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日本には「草木国土悉皆成仏」という偉大な思想がある――。原発事故という文明災を経て、私たちは何を自省すべきか。デカルト、カント、ニーチェらを俎上に近代合理主義が見落としてきたもの、人間中心主義が忘れてきたものを検証し、持続可能な未来への新たな可能性を日本の歴史のなかに見出す。ここに、新たな「人類哲学」が誕生する。
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Posted by ブクログ
この本は2011年の秋に行われた講義を元にしたものです。 デカルトから始まった西洋の近代哲学は人間が中心で、自然を征服するもの、という考え方ですが、この考えでは人類は滅んでしまう、と梅原先生は話ています。 草木国土悉皆成仏、この動物や人間だけでなく、草木も国土もみんな仏になることができる、という...続きを読む人間中心でなく、自然中心、人間はその自然の一部なんだ、という考えから哲学を始める、ということでした。 とても読みやすい本でした。
これまでの科学技術文明が人類の生活水準を劇的に押し上げてきた反面、環境破壊を通じて地球への負荷も目に見えて大きくなっています。そのような中で本書では人類全体が指針とすべき新たな「哲学」として、天台思想の「草木国土悉皆成仏」を挙げておられます。これは生きとし生けるものすべてが仏の本性を持っている、とい...続きを読むう仏教の思想の1つで、神道にもそのルーツをたどることができます。この本の大きな特長は、梅原氏が世界の様々な「哲学」と「草木国土悉皆成仏」思想を比較しその優劣を論じているところで、仏教でいうところの教判論だと思いました(注:様々な教えの違いを分析しその優劣を述べるのを仏教では教判と呼びます。例えば空海は「弁顕密二教論」という書の中で、密教と顕教というカテゴリーのもと、密教が優れていることを論じています)。その意味で本書は世界の哲学(思想)の教判書である、と認識しました。 このような哲学の教判書をかける人物は世界でもほとんどいないのではないでしょうか。さすがに梅原氏も、本書のタイトルを「序説」とした理由として、梅原氏自身が西洋哲学から離れてだいぶ年月が経っていること、よって西洋哲学の面での論述が不十分である点を挙げておられが、それでも非常に中身の濃い本だと感じました。大変勉強になりました。
とても分かりやすい本。初めてふれる人でもとっつきやすいし、理解もしやすい。 科学技術の発達は哲学にも影響を与えている。 その中で日本人には、日本人らしい哲学があうのではないかなと思うし、これを証明するのにもいいのはうれしい。
3.11を経験した筆者がその違和感を探って思いついたのが、草木国土悉皆成仏、デカルトの思想の批判、アイヌや宮澤賢治の再発見である。ニーチェやキリスト教への言及もあり興味深い。 デカルトの方法序説は確かに便利だが、そこで見落とされるモノが今回の自然災害を発端とする災厄の元凶であり、その理由や西洋思想で...続きを読むは理解し難いであろう日本的な考え方とその土壌について丹念に述べている。 私も技術者である前に人間として、自分に問い直したいと思った。
本書は、現代文明が直面する危機を乗り越えるために、西洋哲学の持つ「人間中心主義」を否定し、「日本文化の思想」を基盤とする新しい世界哲学ー「草木国土悉皆成仏」を提唱した。 ハイデガーを掘り下げていったら、なんと梅原猛にぶつかった。いくつかの興味深い示唆があった。 農業にとって、必要なものは太陽と...続きを読む水である。 エジプト文明は、3000年近く続き、遺跡も巨大で多くある。その中で、太陽神ラーの崇拝があった。太陽神の次に崇拝されているのが、イシスという豊穣の女神。太陽は毎日日暮と共に西の空に沈み、そして翌朝、蘇る。人間も夜眠り、朝起きる。太陽は夜になると死に、翌朝、死から復活する。