柄谷行人のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
この本を読んで思ったこと
共同体と国家の関係は太陽と北風
この本は民衆すべての対等な暮らしを目指した共和国を
模索しているが
社会の成立を物質性だけでとらえているようだ
つまり対立で成り立つバランス性だけを意識して
混乱と不安な世の中を解決しようといているらしい
最も基本である相互信頼から起こる一体感によりハーモニー性を
考慮していないようにみえる
そのためだろうか共生社会の可能性を具体的に示してくれている
宗教は人々に自律ではなく依存心を植え付けてきたわけだし
国家的なシステムと支え合って今現在も民衆を翻弄している
自律することで裏打ちされた自由と対等な互助性を摘み取っている
これは世界共和社会を実現するために大きな弊害である
この本ではカントの言う倫理観と純粋理性によって集うことが必要で
そうしてできる共同体はいわば「神の世界」の出現だという
他者を手段としてしか扱わない資本主義においては不可能なことだけれど
他者を手段と同時に目的とできてこそ「神の世界」が可能となるとも言う
商人資本の支配を無くすためには利益追求型ではなく品質追究の製品を目指した心でつながれる単位の小ぶりな組織で小ロットの個性ある製品が必要となる
当然特許やノウハウや著作権をフリーに公開し
誰もが最高の状態で物を生み出せる環境にしなければならない
利益のために行動するのではなく最高の状況を保ち社会のために生きる事こそ
宇宙すべてにとって平和と自由と対等な暮らしを創れる
共同体は家庭のように愛情と信頼を基礎とした
生産物の交換と分配システムによって成り立つ
その拠り所は家族から民族・宗教族そして利害組織へと広がって大きく強くなる
しかし構成員のお互いを肌で感じられる以上に膨らんでしまうと対等な関係を維持できなくなって内部暴力に発展する
交換と分配には食物・道具・特産物・土地財産・女男子供の奴隷・
時間・技術・知識・まじないなどがあり
そこには自と他の区別がない一体の者達と
他を意識して分散した者達がおり
損得がなく分け合う者達と奪い合う者達に別れる
又、この意識が強くなるに従い
贈与・貢ぎ・租税に伴った見返りとしての再配分など
取引の姿も複雑になる
見返りとしては福祉・治水・防衛・侵略・などの安全と繁栄を見せつけ
公共事業と軍事警察や通行手形などの権利・権限・権威のお墨付きを与える
人間の生活と自己発見に対する創造のための生産は
自然循環エコシステムを破壊することなく発展していくが
資本のための生産は必要性を度外視することにつながって
競うための競いにおちいる
ゴミを作りだしては処分するという不合理を生み搾取の掛け算を始める
労働を無駄にして資源と大地と大気と水を汚し地球丸ごと破壊に追いやる
自らの手で人間自体を教育によってロボット化してしまい
宗教化した資本に恐怖を感じ無条件に支配されてしまう
勿論資本家自体も気づかないうちに資本の虜に成り下がっている
自然にとっても人間にとっても多様性が大切なのであって
地球上のシステムを強制的に一元化することは真空状態にしてしまうことになる
この世に絶対の善なる一つの答えはなく
強いて言うならば無限の多様性が共生することで幸福を得る
無限に異なる色があるからこそ織りなす美が生まれハモル歓びを持てる
一色に塗りつぶされた世界は光も影も失った掃きだめとなってしまう
グローバリーゼーションが一色化することではなく多様性を引き出すものであれば矛盾のない発展となり得るのではないだろうか
ギリシャの民主主義が奴隷によって成り立ったように
21世紀の民主主義は技術と意識の高さによって
支えなければならない
つまり誰の犠牲も借りることなく
自然循環の中で物質的争いなしに暮らせる準備が整っているのだけれど
人間の心の方がまだ自律できておらず恐怖をぬぐえずにいる
そのため現状は未だに合法という暴力で
管理と支配と搾取をし合っている
