【感想・ネタバレ】人類哲学序説のレビュー

あらすじ

日本には「草木国土悉皆成仏」という偉大な思想がある――。原発事故という文明災を経て、私たちは何を自省すべきか。デカルト、カント、ニーチェらを俎上に近代合理主義が見落としてきたもの、人間中心主義が忘れてきたものを検証し、持続可能な未来への新たな可能性を日本の歴史のなかに見出す。ここに、新たな「人類哲学」が誕生する。

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この本は2011年の秋に行われた講義を元にしたものです。

デカルトから始まった西洋の近代哲学は人間が中心で、自然を征服するもの、という考え方ですが、この考えでは人類は滅んでしまう、と梅原先生は話ています。

草木国土悉皆成仏、この動物や人間だけでなく、草木も国土もみんな仏になることができる、という人間中心でなく、自然中心、人間はその自然の一部なんだ、という考えから哲学を始める、ということでした。

とても読みやすい本でした。

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2025年09月05日

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これまでの科学技術文明が人類の生活水準を劇的に押し上げてきた反面、環境破壊を通じて地球への負荷も目に見えて大きくなっています。そのような中で本書では人類全体が指針とすべき新たな「哲学」として、天台思想の「草木国土悉皆成仏」を挙げておられます。これは生きとし生けるものすべてが仏の本性を持っている、という仏教の思想の1つで、神道にもそのルーツをたどることができます。この本の大きな特長は、梅原氏が世界の様々な「哲学」と「草木国土悉皆成仏」思想を比較しその優劣を論じているところで、仏教でいうところの教判論だと思いました(注:様々な教えの違いを分析しその優劣を述べるのを仏教では教判と呼びます。例えば空海は「弁顕密二教論」という書の中で、密教と顕教というカテゴリーのもと、密教が優れていることを論じています)。その意味で本書は世界の哲学(思想)の教判書である、と認識しました。

このような哲学の教判書をかける人物は世界でもほとんどいないのではないでしょうか。さすがに梅原氏も、本書のタイトルを「序説」とした理由として、梅原氏自身が西洋哲学から離れてだいぶ年月が経っていること、よって西洋哲学の面での論述が不十分である点を挙げておられが、それでも非常に中身の濃い本だと感じました。大変勉強になりました。

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2023年04月28日

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ネタバレ

ヘレニズムやソクラテスなどの省察がまとめ終わっていないけれど、ひとまずまとめてみた。
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前提として、哲学は古代ギリシアで生まれ近代西欧で発達した。
インド哲学や中国哲学は思想について語ったもので、哲学は一部地域に偏っており、普遍的なものとは言えない。
そして近代の哲学に支えられた、現代の科学技術や資本主義は行き詰まりを見せている。
したがって、今の哲学(西洋近代哲学)を見直す必要がある。
———

日本の『草木国土悉皆成仏』という思想が解決の糸口となる。
万物すべてに魂が宿っているという思想で、日本の思想であると同時に、世界の原始的文化の狩猟採集・漁労採集文化の共通思想でもある。
cf. アニミズム etc.

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近代の哲学に支えられた、現代の科学技術や資本主義は行き詰まりを見せている。
つまり近代の哲学は行き詰まりを見せている。

その近代の哲学を支えたデカルトについて省察してみる。

・・・・

デカルトの「コギト・エルゴ・スム(われ思う、ゆえにわれあり)」は、懐疑によって哲学を突き詰めた結果、
「疑っている自分が存在する」ということだけは否定できない、つまり実在する、としたことを言い表している。

