柄谷行人のレビュー一覧
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本書と問題関心が共有される『世界史の構造』は、社会構成体の歴史を「交換様式」から見る企てであった。
互酬的=相互扶助的関係(交換様式A)を高次元で回復しようとする交換様式Dについて、著者は思索する。これまでそれは普遍宗教の形で現れてきた。しかし、それは祭司・神官の支配に帰してしまい、宗教は国家に回収されてしまう。それ以外に現れた事例を、著者はイオニアの政治と思想に見出し、その意味合いを本書で論じていく。
キーワードは、イソノミア(無支配)である。それは理念であると同時に、著者によれば、イオニアで実現したものであり、植民者たちがそれまでの氏族・部族的な伝統を一度切断し、それまでの拘束や特権を放棄して、新たな盟約共同体を創設したことから可能だったとされる(24頁)。
イオニアというと、タレスに始まる自然哲学と習ってきたが、著書は、同時に「社会哲学」として読まれるべきであると主張する。そして、ソクラテスについても、プラトンのスコープから見るのではなく、イオニア的なイソノミアからの読み換えを図る。
これまでの常識的通念を覆す論理展開にワクワクさせられる。
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「戦後思想のエッセンス」というシリーズを創刊するに当たり、第0号として、柄谷行人、見田宗介を取り上げたのが本書である。同シリーズは、一冊につき一人の戦後の思想家を取り上げて、後続の世代の書き手たちがその思想家について論じるというスタイルを取る予定だが、ここでは編者である大澤真幸が戦後思想の代表者としての二人にインタビューをする形を取っている。
インタビュー形式は、ことに聞き手が、対象の思考圏に嵌っていて(決して悪いことではない)、対抗的な異論を差し挟む余地が少ないときには、ことさら当たり障りのないものになりがちだ。至極、当たり前のことを言ったような気がするが、本書もそういった状況でのインタビューであり、せっかく本人を前にしながらその紹介を浅くするにとどまってしまっているように感じられた。明らかに日本の戦後思想史を代表する二人(少なくとも柄谷行人がそうであることに異論を挟む人は少ないだろう)なのだから、シリーズの主旨としても一冊を使って腰を落ち着けて論じてほしいところである。何とすれば大澤氏自身が改めて取り組んでもよいかと思うがどうだろうか。
柄谷行人は日本においては特異でなおかつ息の長い思想家である。本書でも紹介されている通り、『意味という病』や『日本近代文学の起源』といった文芸批評からそのキャリアを始め、『隠喩としての建築』や『マルクスその可能性の中心』といった理論的な仕事に移行し、そして思索家としてのひとつの頂点である『探求I』『探求II』を世に問い、自らの関心の重心を常に移動させてきた。そして今また、『世界史の構造』などの近年の著作において、より現実にも寄り添いかつ歴史に紐づけられる交換様式論を世に問うている。
大澤真幸の柄谷行人への過度の寄り添い方が少し鼻につくところもあるが、柄谷行人の仕事の紹介としては、ノーマルでわかりやすい。一方で、しびれるような言葉のやりとりは少ないように思う。
見田宗介の方は、一冊も読んだことがないので、評価をしかねるところがある。少なくとも自分には柄谷と双璧をなす戦後思想家の巨人という認識はなかった。日本の社会学の文脈においては、ひとつの頂なのかもしれない。いつか読んでみたいと思うが、どうも食指が伸びないのはなぜなのだろうか。
「戦後思想のエッセンス」のシリーズとしては、中島岳志による石原慎太郎、安藤礼二による吉本隆明、と続いている。その次以降はどうなるのだろうか。 -
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批評家の柄谷行人(1941-)と浅田彰(1957-)により各種の媒体にて行われた対談六編。学生時代に別の書籍で読んだ対談もいくつか含まれているが、当時はカントもマルクスも未だあまり読んでいなかったので、そのときの理解は甚だ怪しい(今も決して十分に読めているわけではない)。先日読んだばかりのマルクス『経済学批判』の議論を思い返しながら本書を読むことで、却ってマルクスの議論について理解を深めることができた部分もある。