その見返りに人のフンドシで福祉国家を
装っている政治家や官僚という下層貴族も温存している
共同体には頭や手足という分担はあっても支配者はおらず
一体感による互助の原理が働き国家の形成や国王の誕生を必要としない
敵を想定することによって国家が生まれるのであって
国家は共同体の内側から起こることはない
道徳は「善と悪」による「従順又は精神と物欲」
意識は「美と醜」による「価値又は創造と破壊」
経済は「利と害」による「搾取又は安心と浪費」
政治は「友と敵」による「恩賞又は分配と侵略」
人間はこれらを左右することで社会を構成し
その体験によって自分を確かめることを目指しながら日々を過ごしている
貨幣は商品との社会契約によって対等に成り立つものだとされている
一度交換契約が公になると対等性が薄れ
一般に商品や労働力よりも選択肢が多い分優位に立つ
つまり
貨幣を持っている人は強い立場になり
共同社会での互助性による分配を上回る魔力を潜ませる
人々はその魔力と交換に自由と対等な立場を手放してしまう
守銭奴①の貨幣貯蓄家は使用権を保留する
この守銭奴は無限に権利を保留し続ける禁欲家か無欲者だし
貨幣フェチズムに酔っているとも言える
守銭奴②の金貸し屋は利息システムを作り
質権として貨幣をため消費の権利を貸すことで更なる利益を上げ続ける
この守銭奴は幾分合理的だが貨幣の本質を見失っている
最もこのシステムは自然法則のエントロピーに逆らってもいる
守銭奴③の商品資本家である商人は商品と貨幣の交換を転がして利益を上げる
この守銭奴は合理的であると同時に
一攫千金を夢見て命を賭けて努力する冒険家でもある
守銭奴④の金融資本家は政治を巻き込み不等価交換による利益をだまし取る
この守銭奴は最もドライであると同時に姿を隠した弱虫で
ターゲットを絞り詐欺的合法を駆使して追い詰め搾り取る残忍な人非人である
守銭奴は多かれ少なかれ人間の生きる目的と手段を取り違えて倒錯しているが
思い込みの激しい分一途で強く多勢を相手に分別なく挑む
「無く子と地頭には勝てぬ」勢いで社会を振り回す -
Posted by ブクログ
ネットワークの世界がソーシャル化されていくことで、国家、資本に対してどういう位置づけ・価値付けを行い、そして立ち向かうのか、ということを考えてみたくて読んでみるのだけれど、柄谷行人は、そこには言及しない。
インターネットを知らないわけではないだろうし、その人類史的な動きに気づいていないはずもないだろうに、ネットワーク化された世界について具体的な指摘がないとは、どういうことだろう?
マルクスやらカントやらプルードンやら、過去の積み上げや歴史的洞察については、僕なんていう者があれこれ批評するのもおこがましいくらいの突出した内容だが、なんだか過去からの積み上げ(のまとめ)だけに終始されたような読後感。2006年の初版というには内容が古過ぎないだろうか。 -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
「資本=ネーション=国家」という接合体に覆われた現在の世界からは、それを超えるための理念も想像力も失われてしまった。
資本制とネーションと国家の起源をそれぞれ三つの基礎的な交換様式から解明し、その接合体から抜け出す方法を「世界共和国」への道すじの中に探ってゆく。
二一世紀の世界を変える大胆な社会構想。
[ 目次 ]
序 資本=ネーション=国家について(理念と想像力なき時代 一九世紀から見た現在)第1部 交換様式(「生産」から「交換」へ 「交換」の今日的意味 ほか)
第2部 世界帝国(共同体と国家 貨幣と市場 ほか)
第3部 世界経済(国家 産業資本主義 ほか)
第4部 世界共和国(主権国家と帝国主義 「帝国」と広域国家 ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
柄谷行人が久しぶりに新著を出したと思ったら、岩波の新書版。しかも中を見ると「ですます」調。そんな人ではなかったはずでは...
