岡田尊司のレビュー一覧
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とても怪しげで現実には無さそうなタイトルではあるが、日常的にありふれた問題が描かれている。
マインドコントロール、洗脳に関する研究や実験を丁寧に挙げ、それらが現在でもあり得るもの、してしまいがちなもの等に繋げて話をしている。
分かり難いものや、縁遠い話かと思われる話題ではあるが、何のことはなく、とても身近に溢れた問題であると気づく事があった。
自分がこの本を呼んで、“洗脳”されないようにと同時に、自身がそのような言動をしないように意識しようとも思えた本であった。
知識の整理の為に再び読み返したいと思えた本であり、色んな方に呼んでほしい本である。 -
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はっきり言って私自身が、
境界性パーソナリティ障害だと思う。
自分でその性質を自覚し、うまく付き合っていくと決めるようになってからは軽快したのではないかな?と思っているが、
多くの人がこの著書を読めば、「自分もそうなのではないか?」と、認めざるを得ないフシがみつかると思う。
そのくらい、過剰な期待にこたえることが求められる、多様性とはいいつつもその実、画一でしか認められない現代社会。
普通にかかわっている友人や知人には、
一つの、精神病であることだなんて、なかなか認めてもらえないと思う。
でも、もし身近な誰かの激しい喜怒哀楽や自傷行為がひとつの病気だとしたら?
誰より一番苦しんでいるのは、当人だと思う。
その苦しみに寄り添い理解してあげること、それこそが真の意味での多様性への第一歩になると思う。 -
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さすが岡田先生、とてもわかり易かった!!察してもらえないこと、わかってもらえないことがこんなにも心に悪影響だとは…
p.55 妻のYさんの方は、心配性と世話焼きで、自分が心配しても始まらないとわかっていても、先のことまで取り越し苦労したり、最悪の事態まで考えて悩んでしまうところがある。こうした行動は「強迫的世話」とも呼ばれ、世話や心配を市内では居られないという一つの特性である。この強迫的世話は、子供の頃、不安定な親の顔色を気にしながら、子どもの方が親をなだめたり、機嫌をとったりして育ったという人によく認められる。
p.58 イエローサインで危険を知らせる
お互いの不機嫌や披露の波が重なったりすると、些細なことをきっかけに、非難の応酬が始まる。たとえ一ヶ月ぶりであろうと、喧嘩になってしまうと、その間の平和の時期も無意味に思えて、否定モード全開となり、「全然変わっていない」「努力するだけ無駄だ」「早く別れたい」「出てって」と、極端な結論をぶつけ合ってしまう。しかし、元を辿れば、不機嫌や披露が重なっただけのことである。こうした偶発的な衝突で関係が悪化し、離婚まで至るのは、ある意味、馬鹿げているし、大きな損失である。それを防ぐための工夫としておすすめなのが、イエローカードならぬイエローサイン、今日は疲労がたまっているとか、睡眠不足でイライラしやすい状態を、「危険日」ですよ、と知らせる方法だ。サインや以下のようなカードを使って、それを呈示したときは、相手は配慮してできるだけ優しく接するように心がける。両方ともイエローサインを呈示したときは、その日は最低限の言葉だけ交わして、早めに就寝するというルールを決めておく。そうすることによって、お互いにイライラに相手を巻き込んでしまうことを防ぐ。イエローサイン以外にも、相談したいことがあるときのカードも活用するといいだろう。回避型の人は、自分から相談するのが苦手で、コミュニケ−ションを取り残ってしまい、それが亀裂を生むことにも繋がりやすい。
p.163 家族ミーティングのすすめ
近年イギリスを中心に発展し、注目されている手法に家族ミーティングと呼ばれる物がある。統合失調症などの精神障害を抱える家族では、家庭内の葛藤が強まりやすく、それによって病状の悪化を招くという悪循環を生じやすいが、それを防ぐ方法として導入されるようになったものだ。