□ 《形而上学》批判
二人とも、一貫して「体系の《外部》を実体的に措定し、それを体系の内部に組み込んでおくことで成立している、当の体系」(例えば、疎外論、オリエンタリズム、「大きな物語」、起源・根源へ遡及する思考、ロマン主義、日本的自然、西田幾多郎の「無の場所」、吉本隆明の「大衆」、クリステヴァの弁証法・・・など。或いはヘーゲル的な客観的観念論と同型の議論)を《形而上学》であるとして批判し続けている。そうした《形而上学》批判の言説が【否定神学】的な機制を通して現れている。柄谷行人『内省と遡行』で所謂「ゲーデル問題」を論じていた頃からの通奏低音か。観念論的に《外部》を措定してそれに依存する《形而上学》を徹底的に断念し、宙吊り状態に耐えること。それが彼らの云う【唯物論】か。
「柄谷 ・・・。そういうふうに自己完結できないということが、唯物論的ということなんでしょう」。「浅田 観念論はもちろん、弁証法的唯物論も、すべてが内生的に発展していくような一貫した体系になっている。そこには要するに視差がないわけです。唯物論といったって、視差がない唯物論は、その限りにおいて観念論ですよね」。「柄谷 ・・・。それから、『資本論』はヘーゲル的な弁証法にそって展開されるけれども、ところどころに歴史が出てくる。・・・。だから、昔は『資本論』を論理として読むのか歴史として読むのかで大論争になった。経済学者はどちらかというと歴史的な部分を削って論理だけでやりたがる。そうすると、きれいなヘーゲル的循環ができるわけです。・・・。けれどもマルクス自身は、そういう観点からするとじつに不純に書いています。論理そのものの発展を認めていない。横からある種の偶然性を入れてこないとだめなんです。それが歴史なんですね。歴史的に何かが起こってくるとき、それは向こうから来る。それがマルクスの唯物論的認識だと思うんです」(p226-227)。
「自然」性のうちに「歴史」性を見出すことも【唯物論】という視座が可能にさせる。
「柄谷 根源にさかのぼる思考は、身近な過去に生じた転倒を忘却させる。もちろん、歴史的にさかのぼって考えることは必要です。例えばユーゴスラヴィアの歴史を知る必要はある。なぜ知る必要があるかというと、そこでの紛争も近代的なもので、古代からあったものではないということを知るためです。世界史を知る必要があるのも、世界史の根源的な理念を知るためではない。そんなのは嘘なんだから。しかし、それがいかに嘘かということを知るために必要なのです」(p117)。
□ 歴史における理念
《形而上学》に陥ることなくしかも露悪的シニシズムに居直ることなく、いかにして理念的な語りを救い出すか。そこで彼らはカントの統整的理念を持ち出す。無限遠の理想を指し示すものとして。ここにも理念を実体化させないようにとの【否定神学】的な慎重さが垣間見える。
「柄谷 偽善には、少なくとも向上心がある。しかし、人間はどうせこんなものだからと認めてしまったら、そこから否定的契機は出てこない。自由主義や共産主義という理念があれば、これではいかんという否定的契機がいつか出てくる。しかし、こんなものは理念にすぎない、すべての理念は虚偽であると言っていたのでは、否定的契機が出てこないから、いまあることの全面的な肯定しかないわけです」(p149ー150)。
「柄谷 これを言うと致命的なんだけれど、コミュニズムというのはカントでいえば超越論的仮象だと思うんです。それを実現できるなどと構成的に考えてはいけない。しかし、それが統整的理念としてある限り、批判として必ず働くわけですね。その間の妥協というのは、暫定的なものならやってもいいけれども、それが理念放棄ということになってはならない」(p237)。
□ その他
その他、自由主義と民主主義の相克、世界史の六〇年周期説など、興味深い論点が次々と繰り出され、十分に消化し切れてはいない。