2001年の『トランスクリティーク』でまとめられた内容から基本的には進展はありません。なるほどあとがきで書いているように「『トランスクリティーク』は専門的すぎたので、普通の読者に理解できるものにしたい」 ということで書いたらしいので、それでいいのかもしれない。ただ、「普通の読者」をどのあたりに置いていたのかどうか不明ですが、その意図が成功したのかどうかは怪しいところです。まさか、ですます調にすると簡単に見えると思ったわけでないでしょうが、内容が変わっているわけではないので、逆に論理が飛んでいるように感じたところもあります。例えば、中心理念となっている「資本=ネーション=ステート」は、最重要概念だだけに最初にもう少し言葉を費やす必要があるのではと感じられます。まあ薄くなって、安くなったのは「普通の読者」が手に取りやすくなったのは確かかもしれません。
また『トランスクリティーク』で提案され、NAMで実践に移された、「権力のくじ引き制」と「LETS (地域通貨)」は基本的に触れられていません。『トランスクリティーク』では、確か「資本=ネーション=ステート」を乗り越えるための重要な要素であったはずです(たぶん)。NAM活動の頓挫を経て、やはりそこには限界があったということだったのでしょうか。
著者は、理想とするアソシエーションについて、「もちろんその実現は容易ではないが、けっして絶望的ではありません。少なくともその道筋だけははっきりしているからです。」と最後に書いています。しかし、少なくとも私たちにはその道筋ははっきりしたものではありません。
やはりこの本を読むよりも、時間はかかると思いますが『トランスクリティーク』を読んだ方がいいと思う。続編がほとんどできあがっているということなので、そちらを期待しています。 -
Posted by ブクログ
「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱え」
あぁ難しかった。集中しないと内容が把握できなかった。大変だったけど、なんとなくわかった気がする。でも、結論がなぜ資本主義の批判になったのかはわからなかった。
存在(ザイン)・・・いかにあるか
当為(ゾルレン)・・・いかにあるべきか
すべての悩みはこの間で揺れ動く中にあるんだけども、当為なくしては何事も始まらない。こういったべき論は煙たがれるのが普通だけど、これがないと人にはなれない。カントが言うゾルレンは道徳的な「善」ではなくて、「自由であるべき」という倫理の話。
たとえば、幸せになるために結婚する。極論かもしれないけれど、これは、他者を幸福を得るための手段として扱ってることでもある。善=幸福という道徳観が当たり前に通用しているけれど、道徳と倫理が異なる概念ならばどうなるだろうか。
自由であるべきと心構えている人は、責任を背負うことができる。道徳は幸福を謳うけど、倫理は人間でいることを強いる。
理想と現実の間で、落ち込んだり自分がイヤになったりすることも多々あるけれど、100年ちょっと前に生きていた人の言葉にいまさらながらに励まされるのだ。 -
Posted by ブクログ
ひょっこり読み始めたんですが、なかなかおもしろかったです。というか、本書の中で検討されている「自由」と「責任」の話、私自身も何となく考えていたところだったので、いろいろと言葉を与えてもらった感じです。「自由には自己責任が伴う」とか「自由を確保するためにみんなで自重しよう」とか、そういうおバカなことを言う人が未だにときどきいたりするんですけど、そのテの人たちにはとりあえずこの本を薦めたいですね。自由論に関する手ごろな本を探していたんですけど、本書はなかなかよく問題点を整理できている気がします。さるところで「大学一年生におすすめ」みたいなコメントを見かけましたが、確かにそれくらい読みやすい本です。「テツガクショ」が読めない方にも入門書として。(20070910)
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Posted by ブクログ
柄谷は現在を
「資本=ネーション=国家」が
バランスしていると捉える。
それを超えて「世界共和国」へ
至る道筋を考える一冊。
グローバルな「資本」主義的世界経済は
必ず「経済的格差」と「対立」に帰結する。
「ネーション」(国民)は
「共同性」と「平等性」を志向して、
資本性がもたらす格差を
解決するように要求する。
「国家」は、さまざまな「規制」や
「税の再配分」によって
その共同性と平等性を実現しようとする。
この三者が危ういバランスで
成り立っているのが
現代社会だと、柄谷は説く。
そして、この
「資本=ネーション=国家」を超えて
