梅原猛のレビュー一覧
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「君子の学は己の為にす、人のためにせず」という言葉がある。真理を前にしたら、孤立しても構わないという勇気が君子たる人間の態度である。一方、小人は他人からの評価のため、出世のために学問をするのである。どちらが人間として尊敬できる行き方であるかはいうまでもない。新しい仮説の発見にまさる喜びはない。だからこそ、孤独や長く苦しい検証作業にも耐えられるのだ。
ニーチェのツァラトゥストラはかく語りきに「三段の変化」という一節がある。それはどういうものであるのか?
忍耐強く、精神的な重み、精神の砂漠を放浪する駱駝の時期を経て、やがて駱駝は獅子となる。そこで、何千、何万年の歴史をもつ真理という名の -
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角川ソフィアが出た頃に買ったはずの本なので、1996年には買っていたと思う。
それから、半分ぐらいは読んだのだけれど以後読まずで今まで18年間放置されていた本。本棚の奥まったところに移動せず、常に手前にあったことから「読む気だけはあった」と思う。
今回初めて最初から最後まで軽く流す。
今までは冒頭の地理のところで「参った!」状態の白旗。例えるのなら新約聖書の冒頭の家系図で頭が痛くなるような物か?
そこを突破してしまえば釈迦の語った仏教の基礎的な教えがしっかりと書いてある良書だと思う。今回はさらっと通り過ぎたが、この後天台、真言と読み進めまた読み返すと思う。
それにしても、釈迦 -
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ネタバレ[ 内容 ]
「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」。
強烈なパラドックスを含むこの成句で有名な『歎異抄』。
その一言一句から発せられる「毒」と「薬」は、時代や階層をを超え、人々の魂を揺り動かしてきた。
親鸞の純粋なる信仰を、直弟子唯円が大胆率直に記述した『歎異抄』の魅力はと何か。
わが国で最も優れた宗教書であると絶賛する著者が、その真髄をあまさず語る。
法然と親鸞、親鸞と唯円という師弟関係を通して浮かび上がる独自の世界。
道徳の延長ではない宗教の本質を抉る。
原文と現代語訳、年表付きの決定版。
[ 目次 ]
第1章 『歎異抄』わが心の恋人
第2章 「専修念仏」への道
第3章 法然、親 -
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梅原さんの著作を見かけるとつい買ってしまいます。相当な梅原信者だとこの頃思うようになりました。
仏教の宗派や僧の名前はたくさんあるし何がどう違うんだろう?と思うくらいであまりきちんと調べたことも考えたこともなかったのです。仏教に特に関心があるわけではないのですが一生をかけて熱心に極楽往生の道を研究し、勉強し衆生を救おうとした一人の人間の物語として読んでもとても面白いと思います。
人一人の思想の変化を見るとき、その人の過去があり、歴史がありその人物の考えが作られていくということがよくわかります。
現地の言い伝えや伝承などから読み説かれていく法然の幼少の姿は推理小説を読んでいるように面白か -
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気になるのによく知らないこと、曖昧なままで雑然とした知識、それらが整理されはっきりしてくる何とも言えない快感を味合わせてくれる読書であった。
東アジアの4世紀から7世紀にかけて、日本の政治や宗教、大陸や朝鮮半島と日本との関係がこの作品の重要な背景である。古文書からの引用にはカナが振ってあり、すべては読み切れないが、克明で丁寧に説明している。学説の違いや争点にも両論併記の気遣いを見せるが、いわゆる専門学者の研究書とは一味違う。
筆者の持論が大胆に展開され、一般の読者をも意識した書き振りである。
かつて教科書の「日本史」で学んできたことや興味本意の読書の知識がほんの一部に過ぎなかったこと、その後 -
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梅原猛のデビュー作に「地獄の思想」というタイトルが付けられているのが象徴的だ。
彼は死ぬまで「地獄の思想」を凝視し続けた思想家だったと言えるのだ。
宗教にも思想にも明と暗の二面性がある。
片方だけでは片手落ちだ。
明の宗教や思想は美しくても深みに欠ける。
宗教や思想に付き纏う暗部を梅原は「地獄の思想」と呼ぶ。
人類の歴史は不幸と悲惨と苦悩に満ち満ちている。
地獄を見つめることは、人間の苦悩と悲惨から眼を逸らさないことだ。
だから闇を見据えた「地獄の思想」は思想としての深みが増し、悲惨の淵にいる人々の心に届くことになるのだ。
本書で取り上げられる地獄の思想家(地獄を凝視し続けた思想家)は、以