担当者(保健師・心理士・ソーシャルワーカー等)が家族を訪問して、家族会議のようなものを行う。原則家族全員参加だが、日によっては参加しない人が居てもいい。司会役と初期を決めて、そこで話し合ったことは会議と同様記録していく。最初は、担当者が司会役を努めてもいいが、次第に家族が司会役を行えるように育てていく。話し合う議題は、家族の誰でも提起することが出来る。困っていることや、家族で話し合いたいことを一人ひとり言い、それについて意見を出し合う。
p.169 アスペルガータイプ
近視の強い人が、相手の顔がよく見えないため、相手の反応に気づかないのと同じで、心の視力が弱いため、相手の気持ちが見えないのである。それをなじられても、本人としてもどうすることもできず、逆にストレスに感じてしまう。
p.194 どうやって、パートナーからの共感的応答がなくなった状況で、自分の痔持ちを支えているのだろうかと、良く観察してみると、失われた部分を想像力で補っていることに気付かされる。相手の些細な仕草や反応を、幸いってくれようとしたのだと、自分で言葉にするのだ。相手の些細な仕草や反応を、こう言ってくれようとしたのだと、自分で言葉にするのだ。まるで、幼い頃、母親が、まだ言葉を話せない子供の気持ちを代弁するように、一人二役で、相手の発言を代弁し、会話として成り立たせるのだ。些細な仕草に、ありがとうの気持ちを汲み取ることができれば、それを励みとして関わり続けることが出来る。→漱石の妻は当代随一の精神科医・呉秀三の診断を受けその診断結果は、「ああいう病気は一生治りきるということがないものだ。治ったと思うのは実は一時沈静しているばかりで、後でまた決まって出てくる」というものだった。つまり、不治の病だと宣告されたのである。ところが、妻・鏡子はかえって納得がいき、覚悟が決まったという。 -
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岡田先生の本を読むと過去の経験がまるっと受け入れられるような感覚になる
「過去の傷や渇きはそのままにしておいても絶対に消えることはない。だからこそ正面から向き合わなくてはならない」という旨のことが本書で述べられていた
これはなかなかに難しく、大変なことだ
"信じること"がどういうことなのか最近わかってきたけど、"許すこと"がどういうことなのかはまだよくわからない
藤井風の帰ろうにその本質があるような気がしていて、とすると許すこととは"忘れること"なのではないかと思う
必ずしも痛みと正面から向き合う必要はないのかもしれない
✏自分は大丈夫だという安心感は、自分の力に対する自信からだけではなく、困ったときはきっと誰かが助けてくれるという周囲に対する信頼感(=基本的信頼感)からもきている
✏母親が自己愛的になるということは、母性を失うということに等しい
✏自分自身が自立していない母親は、自分の人生を主体的に生きるということができないため、思い通りになる子どもを、際限なく甘やかすことで、ある種の代理的満足を得ようとするのだ
✏オキシトシン・リッチな人では、寛容で、とらわれない性格を示しやすいのだが、オキシトシン・プアな人では、厳格で、ルールに縛られ、潔癖になりやすい
✏そもそも自立という関門は、ある意味、母親に見切りをつけるプロセスだと言える。(中略)たっぷり甘えて、愛情をもらった人のほうが、この関門を容易に通過できるのだが、母親に愛されなかった人ほど、未練が強くなる
✏完璧を求めるのは、思春期までで十分だ。そろそろ終わりにしよう。大人として円熟するということは、完璧へのこだわりを卒業するということなのかもしれない
✏母親から愛情をもらえず、母という病を抱えた人は、しばしば自分が誰かの親代わりの存在になることで、自分に得られなかったものを他人に与え、それによって自分の抱えた傷を乗り越えようとする
✏苦しみの九割はら自分自身の傷つきやすさと人を信じられない気持ちが作り出している
✏思い込みは、傷ついた気持ちが映し出された幻だ。幻にとらわれて、過剰反応してしまうことで、余計に事態をまずくしてしまう
