酒寄進一のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
イギリス人作家マイケル・モーパーゴの作品を読み、ドイツ人作家は大戦をどう書いているのか知りたくなって読んだ。
1919年、1933年、1945年のベルリンを舞台とした「ベルリン3部作」全6巻。ゲープハルト一家が3代にわたって各巻の主人公として描かれる。
政党名も覚えられず、登場人物の名前も何度も確認しながら、それでもシンプルに「なぜ人をたくさん殺す状況が起こったのか」を知りたかった。単純にナチスは悪い、ヒトラーは酷い、で片付けるのではなくて。なぜそうなったか。
全6巻を読んで、まだその答えを持てない。本文中、各登場人物はそれぞれの考えを言っていた。ナチスなら貧しさから逃れられると信じたとか、ヒトラーの掲げる他民族排斥がまさか本気だとは思っていなかったとか、共産主義よりはナチスの方がましと資本家が傾いたとか。
まだまだ理解できていないことがたくさんある。とりあえずのものであっても、自分の考えを持つにはもう少し、複数の文献にあたらないと。
当初からナチスに反対し続けていたゲープハルト家の父親が、ナチスを信じたのは間抜けだったと謝罪する人たちへ向けた言葉。
「おまえたちが間抜けだったのは、間抜けでありたいと思っていたからじゃないか!」 p.251 -
Posted by ブクログ
ネタバレシーラッハの長編と短編を1冊ずつ読んで、今度は戯曲。
戯曲は好きだけど、会話劇だとさすがにあの独特な乾いた文体は味わえないのでそこは残念だった。
紹介文を読んだときは、この判断は本当に難しいな…と思ったが、途中でスタジアムの観衆を避難させる時間は十分あったとわかった時点で、一体何を裁く必要があるのか?と思ってしまった。
被告人のパイロットは確かに命令を無視して独断で行動したけれど、そもそもそんな決断をせざるをえない状況にしたのは誰なのか。
諸悪の根源テロリストは別として、次に責められるべきは避難という手段を取らなかった軍の対応ではないのか。
軍は命令が絶対、ということは、責任は当然トップにあるはず。それなのに被告人だけが責められている状況には違和感しかなかった。軍の責任者も別途起訴されているのならまだわかるのだが…。
その点で私は「無罪」を選択した。もし避難の時間がない前提としたら、、その場合はかなり悩むが、やはり無罪に傾いた気がする。
実際に舞台で上演されているのを観たかった。再演があれば行こうと思う。 -
Posted by ブクログ
★3.5
豪華クルーズ船の中で、乗客が消える・・・。じつは、そんな出来事が、毎年少なからず起きているそうです。この作品は、その様な出来事が下になっています。
船の中でのパニックモノと言えば『ポセイドン・アドベンチャー』が有名ですが、この作品は、パニックモノと言うより、犯罪モノです。それでも、逃げ場のない船の上で起きる犯罪は恐ろしいですね。しかも、その犯罪は、二重三重にトリックや騙しが仕掛けられていて、最後の最後まで気を抜くことは出来ません。
この作品の面白いところは、映画のエンドロールの後にも少し物語が続くかの如く、著者の謝辞の後に、エピローグがあるところ。著者は気を使って、興味が無ければ先に進んでくださいという事を書いています。そのエピローグも、二重三重と言ったトリックや騙しの一つ。なので、二重三重ではなく、四重五重なのかもしれません。 -
Posted by ブクログ
主人公は文字の一つ一つにまで色を感じるという特殊な色彩感覚の持ち主、ゼバスティアン。
多感な時期に父親を自死という形で亡くし、乗馬以外に興味のない母親とうまく折り合いをつけられず、寄宿舎生活を終えると、写真家として歩み始めたる。
何だか歯車が合わないなりにも恋人もでき、順調な毎日を過ごしていたが、ある日突然、若い女性の殺人容疑で逮捕されてしまう。
捜査官に強要され罪を認めるも、敏腕弁護士ビーグラーによって、驚くべく事実が明らかにされる。
ハイテクを駆使した写真のなりようや、弁護士の刑事に対する禅問答もどきのやり取り、あとがきで”日本の読者のみなさんへ”と題して良寛の俳句を取り上げているあたりなどからも、なんか日本の文化に傾倒されているのかなと思わされますが、でもそのような事柄が私には理解できなかった、残念ながら。
特に写真を使ったトリック?わからない。
シーラッハは、「犯罪」や「罪悪」を衝撃的な思いで読んだので、以降も楽しみに読んだのですが・・・ -
Posted by ブクログ
バンビは(ディズニーの映画は有名だけど)原作を読んでいる人はあまりおらず、映画とはかなり違う、ということは知っていた。
岩波少年文庫で読んでみようかと思ってからもう長いこと経ってしまったが、酒寄さんの新訳が出たのでいい機会だから読んでみることに。
ディズニーアニメでは火事が大きな事件だったが、こちらで森の動物たちの恐怖の対象となるのは人間。
ハンターがしばしばやってきて、鹿や鳥を殺していくことが最大の恐怖で、それに比べれば鹿同士の喧嘩や冬の寒さや飢えなどは大した問題ではない。
狐はいるが、鹿を捕食するような大型の肉食獣はいないので、人間さえ来なければ平和で豊かな森なのである。
ザルテンは他にも動物の物語を書いていて、解説で紹介されているが、今は『バンビ』以外一般には読まれていない。
ザルテンは1869年生まれで1945年没。シートンは1860年生まれで1945年没。
ほぼ同時代を生きて、同じ動物物語を書いたのに、シートンより読まれていないのは、動物が会話するからだと思う。シートン作品は自然科学の作品としてもいいけど、生態がきちんと描かれているとはいえ人間同様会話するとなると、物語としてしか扱えない。鹿も鳥も虫も、なんと葉っぱまでが会話する。宮沢賢治の作品でも動物や植物が会話するけど、あれは文学作品(賢治の思想を書いた作品)で、こういう動物物語とは違うからなあ。シートンよりアニメにしやすいのも会話するからだろう。
しかし、会話するからこそ、バンビの成長が人間と同じように感じられるという点は長所でもある。
幼児期は無邪気で母親に甘え、思春期には喧嘩したり競争したりし、恋をして恋する相手以外何も見えなくなり(発情期)、青年となって生き方に悩む(悩み始めたら恋の相手のことはすっかり忘れてしまうのは人間にもあるあるだ。)。幼児期には母親が、思春期以降は古老と呼ばれる牡鹿が導いてくれるところが古典的な成長物語という感じ。
恐怖の対象であった人間もいずれ死ぬ身の同じ動物である、と気づくのはまあいいけど、「わたしたちすべての上に、わたしたちとアイツ(人間)にまさるものが存在するということなんですね」(P266)にはがっかり。鹿がそんなこと思うだろうか。それは人間の発想じゃない?
でも、読んでみて良かった。日本でも椋鳩十や戸川幸夫ら動物物語を書く作家が出てきたのも、ザルテンやシートン、バージェスらがいたからだろう。(バージェスの動物もしゃべっていたような記憶が。でも数十年前の記憶なので違うかも。)ジャック・ロンドンなんかも。
動物にも感情があるという今では当たり前のことも、当時は新しかったのかもしれない。