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悪人正機説や他力本願で知られる真宗の開祖・親鸞。危険思想視され烈しい弾圧にあいながらも、人々に受け入れられていった、その教えの本質とは何か。師の苦悩と信仰の極みを弟子の唯円が綴った聖典に詳細な語釈、現代語訳、丁寧な解説をほどこした。日本人の「こころ」を追究する著者の手でよみがえる流麗な文章に秘められた生命への深い思想性。
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Posted by ブクログ
「やるべきこと」という偶像崇拝に自ら陥り「わたしは不幸だ」などと言っている人は、この本を読んでみるのもありかもしれない。 唯心によれば、「ただ神を信じる(仏教では念仏を唱えること)、そうした他力の力のみによって天国へ行くことができる。だから極楽浄土へ行ける奥義を教えてほしいといわれても念仏を唱えろ...続きを読むというよりほかはない。」と親鸞は言う。また、親鸞は「(他力ではなく自力の力を第一において極楽浄土へ行くために云々やっている)善人でさえ天国へ行けるのだから馬鹿正直に念仏だけ唱えている悪人が天国へ行けるのは当然ではないか」と言う。 これは本書の最初数ページに書かれていることである。ここを読んだとき、私は衝撃と嬉しみを感じた。私は学問としての仏教についてなんも知らないが、神を信じることの真髄をあの時代にサラッと言ってのけた親鸞はすごいなと思った。
若い頃は、浅ましくも、完全無欠で罪のない生き方をしていて、漠然とでも自分は正しいと信じて生きてきた。 しかし、歳をとり、自分は全く正しくなく、組織に入れば自分が正しいと思うこととは異なることもしなければならなくなった。 別段極楽浄土を信じているわけでもない。それでも、自分は正しくなく、悪にまみれ...続きを読むて生きていることだけを感じていた。そしてそれは、他人においてもそうであり、だからこそ許し、許され会う必要があると思った。 歎異抄を、今こうした心境で読むと、涙が出そうになる。 阿弥陀への信心に対する親鸞や唯円の情熱を感じるが、それ以上に、自らを罪深い人間であるとする謙虚さというか、自分自身への内省が心にとても響く。 こんな自分でも、今のように生きていて、救われてもいいのだと思える。 それは正しい読み方ではないとしても、希望と生きる歓び、そして信心を与えてくれる、そんな本だった。
「ひたすら一心に念仏を唱えていれば誰でも救われるよ」と言われてそのまま素直に受け取る人はいない。日本人は親鸞の時代からそうだったようで、親鸞の教えは誤解され濫用された。その状況を憂えた弟子の唯円が親鸞の死後に著したのが『歎異抄』(と言われている)。 親鸞は、不完全な人間の理性や道徳を捨て、すべてを...続きを読む超越した阿弥陀仏の誓願(生きとし生けるものを救おうとする意志)にただただすがれと説いた。 西洋哲学の合理論的潮流を否定しさったニーチェよりはるか昔、日本には親鸞がいた。そこで能動的ニヒリズムや超人を説くのではなく、他力本願という結論に至るのが日本的奥ゆかしさなのだろうか。 親鸞によれば、他力本願という信仰すら、阿弥陀仏の思し召しによって“させていただく”ものだという。そのように考えると、デカルトが哲学の出発点とした「思考する自我」の存在さえ、確かなものと言えるのか疑わしくなってくる。 西洋の近代哲学に先駆けて、昔の日本にも親鸞のような偉大な哲学者が存在したということは、日本人が誇るべ事実だろう。
親鸞 の弟子 唯円による 「 歎異抄 」 歎異抄は 最も平易な宗教哲学書だと思う。易行他力、「悪人こそ救われる」という言葉に触れただけでも 懐の深さと大きさを感じる 100分de名著 で、「自力で 生きていると思ってたが、実は 生かされていたと気づくと 人間と世界の見方が変わってくる」とあった。...続きを読む悟りや救いを求めていなくても、人間と世界を見る目が変わるなら、歎異抄を知る価値は 十分ある 易行=誰でも極楽浄土に行ける 他力=阿弥陀様が導いてくれる 悟り型の宗教から 救い型の宗教へ 南無阿弥陀仏=阿弥陀様にお任せします という意味 親鸞は 一度も悟ったと言ったことがない 悪人こそが救われる 悪人=自分で修行できない人、煩悩を捨てられない人、今 苦しんでいる人
親鸞の死後に、弟子の唯円が彼の教えをまとめたものである。仏教だけでない、人としての生き方すらこれから見えてくる。彼の人生は、波乱であった。当時、驚かれるべき結婚もし、島流しにもあい、息子と絶縁もしている。その中で彼は常に仏教を信じていたが、自分の生き方について悩んでもいた。悩んだ末己の仏教の形、つま...続きを読むりは悟りを開いていったのだ。そして師の法然が説いた「悪人正機説」によって、悪の自己中心性を自覚させ、世の秩序を図った。その存在が、当時の人々をどれだけ救い、仏教に帰依させただろう。今現代にも残る、その信心を我々は知らなければならない。
浄土真宗の家系だが、あまりにも何も知らないので読んでみた。 全ての人は念仏で救われるという、浄土真宗の教理は懐が深いが、同時に突き放したものだなと感じた。 多くの宗教は、戒律や修行、こうした生き方をしなさい的なものが大概あると思うのだけど、浄土真宗は現世の生き方についての指針を特に示してくれていな...続きを読むいように思う。 念仏で悪人でも善人でも救われ浄土に行ける。 善行、悪行というのは凡人である人間が勝手に判断しているものだからでしょうか? 他力とは、縁や環境、あるいは欲望に添って生きなさいということなんだろうか?その辺りがどう解釈していいのかわからない。 ある程度の縛りがある方が、宗教を信仰するのは楽ではあると思う。それが良いとは言わないけど。 どんな生き方でも浄土に行けるのだから、思うがまま一生懸命生きろってことなんだろうか?、、難しい。
他力本願の世界を知り、親鸞の人柄にふれることができた。 大教団の創始者としてこれまで抱いていたイメージとずいぶん違うお人柄。
「善人なをもて往生をとぐ。いわんや悪人をや。」 この一節を「悪人のほうが追往生できるってことか」と誤解してる人のために親鸞の弟子唯円が異を嘆くために書いたものです。ていうか有名なあの嘆異抄です。清く正しく美しく貧しく、仏教のそんなイメージとはちょっと違う親鸞の生きざまはむしろ潔い気がします。興味のあ...続きを読むる人には読みやすいかも。
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