魚戸おさむのレビュー一覧
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舞台は大学。玄米というお名前の先生とその生徒達の食にまつわる物語です。
第2巻は、ウ○チの話や、食卓を囲むことの意味の話から持ち寄って皆で
食べる話などです。
食と切っては切れないウ○チの話は、現代の食生活のずさんさが浮き彫りに
なっています。これはマンガの中の話ではない、きっと身近な問題なのだと
言うのがよくわかり、考えさせられました。
本書での玄米せんせいの素敵な言葉
『料理がつくれるようになることは
自分の命を保つ術を持つこと・・・
それはつまり行きていく力を
身につけるということではないでしょうか。』
沢山の人に読んでもらいたいと思うマンガです。 -
Posted by ブクログ
今月の本舗おすすめの一冊は、『玄米先生の弁当箱』という、そう、漫画です。ぬか漬けのお話から始まります。主人公は大学の農学部の先生です。その名も『結城玄米』先生。ぬか床を背負って、講義にやってきます。授業?と思わせるような始まりですが、その入り方が、実は深ーいとこに行きつきます。生徒さん達もぬか床作りから講義は始まります。ぬか床の造り方。米ぬか2キロ・粗塩400グラム・水1.8リットル・赤唐辛子4本・野菜のくず(トライしてみて★)とーってもシンプルな材料から始まるのですが、毎日の付き合いで、作り手によって、味が変わっていく・・・生き物なのです。シンプル・イズ・ベストむかしむかし、わたしたちの祖先が考えぬいたすばらしい知恵。日本の食文化を知る、実践しながら伝える。夏野菜や冬野菜がたくさんとれる時期に保存食として漬けて食べる知恵の食事。そのむかしはとっても自然なことですが、子供たちにぬか漬けお母さん漬けてる?と聞いて、どれくらいの子どもがイエスと答えるだろう。ぬか漬けの付け方の次は、野菜作り。畑で野菜を育てること。芽が出る小さな大きな喜び、実が実り、楽しむおいしい喜び。何日もかけて育ち、その野菜が食卓にならぶまでのストーリー。玄米先生は『物語を食べる』と表現しています。わたしたちもお料理をお客様に食べていただいている。まったく同じことです。 お客様に『物語を食べていただく・・・・』みーんなみんな、『玄米せんせいの弁当箱』読んでみてね。
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家裁、すなわち家庭裁判所では少年犯罪が審理される。この作品は家裁判事である桑田義雄という人物を主人公にして家庭裁判所という舞台に登場するさまざまな少年たちと桑田判事との出会いを綴った作品である。「おっ、題名にある家裁のサイの字がまちがっとるばい。」というご指摘もあろうかと思うが、これでいいのだ。主人公の桑田判事はいつも植物の世話ばかりしている何となくぼーっとした判事である。そして彼の少年の非行に対する取り組みも植物の世話とよく似ている。「育てなければ…毎日愛して、そこから始めませんか」と言う桑田判事の語りかけは家裁は裁くところではなく栽(そだ)てるところだというこの作品の底流に流れている。だから〈栽〉の字でいいのである。
扱われている素材は少年の非行である。教育の現場(学校やら家庭)が切り捨ててしまった少年少女たちの傷をそのまま受け入れ、自分の力で育っていけるように桑田判事は彼らに接していくのである。
東京第二弁護士会の山崎司平氏が監修しているので、事例はおおむね実際の事件に基づいているのかもしれない。それだけのリアリティがあるし、法律的なバックグラウンドも確かである。きびしい状態に置かれた子どもたちを我々はどう理解しているのか、を具体的な事件を素材に見つめてみることは必要ではないだろうか。特に法律の世界は無視し、教育の理念も省みずに子どもを切り捨てている教育現場の人間にはぜひとも読んでほしい作品である。また、第十三巻から十五巻はあの福岡でおきた生き埋め体罰事件をモチーフとして描かれている。全十五巻のうち三巻を費やして語らなければならないほど、あの事件は桑田判事にとっても重たい事件であったのだろう。それに対して福岡の教員は答えを出したのだろうか。三越三郎というどこかで聞いたような名前の博多弁をしゃべる弁護士も登場する。さあ、あなたも姿と名前を変えて出ているかもしれないよ。
◎実は荒れている少年たちに読ませたい。
★★★★★(これは特上五つ星) -
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家裁、すなわち家庭裁判所では少年犯罪が審理される。この作品は家裁判事である桑田義雄という人物を主人公にして家庭裁判所という舞台に登場するさまざまな少年たちと桑田判事との出会いを綴った作品である。「おっ、題名にある家裁のサイの字がまちがっとるばい。」というご指摘もあろうかと思うが、これでいいのだ。主人公の桑田判事はいつも植物の世話ばかりしている何となくぼーっとした判事である。そして彼の少年の非行に対する取り組みも植物の世話とよく似ている。「育てなければ…毎日愛して、そこから始めませんか」と言う桑田判事の語りかけは家裁は裁くところではなく栽(そだ)てるところだというこの作品の底流に流れている。だから〈栽〉の字でいいのである。
扱われている素材は少年の非行である。教育の現場(学校やら家庭)が切り捨ててしまった少年少女たちの傷をそのまま受け入れ、自分の力で育っていけるように桑田判事は彼らに接していくのである。
