江川卓のレビュー一覧
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「ニコライ・スタヴローギンは事実、部屋の中にはいっていた。彼はごく静かに部屋にはいってくると、一瞬戸口で立ちどまり、もの静かな眼差しで一座をみわたした。」
やっと出てきたか、と言いたいけど、スタヴローギンの登場で物語は動き出す。
ヒントは二つある。
(ヒントその1)
ミハイル・バフチンはドストエフスキー小説の特徴を、
「自らの意思と声を持つ、自立的な存在としての登場人物を設定し、
相違なる思想同士の、事件に満ちたポリフォニー(多声楽)のような対話が実現している。
そのジャンルは民衆的な笑いの文芸、カーニバルにたどりつく。」と述べている。
(ヒントその2)
ドストエフスキーは世界中 -
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ドストエフスキーのなかでも、なぜだか今まで読むことをためらっていた一つ。(タイトルがタイトルだからでしょうか)
しかしながら、そうしておいて良かったように思える。
高校生ぐらいの自分が、スタブローギンに出会ってしまっていたら、完全にハマってしまっていたでしょうよ、恐ろしいことに。
非常に魅力的な作品。
10年ぐらいしたら、もう一度読もうと思って、傍線をいくつも引いておいた。。。
そういえば、大江健三郎氏の作品で、この悪霊が根柢のトーンとなっているものがありますので、ご興味ある方はどうぞ。
キリーロフがシャートフに”永久調和の訪れ”を告白するシーンは、大江氏の『洪水は我が魂に及び』の -
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ネタバレ上巻の冗長さが嘘のように、中巻以降は山場につぐ山場である。息もつかせぬ展開と言ってもあながち過言ではなく、いよいよ作者の本領発揮という感じだ。
中巻の見どころは、主人公ラスコーリニコフと予審判事ポルフィーリイの2度にわたる対決と、ラスコーリニコフとソーニャの密会である。中でも、ラスコーリニコフとポルフィーリイの初回の対決は際立ってエキサイティングだ。推理小説ばりの心理戦が展開されるだけなく、ここで初めて主人公の思想の全容が明らかになるからだ。上巻でちらりと示されたテーマが、さらに過激な形をとって再び読者に提示される。
すなわち、人間は「凡人」と「非凡人」に大別される。凡人は従来の思想の枠組 -
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やはり世紀の傑作と呼ぶに相応しい作品であることは間違いない。
とりわけ下巻に関しては、上巻では恐怖の対象でしかなく、
もはや完璧と思われていたスタヴローギンやピョートルといった
革命的思想をもった若者たちの化けの皮が剥がれるかのごとく、
ある意味、誰よりも人間味というものが垣間見えた気がした。
その中でも物語が佳境を迎える舞踏会の混乱から放火事件への流れは、
完璧に組み立てられた構成に変な話しだが美しくもさえ感じてしまった。
全てにおいてドストエフスキーの描く人間模様というものは
現代においても決して色褪せることなく、通ずるものがある。
それはスタヴローギンが選んだ結末においてもだ。
巻末に -
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農奴解放令によっていっさいの旧価値が崩壊し、
動揺と混乱を深める過渡期ロシア。
悪霊に憑かれた豚の群れが、
湖に飛び込んで溺死するという聖書の記述から
無神論的革命思想を悪霊と見立て、
それに憑かれた人々とその破滅を描く。
そんな裏表紙の触れ込みのドストエフスキーの大作、悪霊。
罪と罰で遅かれ、初めてドストエフスキーに触れ感銘を受け、
そして次に選んだのがこの悪霊。
罪と罰で慣れたのか、今回は読みやすく感じる。
やはり人間の心理描写を描くのにすごく長けているというか、
時代性というものを感じずに読み進めることができる。
とても100年以上前の作品とは思えない、ある意味新しさがある。
重苦し