「疑っている自分の存在」を肯定することは、理性(疑っていること)を肯定すること。
つまり理性をベースとする、近代の西洋哲学の理論がこれに支えられている。

加えて、デカルトはこの世界に存在する実体は三つであるとした。
①神という完全な実体
②内側による思惟を本質とする実体
③外側にある延長と本質とする物質という実体

デカルトは自然の本質を延長と考え、数式によって表現された法則によって機械的に把握されるとした。
この思想が、近代科学技術文明を裏付ける理論となった。

・・・・

このデカルトの自然を機械的に把握できるという思想と逆の思考が、
『草木国土悉皆成仏』、「自然は生きている」という思想なのではないのか。

原子力発電、異常気候、エネルギー資源問題など、自然を征服することが人類を滅ぼす危険性を持っているとわかった今、
生きとし生けるものすべてと共存する哲学、『草木国土悉皆成仏』が、人類の哲学の根本にならなければならない。

———

『草木国土悉皆成仏』の考えを表してる文化人
・宮沢賢治
 :『草木国土悉皆成仏』→「いちょうの実」、「利他行」の考え→「なめとこ山の熊」
・伊藤若冲
 :「動植綵栽」

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2017年07月18日

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とても分かりやすい本。初めてふれる人でもとっつきやすいし、理解もしやすい。

科学技術の発達は哲学にも影響を与えている。
その中で日本人には、日本人らしい哲学があうのではないかなと思うし、これを証明するのにもいいのはうれしい。

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2015年02月19日

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3.11を経験した筆者がその違和感を探って思いついたのが、草木国土悉皆成仏、デカルトの思想の批判、アイヌや宮澤賢治の再発見である。ニーチェやキリスト教への言及もあり興味深い。
デカルトの方法序説は確かに便利だが、そこで見落とされるモノが今回の自然災害を発端とする災厄の元凶であり、その理由や西洋思想では理解し難いであろう日本的な考え方とその土壌について丹念に述べている。
私も技術者である前に人間として、自分に問い直したいと思った。

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2013年08月24日

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本書は、現代文明が直面する危機を乗り越えるために、西洋哲学の持つ「人間中心主義」を否定し、「日本文化の思想」を基盤とする新しい世界哲学ー「草木国土悉皆成仏」を提唱した。

 ハイデガーを掘り下げていったら、なんと梅原猛にぶつかった。いくつかの興味深い示唆があった。
 農業にとって、必要なものは太陽と水である。
 エジプト文明は、3000年近く続き、遺跡も巨大で多くある。その中で、太陽神ラーの崇拝があった。太陽神の次に崇拝されているのが、イシスという豊穣の女神。太陽は毎日日暮と共に西の空に沈み、そして翌朝、蘇る。人間も夜眠り、朝起きる。太陽は夜になると死に、翌朝、死から復活する。太陽と同じ命を生きている。

 しかし、ギリシャ文明やユダヤ文明には、太陽神は重要視されない。ギリシャ文明は、ヘシオドスの『神統記』の中で重視されているのが海の神であり、海が重要だった。ギリシャ文明は、海賊文明だった。ギリシャ人は、海洋民族だった。イオニアの自然哲学では、万物のアルケー(起源)は、地水火風となっていて、太陽はない。ギリシャ文明は、エジプト文明を引き継いでいない。

 日本においては、古来より太陽の神天照大神と稲作農業の神である豊受大神が伊勢神宮に祀られている。日本の仏教において、密教の曼荼羅の中心にいるのが大日如来である。日本は昔から「お天道様が見ている」「お天道様に申し訳ない」と言っていた。これは昔からの日本の信仰だった。
 熊野信仰も太陽崇拝で、熊野の神のお使いであるカラスには足が三本ある。八咫烏は、太陽の化身であり、日の出の太陽、真昼の太陽、日没の太陽を意味する。
 梅原猛は、イザナギ・イザナミは縄文の神で、アマテラスは弥生の神、稲作農業の神と考えている。

 稲作農業は、14000年ぐらい前から長江の中流地域で始まり、今から5000年くらい前から都市国家を作っていた。その遺跡から、大量の翡翠が出土している。長江文明は翡翠文化であり、翡翠は森を表し、森の文明、緑の文明を作った。この長江文明は黄河文明に滅ぼされて、散り散りバラバラになったそれが、日本に稲作をもたらした。四川省の苗族に長江文明の名残があり、太陽崇拝があり、日本にも稲作とともに太陽神を崇拝する文化が広がった。