太陽と同じ命を生きている。 しかし、ギリシャ文明やユダヤ文明には、太陽神は重要視されない。ギリシャ文明は、ヘシオドスの『神統記』の中で重視されているのが海の神であり、海が重要だった。ギリシャ文明は、海賊文明だった。ギリシャ人は、海洋民族だった。イオニアの自然哲学では、万物のアルケー(起源)は、地水火風となっていて、太陽はない。ギリシャ文明は、エジプト文明を引き継いでいない。 日本においては、古来より太陽の神天照大神と稲作農業の神である豊受大神が伊勢神宮に祀られている。日本の仏教において、密教の曼荼羅の中心にいるのが大日如来である。日本は昔から「お天道様が見ている」「お天道様に申し訳ない」と言っていた。これは昔からの日本の信仰だった。 熊野信仰も太陽崇拝で、熊野の神のお使いであるカラスには足が三本ある。八咫烏は、太陽の化身であり、日の出の太陽、真昼の太陽、日没の太陽を意味する。 梅原猛は、イザナギ・イザナミは縄文の神で、アマテラスは弥生の神、稲作農業の神と考えている。 稲作農業は、14000年ぐらい前から長江の中流地域で始まり、今から5000年くらい前から都市国家を作っていた。その遺跡から、大量の翡翠が出土している。長江文明は翡翠文化であり、翡翠は森を表し、森の文明、緑の文明を作った。この長江文明は黄河文明に滅ぼされて、散り散りバラバラになったそれが、日本に稲作をもたらした。四川省の苗族に長江文明の名残があり、太陽崇拝があり、日本にも稲作とともに太陽神を崇拝する文化が広がった。 長江文明は、ベトナム、カンボジア、インドネシアにも広がった。バリ島では、ヒンズー三神(ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ)の上に太陽の神がある。太陽、水、イネの神が崇拝されている。 マヤ文明、インカ文明も太陽信仰を中心として、とうもろこし栽培をしている。 ニーチェやハイデガーは、イオニア自然哲学に帰れと唱えても、太陽崇拝を語らなかった。ニーチェは「ディオニュソスの神に帰れ」と言った。ディオニソスは、酒とセックスの神であり、熱狂の神だった。ディオニソスは、ゼウスの子だった。ゼウスは神々の支配者で、不死の神で、自己の欲望の限りを尽くし、征服する神だった。ニーチェは、強い神を要望した。 草木国土悉皆成仏は、万物に神が宿ることを意味する。「草木国土悉皆成仏」の思想とは、草や木、山、川、大地といったモノに仏性(悟りの可能性)を認め、人間と自然を一体として捉える「天台本覚思想」の考え方を哲学の基盤に据える。 ギリシャ文明、ユダヤ文明は、新約聖書、旧約聖書の影響を受け、一神教のもとで、近代科学技術文明の原理を作ったのはデカルトで、ニュートンという科学者によって、自然科学の基礎理論を作った。この科学技術文明が現実の世界を大きく変えたのが、18世紀のイギリスの産業革命だった。エネルギーは、石炭であり、それが石油となった。太陽と水のおかげで植物が育ち、その屍が化石燃料となった。もともとそれは、太陽と水のおかげで育ったものを使った技術革命だった。それが大量消費の文明、欲望の文明を作り出した。 デカルト、カント、ヘーゲル、ニーチェ、ハイデガーと哲学の系譜は続いた。 ニーチェは、19世紀の最大の哲学者、ハイデガーは20世紀ヨーロッパの哲学の巨匠である。 ニーチェは「私は運命の人である。イエスキリストに変わって、ヨーロッパの運命を担うのは私だ」と語った。梅原猛は、そこまでは言えず、ニーチェに及ばないとしている。 ニーチェは、キリストを高く評価しているが、キリスト教は問題だとした。ニーチェは、ラクダの時代、獅子の時代、子供の時代と人生は3段階の変化を遂げるといった。ラクダのように、重い荷物を背負って、辛抱して多くのことを学ぶ忍耐がいる。ラクダから獅子になる。獅子は、否定の精神を持つことで、「これでいいのだろうか?」「間違っているのではないだろうか」と疑問視して否定する。否定がなければ、創造はない。