保阪正康のレビュー一覧
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太平洋戦争における、日本国内の混沌がよく理解できる。
日本という国の体質が、ありありと描かれている。
理念もなく、戦略もなく、戦術だけを考える。戦術も場当たり的で、最終的には精神力だけで乗り切ろうとする。
国際政治には、3つのPが重要と言われる。Philosophy(哲学)、Paradime(物の見方)、Policyである。戦後日本の政治は、Policy専攻で、アメリカの言いなりになってきた。哲学もパラダイムもないから、一貫した戦略を取れない。
しかし、この本を読んで、元々日本人には、日本にはそういう体質があったのかもしれないと気付かされた。
また、天皇親政による過剰な右への傾倒は、こうした奢りや暴走を招くものなんだなぁ、、としみじみ。
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昭和陸軍がなぜあのような戦争を招いてしまったのかを、著者が大量の資料や太平洋戦争時に従軍した人のインタビューをもとに纏めたのが本書である。冒頭で著者は昭和陸軍の特徴として、成績至上主義、親ドイツ、反英米、人間に対しての洞察力の欠如をあげている。これらをふまえて、上巻では明治時代における建軍の歴史と昭和時代に起きた張作霖爆殺事件、満州事変から山本五十六戦死の歴史を紐解いていく。本書を読んでいくと、昭和時代の陸軍の指導者は一部を除いて、理性や論理を重んじるのではなく、そのときの雰囲気、空気に任せて決断を下していたことがわかる。また同じ陸軍でも内部で派閥抗争が盛んであったことや、多くの高級将校たちは下の立場の者を慮ることなく消耗品同然の扱いをする一方で、責任逃れすることが多く、事実を隠蔽するときもあった。このように当時の陸軍の組織構造、病理を知ることで、今後このような過ちを犯さないために何をすべきかを本書から学べる。
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第一章 旧日本軍のメカニズム
第二章 開戦に至るまでのターニングポイント
第三章 快進撃から泥沼へ
第四章 敗戦へー「負け方」の研究
第五章 八月十五日は「終戦記念日」ではないー戦後の日本
旧日本軍の組織の様子や、どのように戦争に向かっていったか、また戦争が進行し、敗北を重ねた軍部がいかに戦果を取り繕ったか、よく分かる一冊。
対局的な目線も持ちつつ、印象としてはその時その時の人物の行動や発言を取り上げているので、より鮮やかに当時の様子が伝わってくる。
例えば、「日本のマッカーサー」とあだ名されたという堀栄三という人物について。
陸軍参謀本部の情報部に所属しており、アメリカ軍が次にどこを攻めてくるかを、ことごとく当てたという。
傍受したアメリカの放送から情報を重ね合わせ、推測することができた。
しかし、「でも、確実だとわかっている情報でも、作戦部では見向きもしてくれませんでした。彼らは自分の頭の中にある考えだけが全てであり、たとえ私の持っていった情報が正しくても相手にしませんでしたね。」
こういう人物の姿を通して見ると、軍部がもう頭が固まり切って、自分たちの都合のいいような作戦ばかりを立てていたのもうなづけると思う。
また、著者は独自に、戦争を経験した人から体験を聞き取り、それを随所に挟んであるので、説得力が格段である。
「「絶対国防圏」などというと聞こえはいいが、実際は、大本営作戦部の参謀たちが地図上を眺め、なんの根拠もなく延びきっている日本の制圧地域に線を引いただけのものである。戦後、私が話を聞いた参謀たちも「あれは単なる"作文"にすぎなかった」と述懐していたほどだ。」
まるで軍部が立てる作戦など自慰行為にすぎないことがよくわかる。
戦争に至るまで、戦中、戦後のことは当然とても複雑で、「誰が悪い」「これさえなければ」と一言で片付けられるものではない。
陸軍、海軍、政府、天皇、国内世論、…
しかし、「これが悪かった」「ここは良かったけどここはダメだった」「こんな仕組みがあれば良かった」
と、冷静に反省しないと、その当時の失敗をまた繰り返すことになると思う。戦争を知る世代が少なくなった今、なおさらである。
当時の日本を美化する人々、誰か一人に責任をなすりつけて、手打ちにしようとする人々に読んでほしい本である。 -
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昭和初期の多くの首相答弁は建前として国民生活の為の経済活性化を狙っての発言が目立つが、本質は軍事費への負担増を如何に対処するかが伺え、軍拡への抑止のたびにテロによって首相が暗殺、抑制された。また、金本位制、金輸出解禁などの政策の陰で操る政治家の一部が大儲けしている姿も垣間見える。当時、景気回復のためには戦争は必須であるという軍需関係の政治家vs軍拡を止め軍需・軍事費削減を図ろうとする政治家の対立構造となったが、国民生活よりも国家主体の軍事的発想が国民を幸せになると解き、陸軍などの圧力から無責任な軍拡への勢いが目立った。
