藤原正彦のレビュー一覧
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すごく面白かった!に尽きます。
数学者にしてこの文才。当時のアメリカの様子や社会的問題、著者の心の移り変わり、アメリカ人に対する見方の変化などが各章ごとにまとまっていてとてもよくわかります。頭脳明晰としか言いようがありませんが、それだけではない著者の人柄が滲み出ており、最終的には『愛なしでは人間は人間であり得ない』と言うところに行き着いているところにも表れていると思います。
また、ユーモアもあって色々な場面で何度も笑ってしまいます。アメリカに対し、初めは対抗心を持っていた著者が、一時は疎外感からノイローゼに陥り、フロリダで心が解放されアメリカを好きになる事で克服してからの、その後のアメリカに対する理解が深まる様子はすごい。
アメリカ人の国民性についてのお考えは、ある一つの見方と言えるのかも知れませんが、アメリカと言う国を理解する上で十分納得性があり、その国民性や多様性の問題などについては、現在もなお当てはまるものであると思います。
日本人としての自覚も改めて高まりました。 -
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著者の1987年の1年のケンブリッジ大学での客員研究員としての生活を描いているが、1年とは思えないほど濃い内容でとても良かった。またイギリスやイギリス人についての説明が興味深く、イギリスやヨーロッパに対する理解が深まった。ただ自分のいったジョークが受けた、的な自慢めいた記載も多く少し鼻につく。メインは次男が学校でいじめられた時の父親としての心境、行動だろうが。このあたり、子供も心配だが仕事も重くてなかなかそこまで手が回らないなど同じ父として非常に共感するものがあった。
ルース・ローレンスという15歳で博士論文を書いている天才少女の話が出てきた。これに対して著者は、こうした天才児は時々報道されるがその後大成したとういう報道は一度も聞いたことがない、と否定的な感想を述べている。実際、このころから25年ほどたっているが、ルース・ローレンスさんはイスラエルの大学の准教授であり、それほど目立った業績を上げている様子はない。著者は数学ばかりやってきた彼女にたいし、野山を駆けまわったり、恋をしたり、文学や音楽に感動するなどといった経験を通して得られる情緒なくして良い研究ができるのだろうか、と心配する。このあたりも共感した。 -
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非常に刺激的だった。
・教養の変遷という視点からではあるが、人類史における大きな流れや転換期をストーリーとして理解しやすくなる。歴史の一テキストといっても良いかもしれない。
・各イデオロギーにはそれぞれのデメリットがあるが、教養がその打開策になりうるというのは個人的に大きな発見だった。
・これまで民主主義は最善と考えていただけに、批判的思考がまだまだ足りていないと自覚されられた。
・本書の構成や解説は論理的でとても読みやすくありつつ、主観をしっかりと盛り込み、個人的な感情を明確に出している。このことこそが、教養ある人が持ちうる、いわるゆ「論理一辺倒ではなく情緒や形を基盤とした思考」である証左といえよう。
主張の内容を文体で体現しているこのスタイルは、他に頭に浮かんだものとしては(例として不適切かもしれないけれど)例えば漫画のバクマンなどにも共通している。
各所に英国仕込みと思われるユーモアも忘れない。
主観をはっきり打ち出すと、今日では「それはあなたの感想ですよね?」とでも揶揄されそうではあるけれど、教養や、ある程度のリテラシーがあればそれもまた一意見として受け止められるだろう。
著者の域に立ち、それを超えられるまで、更に精進していきたい。
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ところどころで涙が出た。読んで良かった。
今でも思い出しただけで目が潤む。
主人公は外国人なのに、ところどころで自分が日本人であることを再認識させられる不思議。(私の場合は『思い出させてくれる』の方が近いかも)
それほどモラエスさんの日本にい対する知識や適応力はずば抜けていた。(よくよく考えたら明治・大正・昭和の日本を生きている!)