「柄谷 ・・・。自由主義というのは、ある意味では資本主義の本質であって、これは国境も何もない。個人主義だし。一方、民主主義というのは、共同体を確保するためのもので、同質性を保持するということだと思うんです。これは全体主義と矛盾しない」。「浅田 カール。シュミット流にいうと、そうなりますね。どこから来た奴でも自由に競争して、その中で適当な均衡ができればいいというのが、自由主義。それに対して、民主主義の方は、同質な集団の中で合意を形成して、アイデンティティを築かなきゃいけない」(p96)。
「浅田 ・・・。各々の国や共同体が、内部では民主主義的に社会福祉なり何なりをやるけれども、外部に対しては排外的に動く。・・・」。「柄谷 そうですね。民主主義は確実に勝利しつつある。なぜなら、内に向けての民主主義は外に向けてのナショナリズムだから」。「・・・」。「柄谷 ・・・。この民主主義的ナショナリズムを理念的に統整する原理が、自由主義だと思う」(p135)。
最後に、浅田彰による昭和天皇死亡時の「土人」発言について。それが本書収録「昭和の終焉」からのものであったということ、かつそれが北一輝『国体論及び純正社会主義』からの引用であったということ、そして北一輝について語り合った部分が編集の過程でカットされたために『国体論』からの引用であるということが分かりにくくなってしまったこと、こうした経緯を本書収録「昭和の終焉」末尾の本人による追記(2019年9月1日付)で初めて知った。
「とはいえ、私自身の言葉ととられてもまったくかまわないことは改めて確認しておく」(p91)。
□ 構成
オリエンタリズムとアジア (1985年『GS』)
昭和の終焉に (1989年『文學界』)
冷戦の終焉に (1990年『週刊ポスト』)
「ホンネ」の共同体を超えて (1993年『SAPIO』) ※1
歴史の終焉の終焉 (1994年『SAPIO』)
再びマルクスの可能性の中心を問う (1998年『文學界』) ※2
浅田彰と私(柄谷行人)
※1 浅田彰『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)にも「柄谷行人との対話」として収録されている。
※2 柄谷行人/浅田彰/市田良彦/小倉利丸/崎山正毅『マルクスの現在』(とっても便利出版部)にも「マルクスのトランスクリティーク」として収録されている。『マルクスの現在』によると、1998年5月30日に京都大学にて行われた講演がもとになっており、質疑応答の記録もある(本書では割愛されている)。 -
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世界史というわけではなく、著者がこれから行いたいこと、始めたいことについて依拠する考え方について述べられています。歴史を実験することができるのかから始まりますが、ここで実験というものについての定義付けを行われています。柳田国男と島崎藤村の比較を例に、その実験を示されています。第一部で柳田邦男を論ずるにあたっての前提知識として、第二部でその山人についての考え方を書かれています。これから著者が行おうとしている新たな試み、そのスタートライン、前提条件を著者と同様に持つことが本書でもテーマかと思われます。ここから、今までの世界へ向けていた目を、日本人とはに向けるものが書かれてくる期待感を感じることができます。
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タイトルが思想的「地震」と書かれているのは、そして1995年からの講演を集めているのは、柄谷が生まれた神戸の地を襲った阪神大震災と無関係ではないだろうと考えてみる。
20年は長いようで短い。自分が柄谷を読むようになったのが、おそらく1990年頃であったので、これらの講演はそれ以降の話であり、中期の主著『探究I・II』がすでに出た後の話だ。それ以降も柄谷行人の足跡は多様で、講演の期間の中で変わっていく中でも変わらないものがあることがよくわかる。
