柳田国男のレビュー一覧
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常野物語「光の帝国」を読み、なるほど元ネタ遠野物語なんだ、タイトル聞いた事あるなァと思ったのがひとつ。
次読んだ本が「始まりの木」で、民俗学の祖柳田國男と遠野物語が物語のキーになっていたのがふたつ。
ここまで連続して登場されると気になるというもの。ご縁を感じて読んでみました。
東北のとある地遠野にてその地に住む人々が体験した話を、柳田國男がまとめあげた物語。
日本に伝わる民話の大元、というのが体感だった。自然に対する敬意だったり、人としての礼儀だったり。
今よりよほど、生活に対する感謝があったんだなぁ。
いつからかなんて分からないけど、近代化の波に呑まれて、だんだんなくなってしまっていただろうと感じる。
この物語が今読めることに感謝。 -
Posted by ブクログ
昔の学者の人の言うことや書くことって、喩えると、視力のとてもいい人が、自分の見ているものを細かく伝えてくれるというのに近いような印象があります。同じように地面を見ていても、現代人よりも細かいところまで見えているし、気にも留めないようなところにも注意を払っている、というように。
たとえば一般化している「お祭(祭礼)」は神道の行事。でも日本人はあまりそれを宗教として感じていません。キリスト教やイスラム教、仏教には教義があるけれども、日本の神様に対しての教義を学ぶ一般人はいない。日本人の風俗をみれば日本人は無宗教ではないのだけれど、教義というものがないのだから日本人の意識上無宗教になっているのでしょう。そういった内容を、端的に指摘するところから話は始まっていきます。
本書は東京大学での昭和16年の講義録です。その当時、科学の発展が目覚ましいものと人々の意識に映り、そういったものこそがえらいものだ、とするようになっていた影響で、そんな社会の意識から薄れていき失われそうになっていた民俗的なものの連続性を土壇場でつないだ感がある著者です。その、土壇場で何をつないだのかを、本書の読解をもとにもうちょっと解説してみましょう。
近代化した日本では子どもたちは学校に通うことになります。学問などのために20代前半までその仕組みの内側で人生を送る者も多いことはみなさんおわかりだと思います。古来からの日本の村落で伝えられてきた習俗というものは、今で言えば前述のような、学校に通う期間に学校に通わずに身に染み込ませたものでした。なので現代人は、古来からの物心両面の生活様式を受け継ぎ覚え込む機会を失うことになりました。柳田国男は、そういった古来からの習俗を、近代化・西洋化・産業化の波によって闇に帰してしまうのに抗い、そこで踏みとどまり、後世に残す努力を果たした。それが、民俗学であり、柳田国男が興した学問ということなのでした。
では、どんなことが書かれているかを、ふたつではありますが、短く紹介していきます。
まず、「物忌み(精進)」。今でも、神社では水で口を漱いだり手を洗ったりして身を浄めますが、祭りに際しての浄め方はもっと念が入っています。各地方によって差はあるのですが、たとえば家は戸締りをきちんとし、誰も外に出ず、誰も中に入れず、物音を立てずに過ごす。死の穢れを遠ざけ、夫婦の交わりも禁じられる。針仕事を止められたり、農業などで水が近辺にある地域だときゅうりを警戒したり(河童につながる話です)、いろいろと拘束があります。こういった習俗が、全国各地にあったわけです。それぞれに違いはあれど、共通する何かがそれらの行いには内在していて、つまりは根っこはかつて一つだったことを意味するのでした。中国などからの外来の文化や言葉が入ってくる以前から、日本には日本の神様があったというわけです。
次に氏神への祈願。氏神っていうのは本来、群れすなわちその土地の人間全体からの祈願を全体のために叶えるという性格のものだったのが、いつしか個人の祈願を受け付けるようになっていったのだ、とあります。個人の祈願はいわゆる抜け駆けなのでした。それが認められるようになったのは、個人の信心の深浅が目に付くようになったからだと柳田国男は自説を論じる。氏神を大切にする者と形式的に扱う者とが同じ恩恵を得ることに疑問が浮かんだのが、個人の祈願が受け付けられるようになった端緒ではないかと。そういうようなことが彼らしく解説されています。
