柳田国男のレビュー一覧
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常野物語「光の帝国」を読み、なるほど元ネタ遠野物語なんだ、タイトル聞いた事あるなァと思ったのがひとつ。
次読んだ本が「始まりの木」で、民俗学の祖柳田國男と遠野物語が物語のキーになっていたのがふたつ。
ここまで連続して登場されると気になるというもの。ご縁を感じて読んでみました。
東北のとある地遠野にてその地に住む人々が体験した話を、柳田國男がまとめあげた物語。
日本に伝わる民話の大元、というのが体感だった。自然に対する敬意だったり、人としての礼儀だったり。
今よりよほど、生活に対する感謝があったんだなぁ。
いつからかなんて分からないけど、近代化の波に呑まれて、だんだんなくなってしまっていただ -
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昔の学者の人の言うことや書くことって、喩えると、視力のとてもいい人が、自分の見ているものを細かく伝えてくれるというのに近いような印象があります。同じように地面を見ていても、現代人よりも細かいところまで見えているし、気にも留めないようなところにも注意を払っている、というように。
たとえば一般化している「お祭(祭礼)」は神道の行事。でも日本人はあまりそれを宗教として感じていません。キリスト教やイスラム教、仏教には教義があるけれども、日本の神様に対しての教義を学ぶ一般人はいない。日本人の風俗をみれば日本人は無宗教ではないのだけれど、教義というものがないのだから日本人の意識上無宗教になっているのでし -
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我々が空想で描いて見る世界よりも、 隠れた現実の方が遥かに物深い。柳田国男『遠野とおの物語』1910
諷刺の笑いというのは淋しいもので、それの出しゃばる時世はきっと明朗でないのだが、 また一方に牽制するところがあって、我がおろかを棚へ上げている者を自粛せしめる。柳田国男『不幸なる芸術』
魂になってもなお、生涯の地に留まるという想像は、自分も日本人である故か、私には至極楽しく感じられる。柳田国男『魂の行くへ』
仏教が新しい考えを日本にもたらしたというより、日本固有のものが仏教に触れて変質していった。柳田国男
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まれびと。海のかなた、別世界から村にやっ -
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「柳田国男の「山人論」とは、日本の山中には先住民族の末裔が今も生存しており、その先住民族の姿を山人や山姥・天狗などと見誤って成立したものだという仮説である。」(大塚英志のあとがき)
編者の大塚英志は「明治国家は抗争史の勝者としての天皇家の人々を軸に記紀に倣って歴史を描こうとしたが(略)柳田の山人論は「敗者」あるいはマイノリティーの側の視点を持った」ものだったという。「山人論は多文化民俗学という側面を持っていた」という評価もできるらしい。その評価に、私も同意する。
とは言え、大塚さんの柳田傾倒・柳田礼賛には、少し引いてしまう面もある。例えば、せっかく一章を設けて、柳田国男・南方熊楠往復書簡を -
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旧字体は基本改められているが、全体を通して難しかった。明治生まれの人の文書はやはり気合がいる、かも。
しかしその中で柳田國男の発見したこと、考察したことを理解することが民俗学の中の気づきにもなる。
・多くの神秘談は老衰してもう山で稼げなくなった者が、経験を子弟に伝えようとするついでに言い残すのが普通であること。そうでなく面白げに話すのは受け売りの誇張の多い話しと見てよいということ。 遠野物語にも出てくる、不思議で時に恐ろしい話は、老衰してもう長くないと悟ったものがやっと口を開く、経験談なのだということが印象深かった。
・小児に「けさ」という名を与える例が全国的にあること。災難よけの意味があ -
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河童、座敷わらし、マヨイガ、隠れ里といった他の作品でもよく使われるモチーフを始め、遠野における妖怪や狐、熊や犬、文化や風習に関する話を集めた説話集。言わずと知れた日本の民俗学の萌芽になった本だが、柳田国男の素朴な文章と相まって説話の一つ一つが短編の話を読んでいるように思えた。
同じ文庫内に収録されている遠野物語拾遺の中にあったオシラサマに関しての比較や由来などの考察がとても興味深かった。私は正直なところ、そこまで響くものは多くなかったが、今でも音楽や物語で使われるモチーフが多く登場する後世への影響力や話の一つ一つに誰が話したかがきちんと記録されていたといった研究として緻密に行われたことなど -
