梅原猛のレビュー一覧
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梅原猛のデビュー作に「地獄の思想」というタイトルが付けられているのが象徴的だ。
彼は死ぬまで「地獄の思想」を凝視し続けた思想家だったと言えるのだ。
宗教にも思想にも明と暗の二面性がある。
片方だけでは片手落ちだ。
明の宗教や思想は美しくても深みに欠ける。
宗教や思想に付き纏う暗部を梅原は「地獄の思想」と呼ぶ。
人類の歴史は不幸と悲惨と苦悩に満ち満ちている。
地獄を見つめることは、人間の苦悩と悲惨から眼を逸らさないことだ。
だから闇を見据えた「地獄の思想」は思想としての深みが増し、悲惨の淵にいる人々の心に届くことになるのだ。
本書で取り上げられる地獄の思想家(地獄を凝視し続けた思想家)は、以下の通りだ。
源信
親鸞
紫式部
世阿弥
近松門左衛門
宮沢賢治
太宰治
このデビュー作で語られた親鸞についてはその後何度も、様々な角度から語られる。
93歳で書いた最後の作が「親鸞四つの謎を解く」であったというのも梅原らしい。
デビュー作「地獄の思想」において、地獄を見続け、地獄からの救済を求めた親鸞を語ったのを始まりに、死の直前にまた親鸞に戻って、親鸞の謎を解いて死んでいったのだから。
地獄を見つめる勇気が現世を生きる力を与えてくれる。
日本人が無条件で聖人として信奉してきた聖徳太子にも、地獄の思想を見た梅原猛だからそこ、須く地獄の思想家には敏感なのだ。
梅原は柿本人麿にも、人麿のライバル山部赤人にも、地獄の思想を見出していく。
その二人をフィーチャーして「万葉集」を編んだ大伴家持も勿論、地獄の思想家だ。
地獄の思想家は地獄の思想家を見抜くのだ。
仏教由来と思われる地獄の思想を日本の思想に探っていくと、あれよあれよという間に、平安、飛鳥時代を通り越して、縄文時代にまで突き進まざるを得なくなる。
縄文の発見、縄文の「地獄の思想」の発見は梅原猛の重要な功績だ。
地獄の思想は、仏教伝来に遥かに遡って存在していたのだ。
梅原は縄文への新たな視点を投げかけてくれ、日本人の思想の源流に潜む「地獄の思想」を明らかにしてみせた。
日本文学の中に底流のように流れる民話、浄瑠璃、能、歌舞伎にはたっぷりと「地獄の思想」が込められていることを本書は教えてくれる。
後に梅原は、文学における「地獄の思想」復権のために、自ら歌舞伎の脚本まで書き、スーパー歌舞伎というジャンルまで作り出している。
梅原の地獄の思想の探求に終わりはないのだ。
それだけ地獄の思想家が日本史の中にはゴロゴロいるということだ。
最澄と空海、法然、円空、写楽、三岸節子。。。
そして、極め付けは梅原猛自身。
梅原の著作は全て「地獄の思想」シリーズだったことが分かる。
その原点がここにある。 -
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浄土真宗の家系だが、あまりにも何も知らないので読んでみた。
全ての人は念仏で救われるという、浄土真宗の教理は懐が深いが、同時に突き放したものだなと感じた。
多くの宗教は、戒律や修行、こうした生き方をしなさい的なものが大概あると思うのだけど、浄土真宗は現世の生き方についての指針を特に示してくれていないように思う。
念仏で悪人でも善人でも救われ浄土に行ける。
善行、悪行というのは凡人である人間が勝手に判断しているものだからでしょうか?
他力とは、縁や環境、あるいは欲望に添って生きなさいということなんだろうか?その辺りがどう解釈していいのかわからない。
ある程度の縛りがある方が、宗教を信仰するのは楽ではあると思う。それが良いとは言わないけど。
どんな生き方でも浄土に行けるのだから、思うがまま一生懸命生きろってことなんだろうか?、、難しい。 -
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東日本大震災後に行われた瀬戸内寂聴さんと梅原猛さんの対談を1冊の本にしたもの。
ともにアラナインティーでそれなりの地位を確立された方々なので、まさに歯に衣をきせぬ対談でした。
でも、ちょっと梅原さんは思想が凝り固まってるかな…。
柔軟性で言えば女性で僧侶でもある瀬戸内さんのほうが、どんな意見もいったんは受け入れるって姿勢を感じました。
戦争を知っている世代として、原爆投下がなければ本土決戦でもっと多くの日本人が死んでいたから、被爆された方々のその犠牲を心から感謝したうえで今をしっかり誰かのために生きていきたいって瀬戸内さんが言っていたのが印象的でした。
梅原さんもさすがにいろいろと研究をされている方なので、己の私的な弁解のために本来の趣旨とは異なった「悪人正機説」を前面に打ち出した近代浄土真宗は間違っているだとか、今の政治家は己の利益ばかりを追求して天皇陛下を都合よく利用している悪人ばっかり
だとか(この対談時は民主党政権。某国の要人とムリヤリ陛下を会わせたことを言っているとみた。)なかなか言いづらいことをズバリと言っていました。
まぁ、長く生きられてきた酸いも甘いもかみ分けたお二人が、いろんな対談をして、その本の収益金を東北への義捐金にあてようとして出版された本です。
能とか源氏物語とかいろんな話が出てくるので、このお二人を知っていて、ちょっとその思想が気になる人には楽しめる1冊かもしれません。 -
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下巻では、法然の思想形成後の経歴と、後世への影響が論じられています。