 長江文明は、ベトナム、カンボジア、インドネシアにも広がった。バリ島では、ヒンズー三神(ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ)の上に太陽の神がある。太陽、水、イネの神が崇拝されている。
 マヤ文明、インカ文明も太陽信仰を中心として、とうもろこし栽培をしている。

 ニーチェやハイデガーは、イオニア自然哲学に帰れと唱えても、太陽崇拝を語らなかった。ニーチェは「ディオニュソスの神に帰れ」と言った。ディオニソスは、酒とセックスの神であり、熱狂の神だった。ディオニソスは、ゼウスの子だった。ゼウスは神々の支配者で、不死の神で、自己の欲望の限りを尽くし、征服する神だった。ニーチェは、強い神を要望した。

 草木国土悉皆成仏は、万物に神が宿ることを意味する。「草木国土悉皆成仏」の思想とは、草や木、山、川、大地といったモノに仏性(悟りの可能性)を認め、人間と自然を一体として捉える「天台本覚思想」の考え方を哲学の基盤に据える。

 ギリシャ文明、ユダヤ文明は、新約聖書、旧約聖書の影響を受け、一神教のもとで、近代科学技術文明の原理を作ったのはデカルトで、ニュートンという科学者によって、自然科学の基礎理論を作った。この科学技術文明が現実の世界を大きく変えたのが、18世紀のイギリスの産業革命だった。エネルギーは、石炭であり、それが石油となった。太陽と水のおかげで植物が育ち、その屍が化石燃料となった。もともとそれは、太陽と水のおかげで育ったものを使った技術革命だった。それが大量消費の文明、欲望の文明を作り出した。

 デカルト、カント、ヘーゲル、ニーチェ、ハイデガーと哲学の系譜は続いた。
ニーチェは、19世紀の最大の哲学者、ハイデガーは20世紀ヨーロッパの哲学の巨匠である。
ニーチェは「私は運命の人である。イエスキリストに変わって、ヨーロッパの運命を担うのは私だ」と語った。梅原猛は、そこまでは言えず、ニーチェに及ばないとしている。

 ニーチェは、キリストを高く評価しているが、キリスト教は問題だとした。ニーチェは、ラクダの時代、獅子の時代、子供の時代と人生は3段階の変化を遂げるといった。ラクダのように、重い荷物を背負って、辛抱して多くのことを学ぶ忍耐がいる。ラクダから獅子になる。獅子は、否定の精神を持つことで、「これでいいのだろうか?」「間違っているのではないだろうか」と疑問視して否定する。否定がなければ、創造はない。獅子は、新しい創造のための格闘の時代を意味する。規制の価値観と格闘し、否定するのが獅子の時代。子供の時代になって、初めて自由な精神で創造活動ができる。まるで遊ぶように創造を行う。この子供のような創造こそが真の創造である。

 デカルトの精神は「明晰判然」の精神。ニーチェの精神は熱狂であり、人間にとって重要なのは理性ではなく意志だと言い、それも権力の意志だと言った。権力の意志こそが、人間の本性であるという。人間は常に支配しようとする意思がある。ルサンチマン(怨恨)こそが弱い人間の屈折した意思であるという。そして、「すべての神は死んだ。いまや我々は、超人が生きんことを欲する」という。
 結局、それはヒトラーを生み出すことになった。

 デカルト思想が、カントの批判哲学、フィヒテの自我哲学、ヘーゲルの絶対者の哲学、それは理性ガ中心の哲学であり、ショーペンハウエルは理性より意思が重要だと主張し、それがニーチェに受け継がれた。しかし、梅原猛は、それは「人間中心主義」にあると指摘する。

