藤井光のレビュー一覧
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大学生時代に演劇をやっていたので
「演技をしたいと思う者は普通じゃない」というのがすごくわかる。わりと変な人間がやることだとわかっている。
人生うまくいかないときに自分じゃない何かになりたいと思うのだろう。
この作品で出てくる人物たちも一癖も二癖もある人間で、アクティングクラスにのめり込んでいく。
現実との境界線も曖昧になっていく。
少し人物の描き分けが日本と違うのでわかりにくかった……そのうちキャラクターがわかってくるけれど、難しかったように思う。
それにしても……演劇をやっていたからわかる。こんなに一般人が急にエチュード(即興劇)をやって上手くいくわけがない……みんなプロの俳優さんですか??ってくらいすぐに演技できててすごすぎる。そんな邪念ばかり浮かぶ(笑) -
Posted by ブクログ
著者の代表作『地下鉄道』は歴史改変小説という特殊なジャンルだった。そのためかなかなか世界観に馴染めず、先に実話を基にした本書から取り掛かることに。
読むだけの充実感がある反面、重い…。目に見えない重しがのしかかってきているようで、読み終えた瞬間に思わず息を吐き出した。
史実(それもつい最近明るみになった)とフィクション・過去と現在が巧妙に入り混じり、特に第三部からのストーリーの進め方には度肝を抜かれる。恐らく読後、一部の章を読み直さずにはいられなくなるだろう。
『地下鉄道』よりこちらの方が自分の肌に合っているかも。
「侮辱されるたびに野垂れ死にしそうな気分になっていたら、日々を生きていくことはできない」
舞台は1960年代前半のフロリダ州。アフリカ系アメリカ人の聡明な学生エルウッドは祖母との2人暮らし。ある時大学進学に向けてのチャンスに恵まれるがそれも束の間、無実の罪でニッケル少年院に送られてしまう。
少年院を出るには院内にて善行を積み、ポイントを稼いでいかねばならない。加えて、院内で横行する暴力や虐待に耐えてゆかねばならない。地獄のような日々の中、エルウッドはターナーという少年と出会い次第に友情が芽生えていくが…。
「少年たちは、あの学校に潰されさえしなければ、いろいろな未来に進むことができた。[中略]彼らには平凡であるという単純な喜びすら与えられなかった」
第一印象としては『ショーシャンクの空に』の少年院ver.っぽいと思ったが、精神が未成熟であるが故に彼らの恐怖がより身に染みて伝わってきた。(男同士の固い絆と収監された場所が「名ばかり更生施設」であることは共通していると思う) 用務員による壮絶な虐待により最悪の場合命を落とすことも少なくなかった。
これは何と近年閉鎖したアメリカの男子学校がモデルで、本書に登場する独房や拷問部屋も実在していたという。
本書では日常の一コマであるかのように描写されており、憤りよりもまず不気味さを覚えた。
「みんなが目を背けているということは、みんなグルだということだ」
学校の閉鎖に伴いようやく暴力・虐待の告発がされたというが、近年のヘイト事件を見る限りこうした問題は解決の兆しすら見えていない。差別意識はアメリカ国民の中にDNAとして刻まれている。更に差別された側には恐怖も刻まれる。
エルウッドは元々公民権運動に関心のある学生で、序盤では黒人デモにも参加していた。しかしニッケルでの体験を経て、後半では白人に助けを求めるようになる。「究極の良識」が人々の心に刻まれていると信じ、望みを賭けたのだ。
今思えば「外に味方がいるエルウッドだから踏み出せた」とも言える。
でも人種を問わず世間の誰かが「おかしい」と共感してくれるだけで、その人の「究極の良識」を信じてみようと思えるのかもしれない。「自分には味方がいる」と思えれば、行動する勇気が湧いてくるのかもしれない。
つまりは、まだまだ綺麗事を諦める時ではない。 -
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まだナチス・ドイツが台頭してくる前の時代。
パリの国立自然史博物館の錠前主任を父に持つマリー=ロール・ルブランは幼い頃に目木見えなくなる。手先が器用でさまざまな難解な鍵を作る父は彼女の為に正確な街の模型を作り、マリー=ロールはその模型を手で辿る事で街の構造を覚え、盲目でも目的地まで街中を歩けるようになる。