獅子は、新しい創造のための格闘の時代を意味する。規制の価値観と格闘し、否定するのが獅子の時代。子供の時代になって、初めて自由な精神で創造活動ができる。まるで遊ぶように創造を行う。この子供のような創造こそが真の創造である。 デカルトの精神は「明晰判然」の精神。ニーチェの精神は熱狂であり、人間にとって重要なのは理性ではなく意志だと言い、それも権力の意志だと言った。権力の意志こそが、人間の本性であるという。人間は常に支配しようとする意思がある。ルサンチマン(怨恨)こそが弱い人間の屈折した意思であるという。そして、「すべての神は死んだ。いまや我々は、超人が生きんことを欲する」という。 結局、それはヒトラーを生み出すことになった。 デカルト思想が、カントの批判哲学、フィヒテの自我哲学、ヘーゲルの絶対者の哲学、それは理性ガ中心の哲学であり、ショーペンハウエルは理性より意思が重要だと主張し、それがニーチェに受け継がれた。しかし、梅原猛は、それは「人間中心主義」にあると指摘する。 そして、ハイデガーは、人生の深い洞察力を持っていた。梅原猛が、徴兵され戦争に行くことになって、死ということを考えずにいられなかった。そして、ハイデガーの哲学は死の哲学だったので、貪るように読み考えた。ハイデガーは、ニーチェを近代哲学の最後の人と批判した。ハイデガーは、戦争の中で、人生の不安や絶望を見つめることから生まれ、死を人間存在の中心に置いた哲学を創造した。 ハイデガーは、ダーサイン(現存在)の本質は『死』への存在であるとした。死を覚悟することによって全面的な自己となる。これを個人の運命ではなく、民族の運命と主張して、ナチスに絡め取られることになった。 戦後ハイデガーは、リルケの詩が語るような心情的内面空間への回帰が必要だという。存在の重要性を気がつき、古代ギリシャ、ソクラテス以前の哲学へ帰るべきだと言ったが、人間中心主義は変わらなかった。結局、ハイデカーの哲学では、現代文明の救済の原理にはなり得ないと梅原猛はいう。 それが、草木国土悉皆成仏だという。 自分の頭で考え、自分の言葉で、哲学を語っている梅原猛。この思想をどう現代に伝え、そして現実の起こっている文明の問題をどう解決するのか? 梅原猛は、自分で考えることだという。ふーむ。大きなテーマだね。それにしても、おもしろい。ニーチェ、ハイデガー、梅原猛。哲学のドキドキ感があるねぇ。
最澄に連なる比叡山中興の祖である良源は天台宗本覚思想を完成した。日本文化の本質を解く鍵はこれにある。本覚思想とは、草木国土悉皆成仏、一木一草のなかに大日如来が宿っているという思想である。本覚思想は鎌倉仏教の共通の前提となっている。 さらに遡ると縄文文化に行き着く。縄文とアイヌには連続性があり、アイヌ...続きを読むの貝塚思想は生きとし生けるものの再生を願うものである。 草木国土悉皆成仏、アミニズムは世界の原初的文化である狩猟採集文化共通の思想である。 デカルトは世界を変えるのではなく自分を変えろと考えた。これはストア派と類似する。アリストテレス以来自然とは神の意思の実現であるとされていた。デカルトは自然とは数学的公式により把握されるとした。ここにデカルトの偉大さがある。 ニーチェは血でもって書けと言った。頭でも情でもない、血である。自分に味方のないことを確認した後、勝ち誇る者に論争を挑め。ニーチェはデカルトの理性万能主義を否定して、最も重要なものは意志であるとした。 ハイデッガーはニーチェ研究に始まり実存主義哲学を創始した。死を自覚することで初めて自己が生まれるとした。のちにザインの哲学へ移行する。凶暴な意志が世界を支配しており、それに隠れた「存在」が重要とした。 世阿弥は鶯も蛙も歌を詠むと言った。草木思想である。 ソクラテスとプラトンは人間中心主義の祖である。人間中心主義、科学万能主義はいずれ裁きを受ける。