 そして、ハイデガーは、人生の深い洞察力を持っていた。梅原猛が、徴兵され戦争に行くことになって、死ということを考えずにいられなかった。そして、ハイデガーの哲学は死の哲学だったので、貪るように読み考えた。ハイデガーは、ニーチェを近代哲学の最後の人と批判した。ハイデガーは、戦争の中で、人生の不安や絶望を見つめることから生まれ、死を人間存在の中心に置いた哲学を創造した。
 ハイデガーは、ダーサイン(現存在)の本質は『死』への存在であるとした。死を覚悟することによって全面的な自己となる。これを個人の運命ではなく、民族の運命と主張して、ナチスに絡め取られることになった。

 戦後ハイデガーは、リルケの詩が語るような心情的内面空間への回帰が必要だという。存在の重要性を気がつき、古代ギリシャ、ソクラテス以前の哲学へ帰るべきだと言ったが、人間中心主義は変わらなかった。結局、ハイデカーの哲学では、現代文明の救済の原理にはなり得ないと梅原猛はいう。
 それが、草木国土悉皆成仏だという。
 自分の頭で考え、自分の言葉で、哲学を語っている梅原猛。この思想をどう現代に伝え、そして現実の起こっている文明の問題をどう解決するのか? 梅原猛は、自分で考えることだという。ふーむ。大きなテーマだね。それにしても、おもしろい。ニーチェ、ハイデガー、梅原猛。哲学のドキドキ感があるねぇ。

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2025年11月20日

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最澄に連なる比叡山中興の祖である良源は天台宗本覚思想を完成した。日本文化の本質を解く鍵はこれにある。本覚思想とは、草木国土悉皆成仏、一木一草のなかに大日如来が宿っているという思想である。本覚思想は鎌倉仏教の共通の前提となっている。
さらに遡ると縄文文化に行き着く。縄文とアイヌには連続性があり、アイヌの貝塚思想は生きとし生けるものの再生を願うものである。
草木国土悉皆成仏、アミニズムは世界の原初的文化である狩猟採集文化共通の思想である。
デカルトは世界を変えるのではなく自分を変えろと考えた。これはストア派と類似する。アリストテレス以来自然とは神の意思の実現であるとされていた。デカルトは自然とは数学的公式により把握されるとした。ここにデカルトの偉大さがある。
ニーチェは血でもって書けと言った。頭でも情でもない、血である。自分に味方のないことを確認した後、勝ち誇る者に論争を挑め。ニーチェはデカルトの理性万能主義を否定して、最も重要なものは意志であるとした。
ハイデッガーはニーチェ研究に始まり実存主義哲学を創始した。死を自覚することで初めて自己が生まれるとした。のちにザインの哲学へ移行する。凶暴な意志が世界を支配しており、それに隠れた「存在」が重要とした。
世阿弥は鶯も蛙も歌を詠むと言った。草木思想である。
ソクラテスとプラトンは人間中心主義の祖である。人間中心主義、科学万能主義はいずれ裁きを受ける。

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2022年06月01日

Posted by ブクログ

西洋哲学が主流になったのは、その言葉による構成力だと思います。

しかし、世界には東洋をはじめ、色々な知恵が点在しています。

それらを統合して哲学を新しくしていく、それこそが人類哲学、多様化の時代の哲学です。

本書はそのものでは有りませんが、読むとその姿をほんのりとイメージできます

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2022年01月30日

Posted by ブクログ

大きな題目となった。人類哲学。今までの西洋哲学ではこれからの世界の未来を担えない。その思想が「草木国土悉皆成仏」だそうだ。なんだかアニミズムのような感じがするが。天台本覚思想を一言でいうとそうなるとか(?)。

