江川卓のレビュー一覧

  • 地下室の手記

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    「ロシア文学は難しそう」という先入観を持っていましたが、2部からは比較的読みやすく2日で読み切りました。
    150年前の作品ですが、現代を生きる私たちの自意識を鋭くえぐってくる作品だと思います、、ドストエフスキーがなぜ世界的な文豪と称され続けるのかを心から納得しました。
    主人公の屈折した自意識、他者の視線への恐怖、そして「自分は特別でありたい」というプライドと自虐の間で揺れ動く姿は、決して他人事だと思えませんでした。心理描写の解像度が「自分にも身に覚えがある」と胸が痛くなるほど高いので、精神的に余裕のある日に読むことをおすすめします(笑)
    読んでいて、高校時代に衝撃を受けた『山月記』の「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」というフレーズを思い出しました。

    また、人間は理性や効率(2×2=4)だけでは動かない矛盾に満ちた存在であるというテーマは、現代の様々なニュースや自分自身の生き方を振り返る上でも大きな気づきを与えてくれました。
    自分の弱さや自意識と向き合い、他者への敬意や寛容さを持ちたいと思わされました。

    久々に心にドーンと来た作品だったので、レビューを書きました。他の世界的な名著にも挑戦しようかな。

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    2026年10月11日
  • 罪と罰 上

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    ラスコーリニコフが老婆を殺したことについてはなにひとつ共感できない。お金が欲しかったのか、正義感?(老婆が死んでも誰も咎めないという井戸端話が後押しした?)からなのか、はたまた好奇心か、いずれにしてもこの点は一切の共感は不可能。
    その後の罪の意識に苛まれる姿は、程度の差こそあれどこか共感できる。誰しも後ろめたい気持ちで、なにも手につかず常に誰かに怯えて過ごした経験はあるだろう。(私の場合は小学生のとき、台風で授業がなくなった日に友達と遊び、後日先生が怒って「遊んだものは正直に言いなさい」と言って、私だけ自己申告しなかった。今思えば本当にくだらないことだが笑、当時はラスコーリニコフの気分だった)

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    2026年10月11日
  • カラマーゾフの兄弟 2

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    せっかく2回目なので、(途中からではあるが)江川訳で。プロとコントラは新潮原版で読んだので割愛。
    イワンの一人称が違ったり、アリョーシャが若干砕けた感じなのがおもしろい。

    ゾシマ兄の話と、一本のネギ以降の勢いが凄まじい。
    従者への愛、自殺者への愛…がこの後の話に繋がっていくのか。初読の記憶が無い。
    悲しくて頭がモヤがかる感じとか、嫌だったことを何度も脳内再生して自分を傷つけるとか、内面描写が上手すぎる。

    しかし長老の死を乗り越えたアリョーシャは「不屈の闘士」なんだよな、天使が成るものではないような。二部が現世に存在しないのが辛い。

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    2026年09月23日
  • カラマーゾフの兄弟 3

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    ネタバレ

    3巻はミーチャの予審と、子どもたちについての話。
    あまり難しいことは書かれておらず、ミステリ的な要素や人情についてが多いためスラスラ読める。

    第八編「ミーチャ」は、ミーチャの破天荒な活躍が盛りだくさん。

    第九編「予審」は、ミステリやサスペンス的な面も強く読みやすい。

    第十編「少年たち」は、つらい目に会う子どもに対して以前読んだときよりも涙脆くなっているため涙腺が……
    この巻の中では第十編が一番好き。
    ペレズヴォンは本当にジューチカなんだろうか……そうであればいいなと思う。

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    2026年08月06日
  • 地下室の手記

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    主人公のニヒリズムの妄想が異常過ぎて面白い。人間の欲望の2面性が描かれている。愛を拒絶し求めている。