というような解像度で「祭」を見ていく本です。最近では、祭りといえば観光化していて、見物人中心のものになりましたが、従来はその土地の氏神などとの交流が重要な点だったといわれます。神楽、舞、音楽。そういったものは神に対してのものであったのが、いつしか見物人を集めるものになった。儀式の意味が変わっていき、形骸化もしてきたのでした。この先、祭りは単なるイベントとしての性格を強めていくのでしょうけれども、古来の祭は意味が深くて様々で、人々の精神性と密着していたものだったことを、本書を皮切りとした学問から知ることができます。
風俗を風化させず残した柳田国男の仕事はとてもすごいものだと頭が下がります。この仕事の意味を、たとえば臨床心理学的な考え方から見てみると次のようになります。まず、人は自らの過去と真正面から対峙し、見つめ直したり受け入れたりすることが大切な場面はあると言われます。そこで、良いか悪いかはちょっとわからないのですが、そこから類推して考えてみれば、日本人であることのアイデンティティーだとか、実存性だとか、血の連続性だとかを自分自身で振り返ってみたい、知りたい、と思ったときの足がかりとなるのが、この民俗学ではないでしょうか。
教義のない宗教である神道が日本には空気として存在していて、その意味がまるで分からずにいてもまあ困らないことは困りません。ですが、ふと立ち止まって考えたい人っていうのは必ずいるわけです。そういった人は足場をしっかり固めたかったりするんですよ、しっかり踏ん張りたいがために。そして、そのような種類の人たちが、日本人総体としての舵取りをとったりもするんです。そっちにいっては危ないよ! と危険をかぎとって言ってくれる。そういう意味でも、知的空間の広さって大切で、知的空間を押し広げてくれるのが、「学問」であり、知ろうとしたときにそこに足掛かりや手掛かりがあると助かるものです。とくにこういった日常生活の謎についての学問であるような民俗学って、「知」と「生活」の溝を埋めるもののような気がします。亀裂や断絶を埋めたり、谷間に橋を架けたり、そういうふうな意味合いがあるのではないでしょうか。
なんだかだらだらと喋ってしまいました。それだけ伝えたい隙間のある本でもあるのです。喋るなら、同じ分量になったとしてももうちょっと端正にやればいいのに、難しいものです。そんなところで、終わっておきます。 -
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我々が空想で描いて見る世界よりも、 隠れた現実の方が遥かに物深い。柳田国男『遠野とおの物語』1910
諷刺の笑いというのは淋しいもので、それの出しゃばる時世はきっと明朗でないのだが、 また一方に牽制するところがあって、我がおろかを棚へ上げている者を自粛せしめる。柳田国男『不幸なる芸術』
魂になってもなお、生涯の地に留まるという想像は、自分も日本人である故か、私には至極楽しく感じられる。柳田国男『魂の行くへ』
仏教が新しい考えを日本にもたらしたというより、日本固有のものが仏教に触れて変質していった。柳田国男
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まれびと。海のかなた、別世界から村にやってきて人々に恵みを与えて去っていく。折口信夫おりくち・しのぶ『まれびと(稀人)の歴史』1929
あの世は抽象的なものではなく、自分の生活している世界の「あの山」の向こう、「あの海」の彼方に聖なる世界(仏の世界)がある。▼「しぬ」の漢字は「萎ぬ」。生気が無くしなしなになること。その逆は活く(いく)。折口信夫『死者の書』1943
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庶民の生活を描き出すことで、今日の文化を築き上げてきた生産者のエネルギーはどういう人間関係や環境の中から生まれて出てきたのかを探る。宮本常一『忘れられた日本人』1960 ✳︎性に奔放な庶民の女性たち。cf. ルイス・フロイス『ヨーロッパ文化と日本文化』1585