現代のこの「平和論」vs「戦争論」では、ロシアが言う「核の使用もありえる」と言う極めて威圧的な声明で抑止できる国が不在になったことだ。よって今後世界各国は「核大国の暴挙を防ぐには核保有が必須」との意見も同調できる。しかしそれは究極「人類破滅」への道を極める事になる。果たして日本は今後どんな国策を取っていくのか、無策、無能と言われる今の政治家に期待できそうにない。さらに今の政治家は増税ありきで自己主義者が多く国民生活は全く視野には無い、ことが恐ろしい。 -
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最近の社会の流れを読み解くためにも必読の書! 面白かったが、令和の時代の左翼について言及しないのは狡い。「動機至純主義」にななびきやすいという日本人の傾向は昔からあったということを、5.15事件後の国内の反応を紐解きながら述べているが、それは、現在の日本でもあまり変わっていないと思う。特に、オールドメディアやポピュリズム政治家は然りである。
また日蓮主義が国家主義と親和性が高く、むしろ政治・軍事指導者に近い人々に求心力を発揮した。石原莞爾もその中の一人であったということを初めて知った。
「攘夷」の思想は日本に地下水脈として残っているのは実感としてわかる。「攘夷」はそれ以前のどのようなところから発生したのか、日本人のどんなDNAから発生したのか知りたいと思った。
著者の意見には賛同できない部分も多かったが、大変興味深く、有為な読書になった。
いつかもう一度読み返したい。 -
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本書は「日刊現代」に連載された記事を抜粋して構成されており、昭和100年を前に昭和前期の激動期であったアジア・太平洋戦争、戦時下の様相、そして敗戦の流れを短編でまとめた。第1章では、「日米開戦への道」として戦争に至る外交政策や近衛文麿、東条英機、松岡洋右などの人物評価の検証を行う。第2章では、「戦争の真の姿」として、東条英機の弾圧政治、学徒出陣の運命などを検証する。第3章では、「いかにして戦争は終結に至ったのか?」として、鈴木貫太郎の登場から、ポツダム宣言受諾の経過を検証し、敗戦か、終戦かを問う。第4章では、「平民新聞は時代をどう伝えたか」として、大逆事件の幸德秋水や堺利彦らの言論活動を検証する。第5章では、「テロリズムの台頭と戦争」として、明治期以降のテロリズムとしての政府要人の暗殺事件を経年的に振り返る。おわりにで、最近のメデイアの萎縮や政府への迎合を批判し、インターネットによる情報に頼らない紙媒体によるメデイアの重層的な学習の重要性を指摘するが、大いに納得できる指摘である。
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昭和だろうと平成だろうと令和だろうと天皇皇后両陛下が大いに語るなんてあるだろうか――。この本も大いに語っているわけではないけど、ちょっと知らなかった明仁さま、美智子さまの姿が感じられる貴重な内容だと思う。
保阪さんと半藤一利さんが2013~2016年に断続的に数回、天皇皇后両陛下に招かれて歓談したときのことが書いてある。えっ、こんなことまで書いていいのかななんて思うような、明仁さまの邪気がないゆえか我を張ってなのかと思わせる発言のことが書かれていたり、保阪さんも平成天皇と明仁天皇の間に二面性がなく過ごしているのではないかと書いているけど、これって言い換えれば公と私というか象徴と私人の間を自由に行き来できるということではないかと思っていて、そういう意味でわりと私人寄りのときを一緒に過ごしたのだなと思う。
あらためて平成天皇は美智子さまと二人で象徴天皇としての、時代に合った天皇としての道を模索し、見事に切り拓いたのだなということを保阪さんの解説や巻末の二人の侍従長との対談を通して知ることができた。一方で、その重責だけを負うのではなく人間らしい生活も楽しまれたのだなということも。 -
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本書は、2022年1月から12月まで「保阪正康が語る昭和史の謎」の講座を再編集し、大幅に加筆修正した作品である。よって、ロシアのウクライナ侵略の視点は含まれるが、ガザの問題は、含まれていない点を留意した上で、読み進める必要がある。とはいえ、世界がウクライナ戦争で大きく揺らぎ、長期化していく中で、「核抑止力下の平和論」の危機を指摘する。
明治からアジア太平洋戦争を「近代史」とし、日本の敗戦以降を「現代史」とした上で、明治以降、戊辰戦争や西南戦争などの内戦を経て、欧米列強に負けまいとした侵略戦争と植民地支配に加わった日中戦争、日露戦争、第1次世界大戦、アジア太平洋戦争・第2次世界大戦の74年間を俯瞰的に総括する。一方で、1945年の敗戦から78年もの期間、憲法9条の精神に基づき戦争に加わらず、1人の戦死者も出していない日本を振り返る。戦争論を論じる場合、「クラウゼブィッツの『戦争論』」が引用されるが、日本の近現代の戦争の歴史から、次代の日本のあるべき姿を提言する。優勝劣敗の新自由主義の下では住みやすい社会にならない、社会が正常に機能するためには社会主義的な富の分配、セーフティーネットの拡充を図り得る社会へと提言する。根底には、日本国民が戦争体験を継承する上で、一部の富裕層が突出する社会から国民全体が経済的に安定する社会基盤が必要である事を指摘する。戦争の教訓から社会のあり方を提言する著者の見識に経緯を表したい。 -