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2018年10月20日

Posted by ブクログ

ネタバレ

主に気になったところや勉強になったところを以下に記します。

・インドでは、命を持っているのは動物までで、植物に命はない。仏教者はベジタリアンで、命あるものを食べない。……P14
・アイヌの再生の祭り。……P29
・アイヌの思想はまさに「草木国土悉皆成仏」。山も川も人間も生きている。昔の日本人もそう考えていた。……P33
・神道は多神教。明治以来の神道は一神教的。本来の神道ではない。……P36
・デカルトの『方法序説』第5部は「人間機械論」。「医学の発展で、人間は100歳まで生きられるようになる」とデカルト。……P58。今、確かにそうなった。
・イギリスの歴史学者 トインビーによると、西洋近代文明の源流はギリシャ哲学とキリスト教。……P63
・動物や植物の命を食べることに罪の意識を持つか持たないかで、ずいぶん異なる。……P73
・ニーチェの「ツァラトゥストラ」はゾロアスター教の教祖 ゾロアスターで、ニーチェ自身。……P84
・ショーペンハウエルは仏教、インド哲学に大きな関心を寄せた。……P95
・「神は幻想である。弱い人間が強い人間に復讐するために神をつくった」(ニーチェ)。ニーチェの思想はヒトラーに引き継がれた。ヒトラーはキリスト教に批判的だった。その思想的根拠をニーチェの哲学に求めた。……P96
・ヨーロッパ哲学の伝統には人間中心主義がある。……P96
・四聖人のうち、ソクラテスとイエスは不遇の死を遂げる。一方、シャカと孔子は生を全うした。……P97
・ソクラテスとプラトンによって理性の支配が始まった。……P110
・ハイデガーはキリスト教をほとんど信仰していなかった。……P113
・サルトルは選択することを実存と考えた。これは完全に人間中心主義。P114
・日本では、ウグイスもカエルも和歌を詠む。天地自然のすべての声が歌である。まさに「草木国土悉皆成仏」の思想。「言葉を持ち、詩を作るのは人間だけ」というハイデガーの思想と100%反する。……P116~117
・ギリシャの自然破壊は凄まじい。プラトン時代に始まり、キリスト教で決定的になった。南ヨーロッパ文明は自然破壊によって滅んだ。……P119
・『旧約聖書』の「創世記」。人間が動植物を支配することに。近代西洋の基になったデカルトの思想を先取りしている。……P125
・ゼウスは残忍で乱倫な神。ギリシャ神話は日本の神話と大きく異なる。……P128
・神話は歴史の反映。……P129
・「無知の知は無知の無知より上だ」(ソクラテス)……P134
・ニーチェとハイデガーはプラトンに始まる理性の哲学にノーを突きつけた。ニーチェとハイデガーはソクラテス以前、イオニアの自然哲学に帰れ、と言った。……P142
・吉村作治によると、古代エジプトのアメンホテプ4世の一神教はモーゼの一神教に引き継がれている。……P147~148
・世界四大文明はすべて小麦。しかし、長江文明は稲作。……P152
・小麦農業と稲作農業の違い。……P165
・中国の北半分には、森はほとんどない。……P167
・長江文明の国が滅ぶと、一部が日本に来て、稲作を伝えたと考えられる。……P168
・先進国こんなに森が残っているのは日本だけ。……P170
・宮沢賢治と「草木国土悉皆成仏」。……P171
・鉱物も植物も動物も、すべて同じ生き物(宮沢賢治)。……P171
・伊藤若冲……P178
・かつては豊かな森の国だった、ギリシャ。人間中心主義のキリスト教。森の破壊によって古代文明は滅んだ。……P199
・レバノンの森は残っていない。……P200
・ユーラシア大陸の西側は森を破壊する文明。そこでデカルトが生まれ、産業革命が起きた。……P200
・ヨーロッパ人が侵入してわずか200~300年で北米大陸の森の8割が失われた。……P200
・龍樹の思想「空」。欲望を肯定も否定もせず、欲望にとらわれない。……P202