ひとつは「他者」の問題であろう。特に『探究II』の頃より「他者」の存在と他者とのコミュニケーションについて傾注していた時期が確かにあった。そこではヴィトゲンシュタインの教える-学ぶ関係や、コミュニケーションとしての資本-商品-資本の動きなどが思考されていた。柄谷によると、他者とはまだ生まれぬ人であり、死者である。その他者の定義と視線は、どこか高橋源一郎の観点と重なるのである。
文学に対する姿勢についても興味深い発言が読み取れる。柄谷行人を世に出さしめたのが『日本近代文学の起源』であることはいうまでもない。国木田独歩の『忘れえぬ人々』を取り上げて、小説における「風景」の発見を論じた印象的な文芸批評が含まれる論文集である。柄谷がそのキャリアをスタートさせたのは文芸批評だった。その柄谷は講演の中で、文芸批評を選んだのは、それがテキストで書かれたものであれば何であれその対象になるからであったという。「文学批評では、対象としては文学でないものを論じることができます。例えば、哲学や宗教学、歴史学といったものも、文学批評の対象になる。文学批評は何を扱ってもよいのです。それが書かれたテクストであるならば。もし哲学や経済学、歴史学といった何かを専門にすると、それ以外のことができなくなる。が、文学批評であれば、それができる。私は欲張りなので、文学批評を選んだのです」というとき、その自信家であるところが伺うことができる。
その柄谷が、近代文学は死んだという。いわゆる近代文学は、文学が小説であったような時代にあって成立したと。いま、小説はそのような位置を占めえない。逆に、なぜ小説が特殊な位置を占めるようになりえたのかということの方が問われるべき問であるように思われるのである。
「私は自分が日本で文芸批評をやってきた経験からいうのですが、近代文学は一九八〇年代に終わったという実感があります。いわゆるバブル、消費社会、ポストモダンといわれた時期です。そのころの若い人たちの多くは、小説よりも“現代思想”を読んだ。いいかえれば、それまでのように、文学が先端的な意味をもたなくなっていました」
その移り変わりは、その外にいてもよくわかる変化であったように思う。
日本のある種の文学は、中上健次で終わったと。中上健次のようなものから村上春樹のようなものへと移行していったのだという。柄谷は村上春樹も文学の線上においては比較的評価をしているのであろうか。
「近代文学が近代ネーション形成の基盤であったことは否定できない事実です」
しかし、そのような時代はすでにして過ぎ去ったのである。そのことが色濃かったのは文芸批評をしていた初期柄谷も着目した明治時代である。高橋源一郎も明治時代の日本文学に殊更執心であるが、同じような観点で明治文学を見ているように思われる。
デモに対する姿勢など、個人的な観点から賛同しないとこともあるのだが、それも含めて『探究』から、柄谷行人の最近の代表的な仕事である『世界史の構造』につながる足跡が少し垣間見えて興味深い。 -
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柄谷行人は『世界史の構造』を書くにあたって、色々と調べ上げたということだが、柳田国男の遊動論もその中のひとつであったという。それでも、なぜ、今となって柳田国男なのか。
その答えは、彼の交換様式論にとって、柳田国男の遊動民(ノマド)の理論が重要な位置づけを占めていたからであった。二種類の遊動民(その一つが有名な山人)をあり、それが理解の鍵でもあるとする。遊動民と交換様式論の関係について引用すると次の通りである。
「各種のノマド(遊動民)が、交換様式C(商品交換)の発展を担ったのある」そして、「遊牧民は、交換様式Cとともに、交換様式Bの発展を担ったということができる」
さらに「定住以前の遊動性を高次元で回復するもの、したがって、国家と資本を超えるものを、私は交換様式Dと呼ぶ」
そう、『世界史の構造』における交換様式Dが、遊動性に関係しているのだ。
「交換様式Dにおいて、何が回帰するのか。定住によって失われた狩猟採集民の遊動性である。それは現に存在するものではない。が、それについて理論的に考えることはできる」