一方でドイツ、エッセン地方のツォルフェアアインという炭鉱の街では炭鉱夫だった父を落盤事故で亡くしたヴェルナー・ペニヒと妹のユッタ。二人は孤児の集まる施設で育つが、ヴェルナーは科学に興味があり、ラジオを自作して遠い異国から流れてくる電波を受信して妹と二人で夢中になる。
ナチスが台頭してくると、ヴェルナーはその才能を買われ、ユッタを残してヒットラー・ユーゲントに入り、そこで敵軍の無線機を探知する仕組みを作るなどして、ドイツ軍に。
フランスがナチス・ドイツに蹂躙されマリー=ロールと父は海辺の街サン・マロに疎開し、引きこもりとなった大叔父と、彼の面倒を見る老婦人の世話になって暮らす。
盲目となり光を失ったマリー=ロール。電波という見えない光を追いかけるヴェルナー。全く知らない同士の二人が、第二次大戦のサン・マロという海辺の壁に囲まれた要塞のような街で交錯していく。
大戦前の豊かなフランスと、貧しいドイツ。
大戦初期のナチス・ドイツがフランスを占領しようとする頃。
そして戦争末期、連合軍と戦いを続けながらもフランスから撤退し、滅びようとしているナチス・ドイツ。
という三つの時間を行き来しながら、さらにはフランスのマリー=ロールとドイツのヴェルナーの周辺が交互に短い文章で断片的に語られる。
短い断片の積み重ねが読みやすい一方で、場面が頻繁に変わるので物語としては読みにくいところもある。
物語自体は歴史的な背景を知らなくても楽しめるが、ヒットラーが各国の美術品や宝飾品を集めていたこと、サン・マロはナチスの侵攻によって崩壊した連合軍が海に逃れた拠点であったことなど、歴史を知っているとまた違う読み方ができる作品。 -
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東アジア~東南アジアの若手作家による『絶縁』という共通テーマのもとに書き下ろされたアンソロジー。
かなり読みごたえがある。
読み終えるのに結構な時間がかかった。
同じ時代を生きているのに、その国の政治・社会状況によりこんなにも違った世界が広がっているとは、想像もしなかった。そう、同じテーマのもとに書かれているにも関わらず。
作家の個人的な傾向もあるだろうが、それとてその国の社会情勢に影響されることは少なくないだろう。
村田沙耶香、チョン・セランの作品は、読みながら(村田沙耶香のはディストピアのようだったが)その状況や心理が掴みやすかったのは、やはり似通った社会構造の国の作家だからだろうか。
他の作品は、知識のなさゆえに想像力が追い付かないものもあったが、アジア文化圏の多様性と奥深さを感じ、もっと和訳されてほしいと思う。
2023.1 -
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短編小説になると、自分の場合各話の背景を探るのにいちいち時間を要してしまう。
しかし本書に関しては、その心配をする必要はない。どの話の背景もパンデミック中の出来事だから。
1348年ペストから逃れるため、フィレンツェ郊外に逃亡した男女による創作話をまとめた『デカメロン』に倣い、21世紀を生きる計29の作家が本書のために29の物語を提供した。アメリカをはじめ、英語圏でも評価を得ている他言語の作家も参加しており、なかなかに国際色豊かだった。いつものように、心に引っかかった何篇かを引っ張り出したい。
思えば2020年の惨めな生活を振り返らないまま、今日まで来てしまった。当時の自分のみならず、似たような或いはそれ以上の苦難を味わった海の向こうの誰かにも、そろそろ目を向ける時なのかもしれない。
・『臨床記録』(リズ・ムーア)
看病に奔走する夫婦と熱を出した赤ん坊の闘病記録を第3者の言葉で報告書風にまとめたもの。
役割分担はしているが、やはり切羽詰まっている。熱もウィルスによるものでないとは言い切れない。
辛くて見るのを断念した、新生児を抱え動揺を隠しきれない母親のニュースが頭をよぎる。今回も辛いのには変わりなかったが、最後まで目を逸らさなかった。
・『死の時、時の死』(フリアン・フックス)
たったの4ページで詩を読んでいるみたいだった。
前代未聞の出来事に気持ちが追いつかず、「意味を失った」、「無気力な時間」を経験する人々の描写とでも言おうか。