亜珍の存在。昔だったら彼女の暴走に腹を立てていただろうけど、出自や身の上を考えると、どちらの気持ちも分からんでもないんだよなー…
それでも睨むようにこちらを見る彼女の写真を見ると、やっぱりこの人苦手…に切り替わる笑
坂の上を目指す日本と、もはや小国への末路を辿るポルトガルの対比も見事だった。変わりゆく故郷との訣別を心に決めるも、ふとした時にそれを思い出してしまう。そのポルトガルもモラエスさんの死後ドイツに占領されることを知っているから、せめて生前だけでも綺麗な形で故郷のイメージを残して欲しかったとか考えてしまう。(読み手の辛いところは歴史を知ってしまっているところ…)
新田氏が命を賭し、バトンを繋いだ御子息の藤原氏がライフワークさながら年月をかけて調査・書き上げた超大作。
なかなか聞かない例だから文体とかどこかで違いが出てくるかと思っていたけど、二人の人間が書いたことを忘れるくらい何の違和感も持たずに読みふけった。
出版に至った際、藤原氏は新田氏の無念を晴らしたのと同時に父親へのサウダーデに溢れていたのかな、とも。氏へのやり切れないであろう想いを想像したら二重で涙が出てきた。 -
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グローバルスタンダードの背後にあるアメリカの意図を知ったのは衝撃的だった。
アメリカに言われたから郵政民営化を行った事は知ってはいたが、民営化する事で惰性ではなく金儲けを考えられるように郵便局が変わったと感じていたからだ。
日本から資産が大量に離れていると知れたのも、この本を通してだった。
この本を読んで危機感を感じた。
第一次世界大戦後に日本が第二次世界大戦に走るまでの間にどのような流れがあったのかも知らなかった。
教養層の人々が戦争に向かっていったのは、世界を知らない軍人と日本人特有の同調圧力のせいだと思っていた。
それもあるとは思うが、歴史的な流れを知ると教養層の人間が日本人的な人情を忘れていたという事もあるのかもしれないと感じた。
しかし、自由経済に染まっている私の頭では、理解できない部分も多かった。
弱者を助けなければならないと言うけれど、弱者は時代の転換期に変わろうとしなかった怠け者のように感じる。
機会があったのに変化を望まなかったからこそ、弱者になったので自己責任ではないのかとさえ思う。
私は日本人的な人情が欠如している可能性がある。
本書で紹介されていた書籍をまずは一度読んでみようと思う。
また、歴史についてもシッカリと学ぶべきだ -
Posted by ブクログ
言うまでもなく『教養のススメ』的な内容なのですが、知識と教養があるはずのエリートたちがなぜ戦争を防げなかったのか?などの問題提起もあり、教養の両側面について述べた良書だと思います。個人的には中間部分の教養の歴史についての記述がおもしろかったです。人類の歴史をたどっていると言っても言い過ぎではなく、人類がどのように叡智を受け継ごうとしてきたのかについては興味が湧きます。少し前に読んだ『イモータル』という小説を併読されてもおもしろいかもしれません。教養を身に着ける手段として、結局『本を読め』だけなのはちょっと残念ですが、ぜひ読んでみてください。
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Posted by ブクログ
スマートフォンを使うようになってからは、紙の本だけでなく電子書籍も読むようになった。しかし著者は、「電子書籍では、本に染み付いた思い出が甦らない」という。
確かに、と思う。電子書籍では書き込みは難しいし、本の重量、ページをめくる音、紙の重量、質感、匂い、字体の違いなどが味わえない。それに、スマートフォンは本が何より教えてくれる「見えないものを大切にすること」つまり想像力、「自分にはまだまだ知らないものが世界にはある」という謙虚さ、次の行、文の間にある時間的、空間的な「間」をことごとくそいでしまう。
とりあえずオンラインストアアプリ、ゲームアプリは削除した(またインストールしちゃうだろうけど…)。スマートフォンから離れ、読書をすすめる本に齋藤孝「ネット断ち」(青春出版社)があるが、こちらの方が、私にとっては説得力がある。 -
Posted by ブクログ