西洋哲学が主流になったのは、その言葉による構成力だと思います。 しかし、世界には東洋をはじめ、色々な知恵が点在しています。 それらを統合して哲学を新しくしていく、それこそが人類哲学、多様化の時代の哲学です。 本書はそのものでは有りませんが、読むとその姿をほんのりとイメージできます
大きな題目となった。人類哲学。今までの西洋哲学ではこれからの世界の未来を担えない。その思想が「草木国土悉皆成仏」だそうだ。なんだかアニミズムのような感じがするが。天台本覚思想を一言でいうとそうなるとか(?)。
西洋文明により、豊かで便利な生活が生まれ、デカルトの哲学に基礎づけられて自然科学文明が勃興し、近代医学の発展があった。 著者は、西洋文明の偉大さを認めながらも、「現代は、もうそのような科学の進歩を謳歌する思想がそのまま通用する時代ではない」と近代西洋的な人生観では、駄目であるという。 確かに今まで人...続きを読む類が歩んできた歴史に、現代人は恩恵を受けているが、果たして受けているのは恩恵だけだろうか。原発にしてもそうだが、その利便性は危険を伴っている。 本書に何度も出てくる「草木国土悉皆成仏」という、仏教の思想のように、自然も生きていて、その中で人間はどのように生きるかということを考えるべきだと思う。 人間だけが特別という考え方では、本当の豊かさは得られないのではないだろうか。 デカルト、ニーチェ、ハイデッガーの思想や、ヘブライズムとヘレニズムについてなど、とても分かり易く、基礎的な情報が得られて、ためになった。 哲学書とは思えない、平易な文章で書かれていて、本当に読みやすく、面白かった。
人類文化を持続的に発展せしめる原理とは?...... かつてとんでもないSF映画があった。 「インデペンデンスデイ(ID)」。 地球人が宇宙人のマザーシップにコンピュータウイルスを感染させてバリアを破壊、攻撃するというあまりにも想像力プアーなあらすじは、ゴールデンラズベリー賞の最低脚本賞にもノミネ...続きを読むートされたほどだ。 この映画を揶揄したのが「マーズ・アタック!」で涙が出るほど笑える傑作だったが、IDは笑うどころか退屈して寝てしまった。 IDまでひどくはないものの、宇宙の知的生命体を探している科学者の多くも、それらは宇宙船に乗って来ると思い込んでいる。 宇宙は気が遠くなる広大さなのに、三次元の人間レベルで考えてよいのであろうか。 例えば、宇宙のどこかの星には空飛ぶアメーバのような四次元的な生き物が栄えているかもしれない。だが「神は自分に似せて人を作った」と聖書にあるように、人は古来から自分の範疇をなかなか越えられない。 梅原先生は、デカルトの「われ惟う、ゆえに我あり」に始まった近代の西洋哲学を大まかにおさらいしながら、批判を加え、これからの世の中の核になるべきは仏教由来の「草木国土悉皆成仏」という思想だ、と主張している。 デカルトの機械論の展開が科学技術を発展させるきっかけとなり、人間社会はここまで来た。 その究極が原爆であり、原発である。 だが日本人はその恐ろしさを身を以て知っている。 地震、火山、台風。 人や土地を飲み込む自然の恐ろしさも知っている。 だが西洋哲学では、人間を常に中心に置いて考える。 自然は人間が征服するものであると考える。 この思想を明治以降の日本人は必死で学んで来たが、この哲学が日本人を、ひいては人類をよく導いたと言えるだろうか。 ところで、21世紀に入ってからの、西欧における日本ブームには驚く。そこここでZEN ◯◯という商品が売られ、つい20年前まで「生の魚なんて食べられない」と言っていた彼らが箸を上手に使って寿司のランチを食べていたりする。 この日本への傾倒は一体なぜなのだろう。 仏教用語である「草木国土悉皆成仏」に落とし込むことが正しいと私は思わないが、日本のアイデンティティ、日本的価値観を西洋的手法を使って分析し、系統立てて解説することが、日本を知る哲学者、思想家の急務であると思う。
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