著者の考えには共感する点が多かったです。ただ、文章はやや単調で、盛り上がりに欠けるところがあり、ときおり眠くなってしまった・・。

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2016年06月25日

Posted by ブクログ

西洋文明により、豊かで便利な生活が生まれ、デカルトの哲学に基礎づけられて自然科学文明が勃興し、近代医学の発展があった。
著者は、西洋文明の偉大さを認めながらも、「現代は、もうそのような科学の進歩を謳歌する思想がそのまま通用する時代ではない」と近代西洋的な人生観では、駄目であるという。
確かに今まで人類が歩んできた歴史に、現代人は恩恵を受けているが、果たして受けているのは恩恵だけだろうか。原発にしてもそうだが、その利便性は危険を伴っている。
本書に何度も出てくる「草木国土悉皆成仏」という、仏教の思想のように、自然も生きていて、その中で人間はどのように生きるかということを考えるべきだと思う。
人間だけが特別という考え方では、本当の豊かさは得られないのではないだろうか。

デカルト、ニーチェ、ハイデッガーの思想や、ヘブライズムとヘレニズムについてなど、とても分かり易く、基礎的な情報が得られて、ためになった。
哲学書とは思えない、平易な文章で書かれていて、本当に読みやすく、面白かった。

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2014年09月07日

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人類文化を持続的に発展せしめる原理とは?......

かつてとんでもないSF映画があった。
「インデペンデンスデイ(ID)」。
地球人が宇宙人のマザーシップにコンピュータウイルスを感染させてバリアを破壊、攻撃するというあまりにも想像力プアーなあらすじは、ゴールデンラズベリー賞の最低脚本賞にもノミネートされたほどだ。
この映画を揶揄したのが「マーズ・アタック!」で涙が出るほど笑える傑作だったが、IDは笑うどころか退屈して寝てしまった。

IDまでひどくはないものの、宇宙の知的生命体を探している科学者の多くも、それらは宇宙船に乗って来ると思い込んでいる。
宇宙は気が遠くなる広大さなのに、三次元の人間レベルで考えてよいのであろうか。
例えば、宇宙のどこかの星には空飛ぶアメーバのような四次元的な生き物が栄えているかもしれない。だが「神は自分に似せて人を作った」と聖書にあるように、人は古来から自分の範疇をなかなか越えられない。

梅原先生は、デカルトの「われ惟う、ゆえに我あり」に始まった近代の西洋哲学を大まかにおさらいしながら、批判を加え、これからの世の中の核になるべきは仏教由来の「草木国土悉皆成仏」という思想だ、と主張している。

デカルトの機械論の展開が科学技術を発展させるきっかけとなり、人間社会はここまで来た。
その究極が原爆であり、原発である。
だが日本人はその恐ろしさを身を以て知っている。
地震、火山、台風。
人や土地を飲み込む自然の恐ろしさも知っている。

だが西洋哲学では、人間を常に中心に置いて考える。
自然は人間が征服するものであると考える。
この思想を明治以降の日本人は必死で学んで来たが、この哲学が日本人を、ひいては人類をよく導いたと言えるだろうか。

ところで、21世紀に入ってからの、西欧における日本ブームには驚く。そこここでZEN ◯◯という商品が売られ、つい20年前まで「生の魚なんて食べられない」と言っていた彼らが箸を上手に使って寿司のランチを食べていたりする。
この日本への傾倒は一体なぜなのだろう。

仏教用語である「草木国土悉皆成仏」に落とし込むことが正しいと私は思わないが、日本のアイデンティティ、日本的価値観を西洋的手法を使って分析し、系統立てて解説することが、日本を知る哲学者、思想家の急務であると思う。

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2014年06月28日

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老いてなお血気盛んな哲学者・梅原猛の「人類哲学宣言」。
主義主張的には個人的に相容れなさそうな部分もあるけれど、それにしても著者の年齢にしてこの意気は凄いと思います。