元々詩の読解は苦手で、特に「時間」を扱ったものは一層難しく感じる。しかしふと外に飛び出して人と会うことで、再び時間が動き出したという著者の話は容易にイメージ出来た。少なくともあの頃の時間には、生気がなかったんだな。
・『起源の物語』(マシュー・ベイカー)
短編集の中で一番好きな話。
「配給制や絶望の中から偉大なものが生まれることがある!」という始まり方から、既に良い予感はしていた。ひいおばあちゃんとひ孫の不和にハラハラしつつも、ひいおばあちゃんが考案したある発明品とそれが導く明るい未来にほっこりすること間違いなし!2年前に知ったら尚更気が楽になっただろうな。
「『デカメロン』の若い男女は(自分たちの街に)戻ることにする。(中略)彼らが戻ったのは、笑い、泣き、生きるうえでのまったく新しいルールを想像した後、ついに現在を見つめ、未来を考えられるようになったからだ」
『死の時、時の死』と若干被るけど、あの頃モチベーションを上げて人間らしく生きるというのは、どう頑張っても難しかった。
今なお終わりが見えない中「未来を考える」のは困難だろうけど、あの頃を振り返り現在に立ち戻るところまでなら今の自分に出来る。 -
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全体としてとても面白かったけど、どれかピックアップして読むなら『血を分けた子ども』と『恩赦』がスリリング。
以下はいくつか作品のまとめと感想。
●血を分けた子ども
テラン(人間?)が、トリクというでっかい虫みたいな生き物に、奴隷的に囲われながら暮らしいている世界の話。過去は一方的な支配だったらしいが、今は共存の道を探る一派がトリクの政権で力を持ってるらしい。とはいえ、トリクはテランの体に卵を産みつけて幼虫を孵化させないと繁殖できず、そのためにテランの体が解剖同然の大きな傷を負うことは避けられない。テランの少年がその事実を目の当たりにし、大好きなトリクの子を自分の身に宿してあげるかどうか悩む、なんとも官能的な話。好き。
●夕方と、朝と、夜と
癌の特効薬の副作用により、癌よりも酷い遺伝性の病、デュリエ=ゴード症がうまれる。2世たちの病との向き合い方について。この病気の暴力的な症状、遺伝の仕組み、発症のルール、患者に共通する特性、その中でも特別な患者の存在、発症を抑える意外な発見。それらのアイデアがどれも魅力的だし、その事実に直面する若い患者二人の葛藤の描かれ方もとてもよい。
●話す音
脳の言語野周辺を損傷するとみられる病のパンデミックにより、世界は北斗の拳状態。言葉を失い、理性レベルが下がり暴力的な人々で溢れ、殺人も日常茶飯の中、程度の軽いもの同士が出会い、ささやかな幸せを願おうとするが、それも一瞬で壊されてしまう。そんな中、病の影響を受けていない子どもたちに出会い、希望を見出す。
作者にとって、希望とは言葉そのものなんだな、と沁み入る。
●二つのエッセイ
何かに向かって頑張ってる人、特に今うまくいかなくて悩んでる人は読んだらとても元気が出ると思うし、頑張ろう!って活力がわくとおもう。そういう意味でとてもよいエッセイ。
「閃き」など忘れること。習慣のほうが当てになる。閃きがあろうとなかろうと、習慣は自分を支えてくれる。--『書くという激情』
●恩赦
地球に植民してきた異生物と共存していくに至る過程をある定点から見る話。
異生物の見た目の設定がいいし、地球に降りたってから人間を知るためにやって来たこともとても納得感があっておもしろい。それに対する人間の対応の残忍さ、愚かさの描かれ方も辛いけど、物語を重層的にしてる。
主人公はこころざしの高いすごい人物のように読めてしまうんだけど、最後にどんでん返しが待っていて、その落とされ方、絶望感というか、それもとてもよい(?)です。
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以下は、この作家のテーマを表現していると思えた部分を二つ引用。
私は貧しい黒人で、しかも女性で、私を産んだときの母は十四歳でろくに本も読めなかった。子ども時代の半分は自分の家もなかった。あなたの目には、それで底辺に見えるのかしら?--『マーサ記』
不正を働いたという証拠もないまま、人は職も自由も剥奪され、名声を踏みにじられるということに、私がまだショックを受けることができたころの出来事だ。--『恩赦』あとがき
