柳田国男のレビュー一覧
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禁忌について収集した本なので、当たり前なんですが、やってはいけないこと、避けるべきことばかりが載っていて、読んでいると興味深さよりも窮屈で息苦しい気分に。
今と医療の状況が異なる上に、どうしてそうなるかが不明で、何かというとモノノケの類の仕業だったりしていた時代だと仕方がないのかもしれないのですが、とにかく血への忌避感が強い。
火に関しても興味深い。確かに今の時代でも「はるか昔から燃え続けている火」とか聞くと、「おお」と思うし、そこから分けられた火も「この火もはるか昔からの火か……」と思うので、感覚的にはなんとなくわかるのかも。
現代に生まれてきてよかった……面倒くさすぎる……100年後の人から見た現代も「面倒くさすぎる」って思われていたりして。 -
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柳田國男が晩年に書いた論文をいくつか合わせたもので、日本国および日本人のルーツを辿ろうと試みた作品。そんなこととは知らず『遠野物語』の海版と思って読み始めたので何度か挫折しながら、無理やり読み切ったが、正直半分も理解できていない。
本書全体を通じて現れるニライカナイという単語がそもそも捉えにくくて困る。島で暮らす人たちの想像から生まれた水平線の果てにある別世界とでも言えばよいのか、のちに龍宮や根の国などと同一視されたらしい。根の国といえば素戔嗚尊が母を追って辿り着いた地下の国だが、著者曰く、根という漢字をあてたがために地下という意味合いが強くですぎただけで、実際はハジマリ(根本)という意味合いで用いられたらしい。なんかそんなことが書いてあったと記憶しているが、如何せんチンプンカンプンのまま読んでいたので、そうでなかったかもしれない。
ほかには、日本人にとって、また日本史において無視することのできないコメ、イネの問題を扱ったのが本書の後半。新嘗祭の由来とか、三文字みるだに難しそうだが、実際、やはり難しい。ただ、結局筆者が言いたいのは、日本人の本当にはじまりのはじまりは、江上波夫が唱えた騎馬民族説みたいな、北方からの南下ではなく、南方から海を渡ってきたのではないかということらしい。
それに関連して、なぜわざわざ、造船技術も航海技術も発達していない当時、命の危険を冒してまで家族引き連れ日本に渡ってきたのか、という疑問を提示し、それについての回答として、子安貝の存在を挙げる。宝貝ともいわれたこの貝は大陸の王朝で珍重されたらしく、その世界の産出地の一つが沖縄あたりだったらしい。子安貝については岡田英弘の中公新書『倭国』だったかにチラッと出ていて記憶にはのこっていた。言ってみれば古代のゴールドラッシュか。
総じて、考察の対象が大きすぎるのと、筆者本人も述べるように、寿命が迫っている中、後世にのこす宿題という意味合いも込めて書かれているので、『遠野物語』とかほどはまとまっていないし、結論も根拠も相対的にはふわっとしている。
中盤に突然、いや突然というのも変なので、予期していなかったとでも言えばよいのか、「鼠の浄土」という一篇があり、これは面白かった。海の話なのに鼠?と思いつつ読んでみると、鼠はどうやら海を泳いで島から島へと渡っているらしいという内容で、その例が近世江戸時代くらいからぽつぽつ記録としてのこっているそうな。当時の赤本、黒本のノリなのか、
「……奥尻はそれ以前から鼠が多いので評判の島であり、同時に鮑と海鼠のよく獲れる島でもあった。それで鼠が鮑を食って蕃殖し、また或る年には鮑に食われて減ってゆくという話があり、或いは海に入って海鼠になるのだというような話さえあったが、それをみんなが信じていたかどうかは明らかでない。ただ何らかの外部の理由で、この島の鼠の数に、著しい増減のあったことだけは事実だったらしい。」
博学のおじさんが真面目な口調でこんなふざけたことを書くのだからなんとも人が悪いが、この鼠の話も結局ニライカナイに繋がり、一種の動物信仰にもつながる。
面白いし、日本人たるもの興味もって一度は考えてみたいが、むずかしい!