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    2026年07月05日
  • 地下室の手記

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    主人公がダサい。あまりにもダサいし、痛々しい。 働きもせず、地下室にこもり、自意識が奇妙に歪み切ってしまった男の手記。他人や社会を見下しながらも、彼はそのくせ、彼らの「生きた生活」に激しく憧れている。だが同時に、その「生きた生活」を恐れ、いざその渦中に置かれるとひどくうろたえ、面倒に思い、何もない地下室の生活へと逃げ戻ろうとする。
    彼の行動は、滑稽なほどに歪んでいる。
    ある日、道を通るために士官にどかされたことを、彼はひどい屈辱と感じる。復讐のために、街でその男と正面からぶつかっていこうと計画するのだが、いざとなるとビビりまくり、自分から道を譲ってしまう。何回目かのチャレンジで、ようやく肩が少しだけぶつかることに成功すると、彼は有頂天になる。自分が男と対等であることを周囲に証明できたと安心する。――誰もそんなこと、気にも留めていないというのに。
    また、自ら疎遠にしていた昔の学友たちの集まりに勝手に参加し、彼らを不愉快にさせた挙句、無視されるエピソードもある。それでもかまってほしくて、彼らの側を行ったり来たり往復するが相手にされない。置いてけぼりにされた彼は、復讐を心に誓って彼らが向かった売春宿へ行くが、見つけることができず、たまたま目に入った売春婦のリーザと寝る。そこで彼は、彼女に「こんな生活はだめだ」と大説教をかまし、ひどく興奮して自分の家の住所を渡してしまう。
    後日、彼に救いを求めて彼女が家を訪ねてくる。しかし、彼は自分の惨めで貧乏な私生活を見られたことに狼狽し、彼女を激しく憎む。ついには「自分は善良な人間にはならせてもらえない」と号泣しながら、自分の窮状を暴露してしまう。
    ダサい。ダサすぎる。 しかし、この過剰な自意識や、「生きた生活」に憧れながらもそれを面倒に思ったり、見下したりする心理は、笑えないほど見覚えのあるものだった。
    「とにかく、ぼくらは、真の『生きた生活』を、ほとんど労役かお勤めとみなすまでになっていて、それぞれ腹の中では、書物式のほうがよほどましだとさえ思っているのだ。」
    本で読む人間の生活には愛着がわくし、憧れもする。しかし、自分がいざその渦中に置かれると、ひどく面倒ごとに感じてしまう。
    「ぼくらは人間であることをさえわずらわしく思っている。」
    多くの人々が当然のように行っていること。就労、勉学、家事全般、育児、結婚、遊び、エトセトラ。これらが耐えられないほど面倒に感じ、傷つくことを恐れて、自分だけの「地下室」に引きこもる。
    この物語の最後で、男は一番見下していたリーザの前で取り繕うこともできず、号泣して自分の窮状をぶちまけた。 これは、彼にとっての「救い」ではなかったか。 どんなにダサくても、みじめでも、彼は生身の人間と泥臭くぶつかり、這いずり回ることができたのだ。自意識の殻を破り、「生きた生活」の渦中に、彼は確かに立っていた。

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    2026年06月27日
  • 地下室の手記

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    ネタバレ

    虚栄と真実、羨望と軽蔑を激しく行き来する主人公の心の動きに圧倒された。主人公にはその心の動きを制御できないのに、動いた先の心情は明確に認識できている点が見ていて苦しい。

    心情を分析できてしまうと、愛情や友情の基底にある虚偽に目を瞑れない。ある程度虚構を受け入れられないと他人と絆を結ぶことはできないからだ。主人公がズヴェルコフらを前にして3時間も暖炉とテーブルを行き来する姿が象徴的だ。

    恋人や友人を求めて奮闘した挙句、それらの欺瞞を見抜くが故に全てを手放し、主人公は孤独な地下室を選ぶ。そこから脱出する術も意思も示されず、悲劇的である。

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    2026年06月22日
  • カラマーゾフの兄弟 2

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    有名な「大審問官」がはいっている第2巻。

    昔はじめて「大審問官」を読んだときはよくわからない部分も多かった気がするが、何年も経ちキリスト教についても多少は知識がついた状態なのでかなり読みやすく感じた。
    それより「ゾシマ長老の談話と説教より」の方が少ししんどかったかもしれない。
    ゾシマ長老の過去の話の方は楽しく読めるけど。

    他にも、スネギリョフがお金を踏みつけるシーンや、イワンとスメルジャコフのあることを匂わせるような会話、一本のねぎの話など夢中で読める場面がたくさんある。

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    2026年06月03日
  • 地下室の手記

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    肥大化する自意識、止まらない他責、読んでいるこちらが恥ずかしくなる。

