ジュール・ヴェルヌのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
上下巻の装丁の繋がりの登録順番を間違えて、再登録しました。いいね登録をいただいており、そちらも削除する事になり申し訳なく思います。
なんか気になってしまって。
1870年 SF海洋冒険小説。
ディズニーシーの「海底2万マイル」のモチーフ。
乗った事も行った事もないけれど。
第一部
1. 逃げる岩礁
1866年世界中の海で、鯨の様な何かが目撃されて、多くの船が接触等で事故に遭う。
2.賛否両論
海洋研究者アロナクスが「海洋の神秘」という研究が認められてアメリカの調査船に乗り込む事になる。
3.旦那様のお気に召すままに
忠実で献身的な召使の若者コンセイユを伴い、エブラハムリンカーン号へ。
4.ネッドランド
フランス系カナダ人の鯨漁銛撃ち名人ネッドランドが、一角獣と思われている奇獣を撃つ為、同乗。
5.行きあたりばったり
他船の船長が、ネッドランドに鯨漁を依頼。きっちり仕留める。日本からアメリカあたりを航海。乗組員達に不満が積もる。
6.全速力で
遂に巨大生物と遭遇。全速力で追跡。最大火力で近づくも、衝撃で海へ投げ出される。
7.新種のクジラ
研究者とコンセイユ、ネッドランドは、海上で鯨の正体が、鉄板でできていると知る。
8.動中の動
三人は、鯨と思われていた潜水艦の中に誘導される。
9.ネッドランドの怒り
食事はでるが軟禁状態の三人。
10.海の人間
潜水艦の持ち主は、ネモ(無名)艦長。三人の生活は、保障するが、地上に戻すつもりは無い。
11.ノーチラス号
潜水艦はノーチラス号。艦内を案内され、素晴らしい部屋、名画、書物に感動。
12.全ては電気で
艦内はオール電化。
13.いくつかの数字
ノーチラス号の優秀さを具体的な数字で表現。
14.黒い川
黒潮の流れに乗り日本の近くを渡航。潜水艦の窓からの海底の驚愕。
15.招待状
ネモ艦長から、森で狩猟ののお誘い。陸に上がれると思いきや、海底の狩猟だった。
16.海底平野を散歩する
潜水服を着用して海底散歩。海底の森へ。
17.海底の森へ
ネモ艦長の所有する海底の森の水中動植物に圧倒。
18.太平洋の海面下を4,000里
太平洋の海底で出会う様々魚類。そして海底に沈むフロリダ号
19.ヴァニコロ島
海底に見る多くの難船。サンゴの墓に眠る。
20.トレス海峡
パプアニューギニアのサンゴ礁の海底を進む。ノーチラス号が座礁か。その間、ボートで島に上陸する三人。
21.陸上での数日
久しぶりの陸地。果物、パンの木、鳥と陸のご馳走に大喜び。
22.ネモ艦長の電撃
島の原地人から襲撃を受ける。電撃手摺で反撃。
潮が満ちて、サンゴ礁から抜けトレス海峡を抜ける。
23.病的な眠り
再び海洋航海。再びの軟禁状態。夕食後、激しい睡魔に襲われる。
24.サンゴの王国
目覚めると乗組員の一人が瀕死の重傷。脳挫傷で助けられない。亡骸をサンゴの墓に埋葬。
まだ潜水艦が実用化されていなかった時代に、詳細な海底の様子などに驚く。
ネモ艦長の正体、この社会を拒絶した生活の意味するところは、下巻へ。 -
Posted by ブクログ
140年前に出版された名作ですが新鮮です!
書店で装画を見たときにワクワクして上下巻共に買ってしまいました。この本は新潮文庫の新訳名作コレクションでしかも刊行当時(1871年)の挿絵をふんだんに収録してあり古典空想冒険小説の新しい装いに気持ちが早くも海底の旅に巻き込まれます。
物語は1866年に世界中を航海する船舶から超大型級鯨が多数目撃される、1867年には大型客船との接触事故が発生し航海の安全と世間の注目からアメリカの軍艦により化け物鯨の退治が実施された。
多くの読者は既知の事と思いますがこの鯨の正体”ノーティラス号”は船長”モネ”によって世界中の海を航海する大型潜水艦でアメリカ軍艦に乗り合わせていた博物学者”アロナクス”とその執事”コンセイユ”、銛打ちの”ネッド・ランド”がノーティラスに拉致されてから大洋を航海する日誌的物語です。
作中には様々な海洋生物や植物が登場し少々うんざり感もありますが、何と言っても未だ見ぬ海底世界がページを繰る毎に目の前に広がりとても140年前の小説とは思えません。やはり名作古典と言われる作品ですね。秀逸なのはモネ船長や乗組員の謎めいた行動や思考が深く暗い海底にシンクロしてこの旅の最初から最後迄目が離せないところです!