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2013年09月19日

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「草木国土悉皆成仏」をキーワードとして日本仏教・文化を説明できるとの考え方が貫かれている明快な日本文化、哲学の入門書だった。特にデカルト、ニーチェ、ハイデッガーの説明は最高! デカルトが近代哲学の父としてどれだけ重要な存在なのかが、改めてよく分かった。デカルトの人生を生きていく規則(4つの格率)、方法序説の4ヶ条の説明など。ニーチェの「アンチクリスト」ではキリストを無私、愛の人として高く評価しているというのも面白い。ショーペンハウエル、ニーチェ、ハイデガーが「意志」に重きを置く哲学だという説明も分かりやすい。なお、世阿弥「白楽天」の紹介の中で、和歌の神・住吉明神との問答は実に楽しい話。「日本では人間ばかりか、鶯も、蛙も歌を詠む」との言葉で白楽天が驚いて帰っていく!実に痛快な言葉で日本文化を言い当てている。

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2013年08月27日

Posted by ブクログ

著者が行なった同タイトルの講義(全5回)をまとめた1冊。講義体の語り調の文体であること、極力平易に哲学を伝えようと努められていることもあり、「哲学」の本としてはとても理解しやすいと感じた。デカルト、ニーチェなどの哲学感から、今後を支えるであろう人類哲学、森の思想まで、なるほどと思えるところの多い本でした。

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2013年06月06日

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 久々に待ちかねて買った本。

 著者はもともと西田幾多郎にあこがれ、「西洋哲学」学者ではなく、独自の哲学の完成を志していた。その彼がある時期から仏像評論やら古代史ならびに仏教研究へ、はては縄文・アイヌ研究へと手を広げる。初期のころの作品から追い続けている読者からすると、自前の哲学の完成という初志とはずいぶん遠回りをしているかに思えた。出版業界では、しかし売れっ子であった。

 哲学へと回帰するチャンスは何度かあった。少し前は90年代の「森の思想」のころ、あるいは「日本冒険」のころである。しかし哲学へは帰ってこなかった。ようやく3.11を契機に、原発事故を文明災とみなし、ようやく西洋哲学批判とその克服という初期の問題関心へと回帰していった。

 正直なところ、その遠回りした豊富な成果をふまえた、梅原哲学を読みたかった。しかし内容はというと、物足りなさだけが残った。デカルトとハイデガーとニーチェを、梅原猛が改めてちゃんと読みましたよ、というものだったからだ。そういうことは、「日常の思想」とか「文明への問い」とかでも言っている。それに引用を付けたような恰好である。

 西洋哲学の祖述のあとは、シュメールの神話『ギルガメシュ』の森林破壊の物語がヨーロッパの思想へ注ぎ込まれていること、あるいはエジプトの太陽神が古代ギリシャ哲学と結びついていること、そんな発展の先にヨーロッパ哲学があって、それらが限界にきている。その一例として人間中心主義が、心身二元論や環境問題や科学万能主義などの弊害が挙げられている。その克服を可能とする思想はあるのか。あるとすれば、それは東アジアだろう。草木国土悉皆成仏という天台本覚思想がそれである、というのが大まかな内容である。

 はたして梅原を読み続けてきた読者が、本当に読みたかったのは、そんなことであろうか。ちがうだろう。読者が読みたかったのはどんなものなのか。それは梅原が現代の思想に必要だと考える、日本仏教の本覚思想、あるいはそれとも関係の深い縄文アイヌの森の思想、それらを西洋哲学と対峙させたときに完成されるはずの「人類哲学」だったはうだ。しかし本書には克服も対峙もなされてはいない。ただ並べて論じているだけだ。

 もちろん、あいかわらず運筆力はずばぬけている。おもしろいと受け入れられるだろう。けど、他方において、これまたあいかわらずの甘さも目立つ。シュメールもエジプトもオリエントだから、広い意味でのアジア(オリエント)だ。ならば、その後に生まれた東アジアの文明も、ヨーロッパと同様、オリエント文明の影響下にあるといえるのではないか。しかし梅原は、そのことには触れず、ただ西洋はシュメールとかエジプトとかの思想を引き継いだとのみ述べる。そして別の原理が東アジアにはある、と述べる。

