北村薫のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
名取佐和子さんの著書『金曜日の本屋さん』
の「読みたい本が見つかる」金曜堂の南店長に手渡されたかのように不思議な本の縁で手に取った作品。
手に取ったとき、ずっしりと重く553ページという厚みに心が怯み、一瞬ページを『スキップ』したい気持ちになったけど、読み始めると軽やかな足どり『スキップ』したくなるような楽しい読書時間だった。
もし、昼寝から目覚めた瞬間17才の少女から42才の中年女性になっていたら?と思うと私なら、夢か現実なのか分からなくなりフリーズするかパニックになるだろう。
しかも結婚して17才の娘がいて高校教師、17~42才の記憶がなく25年の記憶がスキップされて、昭和から平成へ、想像しただけでも恐ろしい状況だ。
ちょっと残酷だなと感じたのが夫の桜木に言った真理子の台詞。
妻であり、母であり、教師として
「今までの役が務まるようになるさ」と思わないでほしいと。
今まで共に歩み、娘を育て、二人で築きあげてきた時間がなかったことに、こんな残酷で悲しいことはない。
でも夫の桜木は真摯に向き合い、支え、ゼロからの再出発を選んだ。
一番に感じたのは、17才の真理子に高校教師が務まるのか?という疑問だ。
本来、17~42才までの25年間は恋をしたり、挫折、成功を繰り返して大人の階段を登っていく。
その経験という武器を持たない真理子が教壇に立ち、教師という責任ある立場は少し無謀にも感じた。
だけど持ち前の強い「自尊心」と彼女のモットーとする「嫌だからやろう」という気持ち、夫や娘に支えられ乗り越えていく。
そして何より、真理子は教師という役割を楽しんでいた。
失われた青春を生徒達と一緒に過ごす事によって取り戻そうとしているかのように。
最後、真理子が夫へ2度目の恋する思いが良かった。
著者が付記に記した「軽やかな足どり」は真理子一人のものでなく、共に歯を食い縛って歩いた夫の桜木や娘の美也子の家族の絆があってこそだろう。
最後の台詞に
「昨日という日があったらしい、明日という日があるらしい、だが私には今がある。」
正月休み明け、仕事行きたくないなぁと思っても真理子直伝の軽やかで強い「スキップ」で出勤したいと思う。
-
Posted by ブクログ
◼️ 北村薫「中野のお父さんの快刀乱麻」
シリーズ第3作。編集者の娘が持ってくる謎を国語教師のお父さんが解く。人情あふれるリテラリー・デテクティヴもの。
けっこう久しぶりの北村薫。「空飛ぶ馬」からスタートする、探偵役の落語家、ワトスン役の女子大学生の「円紫さんと私」シリーズでミステリ好き、小説好きをうならせ、「スキップ」「ターン」「リセット」の「時と人三部作」で話題を呼んだ。そして1930年代の令嬢と女性運転手の物語「街の灯」「玻璃の天」「鷺と雪」の「ベッキーさんシリーズ」最終作で直木賞を受賞した。
日常の謎、文学や落語、その他知的好奇心を刺激する要素が絡む豊かな下地、ストーリーは清潔感があり、語り口は明瞭、小粋。人情の絡ませ方も絶妙だ。
前説が長くなった笑。このシリーズはある出版社で小説雑誌の担当編集者、大学の体育会系出身の田川美希が作家先生や周囲の編集者らと過ごす日常の中で湧いてくる、文学史上などの細かい謎を、中野に住む国語教師のお父さんに解いてもらう話、と今日、北村薫好きでまだこのシリーズを読んでない本友に説明したら、「円紫さんと私」と基本一緒やな、とひと言。まあ、まあ、そうかな。
今作では大岡昇平「武蔵野夫人」は後でタイトルに「夫人」がついたその経緯、また古今亭志ん生の、詐欺師が蚊帳を売りにくるエピソードの出典、「原作 里見弴」と字幕が出る小津安二郎の映画が小説とまるっきり違っているのはなぜなのか、ロス・マクドナルドの小説を映画化した「動く標的」のラストは、どうして学生評論家が書いたキレの良い評論と違うのか。ほか、文豪と将棋にまつわる話、そして落語に戻り、志ん生の息子、古今亭志ん朝を巡る謎と続く。
先に書いたように、本筋のほか、お父さんが栽培する白菜に味噌をつけて食べる場面、ソフトボール、おせち、内田百閒「サラサーテの盤」など彩る要素が鮮やかでまた気持ちいい、父娘関係も距離感が微笑ましくユーモラス。おまけにコロナ時期の社会の特徴も散らしている。豊穣な文章を読んでいる実感を味わう。
やはり「動く標的」の章、ヴィデオが出てきて何でも録画録音ができるようになると、イマジネーションが膨らむということがない、との見方が述べられていて、心に響く。
私は社会人になった時期、地上波ではまずやらないであろう、あまり人の入っていない単館系の映画ばかり映画館に観に行っていた。ビデオはもちろん、CSの映画チャンネルも普及していたが、全部録画して見るわけでなし、映画館に行った方があまり考えずに済んだことが大きく、大画面で雰囲気を含め楽しんでいたあの頃を思い出した。アメリカ映画ではない、イギリスやフランス、ギリシャやアジアの作品。確かに一期一会だったかも知れない。
最近また、DECCAが出した、内田光子のショパンコンクール1970年大会の演奏のCDを聴いた。一部の曲はいまの弾き方とかなり違っていて少し驚いた。今年のコンクールの際、YouTubeを見て覚えたような演奏が多い、というような審査員の意見も出た。内田光子が2位に入ったこの時代も音源は限られていたはずで、であれば弾き方も違ってくるのかもしれないな、などと考えた。リサイタルもほとんどは今もその時限り、先日行った内田光子リサイタルも1回限りの触れ合い。とても良かった。
だいぶ自分のことに脱線してしまった。
好きな作家はと聞かれれば北村薫を挙げることも多い。今回難を言えば、ちょっともう、著者の好みに特化しすぎているところかも苦笑。私としては、もう1回、著者の大作が読みたいな。 -
Posted by ブクログ
文宝出版の編集者田川美希が出会う、本にまつわる謎を、中野に住むお父さんが見事に解いていくシリーズ3作目。
こちらは円紫師匠シリーズと違い、ほぼ本の話限定で、マニアック(笑)ですが、軽妙でかなりライトな作風です。
今回の謎の対象となる方は、大岡昇平、古今亭志ん生と志ん朝、小津安二郎、瀬戸川猛資、菊池寛…って、若い人にはハードル高いですね。僕もかろうじて名前だけは…というところです。
菊池寛は教科書で(文藝春秋の、直木賞・芥川賞の
人)。小津安二郎の映画は観たことなくても、笠智衆は読めますし、観たことありますよっ!(もちろん、寅さんの方で) -
Posted by ブクログ
今まで信じていたものがそうでないとわかったとき、人は少なからず動揺します。
アイラブユーを月がきれいですね、と訳したのは漱石ではなかったと知ったとき、本書を二度見しました。
え?!(゜Д゜)
(゜Д゜))))
えーーっ?!
そう…だったんですね…。
自分が今まで信じていたのはなんだったのでしょうか。都市伝説だったのでしょうか。
では、誰がそう訳したのでしょうか?
なぜその説が広まったのでしょうか?
様々な出典から探っていく、今回はそんなストーリーでした。
そもそも自分が知ったのは何かのクイズ番組だったと思うのですが…
はたして、今回中野のお父さんがたどり着いた答えは…?
*
参考文献としてあげられていたのは、ネットのとあるサイトでした。これがすごい。