    19世紀ロシアの小説なのに、21世紀の日本で読んでもまったく古びていない。こじらせぶりがあまりにも情けなく、そして面白い。むしろSNS時代のほうが身近に感じる部分すらある。 共感したくないのに、どこか身に覚えがある。まったく嫌な小説で、最高だった。

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    2026年05月30日
  • カラマーゾフの兄弟 1

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    『カラマーゾフの兄弟』は光文社の亀山郁夫訳で読んでいたけど、別の訳者のものも読みたいなと思っていたところにこちらの中公文庫が発売されたのでずっと気になっていて、やっと読めるタイミングがきたので全巻購入。

    この中公文庫では、かなり細かい後記・注解がはいっているのがよかった。
    これはこういう意味だとここで教えてもらわないとなんとなくで流し読んでしまう部分も多いかと思うので。
    それと、ドストエフスキーの父のことや亡くなってしまった子ども(アリョーシャ)のことなど、元ネタになったと思われる出来事も結構記載されている。

    『カラマーゾフの兄弟』は5年おきくらいで再読していることになるけど、やはり何度読んでも面白い!
    初めて光文社で読んだときは第一編、第二編あたりがなにがなにやらよくわからず面白いと思えなかったけど、今後の展開や登場人物についてなどがわかっていると最初からずっと面白い。

    1巻では登場人物たちのいろいろがわかってくる準備段階といったところだけど、ミーチャvsフョードルやカーチャvsグルーシェンカなど勢いがすごい場面もいくつかある。
    カーチャに対するグルーシェンカの悪女ぶりは何度読んでもゾクゾクする。

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    2026年05月07日
  • 地下室の手記

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    ネタバレ

    東浩紀さんのYouTubeの切り抜きでおすすめされていたので読みました、
    何度も何度も何度もこれ私じゃんって思った。(当然主人公のような語彙力が無いからだいぶスケールは下がるけど)
    だから、こういう自意識過剰すぎて生きづらい人間はいつの時代も居るよなあと思った。
    あと、訳者解説の部分の、美しい理想を持っていて、それに伴わない醜い自分を理解していることが絶望的だということを描いている(うろおぼえ)みたいなのも、すごくそう!そうなの!と思った。
    パニックのように一瞬で思考が行ったり来たりする描写がリアルすぎて、ドストエフスキーもそういう片鱗があるのかなとも思った。
    だから、進歩的な思想とゆーか、人間は合理的な行動をできるし、それを奨励していけば最良な社会が実現する!という考えにはうーん、賛成できないかな〜とも思った…
    またドストエフスキーの他の作品も読みたい!

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    2026年03月22日
  • カラマーゾフの兄弟 4