イギリスに住んでいた人の目線から見た、風変わりなイギリス人のものの考え方や日本との文化の差についての言及が非常に多く、観光者としてではなく居住者としてその土地の人びとと関わらないと見えてこない外国の側面が描写されており、非常に興味深く読むことができた。特に第十二章でイギリス特有のユーモア感覚について書かれた箇所は一読の価値がある。イギリスの料理はおいしくないという話は所々で耳にするが、この本でもイギリス料理に関しては辛辣に評していて実際に確かめてみたくなった。
この本をより特徴づけているのは、なんといっても著者が数学者であるということだ。数学者という言葉にはどこか自分のいる世界とは違うところにいる人という印象を受けてしまうが、この本に登場する様々な数学者もまた人間であり、ジョークを飛ばしあったりそりが合わない相手もいたりと彼らの日常にも自分たちに近しいものがあると感じた。
基本的に面白おかしく、時に考えさせられるというエッセイとしてのみならず読み物としてとても優れていると思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ私にはイギリス人が、何もかもを知ったうえで、美しい熟年を送ろうとしているように見えた。彼等は、年輪を重ねた自分達が、テニスチャンピオンになったり、マラソンで世界新記録を樹立することが、できないのを知っている。ならば、騒々しく、生き馬の目を抜くような、軽重浮薄で貪婪な若者であるより、気品あり、知恵もある熟年でありたい。それは繁栄、富、成功、勝利、栄光などの先に横たわる物を、既に見てしまった者の生き方だった。
それは丁度、ベルリンの壁が壊され、東欧諸国が次々に解放され、自由を得た歓喜に人々が酔い、涙を流すのを、茶の間のテレビで見たいた時の複雑な気分に似ている。暗いトンネルを抜け出た彼等は、きらめくような自由の光に眩んでいた。しかし我々は、このめくるめく光の向こうに理想郷がないことを、もう知っている。自由を標榜する各国で、自由の名の下でかつての道徳や情緒は低下し、社会や人心の荒廃がもたらされたのを、目の辺りにしてきた。
イギリス人は何もかも見てしまった人々である。かつて来た道を、また歩こうとは思わない。食物や衣料への出費は切り詰めているが、精神的余裕の中に、静かな喜びを見出している。不便な田舎の家の裏庭で、樹木や草花の小さな変化に大自然を感じ、屋根裏をひっかき回して探してきた、曾祖父の用いた家具に歴史を感じながら、自分を大切にした日々を送っている。もちろん悲しみや淋しさを胸一杯に抱えてはいるが、人前ではそれをユーモアで笑い飛ばす。シェイクスピアの「片目に喜び、片目に涙」である。
いかなる組織においても、最も重要な判断は人事である。人事さえうまく行き、有能な人間が集まれば、あとは自然に良い方向へ流れていく。人事を司る人間に必要なものは、何と言ってもすぐれた大局観と公平さである。この二つを兼ね備えた人間がいれば、その人に人事を一任するのが最もよい。民主主義とは多数決であるから、しばしば力関係が反映され過ぎ公平を欠くし、大局観も平均値的レベルにしかなり得ない。学内人事におけるすぐれた大局観とは、その学問分野全体を展望する広い視野と、これからの潮流を流行にとらわれずに見通す洞察力である。公平とは無私である。
この二つを兼ね備えた人間を探すのは、考えるほど容易でない。たとえいたとしても、民主主義花盛りの現今では、その人間に一任とはなりにくい。そこで通常は、学問的業績の高い人とか政治能力の高い人、人格の高い人、派閥の長などが民主的会議の場で実権を握ることになる。ところが、このような人が、上に述べた二つの資質を持っているとは限らないのである。学問的業績が高いということは、細分化された現在の学問では、それだけ自らの専門への傾斜が強かったということは意味しても、すぐれた大局観を必ずしも意味しない。人格や政治能力が学問的見識と無関係なのは言うまでもない。
日本の大学がうまく機能しない、最も重要な原因は、この学内民主主義にあると思う。世界中で最もうまく運営されている、と思われるアメリカの大学では、日本のような直接民主主義をとらず、間接民主主義をとっている、民主的選挙によって選ばれた学科主任、学部長、学長などが、権力を握るのである、例えば学科主任は、学科の人事はもちろん、給料の決定にまで、強い影響を及ばせる立場にある、主任の意志でほとんどのことが決まるだけに、主任の責任はそれだけ重くなる。日本の大学における長が、権力も責任もないのと、対照的である。
イギリスの大学は、どちらかと言うと日本の大学に似ている。近代民主主義を発明した国だけに、仕方ないのかもしれないが、それだけ大学の活性化は遅れているし、運営もうまく行ってない。