梅原猛のレビュー一覧
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浄土真宗の家系だが、あまりにも何も知らないので読んでみた。
全ての人は念仏で救われるという、浄土真宗の教理は懐が深いが、同時に突き放したものだなと感じた。
多くの宗教は、戒律や修行、こうした生き方をしなさい的なものが大概あると思うのだけど、浄土真宗は現世の生き方についての指針を特に示してくれていないように思う。
念仏で悪人でも善人でも救われ浄土に行ける。
善行、悪行というのは凡人である人間が勝手に判断しているものだからでしょうか?
他力とは、縁や環境、あるいは欲望に添って生きなさいということなんだろうか?その辺りがどう解釈していいのかわからない。
ある程度の縛りがある方が、宗教を信仰するのは -
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東日本大震災後に行われた瀬戸内寂聴さんと梅原猛さんの対談を1冊の本にしたもの。
ともにアラナインティーでそれなりの地位を確立された方々なので、まさに歯に衣をきせぬ対談でした。
でも、ちょっと梅原さんは思想が凝り固まってるかな…。
柔軟性で言えば女性で僧侶でもある瀬戸内さんのほうが、どんな意見もいったんは受け入れるって姿勢を感じました。
戦争を知っている世代として、原爆投下がなければ本土決戦でもっと多くの日本人が死んでいたから、被爆された方々のその犠牲を心から感謝したうえで今をしっかり誰かのために生きていきたいって瀬戸内さんが言っていたのが印象的でした。
梅原さんもさすがにいろいろと研究を -
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下巻では、法然の思想形成後の経歴と、後世への影響が論じられています。
法然は、源信の『往生要集』を論理的に分析すると同時に、彼自身の思想を強く読み込もうとしました。それが、念仏において「観念」よりも「称名」を重視する発想です。こうした法然の強い信念は、『選択本願念仏集』にも見いだされています。
声を上げ、名を称えることが念仏の要だと強く主張した法然は、叡山を下りてみずからの思想を広く世間に問う生き方を選びます。
著者は、その後の法然の受難の背後に、天台座主を務めた慈円と、その兄で法然のもとに帰依した九条兼実の対立があったとする見方を提出しています。
末木文美士の「解説」では、本書の魅力 -
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「浄土仏教の思想」シリーズ(講談社)の一冊として刊行された本の文庫版。著者独自の視点から、法然の生涯と思想を論じています。
上巻では、法然の生い立ちから、師の叡空を批判して独自の思想的立場を確立しつつある時期までを扱っています。
例によって著者は、田村円澄に代表されるアカデミズムの通説に反旗を翻し、三田全信による伝記資料の研究に依拠しつつ、法然の出家の謎に迫っていきます。通説では、法然が9歳のときに父の漆間時国が殺害され、その後に法然が出家したと考えられてきました。これに対して著者は、弟子の源智が残したとされる『法然上人伝記 附一期物語』(通称『醍醐本』)を重視して、父の殺害が起こったのは -
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東日本大震災後におこなわれた対談です。このとき、寂聴が89歳、梅原が86歳だそうです。寂聴は、壮絶な恋愛の末に出家するという経歴をもつ作家であり、他方梅原は、日本古代史の分野で大胆な仮説を次々と提示し、さらにはスーパーカブキの原作をも手がけるという異端の思想家です。
人生の酸いも甘いも噛み分けた二人の対談なので、東日本大震災後の日本人へのメッセージといっても、日本の文化全般にまで話は進んでいきます。仏教の自利利他の考えかたや、『源氏物語』から、日本人の精神について説き起こすといった内容になっています。もっともそのぶん、震災から話が離れてしまっているのではないかという疑問も生じますが。 -
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28年ぶりの再読であったが,やはり,理解出来ず…残念ながらまたしても「古事記」の面白さを理解することは出来なかった…己の文学的センスのなさを恨むばかりだ.
長たらしく難解な登場人物の名前に翻弄され,物語の内容は,欺きと権力闘争,そして近親相姦,親子兄弟の殺し合いというタブー,などなど…ある意味非常にスリリングな展開となりそうな要素は満載なのに,それが淡々と羅列されて行くような展開は,ハリウッド映画のような派手な演出に慣らされてしまった現代人の一人である想像力の欠如した僕にはどうにも退屈で…f^_^;
しかし,巻末に付けられた「古事記に学ぶ」まで読んでその考えは一変する.
これは,日本とい -
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梅原猛のバイアスがかかっているかもしれない「古事記」の現代語訳。
スサノオはマザコン[p21]、アマテラスはひきこもり[「岩戸隠れ」p26]。 ヒーローで名高いヤマトタケルは、あのまま現代にいれば凶悪な犯罪者になるだろう[p127]。神話全体がスカトロジーに貫かれている(これは糞が肥料になるなど、当時の社会に根差していたか)。男女の生々しいエロティシズムは当たり前で、川でウンコしているときに矢が女性器に刺さって、その矢が男になったり(ウンコが流れる下流からではなく、上流から流れて来たらしい。よかった。[p101])、風俗の写真見学みたいに女を品定めしたり[p102](天皇の浮気は当たり前。ゾ -
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只管打坐。とにかく座禅をしろと言う道元の思想は、私の中で今ひとつ
確固たる像を結ばなかった。
出自から来る潔癖なまでの反権力と世俗との決別。
十五歳にして大乗仏教の根本に疑問の視線を向けうる驚くほど聡明な
知性。
そしておそらくは如浄のもとで経験したのであろう座禅による宗教的
体験。
道元の中の様々な要素が一つに結びつかないのである。
これは勝手な想像だが、おそらくは道元自信もそんな様々な要素を
抱えたまま修行生活を送ったのではないだろうか。ん、勝手すぎる
か(苦笑)。
次はいよいよ最終巻の日蓮。読み終えてから仏教の「どこ」に
向かうか、が問題だな。