 とはいえ読みごたえのある個所もあったことは確かである。3章の後半である。ハイデガーによるヘルダーリンの詩を論じたあと、日本の和歌を挙げ、日本では詩歌は人間だけのものではなく、鳥も蛙も詠む。それは本覚思想とも結びついている、といっているところなどだ。さらにその後の文章は、伊藤若冲の絵の評論へと接続される。
 この部分は、かなり重要なところではないか。これをちゃんと論じれたたら、確かに、西洋哲学の克服の手掛かりはつかめそうな気がする。

 それと、これは確実にいえることだが、中高生とか、できるだけ若いひとが、この本を読むことは、たいへんいいことだと思う。学問とか哲学の入り口としての役目は、十分に果たしてくれるものである。おそらく著者が生涯かけて提出し続けていることは、素人感覚でもじっくりと味わうことのできる解釈である。仏像も仏教も古代も法然も京都の寺社、歌舞伎も能も、著者の手にかかると、本当に生き生きとしたものとなる。玄人の独占物を素人に届ける役目、そういうことを著者はやり続けてきたのである。読者はその入り口をぬけ、それから先は思い思いにそれぞれの建物を探検すればいいのである。

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2013年06月11日

Posted by ブクログ

これほどわかりやすく「哲学」を書いていただくとうれしい限り。
青春時代に悩まされた哲学者の理論をあっさりと解説してくれてます。
しかも、日本人の起源にも触発されて、考え方も変わりました。
とにかく、平易な文で読みやすいし、特別、洗脳しようなどという傾向もありません。
純粋に、今こそ、日本の文化、思想、哲学を世界哲学へと紹介していかなければならないのだなぁ・・・と感じさせられました。

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2013年05月21日

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中国で密教を学んだ円珍・円仁が天台宗を密教化し、良源が天台密教を完成させた。草木国土悉皆成仏で表現される天台本覚思想は、浄土、禅、法華の鎌倉仏教の共通の思想的前提になったことから、日本仏教の根本思想であるといえる。

釈迦の弟子たちは、人里離れた地にある寺院にこもって厳しい禁欲生活を送ったが、龍樹は、自分だけ悟りを開いて安静の生活をすればよいという自利の仏教では町にいる苦しめる人間は救えないと考え、欲望の有無にとらわれない「空」の立場に立つ仏教を主張し、悩める人間を救う仏教者を菩薩とする大乗仏教を生んだ。

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2018年10月31日

Posted by ブクログ

物語や神話ではなく理性で世界を説明してくれるのが哲学だと思っているから、生きる理由を宗教で解説されても説得力がないんだよな。じいちゃんになると西洋哲学から離れて、日本の宗教に傾倒して死への恐怖から逃れるんだろうなと思った。

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2013年09月04日

Posted by ブクログ

人間中心の西洋哲学の論理では先行き不透明な現代を救済できないということで、武器として天台本覚思想「草木国土悉皆成仏」を引っ張りだす。

文明・科学技術 VS 自然との共生。

実にストレートな提言。

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2013年07月06日

Posted by ブクログ

著者の哲学に対する思いが良く伝わってくる。
講義録をベースにしているからか、高校生くらいまでの読者を想定した哲学の本よりも理解しやすかった。

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2013年06月01日

Posted by ブクログ

ネタバレ

第四章の、プラトンのイデアはエジプトに起源を持つという説を吉村作治が唱えてる、という話が面白かった。カーという概念がイデアの原型ではないかいうことです。ユダヤ教の起源に関して吉村作治がイクナトンのアテン教ではないかと言ってると、書いてあるが、これは少し不正確かも。この説は既に昔からあって、フロイトなんかも主張していて、それに関する筑摩学芸文庫から訳本が出てます。

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2013年05月27日

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