江川卓のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
1部と2部をそれぞれ1日ずつ、2日で読み切りました。
1部はなかなか理解が進まず、始めのうちはあー、うん、なんとなく分かる。って感じなんですが、ページを跨ぐとちんぷんかんぷんだったりと、あれ?俺読んでるけど読めてなくね?って感じでした。
2部は物語となり、おぉ、これこれ、これが見たかったんだと言わんばかりの長広舌が繰り広げられていました。地下室の男には何度ツッコミを入れたくなったか、、、
そして解説ではその時のロシアの状況であったり、思想や哲学についての説明だったんかな。正直前知識がなかったので、難しかっです。
「裕福=幸せ」を2×2=4のような理屈上での幸せだとして、
「貧乏で幸せ」も良いのではないのか、という理屈で説明がつかない2×2=5の幸せも、自由である。 -
Posted by ブクログ
直前に読んだ太宰治の「人間失格」の中に以下の一文があったのをきっかけに読みました。
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罪と罰。ドストエフスキイ。ちらとそれが、頭脳の片隅をかすめて通り、はっと思いました。もしも、あのドスト氏が、罪と罰をシノニム(※類似語)とは考えず、アントニム(※反義語)として置き並べたものだとしたら?罪と罰、絶対に相通ぜざるもの、氷炭相容れざるもの。
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自意識過剰と一般社会からの隔絶といった共通項を持った作品として「地下室の手記」を次読むことにしたんですが、どんな言葉でもうまく表現できない超新感覚の読書体験でした。(新感覚と言いつつめっちゃ古い本だけど…) 「地下室の手記」は二部構成になっていて、第一部は「地下室」(文字通り部屋ではなくて概念)に引きこもって毒づいている40代の男性の独白。第二部は彼が24歳の頃のエピソードで、過剰なほどの自意識過剰ゆえに友人も女性も使用人も周りにいる全ての人間を激しく拒絶したかと思えば、関係の回復を衝動的に望んだりかなり頭のいかれた挙動をしている話。
これを書いた当時のドストエフスキーの実体験や、ロシアの情勢を事前知識として読むと、単純に「頭のいかれた男の話」で片付けることができない作品だって納得する。人間という生き物が自身について善悪の決着がつかない以上一生読み継がれて当然の傑作だって思った。
ドストエフスキーは42歳でこの作品を書いたんだけど、この「地下室の手記」以前と以降で価値観が転換している。以前は人道主義的だったけど、思想犯として4年間のシベリア流刑(極寒の地での重労働の服役)を経験し、その中で銃殺執行直前の臨死体験をした。当時のロシアでは西洋合理主義が取り込まれていて、みんなが自身の合理的欲求を追求すれば調和と幸福が得られるという思想が主流だった。それに対してドストエフスキーは強烈な違和感を持って、手記の中で何度もシステムや数学(科学的ルール)に服従してたまるかといったことを苦しみながら訴えている。素直にこの小説を読むと半端なく頭のおかしい社会不適合者だけど、この主人公がずっと争ってるのは規範化された社会なんだって読み方をするとすごく腑に落ちる。彼から見ればむしろ何も考えずに社会の仕組みに従ってる人間の方がおかしいという主張になる。
人間らしさを失うことを恐怖しながら、自我を守るために他人を傷つけることしか手段を持たない人の話だって解釈しながら読みました。
(引用)
二二が四がすばらしいものだということには、ぼくにも異論はない。しかし、讃めるついでに言っておけば、二二が五だって、ときには、なかなか愛すべきものではないのだろうか。 -
Posted by ブクログ
かつて20歳頃に一度読んだのだが、その時は「手記の中で社会を断ずるイタい引きこもりおじさん40歳」という感想だったと思う。
なんとなくみすぼらしさや不潔さを感じていたような気がする。
もう20年も前だからそんな程度の記憶しかないのだが、奇しくももこの「イタいおじさん」と同じく、自分も今年で40歳になる。
果たしてこの度読んだ感想といえば
「あれ、自分もこのおじさんと同じ人種になってないか?」だ。
いや、当然、時代も文化も環境も全く違うし、この手記の中で語られるあらゆる面で自分と同じではないのだが、かつて20歳のときに読んだ時と今回読んだ時とを比べると、あきらかに自分がこの「イタいおじさん」に近づいているのだ。
20年前の感想からすれば、自分自身がみすぼらしく不潔な人間になっていることを示している。
もっとも地下室の手記は自分にとっては難しい本だから当時は全然読めてなかった可能性もあるし、読書を積み重ねた今だから読めた部分もあるのかもしれない。
いずれにしても20年越しの感想がこんな形で刺さってくるとは思いもしなかったし、この20年の間で価値観がしっかり変わっているということに気付かされた読書体験だった。 -
Posted by ブクログ
9/10
真実は文字の向こう側に存在する。
第一部は長尺であり様々な登場人物の相互関係が描かれ、クロニクル的で、極めて難解だが、止まらない。この部が悪霊の土台を作ると思うから、何があっても無視してはならない。中には無視をする人もいるらしいが、勿体無い。そしてニコライとピョートルが出てきた場面は、突如の登場で、ようやく来たか!と素直に思ってしまった。まるで霹靂を感じた。そこから、一気に面白くなる。革命が起こる前の、この不安定な空調がしみじみ、最初っから感じることができる。第二部はもうたまらなく面白い、難しいのは難しいが、ピョートルとニコライの隠された謎と不気味な空気がドストエフスキーでは感じられない数少ない空気だなと感じた。
江川卓 新潮文庫版の流れ方が完璧。ステパンとワルワーラの出会いからの遍歴から始まり、関係の終局で終わる。
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Posted by ブクログ
なぜ人は罪を犯すのか、それを背負ったままどのように生きているのかの一つの回答が得られそうだなと思った。
「なぜほとんどの犯人がその痕跡をああも明瞭に残していくのだろうか?(中略)犯罪者自身が、それもほとんどすべての犯罪者が、犯行の瞬間にら意志と判断力の一種の喪失状態におちいり、そればかりか、判断力と慎重さがもっとも必要になるまさしくその瞬間に、めったにない子どものような軽率さにとりつかれる。」150
「彼の判断力と意志は、その目論見を実行していく全過程を通じて、いささかもくもらされることがない、と決めこんでしまった。その理由はただひとつ、彼の目論見が「犯罪ではない」からである...」150
犯罪は簡単に露見するが、目的が「犯罪ではない」ため簡単には露見しない。そのため、犯罪を犯してもよい。そんな理屈が主人公にはあるように感じた。
老婆を殺害する描写は非常に美しく、まさに目の前で繰り広げられているように感じた。この描写はとても好み。