ヨーロッパでは都市(生活領域)の中心に教会が建てられ、神がまつられる。日本では生活領域の端(自然との境界)に神がまつられる。山の奥(オク)と海の沖(オキ)はともに聖なる領域への志向性をあらわす同じ語源の言葉ではないか。オギュスタン・ベルク『日本の風土』1986
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○付喪神つくもがみ。道具は長い年月が経つと精霊が宿る。神社で人形・もの供養をする。
○道祖神どうそしん。外から悪いもの入ってこないよう村を守る。 -
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「柳田国男の「山人論」とは、日本の山中には先住民族の末裔が今も生存しており、その先住民族の姿を山人や山姥・天狗などと見誤って成立したものだという仮説である。」(大塚英志のあとがき)
編者の大塚英志は「明治国家は抗争史の勝者としての天皇家の人々を軸に記紀に倣って歴史を描こうとしたが(略)柳田の山人論は「敗者」あるいはマイノリティーの側の視点を持った」ものだったという。「山人論は多文化民俗学という側面を持っていた」という評価もできるらしい。その評価に、私も同意する。
とは言え、大塚さんの柳田傾倒・柳田礼賛には、少し引いてしまう面もある。例えば、せっかく一章を設けて、柳田国男・南方熊楠往復書簡を紹介しているのにも関わらず、紹介は明治年間で終わっていて、大正5年に熊楠が柳田に送りつけたという決定的な批判は紹介しない。以下その批判を、少し長いが紹介する。
山男山男ともてはやすを読むに、真の山男でも何でもなく、ただ特種の事情より止むを得ず山に住み、世間に遠ざかりおる男というほどのことなり。それならば小生なども毎度山男なりしことあり。小生らが従来山男として聞き伝うるは、猴類にして二手二足あるもの、原始人類ともいうべきものなり。貴下の山男の何々といわるるは、尋常の人間で山民とか山中の無籍者とかというべきものなり。こんなものを山男と悦ぶは山地に往復したことなき人のことで、吾輩毎度自分で山中に起臥したものなどに取っては笑止と言うを禁じ得ず候。(岩波「図書」2022年12月号「柳田、南方山人論争と中国の山人」より)
この手紙の影響もあってか、柳田はその後山人実在論は放棄し、平地人がみる「幻覚」としての山人論にシフトするのであるが、それを大塚英志は柳田が自覚的にシフトしたかの如き記している。それは柳田擁護でしょう。ちなみに、現代はいないとしても仮に古代までは山人=先住民族が居たという説には、私はそれは空想的だと考える。令和の現代までに、日本列島は隅々まで開発され尽くした。その過程で、そういう「特異な」文化を持った民俗や古代遺跡は、未だ発見されていないからである。つまり縄文人=山人ではない。(サンカの人々との関係については、長くなるので割愛する)
それにも関わらず、柳田国男の「山の人生」は、未だ読まれ続けており、やがて古典としての位置を確定させるだろうと思う。
何故ならば、大塚英志も柳田「山人論」の特徴は、日本の植民地政策へのカウンターカルチャー提起であるのと同時にロマン主義と自然主義文学であると喝破しているが、私も本書を読んで本旨に関係ないところで、いろいろと刺激されたからである。例えば、我が郷土岡山県の県北地域の事を書いている部分がある。
明治の末頃にも、作州那岐山の麓、日本原の広戸の滝を中心として、処々に山姫が出没するという評判が高かった。裸にして腰のまわりだけに襤褸を引き纏い、髪の毛は赤く眼は青くして光っていた。或る時も人里近くに現われ、木こりの小屋を覗いているところを見つかり、ついにそこの人夫どもに打ち殺された。しかるにそれをよく調べてみると、附近の村の女であって、ずっと以前に発狂して、家出をしてしまった者であることが分った。(第5章「女人の山に入る者多きこと」より)
