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Posted by ブクログ
某国公立大の現代文の入試問題で引用されていたのが記憶にあった。
五十歩百歩の中にも、五十歩の差異は「絶対」としてある。
我々は絶対的視点から罪人であることに置いて同等であり、そこに相対的な見方は意味を成さないが、「ドングリの背くらべ」の小さな差異はやはり厳然としてあるということか。
人間の中にある根源的な罪や悪について考えさせられる。
自由とは何か。
ただ他者の欲望を自分の欲望とした自由は自由ではありえない。
私たちの考える自由は本当に自由かといえば他律的な自由でしかない。
責任とは何かという問題。
子の犯罪の責任は親にあるのか。世間は自分に利害がないのに責任を取って死ねと暗黙的に圧力をかける。
また原因の問題。
人が罪を犯すとき、確かに環境などの原因が背景にあるがそれは無限にある。
しかしその人の罪は許され責任がなくなるかといえばそういうことではない。
罪がないといえば、彼は自由な主体としての尊厳を失う。
同じ環境や生まれでも、犯罪者になる人間もいれば、成功者になる人間もいる。
Posted by ブクログ
「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱え」
あぁ難しかった。集中しないと内容が把握できなかった。大変だったけど、なんとなくわかった気がする。でも、結論がなぜ資本主義の批判になったのかはわからなかった。
存在(ザイン)・・・いかにあるか
当為(ゾルレン)・・・いかにあるべきか
すべての悩みはこの間で揺れ動く中にあるんだけども、当為なくしては何事も始まらない。こういったべき論は煙たがれるのが普通だけど、これがないと人にはなれない。カントが言うゾルレンは道徳的な「善」ではなくて、「自由であるべき」という倫理の話。
たとえば、幸せになるために結婚する。極論かもしれないけれど、これは、他者を幸福を得るための手段として扱ってることでもある。善=幸福という道徳観が当たり前に通用しているけれど、道徳と倫理が異なる概念ならばどうなるだろうか。
自由であるべきと心構えている人は、責任を背負うことができる。道徳は幸福を謳うけど、倫理は人間でいることを強いる。
理想と現実の間で、落ち込んだり自分がイヤになったりすることも多々あるけれど、100年ちょっと前に生きていた人の言葉にいまさらながらに励まされるのだ。
Posted by ブクログ
ひょっこり読み始めたんですが、なかなかおもしろかったです。というか、本書の中で検討されている「自由」と「責任」の話、私自身も何となく考えていたところだったので、いろいろと言葉を与えてもらった感じです。「自由には自己責任が伴う」とか「自由を確保するためにみんなで自重しよう」とか、そういうおバカなことを言う人が未だにときどきいたりするんですけど、そのテの人たちにはとりあえずこの本を薦めたいですね。自由論に関する手ごろな本を探していたんですけど、本書はなかなかよく問題点を整理できている気がします。さるところで「大学一年生におすすめ」みたいなコメントを見かけましたが、確かにそれくらい読みやすい本です。「テツガクショ」が読めない方にも入門書として。(20070910)
Posted by ブクログ
カントの倫理思想の解釈を通して、現代における世界市民の立場を確保することや、戦争責任の問題などを考察している。『トランスクリティーク』(批評空間・岩波現代文庫)への導入という位置づけの本。
意志の自律としての倫理が成立する領域を、因果法則の支配する自然の領域から峻別するという本書の議論は、カント倫理学の根本モティーフを確かに捉えていると思う。また、個人の利害や共同体の規範に盲目的に従うのではなく、世界市民的な立場から考えることが「パブリック」ということだという主張に至る議論の流れも、それなりにおもしろく読んだ。
ただ、疑問に思うのは、なぜ著者が今になってこうした主張をするのか、ということだ。
「ゲーデル問題」などに関する論考で著者が考察していた問題は、形式化された体系の内部に自足的にとどまっていることは不可能であり、外部からの侵犯という事実が不可避的に入り込んでしまうということだった。むろん今日では、著者の「ゲーデル問題」という表現が、せいぜいのところ比喩としてしか通用しないものだったことが判明しているが、個人的には、そのことを理由に著者の一連の理論的仕事を一顧の価値もないと切り捨ててしまうべきではないと思う。たとえば、それらの議論から、意志の自律に基づいて超越論的領域を確保する「自己言及的」な体系は純粋さを保ちえず、そこには不可避的に事実のレヴェルからの混淆が生じてしまうという洞察を引き出すことは可能だし、そうした問題は現在でも考察に値する重要性を持っているのではないか。
ところが本書で著者は、かつて自身も格闘したはずのそうした問題をすっ飛ばして、カント倫理学における規範性の領域が当然に成り立つかのように論じている。現代思想における上述のような争点を知悉しているはずの著者が、本書のような素朴な仕方で超越論的な規範性の領域が可能だと考えるに至った理由が、どうにもよく理解できないでいる。
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