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Posted by ブクログ
ネタバレ過去の短編とエッセイ、新作短編をまとめた本。
表題作はネビュラ賞、サイエンス・フィクション・クロニクル賞、ローカス賞、ヒューゴー賞を受賞した、バトラーの短編の代表作。
エッセイ二篇はどちらも「書くこと」について書かれていて、特に『書くという激情』はプリントして持ち歩きたいぐらい沁みる。大事なのは「粘ること。」
短編の方では新作短編のどちらも好きだけど、特に『マーサ記』がよかった。神に選ばれたマーサが、人間にひとつだけ変化を与えて「いまほど破壊的でなく、より平和で持続する生き方」をするよう、神と対話しながら考える。到達するのが「眠るたびに見る夢に現実味を持たせ、個人の希望や興味を叶える夢を見させて、自尊心や満足感を与える」ということだったのも、よく考えられていると思う。
あと、神とマーサとの会話がステキすぎる。後半でツナサラダのサンドイッチを神に勧める辺りなどもう悶えるぐらい。ドラマ版『ウォッチメン』のドクター・マンハッタンとシスター・ナイトの関係性や会話のようなロマンチックさがある。
各作品の終わりにそれぞれあとがきが付けられていて、執筆に至る背景や着想を得たものなどについて書かれていて、それも興味深かった。
目次で「新作短編」の文字列を読んでご存命とばかり思っていたけど、著者は2006年に亡くなっている。
訳:藤井光 -
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ネタバレ面白かった。
ニューヨーク・タイムズマガジンが、現代のデカメロンを作ったらどうかと、作家たちに声をかけ、
7月には特集号になったというから、驚きのスピードだ。
ケイトリン・ローバーによる序文にこうある。
_人生でも指折りに恐ろしい経験のさらに深く放り込まれてはきても、作家たちが芸術作品を作っているのだと分かった。略
最良の文学作品とは読み手を遠くに連れていくだけでなく、自分たちがどこにいるのかをはっきりと理解させてくれるものなのだ_
合わない作者ももちろんいたけれど、
どれもこれも本当にあの2020年の春の事を書いていて、リアルだった。
不安と、現実逃避と、希望とが入り交じって。
短い作品ばかりなのに、漠然とした死を感じるからこわいほど興味深くておもしろい。
『既視感』
日に日に空き部屋になっていく、ニューヨークのアパートメント。人見知りの黒人女性と初老の白人女性。
彼女はピアノ教室を開いていたが、子供たちはもう来ない…仕事も家族もなく、どこにも行き場のない人たちのはなし。。
『ロサンゼルス川つれづれ話』
ゲイのカップルの日常?男女のカップルと変わらないんだと、知らされた。音楽、本、映画、どれも趣味が合わない。
お気に入りの作家は、愛する人と結ばれて、毎晩一緒に映画を観ている…。
歴史上の素敵なカップルを数えてみる…。
ある日、自転車をオンラインで注文した。彼は、イラつきながら自転車を組み立てる。自分は?私は、なかなかにダメな子で、そういった面倒からは逃げてしまう。そうして、彼の怒りをかいながらも、出来上がった自転車でロサンゼルス川を走る。
悪くない…のかな。こんな人生に甘んじても。
『石』
冴えない小説家が、トークイベント中に石を投げられたことで、気の毒な被害者として一躍注目されることになる。しかし、犯人は見つからず、人々はそんな事件も忘れてゆく。
忘れられた小説家は、これから書きたい本、文学的で真の自分の世界を…などと考えていると…。
これ、すごいな。
『スクリーンの時間』
テレビを見せずに子育てをしようとする、物書きの夫婦。しかし、彼らはテレビなしでは過ごせない大人になっていた。ロックダウンで外に散歩にも出られなくなってしまった子どものために、彼らはお互いの仕事を調整して、子どもと過ごす…
でも、日曜日だけ映画を観せたらどうかと話し始める。そこからの、二人の姿が、ユニークで、甘美で、だのに、あなたたちこそ大丈夫なの?という気持ちにさせられる。
一番お気に入りの短編。
『大きな赤いスーツケースを持った女の子』
これこそとてもデカメロン的なんじゃないかしら?