ちなみに、大江健三郎の解説は興味がわかず読んでいない。 -
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ネタバレ「山に埋もれたる人生あること」
柳田国男は、歴史として農民の厳しい現状を様々な人たちに伝えたかったのではないかと考える。この本が出版されたのが1926年 また、本文の初頭に「三十年あまり前」 と書かれていることから、この本に書かれている時代として1896年以前に起こった貧困問題が書かれているのではないかと考える。なぜ、柳田国男はこのような文章を何のために書いたのか、という事だが、この時代背景として1880年代半ばに起きた日本での産業革命を中心に、政府が農民に負担をかけた地租改正などが、農民から餓死者を増やし、貧困や不景気の問題を巻き起こしていた一つの問題ではないかと考える。また、柳田国男自身が農民の貧しい生活に触れ、感じた経験から、社会的問題の貧困や不景気が人の闇に触れたり、精神的に追い詰められたりすることで自らのこころを失い、人を殺してしまうという事の恐ろしさを伝えている。さらにまた、人間が想像する空想の世界と現実の世界とでは理想の落差が大きく、空想を見つめ現実に目を向けようとしない現実逃避者が多いために、こういう事実があるというのを伝え、改めて農民における貧困や不景気の苦しさを、国民を始め政府に伝えたかったのではないかと考える。このことから、柳田国男は、農民の厳しい現状を伝え空想の世界と現実の世界で巻き起こっている問題について歴史的に伝えたかったのではないかと考える。
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いちおう「神隠し・隠れ里」なるテーマのもとに編まれたアンソロジーなのだが、編者の大塚英志さんという方がちょっと変わった人なのか、あんまりテーマと関係ない文章もけっこう含められている。それでも、未読の柳田の文章を読めると言うだけでありがたいのだが。
異界を暗示する「神隠し」のようなテーマに関しては、柳田自身、これは民俗学の題材と言うより「心理学」のそれではないかと疑念を呈している箇所もあり、さほど深く追究する気になれなかったようだ。興味はあったのだろうけれども。
巻末には同時代の田山花袋や水野葉舟の小説、柳田『遠野物語』の話材提供者である佐々木喜善の作品、および折口信夫の詩が収められている。どれも貴重な読み物ではある。が、柳田の作品集に直接的には関係しないような他者の小説を入れるような試みについては、賛否が分かれるところだろう。 -
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「妹の力」のように沢山の採取したフォークロアの披露で脱線気味ということはなく、読み易い。
それでも、え、あの話まだ続いていたんですか、ってまるで落語の崇徳院のような感想を持った処もあったけれど。
地道に証拠を積み上げ、結論を急いで出すことがない。最後に仮説を提示するする姿勢は、プロの論考というべきもの。
ミミラク、ミ―ラクというあの世に繋がる海の彼方のイメージがあったのではとしている。美々良久の島、肥前の三井楽の崎、紀州の補陀落渡海、鹿島踊りのみろく船についての論考。刺激的な話だけれど、証拠が少ないのでは。
死後の魂が向かう「根の国」は地下の世界ではない、黄泉の国のイメージは中国から伝えられた思想の影響だとする。成程、海の彼方や山の向こうに往くと我々の先祖はイメージしただろうな。
色々気付かされたことがあったが、新嘗の論考など何を問題しているのか、よく判らなかった。知識不足と自分の頭の悪さを実感した。 -
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柳田國男。
気にはなっていたのに、なかなか読むチャンスがなかった。
なんだかすてきな装丁の文庫で出ていたのでうっかり購入。
昔話を題材に、文化の伝播について論じられている。
例えばシンデレラなどのような「継子譚」や人間とそれ以外のものが婚姻する「異類求婚譚」など、世界中の民話(神話)と日本に伝わる昔話にはいくつもの共通点がある。そういった話が日本にはたくさん残っており、その話の採集に柳田國男は力を入れていたという。
このあたりの民俗学的な話は、現在の研究とどれだけ違いがあるか分からない。しかし柳田國男のこの作品を含めた研究が、当時の日本で「昔話」「童話」の研究に一石を投じたのだろうとは思う。
ただ個人的には、発表当時のこの作品の学術的な価値には正直あまり興味がない。
「瓜子姫」の昔話を読んだ人は多いと思う。
わたしも甥っ子や姪っ子に昔話を強請られたので、わたしの小さなときに父に読んでもらった「昔話百話」のような本を持ってきて読んであげた。話をよく覚えてなかったので瓜子姫を選んでしまったのだろうが、終わり方がとても残酷だった。そういえば「かちかち山」を読んであげたときも、あれ、と思ったのだ。単純な疑問として「なぜこんなに残酷なのだろう」と思った。
書店でこの本を手に取ったときに、「瓜子姫」の章があったので気になって購入した。
瓜子姫と桃太郎。じつはこの二つの話には共通点がある。
どちらも川から流れてきた果実から生まれている。昔の日本人は、「川から流れているもの」は子供を授かることを想像させるものであったらしい。また、瓜子姫も桃太郎も成長がとても早いのだ。まるで男女対の話のように。
昔話の特性、とも思えて今のわたしには「当たり前」のようなことが、柳田國男の手に掛かると「なぜ」の対象となることが面白い。瓜子姫の章ではさらにいくつかの地域に残る瓜子姫の話を比較し、共通点を探すことでこの話の「核」はなにか?と探っていく。物語の原型を探すのだ。
簡単に聞いても面白い。難しく考えても面白い。「古典」とはそういうものなんだろうな。昔話を「古典」とするのに抵抗がある人もいるかも知れないが、研究対象としてこんなに面白いものがあったのか、と驚きをもって、この本を読んでいる。
昔は今よりずっと、その土地土地の昔話があふれていたんだろうな。童話化された昔話しか知らないわたしは、この本でその奥深さに触れたような気がする。