山姥や神隠しが頻繁に起きていたのは、つい最近までだった。それが起きたのは、先住民族文化があったからではなく、おそらく当時の社会事情と普遍的な「人間の苦悩」があったからだろう、と推測されるからである。那岐山の麓、日本原には現在自衛隊基地があり、広大な平原が続いている。ここ数年、日曜日に基地内には簡単に入れなくなったが、何度も通った土地であり手付かずにの自然が未だのこっている場所でもある。イメージが湧きやすい。昔も今も、人の人生にはドラマがある。
神隠し、山男、山女伝説、天狗伝説、鬼の伝説、豊富に紹介された物語から、日本人はこれからもさまざまな天啓を得るのではないかと思う。 -
Posted by ブクログ
旧字体は基本改められているが、全体を通して難しかった。明治生まれの人の文書はやはり気合がいる、かも。
しかしその中で柳田國男の発見したこと、考察したことを理解することが民俗学の中の気づきにもなる。
・多くの神秘談は老衰してもう山で稼げなくなった者が、経験を子弟に伝えようとするついでに言い残すのが普通であること。そうでなく面白げに話すのは受け売りの誇張の多い話しと見てよいということ。 遠野物語にも出てくる、不思議で時に恐ろしい話は、老衰してもう長くないと悟ったものがやっと口を開く、経験談なのだということが印象深かった。
・小児に「けさ」という名を与える例が全国的にあること。災難よけの意味があるとのことだが、それは子どもが生まれたらモノに命を取られないように顔を隠すもうなものと、受け取れた。
・子供の間引きが行われていた頃にふれ、「でんぎょう祝い」という、子が生まれる前に食べ物などを親戚が持ってきて宴会をする。それをした後は子はもう殺せなくなる。子が生まれる前のこのタイミングで、子の生存権を承認されたということになると。
このような行為を見ると子の生存権がどのように扱われていたかわかるだろう、と柳田はふれる。農村などでは予算のように子供を間引くが、その理由は経済的な理由からであり、女が子を連れて心中することにも触れる。現在は子を連れて行くのは仕方ないと見られていたが、かつては子供まで連れて行く奴があるかと言われていたことに言及し、社会情勢で子供の命の扱いが左右されていること投げかける。
編者後書きも含めてみると、目の前の社会問題を解決するために柳田が民俗学を国民が学ぶ必要があると言ったその一端がわかる内容だとわかった。 -
Posted by ブクログ
河童、座敷わらし、マヨイガ、隠れ里といった他の作品でもよく使われるモチーフを始め、遠野における妖怪や狐、熊や犬、文化や風習に関する話を集めた説話集。言わずと知れた日本の民俗学の萌芽になった本だが、柳田国男の素朴な文章と相まって説話の一つ一つが短編の話を読んでいるように思えた。
同じ文庫内に収録されている遠野物語拾遺の中にあったオシラサマに関しての比較や由来などの考察がとても興味深かった。私は正直なところ、そこまで響くものは多くなかったが、今でも音楽や物語で使われるモチーフが多く登場する後世への影響力や話の一つ一つに誰が話したかがきちんと記録されていたといった研究として緻密に行われたことなど、読んでいて感心することが多かった。解説にも三人の文豪の異なった批評が載せられていたりと、人により感じ方が違うのも、とても面白かった。
田山花袋は「其の物語についてに就いては、更に心を動かさないが、其物語の背景を塗るのに、飽まで実際を以てした処を面白いとも意味深いとも思つた。」と評し、島崎藤村は「不思議な、しかも活きた眼の前の物語に対すると、ルウラウ・ライフの中に混じて見出される驚異と恐怖とを幽かに知ることが出来るやうな気がする。民族発達の研究的興味から著わされるものであるとしても、猶私は斯の冊子の中に遠い遠い野の声といふやうなものを聞くやうな思ひがする。」と評し、泉鏡花は「此の書は陸中国上閉伊郡に遠野郷とて山深き幽僻地の伝説異聞怪談を土地の人の談話したるを氏が筆にて活かし描けるなり。(中略)又此の物語を読みつゝ感ずる処は其の奇と、ものの妖なるのみにあらず、其の土地の光景、風俗、草木の色などを不言の間に得る事なり」と評した。私の抱いた感想は田山花袋に近いと思う。