ながら、悪僧(僧兵)として南都興福寺に身を置く範長は、都からやってくるという国検非違使別当らに危惧を抱いていた。検非違使を阻止せんと、範長は般若坂に向かうが──。著者渾身の歴史長篇。
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Posted by ブクログ
平安末期の南都焼き討ちを招いてしまった悪僧(わけあり)が主人公。その後、罪に戸惑い償いと真の救済を模索。 壮絶で残酷のなか必死に生きる人々。その後を知りたくて夢中に読み進めてしまいます。 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(令和4年1月〜)と同じ頃の時代背景。
平重衡による興福寺焼き討ちから平氏滅亡まで――南都興福寺に関わる人々を描いた物語。「怨みごころは怨みを捨ててこそ消ゆる」という言葉が、どれほど難しく、そして尊い境地であるかを強く思い知らされる。 藤原頼長の息子で興福寺の悪僧の範長は、重衡への深い怨みを抱えながらも戦乱に加わらず、寺の復興に心血を...続きを読む注ぐ。その中で、貧しく暮らす孤児らと、彼を支える重衡の幼女・公子と出会い、怨みよりも「今ある生活と生命を守ること」の重さに気づいていく。 平氏が弱体化していく一方で、平氏に怨みを燃やす興福寺の悪僧たちの激情と、範長の冷静さは常に対照的に描かれる。やがて公子の出自が明らかになり、彼女が過酷な仕打ちを受けてもなお――いや、だからこそ、範長は怨みの連鎖の本質に辿り着いたと思える。 単なる読者である私でさえ、信円や悪僧たちの所業に強い怒りを覚え、汚い言葉を吐きたくなるほどである。当事者である範長が怨みを捨てることが、どれほど困難を極めるかを痛感させられた。
平安時代末期、平家が栄華を極める中、平重衡による奈良の寺社勢力に対する南都焼討。 藤原家、平家、源家。 滅ぼした者が滅ぼされ、そしてその繰り返し。 栄華を極めて他者を滅ぼしても、いつか滅ぼされるという憎しみや恨みの連鎖が辛いです。 生きること、正しいことを説く仏教の世界でこんな乱暴で残虐なことがあ...続きを読むる時代。 興福寺や東大寺の静かな佇まいを思い出しながら、そこに憎しみや殺し合いがあったことに驚きます。 「怨みごころは怨みを捨てることによってのみ消ゆる」 どんなに時がたっても、今の世界でも同じように憎しみによる戦争がなくならないこともとても悲しくつらく思います。
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