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対談形式で、昭和の名将と愚将について個々に論評していく一冊。
悪口や皮肉交じりの文体も相まって、読み易く面白かったです。
名将とされた人は、総じて人格的にも優れ自分で責任をきっちり取れる人、一方で愚将とされた人は、責任転嫁をしたり、責任逃れをしながら戦後ものうのうと生きた人、などが取り上げられているように思いました。
ただ、そういう人たちが戦後も生き延びられたってことには、ちょっとやるせなさも覚えます。
知らない人が多かったのですが、名将とされた今村均さんの生き方は、他の書籍も読んでさらに掘り下げたくなりました。
人としてどうあるべきか、ってことが結局は大事な気がする。 -
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BS-TBSで今も放映中のTV番組の一番最初のシーズンを書籍化したもの。
私がこの番組の存在に気づいたのは第二期目に入ってからだったので、この本でカバーされている部分(大政奉還から明治天皇崩御まで)の放映はまるごと見逃している。最初から全部見たかった、と悔しがってもどうしようもないので、書籍化されたものをありがたく読む。
小中高で私が受けてきた歴史の授業は、教科書の前半の古代史とか中世史はたっぷり時間をかけてやるけど、後半の近現代史は途中で時間切れになって終わる、というパターンばかり。たぶん一度も最後までやってないと思うなあ。板垣退助とか日露戦争あたりで記憶が途切れている、、、
でも、ほんとは近現代史こそ力入れて教えてほしかった。むしろ古代史から江戸までは適当に流して、好きな人が趣味の世界で好きなだけやればいいんじゃないかと思うくらい。
さらに言うと、私は学生時代に歴史の授業をおもしろいと思ったことがない。
なのに今はどの時代もどこの歴史も何を見てもおもしろいと思える。こんなにおもしろい科目をあんなにつまらなく教えていた先生たちってどうなのよと思いつつも、受け止める方の私にも問題があったのだろうとも思う。
歴史は、ある程度世の中のしくみが分かってから聞いた方がおもしろくて当たり前とも思うし。
関口さんの番組は、大政奉還から始めて近現代史が終わった後、古代史に戻り、中世や戦国時代を経て、今は江戸時代。江戸時代が終わると一巡する。引っ越し中に見られなかった時期を除いては毎週欠かさず見てますが、どの時代も面白くてびっくり。
子供の頃は日本史は戦国時代が一番おもしろいと思っていたけど、この番組では戦国時代が一番つまらなかった。他の時代がおもしろすぎて。
各時代で解説者が変わるのだけど、近現代史パートを解説されていたのは保阪正康さん。
著書は私は読んだことなくお名前も知らなかったくらいなんですが、穏やかで実直なお人柄が画面を通して伝わってきて、すっかりファンになってしまった。
驚くほどたくさんの人の戦争体験談をお聞きになっているようで、時々控えめに話される歴史の証言者たちのインタビュー話は番組の楽しみの一つでした。
この本からも、保阪さんの歴史に向き合う真摯な姿が見える。
たとえば、西南戦争について、西郷隆盛率いる旧士族軍に対し、新政府軍は「勝つためにはいくらでも武器を買う」と言って最新の武器を大量に購入して対戦し、結果、西郷軍は死者5000人、政府軍は6800人に上る犠牲者を出した、という解説のところで、関口宏さんが「西郷さんも途中でやめようとは言えなかったんでしょうかね」とおっしゃったことに対する保阪さんの返答。
「結局、そこですよね。そこが、私たち近代史研究者の課題だと思います。昭和の戦争も、どうしてあそこまで戦ったのかと。もうここでやめるべきではないかということが昭和17〜18年頃にあったはずです。でも、やめられなかった。その背景にあるのは『勝つまでやる』という精神性です。負けるということは自分たちの全否定につながるから、命を懸けて戦う。でも本来、戦争というのは政治の延長ですよね。戦に負けることは全否定ではないし、別の形で政治的な失態を取り返すこともできるはずです。それなのに、戦を戦だけで考えると、勝つまでやることになってしまうんですね。」
第二次世界大戦中のことを知れば知るほど、なぜここでやめられなかったんだろうと思うポイントはいくつもあるけど、でも、戦争を途中でやめることの難しさは、今の時代の紛争を見てもひしひしと感じる。
「別の形で政治的な失態は取り戻せる」ということも、ウクライナや中東のニュースなど今まさに進行中の事例を見ると、本当にそうだろうかとも思ってしまいます。
歴史を後からあれこれ考えると、惨事を避けるいろんなタイミングがあるように思えるんですけどね。