だが、その後の議論は具体的には進まない。
「彼がいう日本人の固有信仰は、稲作農民以前のものである。つまり、日本に限定されるものではない。また、それは最古の形態であるとともに、未来的なものである。すなわち、柳田がそこに見いだそうとしたのは、交換様式Dである」
と相変わらずの我田引水っぷりで本文を終える。
柳田国男を読んだことがなかったこともあり、ちょっとわからなかったな。 -
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柄谷行人は、自分が大学生の頃はいわゆるスタープレイヤーであった。彼の著作を読むことが一種のステータスでもあったように思う。もちろん一部では、ということだが。
本書は、その柄谷の憲法九条に関わる四つの講演を新書にまとめたものである。憲法改正が政治的なイシューになっている中で、それに対して反対であるという態度を明確にしているわけだが、現実へ与える影響は柄谷にはもうあまりないのではないかと思う。それでも、その理論的根拠を知りたいとは思うのだ。
まず第一に、憲法第九条が変えられなかったのは、日本人の無意識からきている。意識的なものであったのならとっくに変わっている、というのが柄谷さんの主張だ。「九条は護憲派によって守られているのではない。その逆に、護憲派こそ憲法九条によって守られている」というのは正しい認識だと思う。
ただ、「無意識」を語るのにフロイトを持ち出してくるのはどうしても今更感がある。フロイトが無意識というものを初めて大きく取り上げて世に知らしめたのは確かだが、その時代から無意識に関する知識は大きく進化していると思っている。もちろんここで使っている「無意識」は実際の人間の脳内活動における意識-無意識とは別のより比喩的な意味で用いているのであろうが、であればこそフロイドを持ち出すことなく丁寧に柄谷さんがここで使う「無意識」とはどういうものであるのかを説明すべきであったのではないのだろうか。
また九条=戦争放棄の位置づけを語るために、『世界史の構造』などで練り上げた交換様式に言及し、戦争放棄が一種の贈与であり、それが交換様式Dにおける純粋贈与となるという。戦争放棄を贈与とみなして、それを徹底すべきだというのは独自の観点でよいのだが、それでもリアリスティックなリスクを鑑みると責任のない地点からの言論にすぎないということもまた感じ取られてしまう。そういった想定される批判に対して、柄谷は次のように言う。
「憲法九条は非現実的であるといわれます。だから、リアリスティックに対処する必要があるということがいつも強調される。しかし、最もリアリスティックなやり方は、憲法九条を掲げ、かつ、それを実行しようとすることです。九条を実行することは、おそらく日本人ができる唯一の普遍的かつ「強力」な行為です」
しかし、こういった平和論よりも、日本ではずっと憲法改正などは行わず、リアリスティックに対処していくのではないか。それが似合っている。それを「無意識」と呼ぶのであれば正しいと思う。
『世界史の構造』などを読んだ後であれば、決してわかりにくい本ではないが、どこかもやもや感や落ち着きのなさが残る。それは左翼的なものがどこかいかがわしさをまとうようになったことを図らずも示しているのだと思う。柄谷さんはそのことに関してどれほど意識的であるのだろうか。 -
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60年間憲法九条を廃棄してこなかった世論は、フロイトを引き合いに出して説明されます。「超自我は、死の欲動が攻撃性として外に向けられたのちに内に向かうことによって形成されるものです。現実原則あるいは社会的規範によっては、攻撃欲動を抑えることはできない。ゆえに、戦争が生じます。それなら、攻撃欲動はいかにして抑えられるでしょうか。フロイトがこのとき認識したのは、攻撃欲動(自然)を抑えることができるのは、他ならぬ攻撃欲動(自然)だ、ということです。つまり、攻撃欲動は、内に向けられて超自我=文化を形成することによって自らを抑えるのです。いいかえれば、自然によってのみ、自然を抑制することができる。(15頁)」ゆえに、憲法九条は私たちの無意識の中に、自然発生的に存在するものであって、手放すことができないものである。仮に再び戦争をすることがあっても、手痛い代償を払ってまで、再び憲法九条を取り戻すだけであると著者は言います。難しいのですが、そのことを理解するとすっきりします。