✏親のことを許すことができたとき、子どもは自分に対しても、誰に対しても、大きな肯定を手に入れることができる。人生に対して、これで良かったと思うことができる。
✏そしてある日、まるで自分を蝕んでいた害毒がら透明な結晶となって固まり、取り出されるように、心から剥がれ落ちる -
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生き抜くために必要なのは、学問としての哲学ではなく現実の苦難を生き抜くための哲学であり、それは生々しい一人の人間の叫びや、言葉にはならない生きざまの中にある
本書はいくつかの例を提示していく中で、自身の哲学を感じ取るうえで手がかりを与えてくれる
東大の哲学科に在籍していただけあって他の著書でも哲学を根底においた考え方は垣間見えているが、この本では一貫して哲学を語っているのが特徴的だった
哲学と言われるとなんだか固いもののように捉えてしまうが、誰の心の中にも哲学はある
ただ多くの人はそれに気づけていないのではないか
著者も言うように生きるための哲学など必要ない人は幸福である。
しかし、自分自身の中に哲学を見出し、生きる術を自身の力で掴み取った人もまた、幸福であると思う。
✏科学的アプローチや科学としての医学だけでは、人は救われない。
✏お互いが安全基地となるうえで心すべきことはなんだろうか。(中略)それは、人に関わるスタンスが、所有なのか共感なのかという点である。
✏親に対して優しい感情を取り戻し、身に受けたことを許せる人は幸福だろう。もっと幸福な和解という形をとることができれば、幸福であろう。
この小さな人間が、一人の人間を育てるのに、どれだけの困難と苦労を味わっただろうと愛おしさを感じ、自分が身に受けた悲しみや困難も、やむを得なかったことなのだと受け入れ、恕すことができれば、さらに心は楽になり、こだわりなく前へと進んでいけるだろう。
✏心が弱ったとき、人は幼児のような心理状態にさえ戻ってしまう。我が子を顧みる余裕がないどころか、我が子に傷を負わせるために、自殺しようとする人さえいる。愛する者に永久の痛みを与えることで、せめて自分の存在を、そこに刻みつけようとするのだ。
✏関係が行き詰まれば、安全装置が作動して、切り離しが行なわれる。(中略)束の間にしろ愛した存在の価値を否定することで、自分を守ろうとする。人によっては、相手を嫌悪し、「最低なやつだ」と憎悪をむき出しにするところまで行き着く場合もある。
そう思うことで、自分が短い間でも、その存在に安全基地を期待するという"過ち"を犯したことが、自分のせいではないと思えるのである。自分の期待に応えてくれない存在を否定し、貶めることは、姑息な自己防衛だとはいえ、それもまた生き延びるための防御反応だと言えるだろう。
✏結局、ほしかったのは、変わらない愛情なのである。ひねくれて、いじけた、愛情不足の心さえも有無を言わせずに包み込んでくれる、限りない不動の愛なのである。
それをしっかりと確かめることができさえすれば、大きな安心感が次第に蘇り、もう自分や相手を傷つけたり、試す必要もなくなっていく。
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パーソナリティ障害は、一言で言えば、偏った考え方や行動パターンのため、家庭生活や社会生活に支障をきたしている状態
(支障が出てなくとも特性がある場合はパーソナリティと呼ばれる)
大きな特徴は、自分に強いこだわりを持っていることと、とても傷つきやすいこと
パーソナリティ障害は本書では10に分類されており、それぞれの特徴や克服方法、また当事者との関わり方について説明している
ちなみに1つだけのパーソナリティに当てはまるケースは意外にも少なく、2.3個の特性を持つ人の方が多いそう
障害の診断まではいかずとも多くの人に特性はあって
その特性について知ることは、自分や他人との向き合い方におけるヒントを与えてくれるんじゃないかなと思う
発達障害のように一方的に広く認知されるのは問題があるだろうけど…難しいところ -
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発達障害は生物学的基盤によって起こる中枢神経の機能的発達の障害とされ、遺伝要因が強いことがわかっている。
