藤井光のレビュー一覧
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流石の村田沙耶香。「無」
ますます筆が冴える。これからは、このくらいの毒が吐ける作家でなくてはね。
「産んでしまった後は私が家畜だった。夫にとって私は古くて汚いけれど性欲処理ができて、放っておけば家事をしてくれる肉性機械道具だった。娘は私で性欲処理をすることはないが、いくら成長しで当然のように私を使いつづけた。でもいつか、未来では娘が私たちの道具になる、それだけが心の支えだった。」
痺れる〜!
ラシャムジャ「穴の中には雪蓮花が咲いている」
悲しくもふっくらした短編。これはこれで、好きだなあ。このふっくらした感じは人柄なのか、チベットという国が持つものなのか。
チョン・セラン「絶縁」
分断は経済格差だけでなく、価値観や倫理観にも表れてくる。もう絶縁しかないのか?
このような形の書物が世に出ること、そのことを祝福したい。
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アジアの女性作家九人によるアンソロジー。しかもテーマは「絶縁」。「しびれるテーマ」と村田沙耶香は言ったそうだが、確かに「しびれる」。なかなか、こんな本が存在するというだけで意義深いような、圧がある。ある特定の層には熱い支持を受けそうな一方、この価値観、というよりはこれに「しびれる」感覚って、普遍性ないかもしれないな…とも思う。
Audibleで聴取。朗読は、どの作品も独特の色が浮かび上がり、とても良かった。ただ終盤は私の集中力/モチベーションが枯渇してきて実はちゃんと聴けてない。いつかちゃんと読み直したい。
■村田沙耶香(日本、一九七九〜)『無』
うん。絶縁だ。村田沙耶香の絶縁だ。
■アルフィアン・サアット(シンガポール、一九七七〜)『妻』
絶縁どころか新しい縁を自分の意志で結ぼうとしたのに、絶縁だ。「するとサウダはだしぬけに、縄が切れてしまって井戸の中を落ちていくような感覚になった。」怖い。
■ 郝景芳(ハオ・ジンファン、中国、一九八四〜)『ポジティブレンガ』
これは絶縁と思い込んでいたところから始まっての、縁のつながりの確認、と感じた。
■ウィワット・ルートウィワットウォンサー(一九七八〜)『燃える』
タイの政治情勢についてものを知らなすぎ、ついていけてない感を味わいながらの本編だったが、訳者解説のおかげでなんとかキャッチアップ。
■韓麗珠(ホン・ライチュー、香港、一九七八〜)『秘密警察』
重かった。
■ラシャムジャ(チベット、一九七七〜)『穴の中には雪蓮花が咲いている』
「穴の中には雪蓮花(せつれんか)が咲いている」。覚えておこう。
■グエン・ゴック・トゥ(ベトナム、一九七六〜)『逃避』
親子の関係には犠牲がある、特に東アジアでは親が子どものために犠牲を払うことが暗黙の了解になっている。というあとがきのことば。
■連明偉(リエン・ミンウェイ、台湾、一九八三〜)『シェリスおばさんのアフタヌーンティー』
ちょっとスタンド・バイ・ミーを思い出した。
■チョン・セラン(韓国、一九八四〜)『絶縁』
なかなかストレート。(読み直し要。)
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WW2の時代。盲目の少女マリーとドイツの若い兵士・ヴェルナーのラジオを通した物語。
「空気は生きたすべての生命、発せられたすべての文章の書庫にして記録であり、送信されたすべての言葉が、その内側でこだましつづけているのだとしたら。」
印象に残った場面は、戦争が激化していく中でドイツ国内でフランス語を使うことをためらうエレナ先生。戦争終結後ユッタ(ドイツ人)がフランスへ行くとき、拙いフランス語を使うことでドイツ人とばれるのを恐れる描写の対比。
また、ユッタがフランスのサン・マロで見た銘板(あれは実在だそうです)。そこにドイツ人兵士の名前はない。立場が変われば見えてくるものも違う。
ただ、1つ1つの話が3,4ページで変わっていくので、ストーリーに入り込むことがうまくできなかった。炎の海というダイアモンドの話も浅い部分で終わった気がする。マリーの父は主要人物かと思いきやそうでもなく、ヴェルナーの妹・ユッタもそう。ちょっと物足りなさを感じた。 -
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理想的で立派な「アメリカ文学」を追い求める時代は終わり、移民作家の台頭によって変化しつつあるアメリカの小説たち。〈ターミナル化〉と〈荒れ地化〉をキーワードに、翻訳者が新しい時代の小説の地図を描く文学ガイド。
グローバル化によって「テクノロジーと移動が生み出す世界、かたやそれと同時に進行していく不毛化という両極」に身を置きながら書かれた世界文学(アメリカに限らない)の特徴を、著者は〈ターミナル化〉+〈荒れ地化〉と呼んでいる。ターミナルが多様性のポジティヴな面を指しているとすれば(その分ビジネスライクでもある)、荒れ地はポストアポカリプスSFが現実化したかのような混沌であり、従来の価値観では育たなかった新しい芽が生えてくる自由さの象徴にもなっている。グローバル化をこのように言い換えるのは文学以外にも有効だと思い、三品輝起『雑貨の終わり』の感想にも援用させてもらった。
第Ⅲ部の「伯父さんと戦争」にまとめられているように、〈マッチョなアメリカとの別れ〉というテーマが全体に通底しており、2016年当時の空気が思いだされる。女性作家も取り上げられているけれど、フェミニズムやクィアな小説としてまっすぐ語ることはなく、多様化によってメインストリームに浮上してきたカウンターというくらいの扱い。〈荒れ地化〉した文学界でむしろ生き生きと芽を伸ばしている人たち、とは見なされているか。
そして藤井さんに限った話ではないのだが、個人的にユージェニデスの『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』について話すとき、語り手「ぼくら」の有害さに触れない評者が気になって仕方がない。全てが「ぼくら」の妄想かもしれない、とすることで彼らの暴力性に言及しているつもりなのかもしれないけれど、その妄想こそが現実の「姉妹たち」を傷つけ、犯したということを描いた小説だと私は思っている。あの小説に書かれたことをある時代特有の「切なさ」に還元されるなんて堪ったもんじゃない。 -
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絶縁がテーマの短編集。
期待していた村田沙耶香さんの短編も良かったが、意外に他の作家さんの短編が気に入った。
幼なじみの少女と結構良い仲だったのに、結局その少女とは結ばれることなく、小さい頃の少女との会話を思い出す主人公の話(「穴の中には雪蓮花が咲いている」)は、自分の思う通りには世の中は進まないということ、あともう一歩踏み出せていたらという後悔などの主人公の気持ちが押し寄せてくる。ただただ切ない。
「絶縁」では、仲の良かった先輩夫婦と主人公が、ある出来事をきっかけに疎遠になるという話。そんなことで人は袂を分けてしまうものなんだな…と思うが、譲れない思想は皆それぞれ持っている。それがたまたま主人公は「遊び人ユンチャンを許すまじ」だったんだろうな。私はどちらかというと先輩夫婦の考え方に近い。芸能人の不倫等のスキャンダルって誰が面白がっているのだろうと思う。まあ、女性に恨まれるような人とはあまり近づきたくないけれど。