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資本=ネーション=国家の接合体から抜け出し、世界共和国への道筋を探るという、まさに壮大な論考。マルクスやカントの思想が登場するので、門外漢にとっては理解を超えている。しかし、人間と人間の関係を交換様式で分類するところから始めて、国家や商品交換の成立の歴史をたどるのは、人間社会のあり方とその歴史を理解するという意味でおもしろい。
人間と人間の関係としての交換様式は、4つに大別される(p21)。
A.互酬(贈与と返礼)
B.再分配(略取と再分配)
C.商品交換(貨幣と商品)
D.X(理念として存在)
国家は共同体の中からではなく、共同体が他の共同体を継続的に支配する形態として発生する。国家は、共同体からの賦役と貢納を確保して、他の国家から防衛し、灌漑などの公共的事業を行う。支配者の仕事を贈与として、被支配者は賦役や納税をそのお返しとする互酬の擬制(略取と再分配)が成立する(p48、カール・ポランニー「人間の経済」)。エジプト、メソポタミア、中国では、軍事だけでなく、文字言語、宗教、通信網といった人間を制御する技術を持ち、官僚機構によって支配する国家が完成した形態で出現した(p52)。
帝国の周辺であるギリシアでは、農民共同体が集権的な統一国家を妨げたため、都市国家が乱立した。アテネの民主主義は、公職や権限をくじ引きによって決めるもので、部族的な共同体を克服できないところに由来した(p54)。さらに、ローマの周辺であるゲルマンの部族社会で成立した封建制は、主君が家臣に封土を与えるか養い、家臣は主君に忠誠と軍事的奉仕で仕える双務的な契約関係によって成り立つ互酬だった(p57)。
商品交換は、国家が暴力を独占して法による支配を行うことによって成立した(p67)。西ヨーロッパの封建制において、都市は国家に対抗する教会の力を利用して自立し、商業を発展させた。多数の諸侯を制圧して集権的な体制を築いた王は、都市ブルジョアジーと結託して絶対主義王権国家が誕生し、商品交換と貨幣経済の原理が国家によって承認された。これによって、軍と官僚・警察機構を備えた国家が成立し、再分配と商品交換に基づいて国家と資本が接合した(p86,110)。
1848年のヨーロッパ革命によって、4つの社会形態出現した(p9)。
A.国家社会主義(統制、平等。サン・シモン、ラッサール)
B.福祉国家資本主義(統制、不平等。ボナパルト、ビスマルク)
C.自由主義(自由、不平等。古典経済学)
D.アソシエーショニズム(自由、平等。プルードン、マルクス)
1870年、国家資本主義によって急激に重工業化したフランスとプロシャの間で戦争がおこり、勝利したプロシャは、1865年の南北戦争で統一を遂げたアメリカ、明治維新によって産業革命を遂げた日本と並んで、イギリスの自由主義的帝国に挑戦するようになり、実質的な帝国主義時代が始まる(p11)。
社会主義運動は職人的労働者が担っていたが、19世紀末に重工業化が進んだことによってその基盤が失われ、2つの方向に分かれていった。ひとつは、エンゲルスの相続人だったベルンシュタインに代表される社会民主主義(福祉国家主義)。もうひとつは、レーニンに代表されるロシアのマルクス主義(ボルシャヴィズム)で、ロシア革命の結果、国家社会主義に帰結した(p14)。
1930年代の大不況を脱出するために、高賃金によって大量生産と大量消費(フォーディズム)を実現した(p145)。
産業資本主義において労働力商品となった人間は、家族、共同体、民族などから切り離され、互酬的関係を失った。人々はそれをナショナリズムや宗教の形で取り返そうとしてネーションを生み出すが、それは解体された共同体の想像的な回復に過ぎない(p151,166)。
