赤神諒のレビュー一覧
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恥ずかしながら、碧血碑というものがあることを初めて知った。
歴史の敗者であるというだけで、葬られることもなく打ち捨てられた多くの遺体を大切に葬り碑まで立てた侠客がいたというだけでドラマになりそうだが、そこを敢えてエピローグとしてサラっと語っているところに味がある。
沖田総司、橋本佐内、和宮親子女王、フランソワ・レオンス・ヴェルニーという4人の物語。
歴史の敗者として退場した者もいれば、自身の運命と向き合い闘った者もいて、最後は日本の近代化に力を注いでくれた外国人の話で少し明るくなり、いろんな感情が湧いてくる読書となった。
歴史にイフがないのは前提として、もし橋本佐内や小栗上野介のような有能な人たちが志半ばで亡くなることなく、その能力を発揮することが出来ていたら、日本の近代化や明治維新はもっと違った形になっていたのだろう。
だが橋本佐内の志は多くの人たちに引き継がれ、福井藩が豊かになりつつあるように、小栗の意志もまたヴェルニーが引き継ぎ、ただ造船所を造るだけではなく、日本人が自分たちで引き継げるよう教育もした。
そうした人たちの繋がりを感じ取れて感慨深かった。
また和宮の話も、大河ドラマ「篤姫」を和宮の視点から読んだ感じで面白かった。
わがままな皇女が徳川と日本を救うために逞しく成長する姿が心地よかった。
久しぶりに赤神さんの作品を読んだが、やはりドラマチックで楽しい。 -
購入済み
鎌倉三代将軍家の時代の13篇の短編アンソロジー。
タイトルは『旅する』だけど、旅自体を扱った作品はなかったような?(^_^;)各作品の冒頭に、作品にちなんだ名所の写真と説明がついています。
前半は頼朝と政子の逸話が多く、後ろになるにしたがって時代があとになります。
砂原浩太朗さんの「実朝の猫」が好きかも。鎌倉に行きたくなりました(^.^) -
Posted by ブクログ
一つの戦いを多方面からの目線で描く短編集で読み易い決戦シリーズ、今回は武田勝頼vs徳川家康&織田信長連合軍との設楽原の戦いで世に言われる長篠の戦いを描く。長篠の戦いで戦国一の武田軍が敗れ滅亡する事は知れているがその詳細はこの小説で良く理解出来面白く読めた。信玄亡き後親方として跡を継いだ諏訪家の血を引く四男勝頼、名だたる武将の上に立ち実績を積み上げたい葛藤で徳川攻めに活路を見出そうとする。長篠城を囲み戦略上有利な持久戦で徳川勢を待ち受ける戦略を説く重鎮の武将に対し、徳川&織田連合軍が陣を張る設楽原への交戦に出ると決めた勝頼。対し織田は設楽原で3,000丁の鉄砲を手に入れ待ち受ける、又長篠城の背後に別起動軍を回し戦略上有利に引き込む戦略で待ち受ける。其々の目線、勝頼の状況からの戦略判断からこの戦いを眺めると勝負の行方は明らか。その戦いの中で戦国一と名高い武田軍の重鎮武将(内藤・馬場・山県)の親方勝頼を生かして負けて死す戦いぶりは死して名を残す。
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戦国時代の九州を舞台に、大友家の二十代当主である義鑑とその実子である義鎮の間で起こったお家騒動(大友二階崩れ)と、その結果として家臣である吉弘一族が辿ることになった熾烈な運命を描く。親子で殺しあったり、殺した敵の娘と結婚したり、兄弟同士で戦をしたりと、日本人も昔はかなり血なまぐさく、派手に刃物を振り回しながら激しい生き方をしていたのですね。
さて、このお話の主人公である吉弘左近鑑理は、義を大切にする人間です。しかも鑑理は世渡りが下手で必要以上に義に篤く、馬鹿正直にどこまでも主君に尽くそうとし、そのことが一族にとっての危機を招きます。
そもそも「義」などというものは武家社会において支配する側が自らの支配を正当化するために作り出した儒教思想のおためごかしに過ぎず、多くの家臣も「義」を誓うことで自らの立場を有利にしようとしているに過ぎない(いわば「義」は世渡りの術と心得ている)のだろうに、鑑理にとっては、その「義」が守るべき価値としていわば目的化してしまっているのです。いわば「義フリーク」ですね。家族への「愛」よりも主君への「義」を重んじるというのは、さながら家庭をかえりみずに仕事に没頭する高度経済成長時代の仕事人間そのもの。やめてもらいたいです。
唯一救われる点は、鑑理が自らの行為によって招いてしまった結果に対して言い訳をせず、不幸にしてしまった人たちに対して心の底から詫びることです。詫びても死んでしまった人は戻らないのですが。
そして鑑理のこの「義フリーク」ぶりが、結果的に報われた形で物語は終わります。でも、義をとことん大事にし、最後にそれが報われるっていうのは美談でしょうか? 仮に美談であるとしても、あくまで人間が人間らしく生きられなかった時代でのみ通用する美談ですね。そのこともちゃんとわきまえたうえで、時代に翻弄された戦国武将の過酷な運命の物語として読めば、この小説は大変面白いです。
それにしても昔の武将は何のために戦ったのでしょうか。支配者になりたい、領土を広げたいという欲求ももちろんあったのだろうけれど、それよりもむしろ、互いが相手のことを自分の敵ではないかと疑心暗鬼になり、ちょっとした相手の動きを敵対行動だと勘違いし、相手を討たなければ自分がやられるかもしれないという不安に駆られ、望みもしない戦に追い込まれていくということが多かったのではないでしょうか。未だに「戦国時代」状態のソマリア辺りではいざ知らず、今日の日本ではさすがにそのような形で内戦が起こることはないでしょう。でも、近隣諸国との関係では、馬鹿げたボタンの掛け違いがエスカレートして争いに発展して行くこのような構図が今も残っているように思われて気懸かりです。