「世界共和国」へ至る道筋を見つけるために
考察を重ねたのが、この本である。
柄谷は
国家社会主義やリバタリアン社会主義の衰退を
歴史的事実として受け止め、
マルクスから始まる
社会主義的な思考の失敗を踏まえつつ、
新たな道を模索する。
そのために資本、ネーション、国家が
それぞれ簡単には否定できない根拠を明らかにしつつ、
それらを止揚する道を探っていく。
ただ本書はその解決策を明快に詳細に
指摘したものとして読むと期待を裏切られる。
むしろ、資本、ネーション、国家が
どうやってできあがってきたかを
歴史的、思索的に考察し、明らかにすることに
主眼が注がれている。
そのためにマルクスを参照する。
つまりはある程度の欠落を認めつつも
「史的唯物論」に依拠するということだ。
柄谷はマルクスの
「生産様式」という考え方を
「交換様式」と読み替え、
新たに歴史を読み直していく。
交換様式として、柄谷は
A 互酬(贈与と返礼)
B 再分配(略奪と再分配)
C 商品交換(貨幣と商品)
D X
という4つを置く。
DのXはいまだ実現されていないが、
そこにあるべきものである。
そして、これらに対応する
資本制社会構成体として
A ネーション
B 国家
C 資本
D アソシエーション
を置く。
アソシエーションは
これも想像的なものである。
社会主義ではなく、
しかし、ABCを止揚する何か
仮想の共同体的なものである。
そして、歴史的・思索的分析を重ねる。
「国家」は共同体と共同体の間に発生する。
そして、その「国家」の変遷、世界ををこう見る。
「中央集権」的な「帝国」が西アジアと東アジアに成立。
その亜周辺では、中核の文明や制度を受け入れつつ、
集権的原理は受け入れなかったため、
「封建制」が発達した。
そして、亜周辺である西ヨーロッパで
集権的な国家をもてなかった「封建制」のはざまから
共同体や国家を超えて通用する
「貨幣」が拡大し、「都市」を育み、
教皇勢力と結びつき、
中央集権的国家へと成長し、
封建制を崩壊させ、常備軍と官僚機構を備えた、
均質な「絶対主義国家」が生まれた。
このときに商品交換=貨幣経済の原理が
国家によって承認されたのだという。
ここで「国家」と「資本」は結びつき、
封建制の崩壊によって、均質な市民=国民という概念が
初めて生まれて、「ネーション」も誕生する。
また、柄谷は宗教についても
市場経済の上で互酬的な共同体を回復させようとするものとして、
普遍宗教(世界宗教)について位置付ける。
ニーチェは
「世界帝国への進行はつねにまた世界神への進行である」
と言う。
普遍宗教は、
最初に述べた「アソシエーション」を
志向するものである。
そして、「絶対主義国家」は他の「絶対主義国家」を求め、
「資本」の要求により「世界市場」を創造し、
そこから「世界経済」と「世界帝国」が生まれていく。
さまざまな角度からの詳細な分析があり、
現在の世界は
「資本=ネーション=国家」として
位置付けられる。
そこには人間と自然を阻害する問題がある。
この問題を解決するために、
柄谷は「世界共和国」への道筋を掲げる。
それは簡潔に言うと、
カントが唱えた「世界連合」という思想の実現だ。
それは「国際連合」のような形を示唆する。
しかし、この方向性の未来は、
現在のアメリカの状況を見ると、
明るいとは言えないように思える。
各国家が自ら権力の一部を渡した
世界規模の共和国。
現在の歴史は、そこから
遠のいるように思えるからだ。
その結論はともかく。
「資本=ネーション=国家」
についての分析は、
何度も読み込む必要を感じるが、
現在を捉える視座に加えたい思考だ。 -
Posted by ブクログ
12
教える・習う 非対称 言語ゲームの基礎?
26
精神分析は医者と患者のコミュニケーションとしてしかありえない
45
文学は教えられないことを教える
48
自己差異化
62
現代の文学は言葉のガン的な拡大、自己免疫疾患
74
82
外科
83
キュアーよりケェアー
99
景気循環→進化論 マルサスより19世紀のイギリス
114☆
記号論
119
中上健次 フランス文学・日本文学は元植民地に依存している
→搾取
131
共同体と共同体の間が社会
173
戦中の紙の配給、本の配給、インフレ
181
柳田は政治化した私を問題
折口は世界宗教化しようとする
185
フランス現代思想は政治的状況に対応して書いている
200
カタログ的 江戸から?
208
注釈学・文献学的であることは現象学的であることと切り離せない
238
239
人欲=礼
250
小林秀雄の党派性
263
時代を語れない
279
内なる辺境 安部公房
292
批評に現代性なんて必要ない