東京第二弁護士会の山崎司平氏が監修しているので、事例はおおむね実際の事件に基づいているのかもしれない。それだけのリアリティがあるし、法律的なバックグラウンドも確かである。きびしい状態に置かれた子どもたちを我々はどう理解しているのか、を具体的な事件を素材に見つめてみることは必要ではないだろうか。特に法律の世界は無視し、教育の理念も省みずに子どもを切り捨てている教育現場の人間にはぜひとも読んでほしい作品である。また、第十三巻から十五巻はあの福岡でおきた生き埋め体罰事件をモチーフとして描かれている。全十五巻のうち三巻を費やして語らなければならないほど、あの事件は桑田判事にとっても重たい事件であったのだろう。それに対して福岡の教員は答えを出したのだろうか。三越三郎というどこかで聞いたような名前の博多弁をしゃべる弁護士も登場する。さあ、あなたも姿と名前を変えて出ているかもしれないよ。
◎実は荒れている少年たちに読ませたい。
★★★★★(これは特上五つ星) -
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家裁、すなわち家庭裁判所では少年犯罪が審理される。この作品は家裁判事である桑田義雄という人物を主人公にして家庭裁判所という舞台に登場するさまざまな少年たちと桑田判事との出会いを綴った作品である。「おっ、題名にある家裁のサイの字がまちがっとるばい。」というご指摘もあろうかと思うが、これでいいのだ。主人公の桑田判事はいつも植物の世話ばかりしている何となくぼーっとした判事である。そして彼の少年の非行に対する取り組みも植物の世話とよく似ている。「育てなければ…毎日愛して、そこから始めませんか」と言う桑田判事の語りかけは家裁は裁くところではなく栽(そだ)てるところだというこの作品の底流に流れている。だから〈栽〉の字でいいのである。
扱われている素材は少年の非行である。教育の現場(学校やら家庭)が切り捨ててしまった少年少女たちの傷をそのまま受け入れ、自分の力で育っていけるように桑田判事は彼らに接していくのである。
東京第二弁護士会の山崎司平氏が監修しているので、事例はおおむね実際の事件に基づいているのかもしれない。それだけのリアリティがあるし、法律的なバックグラウンドも確かである。きびしい状態に置かれた子どもたちを我々はどう理解しているのか、を具体的な事件を素材に見つめてみることは必要ではないだろうか。特に法律の世界は無視し、教育の理念も省みずに子どもを切り捨てている教育現場の人間にはぜひとも読んでほしい作品である。また、第十三巻から十五巻はあの福岡でおきた生き埋め体罰事件をモチーフとして描かれている。全十五巻のうち三巻を費やして語らなければならないほど、あの事件は桑田判事にとっても重たい事件であったのだろう。それに対して福岡の教員は答えを出したのだろうか。三越三郎というどこかで聞いたような名前の博多弁をしゃべる弁護士も登場する。さあ、あなたも姿と名前を変えて出ているかもしれないよ。
◎実は荒れている少年たちに読ませたい。
★★★★★(これは特上五つ星) -
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後半不作(?)の回もありましたが、良い作品です。家裁という比較的地味な設定ですが、それが為に登場人物の人間くささが秀逸です。記憶に残るフレーズをひとつ。 心配を掛けたくないというおもいやりのつもりで仕事でのいや話を全く家でせず、でも不機嫌で無口になる夫。不機嫌のわけが判らず戸惑う妻。離婚調停を申し出た妻に対して、投げやりになる夫。判事が、夫に対して・・・「(自分(夫)の苦痛を心配させないようにと妻に伝えないこと)それは、おもいやりではなく、思い上がりだ」といって夫を諭します。<要約へたくそですみません。作品はとても素晴らしいです。>「おもいやり」と「おもいあがり」。私自身、おもいあたることがあり、10年以上たったいまでも、こころにのこっています。
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良くも悪くも、そのまんま
本作の原作者は東周斎雅楽。
これはもちろんペンネームで、本名は長崎尚志。
そう、以前小学館の編集者として浦沢直樹とコンビを組み、「MASTERキートン 」等の作品に携わった人物。
そして本作は、長崎氏が小学館を退社した2001年7月の半年ほど後に「ビッグコミックオリジナル(小学館)」で連載が始まっている。
この頃は、「MASTERキートン」の原作者の扱いを巡って後に様々な憶測が為されている時期。
ただし、色々検証されてはいるが、何が真実なのかは明確ではない。
とにかく、そんな時期に連載の始まった本作は、もうまんま「MASTERキートン」。
ファンならすぐわかると思うが、各話の入り方や構図、雰囲気、キャラクターの役割までソックリと言える。
あくまでも個人的な推測ではあるが、「MASTERキートンは自分が実質的な原作者だ」とアピールするかのような類似性を感じる。
うがった見方をすれば、この「東周斎雅楽」という名も「勝鹿北星」と共通点があるようで、当てつけというか対抗の為?という気もしてくる。
という事で、本作は「MASTERキートン」ファンなら何の違和感もなく入り込める作品だと思う。
話の展開も興味深く、作品としては非常に完成度が高く、面白い。
ただ、あまりにも「MASTERキートン」に寄せ過ぎているのが逆に違和感であり、「なぜ別キャラで?」と思わざるを得ない。
そこにおそらく原作者問題が絡んでいるんだろうけど、ちょっとドロドロした現事実を垣間見させられるようで、あまり気分は良くない。
本来なら、「MASTERキートン外伝」あたりとして本作を読みたかったところ。
その分、星1つ減点としました。