しかし、遺伝要因が強いはずの「発達障害」と診断されるケースが近年急増している
その背景には、第二の遺伝子とも呼ばれる"愛着スタイル"が関与していると考えられる
生育史上の問題は、心理学的な問題だけでなく、生物学的、生理学的なレベルでも影響を及ぼしていることがわかってきた
ここで引き起こされる症状が、発達障害の症状に類似するのだ
そのため、専門家は発達障害と愛着障害を見極める必要がある
ところで、「障害」という診断は子どもにくだしてもいいのか。
前向きに乗り越えれる子どもがいる一方で、強い自己否定にとらわれる子どももいる。
また養育要因があることについても専門家は慎重に扱わなければいけない。
不用意に養育者に責任を求めると、子どもだけでなく親までもが強い自責の念に囚われてしまうからだ
そのことを踏まえ、周囲の大人が「発達障害」と呼ばれる子どもたちの特性を見極め、そこを伸ばしていけるような環境をサポートできるのが理想であろう
✏安全基地として機能しているかどうかを見分けるには、「何でも話せる人がいますか?」と尋ねてみれば良い。
そこで親や配偶者など身近な家族を挙げる人は、安全基地がうまく機能している人である。
それに対して、誰もいないとか、家族以外の友人やメル友しか心を打ち明けられないという場合、赤信号だ。 -
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アスペルガー症候群とは知的障害、発達の遅れを伴わないASDのこと
(ASDは「自閉症」「高機能自閉症」「アスペルガー症候群」の総称)
アスペルガー症候群の傾向を持った人でも、診断基準をきちんと満たすのは一般人口の0.5%程度
それよりもはるかに多いのが、診断基準の一部を満たす特定不能の広汎性発達障害である
どちらの場合にせよ、大人になるにつれ診断名が変わるか、なくなる場合さえあるらしい
ASDは自閉症スペクトラム障害とも言われるように、軽度/重度といった線引がなく、スペクトラムの中には「健常」も含まれる
つまり、自閉症スペクトラム障害にみられるような特徴は、実は程度の差こそあれすべての人が持っているのだ
それを元に考えれば、誰にとっても、この障害の特性を知ることでその人らしい人生を歩むためのヒントがもらえるのではないかと思う
✏人とモノの違いは、顔をもつか、もたないかだとも言い換えられる
✏現代にアスペルガー的な人が増えているとすると、それは、アスペルガー的な遺伝子をもった人が子孫を残しやすくなっているということである。
✏唯一の欠点といえば、それは遺伝的な問題だろうか。似た者夫婦仮説について述べたが、遺伝学的には、自分と傾向が似すぎている人と結ばれることは、遺伝的な偏りを強め、とても優れた組み合わせになることもあれば、負の側面を強める場合もある -
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境界性パーソナリティ障害は、性格に関係なく発症する。
ただ、原因は長い時間をかけて用意されている。きっかけは、たまたま最後のひと押しになっただけなのである。
診断基準は割愛するけど、つまりは以下のようなメカニズムで起こるらしい。
人は思春期を迎えるまでは親から与えられたものをそのまま鵜呑みにして、自分を形成する
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思春期頃から自己意識が育ってくるにつれ、今まで自分だと思っていたものが、実は親から押し付けられたお仕着せにすぎないことに気づく。
それに抗おうと、それを一旦葬り去り、自分の手で自分を作り直そうとする。
この時期に親に嫌悪感を抱くのはこういった心理状況が反映されるかららしい。
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しかし、そこで親に作られた自己の支配力が強すぎると、自己の形成がうまくいかず、不安定になってしまうのだ
✏何でも親がかりで、自分の力で努力して物事を達成するという経験が乏しい人では、本来の自尊心や自信が育まれておらず、心の底では自己否定感を抱いている