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    私にとって、最終巻の主人公はイワンだ。
    最終巻を読むまでは、ミーチャの激しい情熱やアリューシャの素朴な聖人さに魅力を感じていたが、最後になって、イワンの印象が強烈に変わった。あの冷徹な理性を持った彼が、「大審問官」の挿話を語った彼が、「神がいないなら、すべては許される」と考えていた彼が、スメルジャコフの殺人を聞きてひどく狼狽し、悪魔にとらわれ、衰弱していくとは驚愕だった。これまで、あれほど知性の強さを誇っていたのに、いざ自分の罪を眼前にすると、あれほど脆くなるとは思わなかった。
    彼にとって「神がいないなら、すべては許される」という思想は、あくまで頭の中の仮説だった。しかし、スメルジャコフはその思想を「実行の手引書」として受け取ってしまった。 自分の知的な遊戯が、実父の殺害という「生々しい血と腐臭」を伴う現実として突きつけられた時、彼の強固な論理は一気に決壊したのだろう。実態の伴わない思想は、実行という現実の前には脆い。
    スメルジャコフはイワンに向かって、「あなたこそが真の殺人者だ、私はあなたの手先に過ぎない」と言い放つ。イワンにとってスメルジャコフは、自分の中にある「醜悪な本音」を具現化した鏡のような存在になった。あれほど軽蔑していた男が、自分と最も深く繋がっていた。この自己嫌悪は絶望に近かったであろう。
    スメルジャコフとの最後の会談の後のイワンの様子の急速な変化は最終巻の白眉だ。彼は、必ず法廷でスメルジャコフの殺人を告発するという決意を固くし、自己満足と歓喜を感じていた。帰り際、酔っぱらって雪の中で眠りこけていた農民を1時間もかけて助けるほどの余裕も見せていた。しかし、家に着くや否や、その自己満足も歓喜も余裕も消え失せ、悪魔との長い対話が始まる。この短い間に彼の中で何がおこったのか。あの自己満足と歓喜は、正気の最後の灯だったのか。
    イワンが雪の中の農民を助けたのは、自分自身に対する道徳的なアリバイ作りだったと思われる。直前に「父殺しの教唆」というおぞましい真実を突きつけられた彼は、無意識にその対極にある「人命救済」を行うことで、魂のバランスを取ろうとした。また、「自分は明日、法廷ですべてを告白し、真実を明らかにするのだ」という決意が、彼に一時的な道徳的優越感を与えた。このアリバイと道徳的優越感により、自己満足と歓喜が一時的に訪れた。しかし、イワンが自室に戻ると、この一時的な麻酔が溶け、自分が置かれている地獄のような恐怖の板挟みに陥っていることに気づく。告白すれば、世間に軽蔑され、スメルジャコフと同じ地平にまで堕ちる。黙っていれば、 一生、スメルジャコフの影(共犯意識)に怯えて暮らす。麻酔が切れた瞬間、この板挟みに押し潰されてしまったのだ。
    そして、自分自身の醜悪な部分を具現化した悪魔との長い対話がはじまる。悪魔は、「新しい人間は、神の座に立ち、古い道徳や法律を超越することができる、こうして「すべてが許される」」、と会談の最後に言うが、大審問官の挿話を考えたイワンにしては、稚拙な内容に感じる。これまでのイワンが言う「すべては許される」は、人類の苦悩を背負い、神に反旗を翻す言葉だった。しかし、スメルジャコフとの会談を経て現れた「悪魔」が語る「すべては許される」は、あまりに安っぽく、俗悪なスローガンに成り下がってしまった。スメルジャコフの醜悪な実行によって、高邁な思想が、殺人の稚拙な言い訳にまで引き釣り下ろされてしまった。
    イワンの結末はあまりにも救いがなく、憐れに思う。法廷で、正気とは思えない言動で、自分とスメルジャコフの犯行を告白したことによって、その告白の内容は真剣に取り上げられず、しかも、彼の愛する女性カチェリーナに憐れまれ、彼女に恥辱を伴う救いの手まで取らせてしまう。さらに、それによって、自分の代わりに訴えられている兄の冤罪を確定させる結果になってしまった。イワンが望まなかった結果がすべて実現してしまった。彼は発狂したが、まだ死んではいない。果たして救われるのだろうか。
    この長い物語は、ヨハネ福音書第12章24節の引用からはじまった。
    「まことに、まことに汝らに告ぐ。一粒の麦、もし地に落ちて死なずば、一粒のままにてあらん。されどもし死なば、多くの実をもたらすべし」
    長兄ミーチャは冤罪で流刑地に飛ばされ、次兄イワンは発狂し、私生児スメルジャコフは自死した。最後に残ったカラマーゾフ、アリョーシャは子供たちと「カラマーゾフ万歳」と合唱し、物語が終わる。死んで子供たちに新たな実をもたらしたイリューシャとそれを導いたアリョーシャ。(自我を捨てずに)死んでいき何の実ももたらさなかった者(スメルジャコフ)、死に切れない(自我を捨てられない)者(イワン)、死んで子供たちに新たな実をもたらした者(イリューシャ)、それを導いた者(アリョーシャ)。最後に希望的な雰囲気で万歳が唱えられたということは、イワンもいずれ救われるはずだと思う。
    「カラマーゾフの兄弟」を初めて読んだのは10年以上も前だった。大審問官の話以外はほとんど忘れてしまったが、深くて暗いという印象だけは頭の片隅にずっと残っていた。以前はただひたすらに暗いという印象だったが、今回10年以上ぶりに読んで、その暗さは豊かな暗さ、人間の深さの表現だったのだと気づいた。それゆえに、この名作は救いでもあるのだと思う。人間は複雑で、豊かで、深いものである。しかし、日々の生活の中で、単純になっていく。単純であると枠にはまりやすくなる。社会に都合の良い枠、他人の欲望に都合の良い枠にはまって、精神の身動きが取れなくなる。この名作は、人間が、自分が、本来複雑で、豊かで、深いものなのだということ、御しがたいものだということを、思い出させてくれる。第3編 第3章「熱い心の告白——詩に託して」でミーチャがアリョーシャに自らの情熱と苦悩を独白する場面での言葉が頭に浮かぶ。
    「・・・人間の心は広いよ、あまりに広すぎるくらいだよ、おれは狭めたいくらいだ。・・・」
    この名作は、読む者を精神の窒息から救い出してくれる。