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Posted by ブクログ
1863年5月24日ハンブルグ。鉱物学の高名な教授リーデンブロックと、彼の甥で研究助手のアクセルは、教授が持ち帰った稀覯本に挟まれたボロボロの羊皮紙を見つけた。そこに書かれたルーン文字は暗号で、解読は難航したものの、アクセルが偶然解いてしまった結果、それは、地球の中心へ行く方法を示したものだった。好奇心旺盛で行動的な叔父は、その暗号のメッセージに従い、アクセルを連れて冒険旅行に出ることを宣言する。大急ぎで準備が進む中、恋人への未練と危険な旅への恐れからアクセルは躊躇するが、ついに出発の時は来た。冒険の荷を積んだふたりは、アイスランドのスネッフェルス山を目指す。
地球の中心を目指す旅を、アクセルの言葉で、ユーモアを交えて綴った冒険物語。
*******ここからはネタバレ*******
この作品が発表されたのは、今から150年前。未だに読まれているわけなので、本当、古典中の古典。
そのためか、地底の描写(地底空洞説)のみならず、現代の私たちの目から見ると、冒険の準備、装備や行程等あまりにも行き当りばったりで、無謀ではないかという点が目に付く。
例えば、
冒険旅行のことを、教授の養女グラウベン以外に話さずに出かけたこと。彼女も、詳細は知らされていない。これでは、何かあったときにも、対処の仕様がないではないか。
彼らとガイド、合わせて3人の60日間分の食料を、ハンスひとりが持って地下に潜ったとあるが、その大きさはいかなるものだったのだろうか???
地底では、危険が伴うところ以外では3人の体を結束していなかった。暗闇で迷子になったら、メンタルが保てないし、3日間も暗闇の中、6キロも離れた状態から動くなんてありえない。
水を携行しなかったことについては、後にひどい目には遭っているが、そもそも、道中で補えると考えていることが無茶なのでは?
地下水を得るためにハンスがつるはしで岩を掘った際、これについてはかなりのリスクを覚悟していたのに、いくら気が大きくなっていたからといって、地底で爆薬を仕掛けて岩を吹き飛ばそうと考えるなんて、無鉄砲すぎる。
結局、地球の中心には行き着けなかった。今回の功績を基に資金を集め冒険チームを編成して再挑戦したら良さそうなものの、軽率な行動からせっかくの穴を潰してしまっている。これは功績と讃えられるべきなのか?
今なら非難されそうだ。
……等々、ツッコミどころは散見される。
だが、地底で危機に見舞われている最中でも、働き者で冷静沈着なハンスが、毎週土曜日の晩に賃金3リクスダラーを受け取るところでは、息が抜けた。
ハンスは、なんのスキルも必要としないケワダガモ猟の”名人”ということだが、無口で、疲れを見せず、文句も言わず、超人的な働きする。この逸材がいれば、どんな冒険旅行も百人力となるだろう。
地底の空洞世界に着いたあたりから想像力爆発なのか、フィクション感が増して、古典というより(いやいや、本当に古典なのだが)ドラえもんチックになったように感じる(いやいや、ドラえもんがここからヒントを得ているのかも???)。
300頁「ロープの先に思いつるはしをしばりつけ」は、「重いつるはし」の間違いでしょう。
ゆるくユーモアもありますが、今どきの本に比べるとかなり物語のスピードはゆっくりです。
150年前の冒険譚を現代の子どもたちがどう読むのか関心はありますが、これで地学のテストで間違うかも知れないですね。
教授とアクセルとの会話は、やけに専門なところもありますが、あくまで「フィクション」だと前置きして渡したい本です。 -
Posted by ブクログ
SFの祖とも云われる19世紀フランスの作家ジュール・ヴェルヌ(1828-1905)の長編小説、1864年。地理学・地質学・鉱物学・古生物学などの科学的知見と作家の想像力とが融合した空想的科学小説であり、スピーディな展開とスリルに満ちた冒険譚でもある。
本書が執筆された19世紀半ばは、交通・通信・メディアなど科学技術と産業の急速な発展が人々の世界経験を変容させていった時期と重なる。それは、詩人や芸術家を含む同時代人に、想像力のこれまでにない仕方での拡張を齎し、新たな知覚経験(視覚・速度感覚・空間知覚・時間知覚など)を提供することとなる。例えば、1858年に写真家のナダールが気球を用いて世界初の空中撮影を行っているが、ヴェルヌの出世作である『気球に乗って五週間』(1863年)やオディオン・ルドンの『眼=気球』(1878年)といった作品は、こうした同時代の空気の中で生まれている(ヴェルヌとナダールとの間には交友関係があった)。実証主義が興隆した時代は、また同時に想像力が新たな領域を見出した時代でもあった、ということは興味深い。
文化が世俗化する中で、ヴェルヌは子どもの教育向けに啓蒙的な科学小説を多く残したが、そんな彼の作品がランボー、リラダン、レーモン・ルーセル、サルトル、グラック、ル・クレジオら多様な作風の作家を魅了してきたという点も、併せて興味深い。
臆病で優柔不断なところもあるアクセルが、リーデンブロック教授(知性と情熱の研究者)と現地人ハンス(如何なる危機的状況にあっても超然として動じることなく実務をこなす案内人)との冒険を通して成長するという筋書きを読むにつけ、「教養小説」なるものは、単なる抽象的な"人間"としての成長を目指しているのではなく、飽くまで"男"の物語であり、"理想的な男性像"を獲得しジェンダー規範を習得すること="男になる"ことを目指すという意味で、ジェンダーバイアスのかかった代物なのだと改めて感じた。帰還後、主人公は恋人との結婚を果たす。
「おまえの言うことは、意志を失った男、エネルギーのない人間の考えだ!」