舞城王太郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
舞城王太郎という人の作品には、いつも
甘えとかわがままとかいった、エゴの発達途中に生ずる必要悪
みたいなものを肯定しなければならないとする思想が
根底に置かれていて
それはたしかに大事なことだなあ、と言いたいのはやはり
それがきちんと自覚されなければ
きちんと乗り越えることができないものだからであろう
甘えとかわがままを自覚しないままに抑圧させてきた者は
どこかで不満の爆発を起こしてしまい
舞城作品にしばしば登場するような
きちがい犯罪者になってしまうことも、これあるのだと思う
「短編五芒星」には、そのようにならなかった人々
危ないところに追い込まれながらも
なんとか世界と折り合いをつけた人々 -
Posted by ブクログ
キモチワルイ。覚せい剤キメた人の思考を覗いたような。
……………でも読み切れる。ふしぎ。気持ち悪い。
どうせ自分もほかの読者と変わらないレビューを書いているのだろう。ということはこの本は成功だ。
「人が人で足りえるのは社会性を持っているからである。
だから本能丸出しの人間の行動や言動は気持ち悪くてしょうがない。なぜならそれは、人のカタチをした人ではない何かクリーチャーがうごめいて見えるから。」
この文言を思い出したな。人なのに人じゃないから気持ち悪いんだな。よく表現できるな、むき出しの本能なんて。
そしてこの本を読んですっきりしてしまった人は「赦し」を求めていた -
Posted by ブクログ
ここに言う密室とは、家庭のメタファーみたいなもんである
核家族化の進んだ現代において
それは確かに、世間の目から遮断された、密室内の営みと言えるんだ
そしてそれゆえに、しばしば不健康なものとして
立場の弱い子供たちを束縛する
家庭の束縛と、タテマエ社会の自由とのあいだで板挟みにされ
精神のつじつまが合わせられなくなってくると彼らは
密室という茶番に反抗して無軌道に走ったり
あまりにちっぽけな世界の支配者をわざと無視したり
自分自身が別のところにつくった密室で、暴君になってしまったりする
甚だしきに至っては
家族関係にまつわる鬱屈を誰かにわかってほしいあまりに
自己表現として、密室殺人を演出して -
Posted by ブクログ
ネタバレ舞城王太郎さんは、覆面作家ということで、正体不詳の謎の人物でありますが、年齢は1973年生まれということみたいですが、ということは、平たく言いますと、ええ歳になったオジサン、という事ですよね。男性だったならば。
そう考えますと、何故にこう、年齢を重ねても、こうも瑞々しい文章を書けるんかなあ?と思うのですよね。
この小説の主人公は、中学生くらいの少年であり、その彼の一人称の形で話は進んでいくのですが、はあ、まるで自分が、中学生の少年であったかのように、あるかのように、舞城王太郎さんが、この地の文章を書く事ができるという心の若さ。それはどこから来るのだろう?どうして生み出せるのだろう。
いや -
Posted by ブクログ
「山ん中の獅見朋成雄」と設定は共通している部分が多いものの、キャラクターの印象も異なり、世界観も違う。ただ、この作品でも倫理観を飛び越えてしまう成雄くんが描かれている。前作よりもその超越感はより顕著になっており、それは彼の能力がよりわかりやすい形で表現されているためだろう。
また、前作では彼自身が異様な世界(社会)に飛び込む展開だったが、こちらは逆で、日常的な世界で彼の異様な能力が浮き彫りにされている。同じような能力の仲間はいるものの、その中でも成雄くんの自我は一線を越えそうなのは、彼が他者の存在を必要としないためだろう。
それでも最後の最後ではやはり他者とのコミュニケーションを求めるし、だ -
Posted by ブクログ
単行本でも読んでいたんですけれども、今回もう一度読みたくなって文庫版買っちゃいました…。
まあ、内容は知ってはいたんですけれども、うーん…そこまで、つまりは再読したくなるくらいの内容ではなかったかも…しれませんけれども、舞城氏の作品で女性主人公というのはなかなかに珍しいものがあると思われ、そこは興味深く読めたような…気が致します。
ヽ(・ω・)/ズコー
でもまあ、氏の純文学系の作品はやっぱしどことなく説教臭い感じがするんですよねぇ…でもまあ、笑えたからいいか、という気がします。
確信犯かどうか分かりませんけれども、会話の応酬もなんか笑えるように書いてあるような気がするんですけれどもね -
Posted by ブクログ
(*01)
人がどのように成っているのかのプロセスについての考えが小説の中で模索され展開されている。言葉、名前、動物、植物、家族、こうしたもう既に自明であるような範疇を揺るがせ、そのマージナルな領域に主人公を泳がせている。この作家の特徴でもあるが、福井という地域にどのように新たな物語を根付かせていくかという苦闘の跡も見られる。実在の土地を媒介に、ファンタジーが土着的にふるまい、ミステリーが伝奇的に語られることで、神話(*02)が綴られていくようでもある。荒唐無稽なストーリーは神話の必然でもある。
(*02)
ふざけたような擬音(*03)もこの作家の特徴であるが、神話化に欠かせない要素でもある