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    2026年02月22日
  • 地下室の手記

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    人間がしてきたことといえば、ただひとつ、人間がたえず自分に向って、自分は人間であって、たんなるピンではないぞ、と証明しつづけてきたことに尽きるようにも思えるからだ。

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    2026年02月15日
  • カラマーゾフの兄弟 4

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    一巻を年始から読み始め、約一ヶ月半かけてようやく最後まで読み切りました。

    この巻に収められた第四部の中盤以降からが一番おもしろい。
    そこにたどり着くまでの長い長い旅路で挫折しなくてよかった…!

    一言で言うなら……いや、言えないな。
    父殺しができごとの中核にあるにせよ、そこに秘められた思想はあまりにも多様で今の自分には整理できない。

    ただ漠然と感じたことは、矛盾や逆説こそが人間であり愛なのだということ。

    法的に罰されることよりも、むしろ法から赦されること、逃れることこそが真の罰である。
    そして人間は真の罰を求める。少なくともドミートリイは。

    自分を罰するために、憎き恋敵に赦しを乞うたカチェリーナ。
    そしてそのカチェリーナを赦さないことでカチェリーナに罰を与えない、すなわち真の救いを与えないグルーシェンカ。
    そんなグルーシェンカを非難しつつ、だからこそそんな彼女を愛さずにはいられないドミートリイ。

    ドミートリイの無実を証言すれば自分にも事件の原因があったと自白することになるとスメルジャコフに脅されながらも証言するイワン。
    そしてそのイワンを救うために、ドミートリイを法廷で売ったカチェリーナに感謝するドミートリイ。

    ここに直線的な愛はない。
    カラマーゾフは「理想の深淵」と「堕落の深淵」の双方をのぞき見ることができる一族だと検事は言うが、その両義性は愛のあり方にもかいま見えるし、実はそれは人間全員に言えることなんじゃないかなあ。

    「カラマーゾフ万歳!」の唱和と、博愛の人アリョーシャの旅立ちで閉じられるこの小説は、矛盾と逆説だらけであるがゆえに破滅に向かう愚かさと愛らしさを持った人間の行く末を問うているのかもしれない。

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    2026年02月13日
  • 罪と罰 上

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    作品情報
    タイトル:罪と罰

    著者:フョードル・ドストエフスキー

    形式:Audible(7割)+書籍(3割)

    かかった時間:約27時間

    読みやすさ:★★☆☆☆

    罪と罰 (上)/ドストエフスキー, 江川 卓|岩波文庫 - 岩波書店
    罪と罰 (中)/ドストエフスキー, 江川 卓|岩波文庫 - 岩波書店
    罪と罰 (下)/ドストエフスキー, 江川 卓|岩波文庫 - 岩波書店
    Audible版『罪と罰 上 』 | ドストエフスキー | Audible.co.jp

    読み方に関する振り返り
    Audibleと書籍を併用。Audibleはハードルを下げてくれた一方、登場人物の名前が入り組んでおり、メモが取れないのは痛かった。飛行機や移動時間ではAudibleが便利だったが、重要な場面では文字で読んだ方が頭に残った。

    感想
    忌憚なく意見を言ってしまうと、長すぎます!(笑)
    前半をやっと乗り越えたと思ったら、後半も停滞するところが多く、読むのが大変でした...。正直ドーパミン中毒現代人にとっては苦行。

    また、キャラクターで好きになれる人がほとんどいないのも辛いところ。だいたい貧困が影響して、もしくは生来的に性根が曲がっている。また、出てくる女性が現代的なあり方とはかなりかけ離れた、可憐で純潔で弱々しい女性が多く、そこの点も感情移入がしづらかった。

