バンビは(ディズニーの映画は有名だけど)原作を読んでいる人はあまりおらず、映画とはかなり違う、ということは知っていた。
岩波少年文庫で読んでみようかと思ってからもう長いこと経ってしまったが、酒寄さんの新訳が出たのでいい機会だから読んでみることに。
ディズニーアニメでは火事が大きな事件だったが、こちらで森の動物たちの恐怖の対象となるのは人間。
ハンターがしばしばやってきて、鹿や鳥を殺していくことが最大の恐怖で、それに比べれば鹿同士の喧嘩や冬の寒さや飢えなどは大した問題ではない。
狐はいるが、鹿を捕食するような大型の肉食獣はいないので、人間さえ来なければ平和で豊かな森なのである。
ザルテンは他にも動物の物語を書いていて、解説で紹介されているが、今は『バンビ』以外一般には読まれていない。
ザルテンは1869年生まれで1945年没。シートンは1860年生まれで1945年没。
ほぼ同時代を生きて、同じ動物物語を書いたのに、シートンより読まれていないのは、動物が会話するからだと思う。シートン作品は自然科学の作品としてもいいけど、生態がきちんと描かれているとはいえ人間同様会話するとなると、物語としてしか扱えない。鹿も鳥も虫も、なんと葉っぱまでが会話する。宮沢賢治の作品でも動物や植物が会話するけど、あれは文学作品(賢治の思想を書いた作品)で、こういう動物物語とは違うからなあ。シートンよりアニメにしやすいのも会話するからだろう。
しかし、会話するからこそ、バンビの成長が人間と同じように感じられるという点は長所でもある。
幼児期は無邪気で母親に甘え、思春期には喧嘩したり競争したりし、恋をして恋する相手以外何も見えなくなり(発情期)、青年となって生き方に悩む(悩み始めたら恋の相手のことはすっかり忘れてしまうのは人間にもあるあるだ。)。幼児期には母親が、思春期以降は古老と呼ばれる牡鹿が導いてくれるところが古典的な成長物語という感じ。
恐怖の対象であった人間もいずれ死ぬ身の同じ動物である、と気づくのはまあいいけど、「わたしたちすべての上に、わたしたちとアイツ(人間)にまさるものが存在するということなんですね」(P266)にはがっかり。鹿がそんなこと思うだろうか。それは人間の発想じゃない?
でも、読んでみて良かった。日本でも椋鳩十や戸川幸夫ら動物物語を書く作家が出てきたのも、ザルテンやシートン、バージェスらがいたからだろう。(バージェスの動物もしゃべっていたような記憶が。でも数十年前の記憶なので違うかも。)ジャック・ロンドンなんかも。
動物にも感情があるという今では当たり前のことも、当時は新しかったのかもしれない。