大きな赤いスーツケースを持った女の子だと思い込んでいた彼女は、作家のファム・ファタールではなかったのだ。。ラストになるほどと、うまいなぁと、なってしまった。
『完璧な旅のおとも』
4年前から別々にくらしていたマヴィ(妻)の息子ミケーレが、ミラノが危ないと言って夫婦の家にやってくるという。
夫婦の最後の夜は、失敗に終わっている。
ミケーレが来てからは、禁欲生活のままだww
若いミケーレに翻弄される僕が妙に憎めない、イタリア人の愛されキャラなのだ。
翻訳のリズムがすごく良くて、なんだか一瞬で読めてしまった。
『願い事がすべて叶うなら』
これは、ホテルに隔離されているの?
それともドラッグの常習犯である俺の幻覚なの?
分からなくなってくる…
オチがやっぱり!えウソ?!というおもしろさ。
キリがないのでこの辺りで。
俄然、本家の『デカメロン』を読みたくなっている。
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アフリカ系アメリカ人のエルウッドは、ホテルの下働きをしている祖母に育てられた。従業員たちに可愛がられ、勉強もでき、先生から黒人が無償で学ぶことのできる大学への進学を勧められる。大学へ行くためにヒッチハイクした車は盗難車だった事から、共犯者として少年院に送られてしまう。そこはニッケルスクールという名前だったが、スクールとは名ばかり、虐待のまかり通る過酷な少年院だった。
後年、閉校になったスクールから傷だらけの白骨が掘り出された事から、当時の院生に話題が集まる。
スクールでの悲惨な日常と、不正を外部に知らせようとするエルウッドと、大人になった院生とが交互に描かれる。はたしてエルウッドはどうなったのか。悲しいラストだが、胸をうたれる。
遠い昔のアメリカではない、50年ほど前である。キング牧師が登場した頃の話だ。そして21世紀になっても黒人への差別は続く。黒人の大統領が誕生しても、大坂なおみは7枚ものマスクを用意していたのだから。 -
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1960年代前半、公民権運動が徐々に活性化しつつあったアメリカを舞台に、優秀な学力を持つ黒人の高校生は無実の罪で少年院に送られる。そこは管理者である白人たちが物資の横流しで儲け、少しでも反抗する黒人少年を撲殺して無かったこととする地獄であった。
この恐ろしい筋書きは空想のものではない。フロリダに存在し、100名以上の行方不明者を出したドジャー少年院がモデルになっている。施設が老朽化のために閉鎖され、暴力の痕跡も歴史に埋もれようとしていた中、ハリケーン後の敷地清掃で27名もの正体不明の遺骨が発見されたことによって、この少年院での恐ろしい暴力の実態が明るみに出ることとなった。
本作『ニッケル・ボーイズ』は、ニッケル少年院を舞台として主人公の少年がいかに恐ろしい暴力をサバイブしようとしてかを克明な心理描写と共に描き上げる。物語は1960年当時と現代の2つの時間軸を舞台として、現代にまでサバイブできた生存者たちに植え付けられた暴力のトラウマまでも生々しく示される。そして、この2つの時間軸を使った予想外の叙述トリックによるラストは必読、思わず読んでいた本を落としそうになってしまった。
南部で虐げられる黒人を北部に逃すための比喩である”地下鉄道”が実際に鉄道として存在していたなら、という途方もない想像力を持って描かれた前作『地下鉄道』での受賞に続き、2度目のピュリッツァー賞を受賞した本作。ノンフィクション部門でピュリッツァー賞を2回受賞したのは彼が史上4人目であり、先達にはウィリアム・フォークナー、ジョン・アップダイクらであるということを知れば、コリソン・ホワイトヘッドの作家としての凄さは十分に伝わると思う。