    上記のせいで8割ぐらいはイライラしながら読んでいたが、それでも読む価値はあったと思う。主題が「殺人は正義のもとで正当化されうるか?」と言う根源的なものでもあり、復活や救い、愛といったキリスト教のテーマも加えながら、アンサーを返していく様は神聖で神々しく圧倒される。日本の文学と比較して、常に神という絶対的な存在が人間の中にいるので、なんだか悩みのスケールが大きいように感じる。

    このように様々なテーマがおり合わさっているわけだが、自分が最も刺さったテーマは「英雄になれない非凡人である''シラミ''はシラミなりに日々どう生きていけるのか」である。この物語にはナポレオン的英雄は一切出てこない。むしろ、英雄譚にすら出てこないモブキャラたち、もっと言うと底辺の人間が多い。非英雄である(そしてなれるわけもない)という現実を受け止め、いかに生きていけるか、そんなことも描かれていたように感じる。このどうにもならない英雄への距離への恨めしさ、やるせなさ、腹立たしさは凡人の私にとって痛いほど頷ける。

    ロシア文学のなんとも言えない陰鬱さ、社会の停滞を感じられるのも面白い。目に浮かぶ情景が全部薄暗く影が濃い....。寒いもんね...。しかし、スターターとしてはあまりに重いので、他の作品でも良いと思う。

    カラマーゾフの兄弟はこれより長いらしく、今のところもう挑戦したくないという気持ち、、。トルストイの戦争と平和も読みたいが、この鬱々した雰囲気はちょっとなぁと引け目を感じる。。。

    感想 ネタバレあり
    ①圧倒の救済シーン

    正直、ほとんどうんざりしていて、楽しめなかった。ある一場面を除いて。

    それは、ソーニャに罪を告白するシーンで、救いを受けるシーンだ。

    とふいに、ソーニャに対する刺すような怪しい憎悪の念が、思いがけなく彼の心を走り流れた。彼はこの感情にわれながら驚きおびえたように、とつぜん頭を上げて、彼女の顔をひたとみつめた。けれども彼は、自分の上にそそがれている不安げな、悩ましいほど心づかいにみちた彼女の視線に出会った。そこには愛があった。彼の憎悪は幻のごとく消え失せた。あれはそうではなかった。ある一つの感情をほかのものと取り違えたのだ。それはつまり、あの瞬間が来たことを意味したにすぎないのだ。

    フョードル・ドストエフスキー(著)、工藤精一郎(訳)『罪と罰』岩波文庫、1955-1957年
    これをAudibleで聴いた時、私の目の前にも何か啓示が降りてきたような気がした。文章力天才すぎる。(読み手の方もすごい!)この繊細でドラマチックな表現をズーーーっと続けてるもんだから、冗長に感じるんだろう。でもこのような重要な場面では、最高にこの表現力が際立って、思わずニヤニヤした。

    ひたすら3章も選民思想を語ってき、弱者にも注がれるその愛に、主人公にかなり大きな天変地異が起こる瞬間。私も召された気がする。

    ②貧困は他人への想像力を狭める

    この作品では、貧しい人々の体験することを追体験できる点も価値があると思う。そして、彼らがどんな場所に住み、街を人をどのように感じ、そしていかに殺人を決心するのか。彼らが犯罪に手を染めるまでの心の動きまでもうんざりするほど追体験できるのだ。

    最近では、若者や外国人による殺人強盗のケースも増えている。どうせ捕まる可能性が高いのに、そこまで大きくない額のために、人まで殺すなんて...と全く不可思議に感じてしまう部分もある。しかし、この本を読むと、貧困というのはいかに他人への想像力を狭めるのかが分かる。

    狭い部屋に横たわる。今日食べるご飯もない。お金を借りに物品を渡しに行ったら貶される。遠くに住む母と妹は自分の状況を露知らず、可愛い妹は自分のために男に一生身を捧げる。

    こんな状況だったら、誰でも人生が嫌になってしまうだろうし、誰かを尊重するなんてもってのほかだ。(主人公は元々選民思想が強いので、生来全ての人を尊重することはできなかっただろうが)