アソシエーショニズムとは、国家や共同体の拘束を斥け、共同体にあった互酬性を取り戻そうとする運動(p179)。プルードンは、競争や自由があり、貧富の格差や資本と労働の対立関係をもたらすことがないものとして、全員が労働者であるとともに経営者である生産者協同組合や、民主主義を経済的なレベルで実現するための代替貨幣、信用銀行といった、国家と資本主義経済から自立したネットワーク空間を形成することを構想した(p188)。 -
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1960年から2011年までの日本の政治思想について柄谷氏とインタビュー形式で書かれた一冊。
お友達が柄谷氏を非常に高く評価されていたので、一度は読もうと、なるべく分かりやすい一冊を選んで読みました。
1960年代の安保の時代から始まる日本の政治やそれに対する市民の活動など、懐古しながら読み解き、60年代と70年代の活動の違いなどを読み解くには非常に分かりやすい解説がされている。
なぜデモが国民の集会や意思発信から消えていき、また2011年のあの震災から脱原発のなど自然発生的に始まった市民のデモが戻ってきたのかが大切な事だと解説され、そのデモがなければ本当の市民政治など日本に生まれないと話されている。
憲法で認められた集会の自由の中にデモは含まれており、規制されるものではないという考えを日本国民は持つべきで、デモをしなければ日本はダメになっていくし本物にはなれないと言われいている。
歴史の周期で60年周期120年周期で起こる事象についての考察など興味深く、その節で行くともう少ししたら戦争がやってきて新たな世界秩序が生まれる歴史的な時期が来ているのではないかという記述が非常に印象に残った。
日本がこれからどうなるかを一度考えたり、政治という物や市民活動という物を根本から考えるには読んでおくべき一冊かと思った。 -
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なんとなく20年くらいぶりじゃねえの。という感じで再読。
近代文学史を相対化するねらいがあったのに、近代文学史として読まれてしまった不幸がこの本にはあったと言われているけど、改めて読み返すと、近代文学に関する記述はかなり手薄で、ディコンストラクション以降の「現代思想」の概説的な記述にかなり割かれているという印象を持った。その意味では、時代の産物ではある。
「遠近法」というキータームは、柄谷先生の影響で人文系でかなり流行ったわけですが、これってかなりロジックをすっ飛ばした比喩なんじゃねえかな、という気もした。
とはいえ、ここ3、40年の人文科学の流れの中で、この本の果たした役割の大きさは間違いないでしょう。 -
Posted by ブクログ
柄谷さん初めて読みました。エッセイや講演集なので奥行きはそれなりなんですが、ラディカルな話がたくさんあった。
・言語と国家(ネーションについて)
・日本精神分析(芥川や言語を題材に、ナショナリズムや対外性について)
・入れ札と籤引き(菊池寛の作品から、選挙制度について)
・市民通貨の小さな王国(谷崎潤一郎の小さな王国から、資本と経済の在り方について)
の四章。
心に残ったのは
カナや文字は外来だし、今もそう認識されているが、ヨーロッパなどはキリスト教は外来でも自国のものとして染まっている。
日本は借り物で構成されているのではなく、他国の文化に去勢されるのを拒否してきた。
現在の選挙制では、秘密な分責任も曖昧で、買収や利権関係も起こる。
選挙+抽選の提案。
資本よる搾取や、プルードン、リカード、マルクスへの見解を並べた上で、家族や古来の共同体にある互酬性、倫理を内包出来る非市場的な性質を持ちつつも、市場を維持(揚棄と言っていますが)出来るものとして、地域通貨を提案。
などでした。
現在の選挙制や資本の批判はいくらでも聞くのですが、右左に頼る事無く、しかも具体的なレベルで提案してくる(流行の新書の様な押し付けもなく)所や、地に足のついた考え方にはとても感心しました。