✏このタイプの人では、自己と他者との境目が曖昧で、十分に区別できていない。
自分が好きというものは、相手も気に入るに違いない、逆に、自分が嫌いなものは、相手も嫌うはずだと思う
✏自我が未分化で他者と混同しやすい傾向は、その人の中に他者が絶えず介入し、その安全や主体性を脅かしてきたことの名残でもある
✏自分の非を認めることには苦痛が伴う。そのため、それを強がりによって跳ね除けようとする反応が起こる。抑うつポジションを避けるために、強気な態度を取り、自分を守ろうとするメカニズムが「躁的防衛」である
✏境界性パーソナリティ障害の人では、うつになるのを防ごうと、しばしば躁的防衛が見られ、心にもない強気な態度や居丈高な態度を取ってしまう
その一方で、躁的防衛が破れると、急に弱気になり、すべてがだめだと思ってしまって、深く落ち込んでしまいやすい。
周囲の人は、躁的防衛の鎧を真に受けないことがポイントである
✏このケースで両親に共通するのは、とても常識的で、倫理的にもきちんとしているが、自分たちの視点からしか相手のことを考えられず、その子の視点に立って気持ちを汲むということができにくいからである -
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「症状」が真の問題ではないっていうのは本当にその通りで、そこが精神科の難解さの所以の1つだと思う
この本の著者みたいに、自分も誰かの世界を広げられる人でありたい
✏傷つきやすい傾向を抱えた人は、過去には実際に傷つけられた体験をしていることが多く、さらにはその「自分を傷つけた人」が、本来であれば自分を一番に守ってくれるはずの親であったことも多い。
また、親が意図的に傷つけてきたというよりも、親にはそのつもりはなかったが、結果的に傷つけてしまったというケースも多い
✏愛着障害によって問題行動を起こしたり、発達障害のような症状が現れることがある。
ここで、親が自分の基準から外れた子を「悪い子」とするだけでなく、医学までもが、親ではなくその子の方を「異常」と診断することは、虐待に加担することにはならないだろうか。
✏「心的等価の様式」の状態では、自分が感じていることや考えていることと、外的な事実は、区別されない。
自分が主観的に感じていることが、そのまま客観的な事実なのである。
ひどいことをされたと感じたら、それがその人にとっての現実なのである。 -
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社交不安障害とは、人の関わる場面において、不安や緊張が強いために、社会生活に支障が出る状態
これまで重要視されてきたのは、人そのものが怖いというよりも、人から受ける「否定的な評価」が怖く、人を避けるようになるというメカニズムである。
しかし、こうした神経症的メカニズムによってのみ起こるわけではないと著者は考えている。
人の評価など気にしてなくても、対人緊張が強く、人前に出るのを避けたがるケースとして
①自閉スペクトラム症など、遺伝的・発達的要因が強いケース
②養育の問題で起きた愛着障害のケース
③トラウマ体験が原因となり、人間に対する恐怖感や強い不信感をもっているケース
の3つのタイプに分けられる。
こうしたメカニズムを踏まえ、克服するためのプログラムが本書で提示されている
✏過保護な養育は、社会的な体験や訓練の不足の原因となったり、現実対処能力や自信の低下を招いたりしやすいと考えられる。
✏破局的思考とは、ごく小さな悪い兆候を、最悪の事態のように受け止めてしまい、「もうダメだ」と絶望的な結論に陥ってしまうことである。
✏青年期には、進路決定や現実的な課題を避けることで、自己を模索する時間を確保しようとする状態が見られることがある。
そのため、外に出られなくなっていることや、人に会うことに強い抵抗を示すことを、症状だけで「社交不安障害」と捉えることではうまくいかない -
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精神医学の視点からHSPが解説されている