    ③奇妙な罪の感じ方

    主人公の罪の捉え方は、きわめて独特である。
    彼の中には二種類の犯罪がある。第一は社会的に定義される犯罪、第二は自己認知に基づく犯罪である。後者は両親や自分の倫理観との照らし合わせによって判断される。

    社会的な犯罪に関して主人公は、「犯罪とは何をしたかではなく、誰がしたかで決まる」と理解している。権力者の行為は犯罪として裁かれず、弱者の行為だけが犯罪とされる。戦勝国の戦争犯罪が不問にされることを例に挙げれば、この発想は十分に理解できる。主人公はこの論理を根拠に、自らの犯罪を正当化しようとした。自分が強者となれば、その行為も正当化されると信じたのである。

    しかし、実際には彼は「強者」にはなれなかった。そのため、行為は罪として自分に跳ね返り、彼は後悔することになる。「自分が弱かったから反省せざるを得なかった」という発想は清々しいほどまで正直だが、同時に人間の普遍的な倫理観を欠落させた、どこか空虚な結論でもある。

    ④なぜここまで自意識が高いのか

    主人公に関して特に不可解なのは、彼がなぜこれほどまでに「自分は特別な存在だ」と思い込めたのか、という点である。彼は多少は聡明であるものの、決して天才ではなく、怠惰な一面も見せる。それにもかかわらず、「一度の殺人で得られる金によって偉大な人物になれる」と信じ込めたのはなぜか。

    一つの理由は、彼が田舎で育ち、他者との交流をほとんど持たなかったことにあるだろう。優れた人々と出会う機会が少なかったため、相対的に自分を過大評価してしまった可能性がある。狭い世界の中で、自分を「こちら側の人間」、すなわち偉大な存在に近い者だと錯覚していたのではないか。
    それにしてもなお、その過剰な自意識の高さは不思議であり、読者に強い違和感を残す。

    さいごに
    大学生が主人公の本作を同じ大学生の時期に読めたことは貴重な経験だと感じる。太宰治にも通じるが、若さゆえの過剰な思想やロマンチシズムは、老齢になってからでは手に余るように感じる。だからこそ今、この時期に出会えた意味は大きい。読んだ価値は十分にあった。

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    2026年02月07日
  • カラマーゾフの兄弟 3

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    フョードルの死、その犯人の予審、アリョーシャと子どもたちの動向がメインになる巻。

    二巻までとは打って変わって一気に読みやすくなる。
    ドミートリィ側の動向とアリョーシャ側の動きがどう関連していくのか、あるいはしていかないのか、楽しみ。

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    2026年02月03日
  • 地下室の手記

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    ひたすらに地下室で主人公は考え続ける!!自分はあまりにも賢すぎるがゆえに思ったことを行動に移せないのだ、と言い訳をしてみたり、身分や貧乏という自分の置かれた立場に関係なくもっと堂々としていたい、でもできない…と不器用で愚かな葛藤。とても暗い手記なのに、なぜか笑える、不思議なドストエフスキーの世界観が詰まった作品です。

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    2026年01月29日
  • 地下室の手記

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    ドストエフスキーの『地下室の手記』を読み終えた。読んでて気が滅入ったりもしたけど、それも含めてけっこう楽しめた。

    俺なりに内容をまとめると、社会に溶け込めない孤独なオヤジが、自分自身と他人とに向けた恨みつらみを代わる代わる書き連ねるだけで一冊終わる本。

    主人公である書き手は臆病さと高慢さを兼ね備えた性格の悪い男で、社会とうまくやっていくこができない貧乏な役人。
    こういう、性格や色々がズレてるせいで孤独に暮らしてる狂人を主人公とした作品として、俺はやっぱり映画の『タクシードライバー』を連想するんだけど、本作の主人公は『タクシードライバー』のトラヴィスと少し違うところもある。

    トラヴィスは「腐った世の中で唯一、まともで正義を背負ってるのは自分一人だ」というような独善性を最後まで掲げて振る舞うけど、本作の地下室のオヤジは、他者を見下す一方で、自分自身の下劣さも同時に強く自覚して、ひっきりなしに自己嫌悪に陥ってる。