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20年近くに前に友人からもらった本。
(私があげた、ルナールの博物誌のお礼に、と言っていた気がする)
少し読んで、へえ、と思い、そのまま時間が経ってしまった。
今回、ふと思い立って再チャレンジ。
年末から少しずつ読んでいたので、3ヶ月くらい掛かったかもしれない。
一編ごとに、ごく短い文で簡潔に纏められている。
昭和初期のものだから、内容はおもに、明治大正、まれに江戸の話もある。
伝わる風習、動物の不思議なエピソード、寺社仏閣、霊体験、身分制度、山にあるもの、人間など、あらゆる物語が記録されている。
本書には、遠野物語および、遠野物語拾遺が収録されている。
内容にも驚くべきことが多いが、何よ -
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久しぶりの柳田國男。
読み物というより、タイトルの通り本当に辞典。
何か掘り下げたいトピックがあったらそこに書いてある地域の文献を見ると良いのかも。
帯の煽り文句は「創作勢、最高のネタ帳!」たしかにホラー系統のインスピレーションが湧きそう。
現代仮名遣いに直してあるので、通勤と朝の読書時間で2日で読めた。
筒井功さんの解説にあったが、自分が読んでいる今現在の習慣にない作法は知識と想像力がいるのでそこが難解。文章自体は読みやすい。
民俗学を勉強し始めて、片仮名での表記の意味がわかってきた(カミ など)。当時の常民は読み書きが必ずしもできないので口伝の伝承になるし漢字の当て方も、元の意味が正確にわ -
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昔の人間は生きるのに必死だったんだなと。不作になれば死ぬし、怪我しても死ぬし、病気になれば原因不明で死ぬ。お産も命懸けだったし。
科学のなかった時代に、死という現象にあれこれ理由と原因を考えて試行錯誤した努力が垣間見える。
火の禁忌が面白かった。
火というより竈門で煮炊きしたものへの禁忌?はよもつへぐいが連想される。
お産・月経への禁忌も目立つ。血の穢れという意味の他に、出産自体がなんだかよくわからなくて怖い、という感情があったのではないか、「彼岸から此岸への橋渡し」→「彼岸に近い」感覚があったのではとか勝手に想像する。
死人・病人が出た家人との食事を控えるのは、感染症対策としては意外と理に -
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忌(いみ)について、日本各地の風習、奇習を集めた事典。
ところどころ、拾い読みをしていると、現世とは別の不思議な世界へと誘われるような気分になる。一つ、拾い読んで見る。
「首切り石」以下抜粋
伊勢の三重郡では、縞の入った石を首切り石というのは、形から思い付いた名のように思われるが、これを拾うと首が切られるという。知らずに拾ったらそっと首を三度撫でてから捨てよともいう(郷土石号)。
その石を拾った情景が浮かんできたり、どうしてそんな風習が生まれたのか気になってしまう。
人間は、コレクションしたがるものだが、忌をテーマに集めた柳田国男さんって、どんな人物だったのかも気になってしまう。 -
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面白かった事例をメモするとキリがないので、我が郷土に関する部分だけを記録する。いつか、話のタネになるかもしれない。
〈忌を守る法〉
・「金忌(カナイミ)」阿哲。春分に近い戊(つちのえ)の日を地神の祭日とし、農耕は休み、鋤鎌などの金物を一切使用せず。
・備中真鍋島では、忌小屋に女が入ることを山上がりと謂う。村は浜にあり、小屋はいずれも高い所に設けるからである。
〈忌の害〉
「産負け(サンマケ)」備前和気。
産の火に負けること。赤子祝い以前の家の者が漁の仲間に入ると、産負けして怪我をしたり、漁が当たらなかったりして人から忌まれる。故にこの祝いを早くすませて、世間を広くするという。
〈土地の忌 -
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短い章で区切られた遠野物語は口碑の書き留めなので、一方的な言い伝えや噂話にすぎないが、山の人生は論文として書かれているので、山人の存在は純粋に好奇心をくすぐられる。山人は日本の先住民族で大和民族と同化して我々になったのか。山窩とも呼ばれた漂泊民ともう一つの山人もいたと思える。むしろ岡本綺堂が「くろん坊」に書いたのは「人ではなく猿でもなく、からだに薄黒い毛が一面に生えているので、俗に黒ん坊と呼び慣わしているのであって、まずは人間と猿との合いの子ともいうべき怪物である」。岡本綺堂の描く黒ん坊は人語を話さない。「享和雑記」にも書かれているそれは濃州の黒ん坊であり、言ってみれば広島比婆山のヒバゴンのよ