法然は、源信の『往生要集』を論理的に分析すると同時に、彼自身の思想を強く読み込もうとしました。それが、念仏において「観念」よりも「称名」を重視する発想です。こうした法然の強い信念は、『選択本願念仏集』にも見いだされています。
声を上げ、名を称えることが念仏の要だと強く主張した法然は、叡山を下りてみずからの思想を広く世間に問う生き方を選びます。
著者は、その後の法然の受難の背後に、天台座主を務めた慈円と、その兄で法然のもとに帰依した九条兼実の対立があったとする見方を提出しています。
末木文美士の「解説」では、本書の魅力と従来の研究との違いについてのわかりやすい説明があり、たいへん参考になります。 -
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「浄土仏教の思想」シリーズ(講談社)の一冊として刊行された本の文庫版。著者独自の視点から、法然の生涯と思想を論じています。
上巻では、法然の生い立ちから、師の叡空を批判して独自の思想的立場を確立しつつある時期までを扱っています。
例によって著者は、田村円澄に代表されるアカデミズムの通説に反旗を翻し、三田全信による伝記資料の研究に依拠しつつ、法然の出家の謎に迫っていきます。通説では、法然が9歳のときに父の漆間時国が殺害され、その後に法然が出家したと考えられてきました。これに対して著者は、弟子の源智が残したとされる『法然上人伝記 附一期物語』(通称『醍醐本』)を重視して、父の殺害が起こったのは法然の出家後だったとする立場をとります。押領使として秩序を乱す武士や盗賊と実力でわたりあってきた時国は、みずからの死もけっして遠いことではないと少年の日の法然に語り、そのことが彼の深いところにある厭世観につながっているのではないかと著者は推測します。
さらに著者は、法然と師・叡空の論争の中で、とくに「戒」をめぐる立場の違いに注目しています。著者は義山の解説に依拠しながら、法然は心を重視する叡空の「観心戒」の立場に反対して、「体」および「行為」を重視する考えを打ち出したという見方を示しています。 -
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東日本大震災後におこなわれた対談です。このとき、寂聴が89歳、梅原が86歳だそうです。寂聴は、壮絶な恋愛の末に出家するという経歴をもつ作家であり、他方梅原は、日本古代史の分野で大胆な仮説を次々と提示し、さらにはスーパーカブキの原作をも手がけるという異端の思想家です。
人生の酸いも甘いも噛み分けた二人の対談なので、東日本大震災後の日本人へのメッセージといっても、日本の文化全般にまで話は進んでいきます。仏教の自利利他の考えかたや、『源氏物語』から、日本人の精神について説き起こすといった内容になっています。もっともそのぶん、震災から話が離れてしまっているのではないかという疑問も生じますが。 -
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28年ぶりの再読であったが,やはり,理解出来ず…残念ながらまたしても「古事記」の面白さを理解することは出来なかった…己の文学的センスのなさを恨むばかりだ.
長たらしく難解な登場人物の名前に翻弄され,物語の内容は,欺きと権力闘争,そして近親相姦,親子兄弟の殺し合いというタブー,などなど…ある意味非常にスリリングな展開となりそうな要素は満載なのに,それが淡々と羅列されて行くような展開は,ハリウッド映画のような派手な演出に慣らされてしまった現代人の一人である想像力の欠如した僕にはどうにも退屈で…f^_^;
しかし,巻末に付けられた「古事記に学ぶ」まで読んでその考えは一変する.
これは,日本という国の起源を紐解く壮大な歴史ミステリーの宝庫だ‼︎
…とはいえ,なかなかもう一度読み返すには時間と体力が必要で…もうちょっと,分かりやすい本,ないかな?解説書的な方がむしろありがたいですf^_^;
最後の最後まで読んで初めて価値を実感できました. -
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梅原猛のバイアスがかかっているかもしれない「古事記」の現代語訳。
スサノオはマザコン[p21]、アマテラスはひきこもり[「岩戸隠れ」p26]。 ヒーローで名高いヤマトタケルは、あのまま現代にいれば凶悪な犯罪者になるだろう[p127]。神話全体がスカトロジーに貫かれている(これは糞が肥料になるなど、当時の社会に根差していたか)。男女の生々しいエロティシズムは当たり前で、川でウンコしているときに矢が女性器に刺さって、その矢が男になったり(ウンコが流れる下流からではなく、上流から流れて来たらしい。よかった。[p101])、風俗の写真見学みたいに女を品定めしたり[p102](天皇の浮気は当たり前。ゾウアザラシ並み)、月経の血をみて歌をうたったり[p137]する。また、ボーイズ・ラブに近いようなニューハーフなようなエピソードも[p128]。
とにかく、黄泉の国にいたスサノオから奪った太刀と弓矢で地上(葦原中国)に国らしきものをつくったオオクニヌシ(大国主神)あたりから、地上に神が増殖し(植民か?)、アマテラスでさえ名前を尋ねないとわからない[p67]。それで、アマテラスもイザナギと同じように、地上の統治を他の神に任せようとする。無責任。お前がやったほうが早そう。結局、様々な混乱、争いが地上にはびこる。
古事記が扱うのはおもに天皇が神に近かった範囲内。推古天皇の近くはざっと数行で触れられるのみ[p217]。国を正当化する物語がこれほど人間的、生々しく生理的であるところが圧倒的な魅力。