    このオヤジの言動が、読み手の側からしたら時々滑稽なくらい高慢かつ卑屈で、空回りなことばかり繰り返す無様を目で追いながら、笑っちゃうようや落ち込んじゃうような気持ちになる。

    例えばオヤジは、ある夜に盛り場の通路みたいなとこで、自信満々な若い軍人に押しのけられる。軍人は別にオヤジの知り合いでも何でもなく、貧相な身なりの通行人(オヤジ)を、通るのに邪魔だからと乱暴に横に追いやって通っていっただけ。そりゃオヤジじゃなくても、押しのけられた側はムカッとはするだろう。それでも、たったそれだけの3秒の出来事。軍人は振り向きもせずスタスタ歩いていく。人を押しのけたことすら意識してないオラついた若者だと思う。

    ところがオヤジは、この3秒の出来事を2年も引きずる。その2年の間に、軍人への復讐の計画を練って恨みの炎を燃やすわけ。復讐と言っても、道で再び会って今度は道を譲らないで踏ん張ってやろうと企むだけの話なんだから、セコくて笑える。2年の間に軍人にこっそり付きまとって、よく通る道を突き止めてタイミングを狙ったり……威厳ある復讐に相応しい服装をするために、わざわざ借金までして新しい外套を揃えたり……。

    そんな風に何ともこせこせした、陰気で卑屈な言動の数々のせいで他人とトラブルばっかり起こしている地下室のオヤジの姿を読んで、俺たちは哀れめばいいのか、嘲笑えばいいのか。

    あるいは読者によっては、「この醜い無様な狂人こそ、俺の姿だ……」と自認する人もいるんだろう。そういう人は、痛い傷をわざと触ってみるような、マゾ的な自傷の喜びに悶えながらこの本を読み通すのかな……。

    書き出しからしてキラーフレーズすぎる。〈僕は病んだ人間だ……僕は意地の悪い人間だ。およそ人好きのしない男だ。〉小説全体が、この最初の一行をまるまる一冊分まで拡大しただけみたいなものだと思う。

    なんだか「臭いと分かってるものの臭いをわざと嗅いでみたくなる」みたいな感じで、不思議な吸引力を持っていたので結局最後まで読んじゃった。明るいところがひとつもない悲惨な小説だった。

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    2026年01月13日
  • カラマーゾフの兄弟 2

    Posted by ブクログ

    第一編から第二編の中盤までは、正直読むのがつらいくらい退屈だったけど、第二編の「大審問官」以降グイグイ引き込まれました。

    人物の造形を読者に伝えるためなのか、最初のほうはとにかく無軌道なおしゃべりが延々と続き、ストーリーもないので苦しい…。

    でも、「大審問官」からはおしゃべりも理路がわかりやすくなってきて、ストーリーも動き始める。

    作中屈指の名場面と言われる「大審問官」はもはや物語というより聖書の考察ですね。
    キリスト教において標榜される自由とは何かが、単なる個人の経験ではなく、聖書の読み込みと解釈から考えられている。
    聖書やキリスト教に内在する逆説を暴き出していくという点で、脱構築的手法を用いた批評の文章を読んでいるようでおもしろかったです。

    ゾシマ長老の遺言もすごい。
    遺言に至るまでのところでも、他の人物のおしゃべりが聞くに耐えないものであるのに対して、この長老のおしゃべりだけはスカッと頭に入ってくる。
    会話文の性質だけでここまで人物の特徴を書き分けられるドストエフスキー恐るべしだなと思いました。

    ここからさらに物語が動いていくようなので三巻からが楽しみ!

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    2026年01月05日
  • 地下室の手記

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    繰り返される自己ツッコミのため、もう誰の話をしてるのか本人もわからなくなってしまってる自意識過剰な長台詞に笑う。
    ぶつかりおじさんとしても登場する。彼らの心情ってこんな感じなのだろうか。
    旧友との食事会で嫌われるようなことばかりして、最後は友人からその場に居ないものとして無視された挙句、仲直りしたくて気づいてもらおうと店の中を閉店まで行ったり来たりしてる健気な一面も。だったらそんなこと最初からしなければいいのに、そういうわけにもいかない性分らしい。

    癖はあるので好き嫌いは分かれそう。

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    2026年01月05日