村上春樹「騎士団長殺し」にドストエフスキーの悪霊の〇〇のような、との比喩があった。単身住まいで手元に本がないが、スタヴローギンのような、という文だったんだろう。
兎も角、そんな切っ掛けで悪霊を読んでみる気になった。
悪霊がどんな小説であるかは裏表紙にある。無神論革命思想に憑かれ破滅した青年たちを実在の事件を元に描いたと。冒頭には、プーシキンの悪霊に憑かれた姿を描く詩とルカの福音に描かれる悪霊に憑りつかれて湖に飛び込んでいく豚達の文が引用されている。
最初の登場人物はステバン氏。歴史学者で活動家と紹介されるが、卑小な存在だったとあけすけなく綴られる。そして、彼のパトロン、ワルワーラ夫人。登場人物は多数あるが、第1部は殆どこの二人の物語。ドストエフスキーの悪い癖で意味なく唯々、長い。物語が何処に向かうのかまったく見当つかない。
ワルワーラ夫人の子、ニコライ・スタヴローギンとステバン氏の子、ピョートル・ヴェルホーヴェンスキーの登場でやっと物語が前に進む。しかし、40年前の高校生の時分だったら「スイスでの他人の不始末」なんて持って回った云い方はピンと来なかったかも知れない。
一旦、決着着いたと思った話が、次のシーンでどんでん返し。あれ、ミステリーだった?ネタバレに注意しよう。
無政府主義の青年たちの心情の吐露が神についての問答となるのが日本人の自分には判りづらい。カソリックについての批判には納得するが、ロシア正教について無知だし、難しいなあと首を捻るばかり。
最初、伝聞として語られていたニコライが小説の中で動き出すと、どう説明して良いか判らない。婚約や決闘。彼はまともに行動しているつもりなんだろうけれど、正直、理解しがたい人物として存在が重くなってくる。
やっとの思いで、上巻を読み終えた。暫くしたら、ステバン氏のエピソードは何も頭に残っていないだろう。何のための長編だったかと云えば、疑問だらけ。ストリーテラーとしてドストエフスキーには根本的な問題があると思う。