過敏性は大きく「神経学的過敏性(感覚過敏など)」と「社会心理的過敏性(人の言葉に傷つきやすいなど)」の2つに分けられる
前者は、一般に遺伝要因や生まれ持った生得的要因が強いと考えられており、
一方、後者は、養育要因や社会的体験ら愛着対象との関係などが強く影響していると考えられている
別の本で5人に1人は生まれつきHSPの特性があるって書いてあったけど、後天的にHSPになった人もそこに含まれてるってことかな
後天的になったケースだと発達障害や愛着障害といった複雑な背景が絡んでくるから、判別が難しいらしい
✏過敏性には低登録という一見相反する症状が伴うことがある
低登録の症状として、最初の一言を聞き逃す、捜し物が目の前にあるのに気づかない、服に値札がついてることに気づかない、スイッチの切り替わりが悪い(なかなかやり始めないのにやり出すとやめられない)などがある
✏親側の条件にコントロールされて育つと、その人自身もいつの間にか、自分の期待通りなら「良い人」と思い全面的に肯定するけど、期待と少しでも違うと厳しい評価になり「悪い人」とみなして全否定するという、全か無かの二分法的な態度を身に着けてしまいやすい
✏無条件に愛されることを味わえないことで、その人も無条件に愛するということができず、最初は全肯定し理想化するけれど、やがて粗が見えてくると騙されたと感じ、全否定し始める -
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適応障害とは、居場所がない、あるいはプライドを傷つけられら心が折れかかった状態である。
この段階ではまだ復元力があり、不適応を起こしている環境から離れたりストレスが減ると、速やかに回復するのが大きな特徴である。
しかし、そのままにしておくと心がポキっと折れ、すぐには元に戻らない状態になってしまう。
そのため、早い段階で対処することが大切である。
✏適応障害は、元々適応力がとぼしい人ばかりがなるのではない。全く逆に、人一倍前向きで、適応力にも優れていると自他共に認めるような人でも、適応障害になる。
適応力のある人、忍耐呂のある人は、少々過酷な環境でも自分なら耐えられるという過信があり、弱音を吐かずに歯を食いしばって、なんとか乗り越えようとするからである。
✏小さい子どもの適応障害は、外向きに行動化し、問題行動という形で現れることも多い
ここでの問題行動は、うつや不安が強まることに対して、自分の身を守ろうとする代償的行動だと言える。やり返すことで、どうにか自分のプライドと心の均衡を保とうとしているのだ。
✏ストレスや逆境に強いプライドの持ち方とはどんなものだろうか。それは、自分が最善の信じる行動にプライドをもつことだ。
相手の評価や物事の結果は様々な要素によって左右されるが、自分が最善と信じる行動をとることは、自分の信念や努力によるものだから、何者にも左右されない。 -
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極めて異常な状態は、誰にでも見られる正常心理からそのまま連続している
つまり、異常心理は決して特別な人の心に潜むものではなく、誰の中にもある心の状態だということを理解しておかなくてはならない
✏完璧でない、不完全な自分に耐えられる力こそ、混乱した見通しのない時代を生き延びるために必要である
✏窃盗癖や過食症は、幼い頃に刻まれた根本的な欠落やそれに対する飢餓感釜存在していて、それを過剰なまでに代償しようという衝動に駆り立てられているということである
✏真っ正直で嘘がつけず誠実な性格というものは、心に二面性を抱えられないという内面的構造の単純さに由来する問題であり、ある種の未熟さを示していると考えられる
✏疲労やストレスによって前頭前野のコントロールが低下したとき、扁桃体に刻まれた否定的体験から生じるネガティブな情動を抑えきれなくなり、思いがけない攻撃性や感情の爆発が起きやすい
✏完璧な自分が最善なのではない。完璧な存在を求めることは、将来の破綻を用意することになりかねないのである。
完璧なものよりも、不完全な存在こそが安定したものであり、それを受け入れ、さらけ出せることが、人から受け入れられ、愛されることにもつながるのだ。